悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「シリル・ヴァン・ノワール! 貴様の国を売るような真似は、我々『帝国憂国騎士団』が許さん!」

男が叫んだ。

彼らはズカズカと会場に入り込み、泥のついたブーツで、王家自慢の最高級ペルシャ絨毯を踏み荒らしていく。

私は扇で口元を隠しながら、冷徹にその様子を観察した。

「……シリル閣下。『憂国騎士団』ですって。お知り合い?」

「いや。帝国内で私の改革に反対している、頭の固い連中だろう。私が君と進めている『国境ハイウェイ計画』を、国益の流出だと勘違いしているらしい」

シリルは優雅に肩をすくめた。剣を向けられているというのに、まるで退屈な余興を見ているようだ。

「勘違い? 笑わせるな!」

リーダー格の男が唾を飛ばして吼える。

「貴様は隣国の女狐(グラッセ)にたぶらかされ、神聖な国境の山を売り飛ばした! これは売国行為だ! ここで成敗してくれる!」

その言葉に、会場の隅で震えていたアラン王子とミナが反応した。

「そ、そうだ! やっちまえ!」

アラン王子が野次馬根性丸出しで叫ぶ。

「やっぱりシリル様も悪党だったのね! 正義の鉄槌を下して!」

ミナも便乗して煽る。

周囲の貴族たちは悲鳴を上げ、壁際へと退避していく。

リーダーの男がニヤリと笑い、剣を振り上げた。

「覚悟しろ、ヴァン・ノワール公爵! その首、貰い受ける!」

男がシリルに向かって突進してくる。

シリルは動かない。腰に手剣を差しているはずだが、抜こうともしない。

(……動かない? 私を試しているの?)

私は瞬時に理解した。

彼は、私の「投資対象(パートナー)」としての価値――つまり、有事の際に自分の資産(シリル)を守れるかどうかを見定めているのだ。

「……仕方ありませんわね」

私は小さくため息をついた。

そして。

バッ!

私は両手で、重厚なベルベットのドレスの裾を豪快に持ち上げた。

「え?」

突進してきた男が、予想外の行動に一瞬呆気にとられる。

その隙を見逃す私ではない。

「そこ、邪魔ですわ!」

ヒュンッ!!

私の右足が、美しい弧を描いて宙を裂いた。

ドレスの裾に縫い付けられた無数のダイヤモンドが、遠心力で加速し、凶悪な鈍器となって男の顔面を襲う。

ガゴォッ!!

鈍い音が響き渡る。

「ぶべらっ!?」

男は顔面をダイヤモンドで殴打され、きりもみ回転しながら吹っ飛んだ。

そのまま後方のビュッフェ台に突っ込み、フルーツポンチのタワーを派手に崩壊させて沈黙する。

シーン……。

会場が静まり返った。

誰もが言葉を失い、私を見つめている。

私はゆっくりと足を下ろし、乱れたドレスの裾をパンパンと払った。

そして、優雅に扇を開き、ニッコリと微笑む。

「あら、失礼。……床が滑りましたわ」

「「「滑って回し蹴り!?」」」

会場中の心が一つになった瞬間だった。

「き、貴様……何をした!」

残りの団員たちが震えながら剣を構える。

「何って……正当防衛です。それと」

私は倒れたリーダーを指差した。

「あの方、私のドレスの裾に顔面をぶつけて、ダイヤモンドの一つにヒビを入れましたわ。修理代として金貨百枚、請求させていただきます」

「な、なんだと!?」

「それから、会場の絨毯クリーニング代、フルーツポンチの弁償代、そして何より……私の楽しい商談(ダンス)を邪魔した慰謝料。締めて金貨一万枚。今すぐ払いなさい」

私は電卓を取り出し(ドレスの胸元に隠していた)、パチパチと高速で叩き始めた。

その鬼気迫る姿に、屈強な男たちが後ずさりする。

「ひ、ひぃっ……! こいつ、魔女だ!」

「かかれ! 数で押せば勝てる!」

団員たちが一斉に襲いかかってくる。

「シリル閣下、下がっていて。返り血がつくとタキシードのクリーニング代がかさみます」

私はシリルを背に庇い、構えを取ろうとした。

その時。

「待てぇぇぇい!!」

野太い大声と共に、銀色の塊が飛び込んできた。

近衛騎士団長ガストンだ。

「グラッセ様に指一本触れさせるなぁぁ! 俺たちの『肉』を守れぇぇ!!」

「「「肉(グラッセ様)を守れぇぇ!!」」」

ガストン率いる近衛騎士たちが、飢えた狼のような形相で乱入してきた。

彼らは私のために戦うのではない。

私が供給を止めたら、明日からの食事が「豆と水」になるという恐怖と戦っているのだ。

「うおおお! ステーキ! ハンバーグ! 唐揚げ!」

騎士たちは欲望(食欲)を力の源に変え、反乱分子たちを次々と薙ぎ倒していく。

「ぐわぁぁ!」

「こ、こいつら、強すぎる!」

あっという間に、憂国騎士団は制圧された。

ガストン団長が、伸びている男を縛り上げ、私の前に駆け寄ってきて敬礼した。

「グラッセ様! 状況終了しました! これで……これで来期の『お肉増量』は約束していただけますか!?」

彼は尻尾を振る大型犬のような目で見上げてくる。

私はパチリと扇を閉じた。

「ええ、働きは認めましょう。来週の夕食に『骨付き肉』を追加します」

「やったぁぁぁ!!」

騎士たちが歓喜の雄叫びを上げる。

その様子を見ていたシリルが、私の耳元で囁いた。

「……見事だ。金と食欲で軍隊を操り、自らはダイヤモンドを武器に戦う。君こそ真の『武闘派令嬢』だな」

「武闘派? 心外ですわ。私はあくまで平和主義者(エコノミスト)です」

「ふっ、どの口が言う」

シリルは私の手を取り、甲に口づけを落とした。

「だが、君のその蹴り……美しかった。惚れ直したよ」

「あら、それはどうも」

「あの蹴りが見られるなら、またトラブルに巻き込まれるのも悪くない」

「お断りです。ドレスが傷みますから」

騒動が収束した後、会場の隅ではアラン王子とミナが真っ青な顔で震えていた。

「あ、あいつ……人間じゃねぇ……」

「わ、私、あんな人に喧嘩売ってたの……?」

ミナは腰が抜けたようで、へたり込んでいる。

私は彼らに向かって、ニッコリと「営業スマイル」を送ってあげた。

(さあ、次はお二人の番ですよ?)

私の目はそう語っていたはずだ。

「さあ、皆様! 余興は終わりです! ダンスを再開しましょう!」

私が手を叩くと、楽団が恐る恐る演奏を再開した。

再び優雅な音楽が流れる中、私はシリルと共にステップを踏み始めた。

ただし、私の足元には、先ほど蹴り飛ばした男の歯が一本転がっていたが……見なかったことにして、ヒールで踏み潰しておいた。

「……痛そうだな」

「粉砕しましたから、治療費は請求できませんね」

こうして、血と金とダイヤモンドが舞う舞踏会は、私の圧勝で幕を閉じたのである。
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