悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「グラッセ様! 今日こそはあなたに目にもの見せてあげますわ!」

ラズベリー公爵邸の庭園で、私が優雅に「新しい商売(魔導石の加工販売)」の事業計画書を練っていたときだった。

甲高い声とともに、招かれざる客が現れた。

ミナ男爵令嬢だ。

相変わらずピンク色のフリフリなドレスを着ているが、今日の彼女は一人ではなかった。

その隣には、熊のように体格の良い、強面の男が立っている。

銀色の鎧に身を包み、腰には立派な剣。マントには王家直属を示す紋章。

近衛騎士団長、ガストン将軍だ。

「……あら、ミナ様。またいらしたのですか? 前回の『お清め塩』、完売しましたわよ。追加の納品ですか?」

私が涼しい顔で尋ねると、ミナは顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。

「違います! 今日はガストン様にお願いして、あなたの悪行を正しに来たのです!」

ミナはガストンの腕にギュッとしがみついた。

「ガストン様ぁ、この女ですぅ。アラン様をいじめて、国を乗っ取ろうとしている悪女は! 私、怖くて……」

ガストン団長は、ミナの頭をポンポンと撫で、太い眉を吊り上げて私を睨みつけた。

「うむ、任せておけ。か弱い乙女を脅かすとは、騎士の風上にも置けん!」

彼はドスドスと私に歩み寄り、目の前に仁王立ちした。

見上げるような巨体だ。

「貴様がグラッセか。話は聞いているぞ。王子に法外な金を請求し、城の備品を奪ったそうだな」

野太い声が庭に響く。

私はペンを置き、ゆっくりと立ち上がった。

「法外? 正当な対価です。備品に関しては、差し押さえの手続きを踏んでおりますが」

「黙れ! 屁理屈をこねるな! 俺は曲がったことが大嫌いなんだ!」

ガストン団長は腰の剣に手をかけた。

チャキ、と金属音が鳴る。

「俺は近衛騎士団長ガストン。王家の盾であり、正義の剣だ! 貴様のような守銭奴に、鉄槌を下してやる!」

「鉄槌、ですか。それは『武力行使』という認識でよろしいですね?」

「ああそうだ! 俺の剣技の前では、金など何の役にも立たんことを教えてやる!」

ガストン団長が威圧感を放つ。

ミナが背後で「きゃあ、素敵ですわガストン様! やっつけて!」とはしゃいでいる。

なるほど。

アラン王子が金欠で役に立たなくなったから、次は「武力」に頼ることにしたのか。

単純だが、わかりやすい戦略だ。

しかし。

私はため息をつき、懐から手帳を取り出した。

「ガストン団長。あなたが『曲がったことが大嫌い』で、『正義の騎士』であることはよくわかりました」

「命乞いか? 今さら遅いぞ!」

「いいえ。――確認ですが、あなたの部下たち……近衛騎士団の装備一式、どこの業者が納入しているかご存じですか?」

「あぁ? そんなもの、知るか! 補給部隊の管轄だろ!」

「そうですか。ではお教えしましょう」

私は手帳を開き、指でとあるページを弾いた。

「騎士団の鎧、剣、盾、そして馬具に至るまで……その九割は、我が『ラズベリー商会』が納入しております」

「……は?」

ガストン団長の動きが止まった。

私はニッコリと微笑み、さらに続ける。

「ついでに言えば、騎士団の宿舎の食堂に食材を卸しているのも、訓練場の維持管理を請け負っているのも、すべて私の会社です」

「な、何が言いたい」

「簡単な話です。もしあなたが私に剣を向けるなら……」

私は電卓を取り出し、パチン! と叩いた。

「来期の納入契約、すべて白紙にさせていただきます」

「……なんだと?」

「現在、鉄の価格が高騰しておりましてね。特別価格で卸していましたが、契約解除となれば……そうですね、騎士団の皆様は来月から、木の棒と鍋の蓋で国を守ることになるかと」

「な、鍋の蓋だと!?」

「ええ。それとも、他社から仕入れますか? 市場価格は今の三倍ですが、王家の予算で賄えますかね? 先日の『玉座売却事件』で、国庫は火の車だと聞いていますが」

ガストン団長の顔色が、みるみるうちに青ざめていく。

彼は脳筋(失礼)だが、騎士団のトップとして、予算不足の深刻さは理解しているようだ。

「ま、待て。三倍は困る。ただでさえ、部下たちから『給料が安い』『鎧が重い』と不満が出ているのに……」

「さらに、食堂の食材納入も止めます。来月からは、乾燥豆と水だけのメニューになりますね」

「そ、それは暴動が起きる!」

ガストン団長が悲鳴を上げた。

「騎士にとって食事は活力の源だ! 肉を! 肉を奪うのだけはやめてくれ!」

「では、剣を収めていただけますか? お客様」

私が冷ややかに告げると、ガストン団長は慌てて剣から手を離し、直立不動の姿勢をとった。

「し、失礼しました! 商談の最中とは知らず!」

「ガ、ガストン様!?」

背後でミナが目を丸くしている。

「何をしているんですか! その女をやっつけてくださいよぉ!」

「バカ言えミナ! この御方は、俺たちの胃袋と装備を握っている重要人物だぞ!」

ガストン団長は額の汗を拭いながら、私に媚びへつらうような笑みを向けた。

「いやぁ、グラッセ様とは知らず、無礼を働きました。……あ、あの、来期の納入契約ですが、現状維持でお願いできますでしょうか?」

「検討します。ただし、条件があります」

「な、なんでしょう?」

私はチラリとミナを見た。

「私の庭に『不法投棄』されたゴミ(ミナ様)を、お持ち帰りいただけますか? 処理に困りますので」

「ゴミ……!? ひどいですぅ!」

ミナが叫ぶが、ガストン団長は即座に頷いた。

「承知いたしました! おい、ミナ嬢を送り返せ!」

「ええっ!? ガストン様、私を守ってくれるって……」

「騎士団の存続がかかっているんだ! 愛だの恋だので腹は膨れん!」

ガストン団長は、あっさりとミナを見捨てた。

やはり、金と食糧の前では、愛など無力なのだ。

「そんなぁ……! 信じてたのにぃ!」

ミナは泣きながら走り去っていった。

その背中を見送りながら、私はガストン団長に向き直った。

「賢明なご判断です、団長。……ああ、それと」

「は、はい!」

「来期の契約ですが、少し見直しが必要です。鉄の価格高騰分として、二割の値上げを」

「に、二割……!?」

「嫌なら契約解除ですが?」

「わ、わかりました! なんとか予算を工面します! ですから、肉だけは……肉料理だけは減らさないでください!」

屈強な騎士団長が、涙目で懇願している。

私は満足げに頷いた。

「商談成立ですね。契約書は後ほど送ります」

ガストン団長は何度も頭を下げ、逃げるように帰っていった。

静寂が戻った庭園。

私は再び椅子に座り、優雅に紅茶を啜った。

「……チョロいわね」

物陰から、シリルが拍手をしながら現れた。

「お見事。騎士団長まで手玉に取るとはな」

「あら、見ていらしたの? 助太刀に来てくださってもよかったのに」

「必要ないだろう。君の舌先三寸と電卓があれば、軍隊一つくらい壊滅させられそうだ」

シリルは笑いながら、私の隣に座った。

「しかし、ミナも懲りないな。次は何をしてくるやら」

「次? そうですね……」

私は空になったティーカップを見つめ、不敵に微笑んだ。

「権力、暴力ときて、どちらも金(わたし)には勝てなかった。となると、次は『情』に訴えてくるか、あるいは……」

「あるいは?」

「もっと『裏』の手を使ってくるか、ですね」

ミナの正体。

ただの男爵令嬢にしては、王族への取り入り方や、人脈の広げ方が手慣れている。

もしかしたら、彼女にはまだ隠された顔があるのかもしれない。

「ま、何が来ても請求書を切るだけですけど」

私は電卓を叩き、今日得られた「騎士団との新契約(二割増し)」の利益を計算し始めた。

カチカチという音が、平和な午後の庭に響く。

それが、次の嵐の前の静けさだとは知らずに。
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