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翌朝。
私が庭で発声練習の仕上げとして「ア・イ・ウ・エ・オ・カ・キ・ク・ケ・コ!」と叫んでいた時のことです。
「おはよう、私のミューズ! 今日も素晴らしい肺活量だ。森の小鳥たちも、君の共鳴に驚いて飛び去ってしまったよ」
生垣を飛び越えて(だから門を通れと言っているのに)、レオナード様が優雅に着地しました。
その手には、大きなバスケットと、何やら分厚い革張りの本が抱えられています。
「レオナード様……。朝からお元気ですね。というか、公爵様がこんな田舎で毎日ぶらぶらしていて大丈夫なのですか?」
私はスコップを杖代わりにして、ジト目で彼を見上げました。
今日の私は、動きやすさ重視のオーバーオールに、手拭いを頭に巻いた「農作業スタイル」です。
どこからどう見ても、王都を騒がせた公爵令嬢には見えないはず。
「問題ない。私の国では、公務よりも『美の探求』が優先される……というのは冗談だが、有能な部下に任せてあるから一ヶ月は滞在できる。さあ、今日は君に、私の聖書(コレクション)を見せに来たんだ」
レオナード様は、芝生の上にどさりと腰を下ろすと、大切そうにその本を開きました。
そこには、驚くべきことに、王都の社交界新聞の切り抜きがびっしりと貼られていたのです。
「見てくれ。これは二年前の冬の夜会だ。悪役令嬢ヨレン様が、浮気性の伯爵令息を扇子一本で黙らせた際の記事だ。この時の彼女の『蔑みの微笑』を記者は『氷の薔薇』と称したが、私は違うと思う」
「……はあ。違うのですか?」
私は内心、冷や汗をだらだらと流しながら聞き返しました。
(……あ、あの時は、扇子の要が壊れかけてて、落とさないように必死で口角を固めていただけなんだけどな)
「これは『慈悲』だ。愚かな男に、自分の立ち位置を分からせてあげるという、圧倒的な善意の現れなんだよ。ああ、なんと気高く、なんと美しい……!」
レオナード様は、うっとりと切り抜きを指でなぞっています。
その顔は、国宝級の美形なのに、言っていることは完全に末期のオタクです。
「ヨレヨレ君、君もそう思うだろう? 世間は彼女を『悪役』と呼ぶが、彼女ほど物語の構造を理解し、完璧にその役割を全うしている役者はいない。彼女がいるからこそ、退屈な王太子や、平凡な男爵令嬢も、辛うじて物語の登場人物として成立しているんだ」
(……この人、めちゃくちゃ私のこと分析してる!?)
私は驚愕しました。
今まで、私の「演技」をこれほどまでに深く、そして正確に読み解いた観客はいませんでした。
お父様ですら「もっと分かりやすくしろ」とダメ出しをするというのに。
「……レオナード様。貴方は、どうしてそこまで彼女に惹かれるのですか? 彼女は性格が悪く、傲慢で、多くの人を泣かせてきたと言われているのに」
私はあえて、世間一般の評価を口にしてみました。
するとレオナード様は、ふっと真剣な表情になり、私をまっすぐに見つめました。
「それは、彼女が『自分』というものを誰よりも厳しく律しているからだ。傲慢に見える振る舞いも、その裏には血の滲むような努力と、計算し尽くされた美学がある。私は、その孤独な戦いに恋をしたんだよ」
その瞬間、私の心臓がドクンと大きく跳ねました。
演技ではない、本物の動悸です。
今まで「完璧な悪役」を演じる中で感じていた、誰にも言えない孤独や緊張。
それを、この男は「孤独な戦い」と呼んで肯定してくれたのです。
「……ま、まあ、彼女もそこまで深く考えていたかは分かりませんけどね! 単に性格がキツいだけかもしれませんし!」
私は照れ隠しに、焼き芋を彼の口に押し込みました。
「あつっ、あつふっ……! むぐ……だが、美味いな。君の焼く芋は、なぜか演劇の味がする」
「どんな味ですか、それは」
私は笑いながら、彼が持ってきたバスケットを開けました。
中には、高級なワインとチーズ、そして見たこともないほど立派な肉が入っていました。
「ヨレヨレ君。私は決めたぞ。この町に、君専用の劇場を作ろう。そして、君に『悪役令嬢ヨレン』を超える、新しい伝説を演じてもらうんだ」
「えっ、劇場!? いやいや、そんな大掛かりなこと……」
「金ならある。木材も、隣国の最高級のものを取り寄せよう。君はただ、思う存分、舞台の上で輝いてくれればいい」
レオナード様は、少年のように目を輝かせて提案してきました。
劇場。それは、役者を目指す者にとって、何よりも魅力的な贈り物です。
たとえ、それが「ヨレヨレ君」という偽名の田舎娘に向けられたものだとしても。
(……この人、やっぱり変態だけど。でも、悪い人じゃないわね)
私は少しだけ、この「自称・推し活公爵」に心を開き始めている自分に気づきました。
しかし、そんな穏やかな時間も束の間。
「ヨレン……! そこにいるのか、ヨレン……!」
不意に、別荘の門の方から、聞き覚えのある「情熱的すぎて少し空回りしている声」が響いてきました。
私は凍りつきました。
この声は、間違いありません。
王都で「平和な生活」を送っているはずの、元婚約者、アリスター殿下です。
「ゲッ、殿下……!? なんでここに!?」
「殿下? 王太子のことか? ……ヨレヨレ君、なぜ君が彼の声を知っているんだ?」
レオナード様が、鋭い視線で私を見ました。
絶体絶命です。
私は慌てて、頭に巻いていた手拭いを深く被り直しました。
「あ、あの、それは……テレビ……じゃなくて、噂で聞いたことがあるんです! とにかく隠れてください、レオナード様!」
「隠れる? なぜ私が、あんな大根役者から隠れなければならないんだ」
「いいから、早く!!」
私はレオナード様の背中を押し、薪の山の中に彼を突き飛ばしました。
そして、最大限の「田舎の娘」の演技を脳内にセットします。
(よし……。ここからは、人生最大の『アドリブ・コメディ』の始まりよ!)
私が庭で発声練習の仕上げとして「ア・イ・ウ・エ・オ・カ・キ・ク・ケ・コ!」と叫んでいた時のことです。
「おはよう、私のミューズ! 今日も素晴らしい肺活量だ。森の小鳥たちも、君の共鳴に驚いて飛び去ってしまったよ」
生垣を飛び越えて(だから門を通れと言っているのに)、レオナード様が優雅に着地しました。
その手には、大きなバスケットと、何やら分厚い革張りの本が抱えられています。
「レオナード様……。朝からお元気ですね。というか、公爵様がこんな田舎で毎日ぶらぶらしていて大丈夫なのですか?」
私はスコップを杖代わりにして、ジト目で彼を見上げました。
今日の私は、動きやすさ重視のオーバーオールに、手拭いを頭に巻いた「農作業スタイル」です。
どこからどう見ても、王都を騒がせた公爵令嬢には見えないはず。
「問題ない。私の国では、公務よりも『美の探求』が優先される……というのは冗談だが、有能な部下に任せてあるから一ヶ月は滞在できる。さあ、今日は君に、私の聖書(コレクション)を見せに来たんだ」
レオナード様は、芝生の上にどさりと腰を下ろすと、大切そうにその本を開きました。
そこには、驚くべきことに、王都の社交界新聞の切り抜きがびっしりと貼られていたのです。
「見てくれ。これは二年前の冬の夜会だ。悪役令嬢ヨレン様が、浮気性の伯爵令息を扇子一本で黙らせた際の記事だ。この時の彼女の『蔑みの微笑』を記者は『氷の薔薇』と称したが、私は違うと思う」
「……はあ。違うのですか?」
私は内心、冷や汗をだらだらと流しながら聞き返しました。
(……あ、あの時は、扇子の要が壊れかけてて、落とさないように必死で口角を固めていただけなんだけどな)
「これは『慈悲』だ。愚かな男に、自分の立ち位置を分からせてあげるという、圧倒的な善意の現れなんだよ。ああ、なんと気高く、なんと美しい……!」
レオナード様は、うっとりと切り抜きを指でなぞっています。
その顔は、国宝級の美形なのに、言っていることは完全に末期のオタクです。
「ヨレヨレ君、君もそう思うだろう? 世間は彼女を『悪役』と呼ぶが、彼女ほど物語の構造を理解し、完璧にその役割を全うしている役者はいない。彼女がいるからこそ、退屈な王太子や、平凡な男爵令嬢も、辛うじて物語の登場人物として成立しているんだ」
(……この人、めちゃくちゃ私のこと分析してる!?)
私は驚愕しました。
今まで、私の「演技」をこれほどまでに深く、そして正確に読み解いた観客はいませんでした。
お父様ですら「もっと分かりやすくしろ」とダメ出しをするというのに。
「……レオナード様。貴方は、どうしてそこまで彼女に惹かれるのですか? 彼女は性格が悪く、傲慢で、多くの人を泣かせてきたと言われているのに」
私はあえて、世間一般の評価を口にしてみました。
するとレオナード様は、ふっと真剣な表情になり、私をまっすぐに見つめました。
「それは、彼女が『自分』というものを誰よりも厳しく律しているからだ。傲慢に見える振る舞いも、その裏には血の滲むような努力と、計算し尽くされた美学がある。私は、その孤独な戦いに恋をしたんだよ」
その瞬間、私の心臓がドクンと大きく跳ねました。
演技ではない、本物の動悸です。
今まで「完璧な悪役」を演じる中で感じていた、誰にも言えない孤独や緊張。
それを、この男は「孤独な戦い」と呼んで肯定してくれたのです。
「……ま、まあ、彼女もそこまで深く考えていたかは分かりませんけどね! 単に性格がキツいだけかもしれませんし!」
私は照れ隠しに、焼き芋を彼の口に押し込みました。
「あつっ、あつふっ……! むぐ……だが、美味いな。君の焼く芋は、なぜか演劇の味がする」
「どんな味ですか、それは」
私は笑いながら、彼が持ってきたバスケットを開けました。
中には、高級なワインとチーズ、そして見たこともないほど立派な肉が入っていました。
「ヨレヨレ君。私は決めたぞ。この町に、君専用の劇場を作ろう。そして、君に『悪役令嬢ヨレン』を超える、新しい伝説を演じてもらうんだ」
「えっ、劇場!? いやいや、そんな大掛かりなこと……」
「金ならある。木材も、隣国の最高級のものを取り寄せよう。君はただ、思う存分、舞台の上で輝いてくれればいい」
レオナード様は、少年のように目を輝かせて提案してきました。
劇場。それは、役者を目指す者にとって、何よりも魅力的な贈り物です。
たとえ、それが「ヨレヨレ君」という偽名の田舎娘に向けられたものだとしても。
(……この人、やっぱり変態だけど。でも、悪い人じゃないわね)
私は少しだけ、この「自称・推し活公爵」に心を開き始めている自分に気づきました。
しかし、そんな穏やかな時間も束の間。
「ヨレン……! そこにいるのか、ヨレン……!」
不意に、別荘の門の方から、聞き覚えのある「情熱的すぎて少し空回りしている声」が響いてきました。
私は凍りつきました。
この声は、間違いありません。
王都で「平和な生活」を送っているはずの、元婚約者、アリスター殿下です。
「ゲッ、殿下……!? なんでここに!?」
「殿下? 王太子のことか? ……ヨレヨレ君、なぜ君が彼の声を知っているんだ?」
レオナード様が、鋭い視線で私を見ました。
絶体絶命です。
私は慌てて、頭に巻いていた手拭いを深く被り直しました。
「あ、あの、それは……テレビ……じゃなくて、噂で聞いたことがあるんです! とにかく隠れてください、レオナード様!」
「隠れる? なぜ私が、あんな大根役者から隠れなければならないんだ」
「いいから、早く!!」
私はレオナード様の背中を押し、薪の山の中に彼を突き飛ばしました。
そして、最大限の「田舎の娘」の演技を脳内にセットします。
(よし……。ここからは、人生最大の『アドリブ・コメディ』の始まりよ!)
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