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「おーっほっほっほ! ……ハァ。もう嫌、この生活」
高笑いの余韻を夜風に溶かしながら、私は別荘のバルコニーで深く、深く溜息をつきました。
手には冷めた紅茶。目の前の庭には、なぜか二つの大きな天幕(テント)が張られています。
一つは、王家の紋章が入った豪華絢爛なシルクのテント。
もう一つは、隣国の公爵家が持ち込んだ、機能美と高級感が同居する最新鋭のテント。
「……ねえ、セバス。あの方たち、いつになったら帰ってくださるの?」
私の後ろで控えていた老執事、セバスが困ったように眉を下げました。
彼は私に演技を仕込んだ師匠の一人でもあります。
「お嬢様、残念ながらアリスター殿下は『ヨレンの心の氷を溶かすまで、私はここを動かん!』と仰っております。一方、レオナード公爵様は『君のような未熟な演技をこれ以上見せては、彼女の感性が腐る。私が隣で正しい演出を授けなければ』と張り合っておいでで……」
「どっちも帰れと言ってちょうだい。ここは私の、静かな退職後の楽園なのよ」
私が頭を抱えていると、下から騒がしい声が上がりました。
アリスター殿下が、ランタンの光に照らされながら、マントを翻してテントから出てきたのです。
「ヨレン! 聞こえるか! 今、私は気づいたのだ! かつて君が私に投げかけた『お馬鹿さんな殿下』という罵倒……あれは、私の慢心を戒めるための、至高のカンフル剤だったのだな!」
(……違います。あれはただの素の感想です)
私は手すりに身を乗り出し、冷たい視線を投げかけました。
「殿下、夜分に大声を出さないでいただけます? 近所迷惑……いえ、小鳥たちが安眠妨害で訴えを起こしますわよ」
「ははは! その毒舌! やはり君だ! リゼが言っていた通り、君の言葉は裏を返せば全てが甘い愛の囁きに聞こえるぞ!」
「難聴ですか? お耳の病院を紹介しましょうか?」
私が絶望していると、隣のテントからレオナード様が、優雅な寝衣(ガウン)姿で現れました。
彼は手に一冊の戯曲集を携えています。
「殿下、今の返しは『Dランク』だ。彼女のメタファーを全く理解していない。ヨレン君が言いたいのは、君の存在そのものがこの静謐な領地の舞台装置を台無しにしているという、辛辣な舞台批評だよ」
「デトモルト! 貴様はさっきからいちいちうるさいんだ! これは私とヨレンの、愛の再構築の物語だ! 脇役は引っ込んでいろ!」
「脇役? ふっ、滑稽だな。主役というのは、観客……つまり彼女に最も望まれている者のことだ。今の君は、せいぜい『物語を混乱させるだけの三流の道化』にすぎない」
レオナード様は冷笑を浮かべると、私を見上げてウィンクをしました。
「ヨレン君、どうだろう。明日の朝、私と一緒に即興劇(エチュード)をしないか? テーマは『再会した恋人と、それを邪魔する無能な元婚約者』だ」
「受けて立とうじゃないか! 私が本物の『ヒーロー』の演技というものを見せてやる!」
「…………」
私は黙って、手に持っていた紅茶(の出がらし)を、二人の間に向かってぶちまけました。
「冷たいっ!? ヨレン、これは何の演出だ!?」
「『雨降って地固まる』という諺の反対を演じてみましたの。お二人とも、その頭を冷やして、明日の朝一番の馬車でお帰りあそばせ。……さもなくば、私、この別荘に火を放って『業火の中のヒロイン』として逃亡しますわよ?」
私は最高の「狂気」を瞳に宿して微笑んでみせました。
これには流石の二人も、一瞬だけ言葉を失いました。
しかし。
「……ブラボー。その瞳、まさに破滅へ向かう王妃のそれだ。今のシーン、画に記録しておきたかった……!」
「ヨレン、君はそこまで私を愛して……! 自らをも焼き尽くそうというのか! なんという重厚な愛だ!」
「…………セバス。明日の朝食、あの二人の分には大量のワサビを入れてちょうだい。演技じゃなくて、本気で泣かせてやりたいから」
私はバタンとバルコニーの扉を閉め、鍵をかけました。
どうしてこうなった。
私はただ、婚約破棄されて、慰謝料で悠々自適のオタク生活を送りたかっただけなのに。
私の「悪役令嬢」としての演技力が、まさかこれほどまでに厄介な男たちを引き寄せる磁石になるとは。
「こうなったら、明日から『徹底的に魅力のない女』を演じてやるわ……。鼻をほじりながら芋を食う、干物女の演技よ!」
私はベッドに潜り込み、決意を固めました。
しかし、私の辞書に「手抜き演技」という言葉はないことを、私自身が一番よく分かっていたのです。
翌朝、私は鏡の前で、三時間かけて「完璧な干物女(に見える、計算し尽くされた高度なメイク)」を施す自分に絶望することになるのですが……それはまた、別の話。
高笑いの余韻を夜風に溶かしながら、私は別荘のバルコニーで深く、深く溜息をつきました。
手には冷めた紅茶。目の前の庭には、なぜか二つの大きな天幕(テント)が張られています。
一つは、王家の紋章が入った豪華絢爛なシルクのテント。
もう一つは、隣国の公爵家が持ち込んだ、機能美と高級感が同居する最新鋭のテント。
「……ねえ、セバス。あの方たち、いつになったら帰ってくださるの?」
私の後ろで控えていた老執事、セバスが困ったように眉を下げました。
彼は私に演技を仕込んだ師匠の一人でもあります。
「お嬢様、残念ながらアリスター殿下は『ヨレンの心の氷を溶かすまで、私はここを動かん!』と仰っております。一方、レオナード公爵様は『君のような未熟な演技をこれ以上見せては、彼女の感性が腐る。私が隣で正しい演出を授けなければ』と張り合っておいでで……」
「どっちも帰れと言ってちょうだい。ここは私の、静かな退職後の楽園なのよ」
私が頭を抱えていると、下から騒がしい声が上がりました。
アリスター殿下が、ランタンの光に照らされながら、マントを翻してテントから出てきたのです。
「ヨレン! 聞こえるか! 今、私は気づいたのだ! かつて君が私に投げかけた『お馬鹿さんな殿下』という罵倒……あれは、私の慢心を戒めるための、至高のカンフル剤だったのだな!」
(……違います。あれはただの素の感想です)
私は手すりに身を乗り出し、冷たい視線を投げかけました。
「殿下、夜分に大声を出さないでいただけます? 近所迷惑……いえ、小鳥たちが安眠妨害で訴えを起こしますわよ」
「ははは! その毒舌! やはり君だ! リゼが言っていた通り、君の言葉は裏を返せば全てが甘い愛の囁きに聞こえるぞ!」
「難聴ですか? お耳の病院を紹介しましょうか?」
私が絶望していると、隣のテントからレオナード様が、優雅な寝衣(ガウン)姿で現れました。
彼は手に一冊の戯曲集を携えています。
「殿下、今の返しは『Dランク』だ。彼女のメタファーを全く理解していない。ヨレン君が言いたいのは、君の存在そのものがこの静謐な領地の舞台装置を台無しにしているという、辛辣な舞台批評だよ」
「デトモルト! 貴様はさっきからいちいちうるさいんだ! これは私とヨレンの、愛の再構築の物語だ! 脇役は引っ込んでいろ!」
「脇役? ふっ、滑稽だな。主役というのは、観客……つまり彼女に最も望まれている者のことだ。今の君は、せいぜい『物語を混乱させるだけの三流の道化』にすぎない」
レオナード様は冷笑を浮かべると、私を見上げてウィンクをしました。
「ヨレン君、どうだろう。明日の朝、私と一緒に即興劇(エチュード)をしないか? テーマは『再会した恋人と、それを邪魔する無能な元婚約者』だ」
「受けて立とうじゃないか! 私が本物の『ヒーロー』の演技というものを見せてやる!」
「…………」
私は黙って、手に持っていた紅茶(の出がらし)を、二人の間に向かってぶちまけました。
「冷たいっ!? ヨレン、これは何の演出だ!?」
「『雨降って地固まる』という諺の反対を演じてみましたの。お二人とも、その頭を冷やして、明日の朝一番の馬車でお帰りあそばせ。……さもなくば、私、この別荘に火を放って『業火の中のヒロイン』として逃亡しますわよ?」
私は最高の「狂気」を瞳に宿して微笑んでみせました。
これには流石の二人も、一瞬だけ言葉を失いました。
しかし。
「……ブラボー。その瞳、まさに破滅へ向かう王妃のそれだ。今のシーン、画に記録しておきたかった……!」
「ヨレン、君はそこまで私を愛して……! 自らをも焼き尽くそうというのか! なんという重厚な愛だ!」
「…………セバス。明日の朝食、あの二人の分には大量のワサビを入れてちょうだい。演技じゃなくて、本気で泣かせてやりたいから」
私はバタンとバルコニーの扉を閉め、鍵をかけました。
どうしてこうなった。
私はただ、婚約破棄されて、慰謝料で悠々自適のオタク生活を送りたかっただけなのに。
私の「悪役令嬢」としての演技力が、まさかこれほどまでに厄介な男たちを引き寄せる磁石になるとは。
「こうなったら、明日から『徹底的に魅力のない女』を演じてやるわ……。鼻をほじりながら芋を食う、干物女の演技よ!」
私はベッドに潜り込み、決意を固めました。
しかし、私の辞書に「手抜き演技」という言葉はないことを、私自身が一番よく分かっていたのです。
翌朝、私は鏡の前で、三時間かけて「完璧な干物女(に見える、計算し尽くされた高度なメイク)」を施す自分に絶望することになるのですが……それはまた、別の話。
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