悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「……それで、先日の『呪い病特効薬(ただの栄養ドリンク)』の利益ですが」

ラズベリー公爵邸の執務室。

私は電卓を叩き終え、目の前の男――シリル・ヴァン・ノワール公爵に現金の詰まった麻袋をドンと提示した。

「純利益、金貨五千枚。これを原資として、例の『国境開発プロジェクト』に着手したいと思います」

「仕事が早いな。あの騒動からまだ三日だぞ」

シリルは感心したように袋の重さを確かめた。

「鉄は熱いうちに打て、金はあるうちに使え、です。現金を寝かせておくのは死んでいるのと同じですから」

私は壁に貼られた地図を指し棒で叩いた。

そこには、我が国と、シリルの国(ノワール帝国)の国境線が描かれている。

以前視察した「魔導石の鉱山」があるエリアだ。

「この一帯は現在、両国の緩衝地帯として放置されています。治安が悪く、野盗が出没するため、商人は誰も通りたがりません」

「ああ。おかげで物流が滞り、帝国の経済発展のボトルネックになっている」

「そこで、です」

私はニヤリと笑った。

「私たちが共同出資して、ここに『有料高速道路』を通します」

「……有料道路?」

「ええ。私たちが私費で街道を整備し、安全を確保する。その代わり、通行する商人や馬車からガッポリと通行料を徴収するのです。さらに、街道沿いに宿場町を作り、宿泊費、飲食費、馬の餌代まで……すべて私たちの懐に入るシステムを作ります」

シリルが目を輝かせた。

「素晴らしい。帝国の流通網も改善され、金も入る。一石二鳥だな」

「でしょう? 名付けて『ラズベリー・ノワール・ハイウェイ構想』です」

「名前の語呂も悪くない。よし、乗った。出資比率は?」

「50対50で。ただし、運営権と料金設定権は私が持ちます」

「……ちゃっかりしているな。まあいい、君に任せた方が稼げそうだからな」

こうして、私たちは即座に契約書にサインを交わした。

愛の誓いよりも重く、神聖な『共同出資契約書』の完成である。

***

数日後。

私たちは現地視察のため、再び国境地帯を訪れていた。

荒涼とした大地。風が吹き荒れ、砂埃が舞う。

「……ひどい場所ね。ここを整備するのは骨が折れそう」

馬車の窓から外を眺め、私は溜息をついた。

「ああ。まずは測量と、地盤の補強が必要だな。それに……」

シリルが目を細めた瞬間だった。

ヒュンッ!

風切り音と共に、何かが飛んできた。

「危ない!」

シリルが私を抱き寄せ、床に伏せる。

ドスッ!

馬車の壁に突き刺さったのは、一本の矢だった。

「……敵襲か」

外から、野太い怒号が聞こえてくる。

「ヒャッハー! 上等な馬車だぜ! 身ぐるみ剥いでやる!」

「金目のものを出しな!」

馬車が急停車し、周囲を数十人の男たちに囲まれたようだ。

国境付近を根城にする野盗団だ。

「……やれやれ。護衛の騎士たちは?」

「数名連れてきたが、多勢に無勢だな。私が外に出て蹴散らすか?」

シリルが腰の剣に手をかける。彼は魔法剣の使い手としても一流だ。

しかし、私は彼の腕を掴んで止めた。

「お待ちになって、シリル閣下」

「なんだ? 命が惜しくないのか?」

「惜しいですわ。ですが、もっと惜しいのは『人材』です」

「人材?」

私は矢が突き刺さった壁を見つめ、ニヤリと笑った。

「この矢……正確に窓の隙間を狙っています。かなりの腕前ね。それに、こんな辺境で生き延びているサバイバル能力……。殺すにはもったいないわ」

「……まさか、君」

シリルが呆れた顔をする。

私はドレスの埃を払い、スッと立ち上がった。

「交渉(ネゴシエーション)してきます。私の財布(シリル)を守るのも、パートナーの務めですから」

「誰が財布だ」

私は馬車の扉を開け放ち、外へと躍り出た。

「お控えなさい!」

凛とした声を響かせると、馬車を取り囲んでいた野盗たちがギョッとして動きを止めた。

ボロボロの服を着た、薄汚い男たち。総勢三十名ほどか。

その中心にいる、眼帯をした大男がリーダーらしい。

「あぁ? なんだ嬢ちゃん。命乞いなら……」

「そこのあなた! 眼帯の方!」

私はビシッとリーダーを指差した。

「い、俺か?」

「ええ。あなたたちが使っているその剣、手入れが行き届いていませんね。刃こぼれしていますよ。そんな武器でまともな仕事ができますか?」

「はぁ? なに言ってんだ……」

「それに、部下たちの靴! 底がすり減って穴が開いています。これでは機動力が三割減です。統率も取れていないし、何より……全員、栄養失調の顔色をしていますね」

私は腕組みをして、彼らを値踏みするように見回した。

「襲撃する前に、まずは自分たちの『装備』と『福利厚生』を見直しなさい。効率が悪すぎます」

野盗たちはポカンとしている。

人質に取られるはずの令嬢から、いきなり経営改善の説教をされたのだから無理もない。

リーダーが顔を真っ赤にして怒鳴った。

「う、うるせぇ! 俺たちは今日食う飯にも困ってるんだ! 説教なんざ聞きたくねぇ! 金を出せ!」

「ええ、出しましょう」

「……え?」

私は懐から、小切手帳を取り出した。

「あなたたち、全員雇います」

「は、はぁ!?」

「これからここで、大規模な道路工事を行います。土木作業員、および現場の警備員が不足しているのです。日給は銀貨二枚。三食昼寝付き。怪我をした場合の労災保険も完備します」

野盗たちがざわめき始めた。

「ぎ、銀貨二枚……?」

「毎日飯が食えるのか?」

「マジかよ……」

彼らにとって、それは破格の条件だった。いつ捕まるかわからない野盗稼業より、よほど安定している。

リーダーが疑わしそうに私を睨んだ。

「だ、騙されねぇぞ! 貴族なんて、俺たちを使い潰して捨てる気だろ!」

「信用できないなら、前金をお支払いしましょう」

私はシリルに向かって手を振った。

「シリル閣下! 小銭袋を!」

馬車から出てきたシリルは、やれやれと首を振りながら、金貨の入った袋を私に投げ渡した。

私はその袋の紐を解き、中身を地面にぶちまけた。

ジャラララッ!

黄金の輝きが、荒野の太陽に反射して煌めく。

野盗たちの目が釘付けになる。

「さあ、拾いなさい! それが契約金(サインボーナス)です!」

「う、うおおおっ!」

「金だ! 本物の金貨だ!」

野盗たちは武器を放り出し、地面に這いつくばって金貨を拾い始めた。

もう戦意など欠片もない。

私はリーダーの前に立ち、契約書(という名のメモ書き)を突きつけた。

「どうします? ここで私に雇われて、人間らしい生活を取り戻すか。それとも……」

私は背後のシリルを親指で示した。

「あちらの『人間兵器』みたいな公爵様に、全員斬り捨てられるか。選ぶ権利をあげます」

シリルがタイミングよく、剣を抜いて殺気を放つ。

「……選べ。金か、死か」

リーダーはゴクリと唾を飲み、震える手で私の契約書を受け取った。

「……や、やります! 一生ついていきます、姐さん!」

「社長と呼びなさい」

こうして。

私たちは一滴の血も流すことなく(金貨は流したが)、三十名の屈強な労働力を手に入れたのだった。

***

夕暮れ時。

元野盗たちは、早速現場の整地作業に駆り出されていた。

「へい! そっちの岩をどかせ!」

「飯のためだ、働くぞー!」

彼らの働きぶりは、驚くほど真面目だった。

私とシリルは、小高い丘の上からその様子を眺めていた。

「……君には驚かされるよ。野盗を更生させて戦力にするとはな」

シリルが二本の瓶を持ってきた。

一本は年代物の高級ワイン。もう一本は、安いエールだ。

彼は迷わずエールの方を私に渡した。

「わかっているじゃないですか」

「君には高級ワインの味より、喉越しの良い安酒の方が似合うと思ってな」

「失礼ね。……でも、正解です」

私は栓を抜き、瓶のままグイッと煽った。

プハァ、と息を吐く。労働(交渉)の後の酒は美味い。

「これで人手は確保できました。資材のルートも確保済み。あとは……」

「あとは?」

「この国境を、大陸一の『ドル箱』に変えるだけです」

私は夕日に染まる荒野を見つめた。

そこにはまだ何もない。

けれど、私には見える。

行き交う馬車の列。賑わう宿場町。そして、チャリンチャリンと鳴り響く小銭の音が。

「……君が見ている景色、私にも見せてくれ」

シリルが私の肩に手を置いた。

「ええ。特等席をご用意しますわ。……チケット代は高いですけど」

「ああ、いくらでも払おう」

シリルは優しく微笑み、私の持っている安酒の瓶に、自分の高級ワイングラスを軽くぶつけた。

チン、と澄んだ音が鳴る。

それは、私たちの野望の始まりを告げる鐘の音のようだった。

「乾杯、私の最強のパートナー」

「乾杯、私の最高のスポンサー」

私たちは夕日に向かって酒を掲げた。

ロマンチックな雰囲気?

いいえ、これは『祝杯』ではなく『決起集会』なのだ。

これから始まる国家規模のビジネスに向けて、私たちは静かに闘志を燃やしていた。

……まあ、それはそれとして。

「あ、シリル閣下。さっき野盗にばら撒いた金貨、経費で落としておいてくださいね」

「……君、拾わせたのは私の金だったはずだが?」

「私の財布(シリル)から出たので、実質私の金です」

「……屁理屈もそこまでいくと芸術だな」

私たちの絆は、今日も金銭によって固く結ばれているのだった。
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