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「……終わったな」
王城の最上階にあるバルコニー。
眼下に広がる王都は、私の勝利を祝うパレードの熱気に包まれていたが、ここには心地よい静寂と風だけが流れていた。
私は手すりに肘をつき、夕日に染まる街並みを眺めていた。
「ええ。アラン王子の移送も完了しました。今頃、港で『カニ漁船』に乗せられている頃でしょう」
隣に立つシリル・ヴァン・ノワール公爵が、グラスを二つ持ってきた。
中身は、彼が秘蔵していた最高級のヴィンテージワインだ。
「乾杯しようか。君の完全勝利と、我が社の株価高騰を祝って」
「喜んで」
チン、とグラスを合わせる。
芳醇な香りが鼻をくすぐる。一口飲むと、労働の後の疲労が溶けていくようだ。
「……長いようで、あっという間でしたわね」
「ああ。君が婚約破棄されたあの日から、まだ数ヶ月しか経っていないとは信じられない」
シリルは苦笑した。
「国を買い取り、外敵を買収し、王族を法廷で裁く。……君の人生は、ジェットコースターよりも激しいな」
「退屈しなくていいでしょう? 維持費はかかりますけど」
私は笑ってグラスを傾けた。
ふと、シリルが真剣な眼差しで私を見つめていることに気づく。
「……グラッセ」
「なんでしょう? 追加の配当要求ですか?」
「違う。……以前、鉱山のテラスで君に鍵を渡したのを覚えているか?」
「ええ、もちろんです。あれは現在、私の金庫の『最重要保管物』として厳重に管理しております」
「あの時は『合併』だと言ったが……。改めて、ちゃんと言葉にしておきたいと思ってな」
シリルはグラスを置き、私の正面に立った。
夕日を背にした彼は、いつもの皮肉めいた笑みを消し、どこか緊張した面持ちだった。
「私は君の才能に惚れた。君の計算高さに惹かれた。……だが、それ以上に」
彼は一歩近づき、私の手を取った。
「君という人間そのものを、愛しく思っている」
「……」
「君が笑うと、株価が上がるより嬉しい。君が怒ると、暴落よりも肝が冷える。……もはや私の心は、君という市場(マーケット)に完全に支配されているようだ」
シリルは私の手の甲ではなく、薬指に口づけを落とした。
「グラッセ・ド・ラズベリー。金輪際、君を誰にも……金銭的にも、精神的にも、絶対に損はさせない」
そして、彼は真っ直ぐに私の目を見た。
「私と結婚してくれ。ビジネスパートナーとしてだけでなく、生涯の伴侶として」
それは、今までで一番シンプルで、一番「彼らしい」プロポーズだった。
損はさせない。
商売人にとって、これ以上の殺し文句があるだろうか?
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
電卓を弾く必要なんてない。答えは最初から決まっている。
「……シリル閣下。いいえ、シリル」
私は彼のネクタイを指で弄びながら、少し意地悪く微笑んだ。
「その契約、クーリングオフ(解約)はできませんよ?」
「望むところだ」
「維持費も高いですよ? 私は贅沢が好きですし、欲しいものは国単位でねだります」
「私の資産を舐めるな。国の一つや二つ、君の誕生日にリボンをつけてプレゼントしてやる」
「……ふふっ」
私は吹き出した。
本当に、この男はどうしようもないくらい「優良物件」だ。
「わかりました。そのオファー、謹んでお受けいたします」
私は彼の方へ一歩踏み出し、その首に腕を回した。
「私を世界一の……いいえ、『世界一リッチな公爵夫人』にしてくださいね?」
「ああ、約束しよう」
シリルが私の腰を引き寄せ、唇を重ねた。
夕日が二人を包み込む。
それは、契約書に判を押すような事務的なものではなく、甘く、とろけるような口づけだった。
(……悪くないわね。愛というのも、意外と『高利回り』な投資案件かもしれないわ)
私は彼に身を委ねながら、ぼんやりと考えた。
数分後。
唇を離した私たちは、少し照れくさそうに顔を見合わせた。
「……さて、契約成立だ。早速だが、結婚式の準備に取り掛かろうか」
シリルが言うと、私は瞬時に「社長モード」に戻った。
「ええ! 善は急げです! まず日程ですが、来月の『大安吉日』を押さえます!」
私は懐から手帳を取り出し、猛烈な勢いで書き込みを始めた。
「会場は、もちろんここ『ラズベリー・ランド(旧王城)』! 入場料を取って一般公開します!」
「……君、自分の結婚式を入場料制にする気か?」
「当然です! 『悪役令嬢と冷徹公爵の世紀のロイヤルウェディング』ですよ? チケットは即完売間違いなし! S席は金貨百枚、立ち見席でも金貨十枚はいけます!」
「……たくましいな」
「さらに! 当日は限定グッズを販売します! 『二人の愛の誓い饅頭』とか『シリルの壁ドン体験コーナー(有料)』とか!」
「待て、最後のはなんだ。私が壁ドンをするのか? 客に?」
「代役のスタッフ(ガストン団長)にやらせます。あなたは本番に向けて体力を温存してください」
「……ガストンに壁ドンされる客の身にもなれ」
シリルは頭を抱えたが、その表情は幸せそうに崩れていた。
「やれやれ。君といると、退屈している暇がないな」
「それが私の『付加価値(バリュー)』ですから」
私は手帳を閉じ、彼に向かってニッコリと笑った。
「さあ、シリル! 稼ぎますわよ! 私たちの結婚式で、国の借金を完済してしまいましょう!」
「ああ。……ついていくよ、私の女王(クイーン)」
夕暮れのバルコニーに、私たちの高笑いが響き渡る。
かつて婚約破棄され、すべてを失いかけた悪役令嬢は今、最高のパートナーと、国をも動かす富を手に入れた。
だが、物語はまだ終わらない。
最大のイベント――『有料結婚式』が待っているのだから。
王城の最上階にあるバルコニー。
眼下に広がる王都は、私の勝利を祝うパレードの熱気に包まれていたが、ここには心地よい静寂と風だけが流れていた。
私は手すりに肘をつき、夕日に染まる街並みを眺めていた。
「ええ。アラン王子の移送も完了しました。今頃、港で『カニ漁船』に乗せられている頃でしょう」
隣に立つシリル・ヴァン・ノワール公爵が、グラスを二つ持ってきた。
中身は、彼が秘蔵していた最高級のヴィンテージワインだ。
「乾杯しようか。君の完全勝利と、我が社の株価高騰を祝って」
「喜んで」
チン、とグラスを合わせる。
芳醇な香りが鼻をくすぐる。一口飲むと、労働の後の疲労が溶けていくようだ。
「……長いようで、あっという間でしたわね」
「ああ。君が婚約破棄されたあの日から、まだ数ヶ月しか経っていないとは信じられない」
シリルは苦笑した。
「国を買い取り、外敵を買収し、王族を法廷で裁く。……君の人生は、ジェットコースターよりも激しいな」
「退屈しなくていいでしょう? 維持費はかかりますけど」
私は笑ってグラスを傾けた。
ふと、シリルが真剣な眼差しで私を見つめていることに気づく。
「……グラッセ」
「なんでしょう? 追加の配当要求ですか?」
「違う。……以前、鉱山のテラスで君に鍵を渡したのを覚えているか?」
「ええ、もちろんです。あれは現在、私の金庫の『最重要保管物』として厳重に管理しております」
「あの時は『合併』だと言ったが……。改めて、ちゃんと言葉にしておきたいと思ってな」
シリルはグラスを置き、私の正面に立った。
夕日を背にした彼は、いつもの皮肉めいた笑みを消し、どこか緊張した面持ちだった。
「私は君の才能に惚れた。君の計算高さに惹かれた。……だが、それ以上に」
彼は一歩近づき、私の手を取った。
「君という人間そのものを、愛しく思っている」
「……」
「君が笑うと、株価が上がるより嬉しい。君が怒ると、暴落よりも肝が冷える。……もはや私の心は、君という市場(マーケット)に完全に支配されているようだ」
シリルは私の手の甲ではなく、薬指に口づけを落とした。
「グラッセ・ド・ラズベリー。金輪際、君を誰にも……金銭的にも、精神的にも、絶対に損はさせない」
そして、彼は真っ直ぐに私の目を見た。
「私と結婚してくれ。ビジネスパートナーとしてだけでなく、生涯の伴侶として」
それは、今までで一番シンプルで、一番「彼らしい」プロポーズだった。
損はさせない。
商売人にとって、これ以上の殺し文句があるだろうか?
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
電卓を弾く必要なんてない。答えは最初から決まっている。
「……シリル閣下。いいえ、シリル」
私は彼のネクタイを指で弄びながら、少し意地悪く微笑んだ。
「その契約、クーリングオフ(解約)はできませんよ?」
「望むところだ」
「維持費も高いですよ? 私は贅沢が好きですし、欲しいものは国単位でねだります」
「私の資産を舐めるな。国の一つや二つ、君の誕生日にリボンをつけてプレゼントしてやる」
「……ふふっ」
私は吹き出した。
本当に、この男はどうしようもないくらい「優良物件」だ。
「わかりました。そのオファー、謹んでお受けいたします」
私は彼の方へ一歩踏み出し、その首に腕を回した。
「私を世界一の……いいえ、『世界一リッチな公爵夫人』にしてくださいね?」
「ああ、約束しよう」
シリルが私の腰を引き寄せ、唇を重ねた。
夕日が二人を包み込む。
それは、契約書に判を押すような事務的なものではなく、甘く、とろけるような口づけだった。
(……悪くないわね。愛というのも、意外と『高利回り』な投資案件かもしれないわ)
私は彼に身を委ねながら、ぼんやりと考えた。
数分後。
唇を離した私たちは、少し照れくさそうに顔を見合わせた。
「……さて、契約成立だ。早速だが、結婚式の準備に取り掛かろうか」
シリルが言うと、私は瞬時に「社長モード」に戻った。
「ええ! 善は急げです! まず日程ですが、来月の『大安吉日』を押さえます!」
私は懐から手帳を取り出し、猛烈な勢いで書き込みを始めた。
「会場は、もちろんここ『ラズベリー・ランド(旧王城)』! 入場料を取って一般公開します!」
「……君、自分の結婚式を入場料制にする気か?」
「当然です! 『悪役令嬢と冷徹公爵の世紀のロイヤルウェディング』ですよ? チケットは即完売間違いなし! S席は金貨百枚、立ち見席でも金貨十枚はいけます!」
「……たくましいな」
「さらに! 当日は限定グッズを販売します! 『二人の愛の誓い饅頭』とか『シリルの壁ドン体験コーナー(有料)』とか!」
「待て、最後のはなんだ。私が壁ドンをするのか? 客に?」
「代役のスタッフ(ガストン団長)にやらせます。あなたは本番に向けて体力を温存してください」
「……ガストンに壁ドンされる客の身にもなれ」
シリルは頭を抱えたが、その表情は幸せそうに崩れていた。
「やれやれ。君といると、退屈している暇がないな」
「それが私の『付加価値(バリュー)』ですから」
私は手帳を閉じ、彼に向かってニッコリと笑った。
「さあ、シリル! 稼ぎますわよ! 私たちの結婚式で、国の借金を完済してしまいましょう!」
「ああ。……ついていくよ、私の女王(クイーン)」
夕暮れのバルコニーに、私たちの高笑いが響き渡る。
かつて婚約破棄され、すべてを失いかけた悪役令嬢は今、最高のパートナーと、国をも動かす富を手に入れた。
だが、物語はまだ終わらない。
最大のイベント――『有料結婚式』が待っているのだから。
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