12 / 28
12
しおりを挟む
マニエール公爵邸の広大な庭園には、かつてないほどの緊張感が漂っていました。
「……お師匠様、観客(招待客)のボルテージは最高潮です。皆様、毒を喰らうのを今か今かと待ち構えていらっしゃいますわ」
控室の窓から外を覗き見たリゼが、興奮気味に報告してきます。
私は鏡の前で、最後の手袋のシワを伸ばしました。
「よろしい。……リゼ、今日の私の表情はどう?」
「完璧です! その『すべてを見下しながらも、どこか哀愁を漂わせる、氷の彫刻のような冷徹さ』……。まさに王都が渇望していた、究極の劇薬ですわ!」
私は満足げに頷き、扇を手に取りました。
本日の衣装は、燃えるような深紅のドレス。
かつて「王太子妃」という役割に縛られていた頃には選べなかった、情熱的で攻撃的な色です。
「では、開演ですわ。……レオナード様、配置はよろしいかしら?」
「ああ。バルコニーの特等席で、君の輝きを瞳に焼き付ける準備はできているよ。……ふふ、今日の君は、まるで神話から抜け出した復讐の女神のようだ」
二階のバルコニーから、レオナード様が優雅に、しかしどこか狂気を感じさせる笑みで私を見下ろしていました。
彼は一言も発さず、ただそこに座っているだけで「謎の強大なパトロン」という重厚な雰囲気を醸し出しています。
「……さて。お待たせいたしましたわ、皆様」
私はテラスへの扉を、勢いよく開け放ちました。
その瞬間、ざわついていた庭園が、水を打ったように静まり返りました。
数百組の視線が、私一点に集中します。
私はあえて無言のまま、ゆっくりと階段を降り、会場の中央へと進み出ました。
「お久しぶりですわね。皆様、私がいない間、さぞかし退屈な日々を過ごされていたのでしょう?」
私の第一声。
それは、挨拶というよりも、宣戦布告に近いものでした。
「ヨ、ヨレン様……! 貴女、よくもまあそんな厚顔無恥な顔をして戻ってこれましたわね!」
声を上げたのは、中堅貴族の令嬢、メルバさんでした。
彼女は私が不在の間、自分のことを「正義の代弁者」と称して、周囲に説教を垂れ流していたという新興勢力です。
「まあ、メルバさん。その声の張り方……喉を痛めていらっしゃるの? まるで錆びた鉄板をこすり合わせたような、耳障りな音ですこと」
「なっ……!?」
「正義を語るなら、せめてその貧相な姿勢をどうにかしなさい。貴女が立っているだけで、この美しい庭園の景観が、三流の物置小屋に見えてしまいますわ」
私は扇で口元を隠し、おーっほっほっほ、と高く、澄んだ声で笑いました。
これです。これこそが、王都が、そして私が求めていた「空気」です。
「ヨレン様! 貴女はアリスター殿下の心を弄び、リゼ様を追い詰め、最後には卑怯にも逃げ出した! その罪を、どう償うおつもりですの!?」
メルバさんが顔を真っ赤にして叫びます。
彼女の演技……いえ、反論は熱が入りすぎて、少しばかり「必死さ」が透けて見えました。
「償う? ふふ、おかしなことを仰いますわね。殿下との婚約破棄は、あの方が自ら望まれたこと。私はただ、その望みを『完璧に』叶えて差し上げただけ。……そしてリゼ、貴女は私に追い詰められて、今にも死にそうですの?」
私が隣を歩くリゼに話を振ると、彼女は待ってましたと言わんばかりに、優雅なカーテシーを披露しました。
「滅相もございませんわ。私は今、お師匠様の慈悲深いご指導により、かつてないほど生命力に溢れております。……メルバ様、貴女の『被害者ヅラ』の演技、お師匠様に比べればお遊戯会レベルですわよ?」
「な、弟子まで……! それに、あのバルコニーにいる男は何ですの!? 王太子殿下を裏切り、早くも別の男を誘惑したというのですか!?」
メルバさんの指差す先、二階のバルコニーでは、レオナード様が静かに赤ワインのグラスを傾けていました。
彼は何も言いません。ただ、その整いすぎた顔で、蔑むように階下を一瞥しただけです。
その瞬間、会場の令嬢たちから「キャッ……!」「あの方はどなた……!?」「なんて冷たくて素敵な瞳……!」という、悲鳴に近い歓声が上がりました。
「……あの方は、私の『物語』における重要な協力者。貴女のような脇役が、気安く名前を呼んでいい方ではありませんわ」
私はメルバさんのすぐ目の前まで歩み寄り、彼女の顎を扇でくいっと持ち上げました。
「いいですか。王都の平穏が欲しいなら、そう仰い。でも、貴女たちが本当に求めているのは、この『刺激』なのでしょう?」
私は周囲を見渡しました。
恐怖に震えているはずの令嬢たちの瞳は、驚くほどキラキラと輝いていました。
彼女たちは、私という「悪役」がもたらすカタルシスに、完全に中毒(ファン)になっていたのです。
「さあ、パーティーは始まったばかり。……殿下がお見えにならないからといって、手加減はいたしませんわよ。存分に、私の『毒』を楽しみなさい!」
私が再び高笑いすると、会場からは罵倒ではなく、割れんばかりの拍手が巻き起こりました。
もはや、どちらが悪役でどちらが観客なのか、分かりません。
(……ふふ。これよ、これ。やっぱり大勢の観客がいる舞台は最高だわ!)
私は心の中でガッツポーズを決めながら、次なる「脚本」へと頭を切り替えました。
しかし、その時。
「待て!! その物語、私が主役(ヒーロー)として書き換えさせてもらう!!」
屋敷の地下から、埃まみれのアリスター殿下が「我慢の限界だ!」という顔で飛び出してきたのです。
(……殿下。まだ貴方の出番じゃありませんってば!!)
私の完璧な復帰公演は、早くも「アドリブの嵐」に飲み込まれようとしていました。
「……お師匠様、観客(招待客)のボルテージは最高潮です。皆様、毒を喰らうのを今か今かと待ち構えていらっしゃいますわ」
控室の窓から外を覗き見たリゼが、興奮気味に報告してきます。
私は鏡の前で、最後の手袋のシワを伸ばしました。
「よろしい。……リゼ、今日の私の表情はどう?」
「完璧です! その『すべてを見下しながらも、どこか哀愁を漂わせる、氷の彫刻のような冷徹さ』……。まさに王都が渇望していた、究極の劇薬ですわ!」
私は満足げに頷き、扇を手に取りました。
本日の衣装は、燃えるような深紅のドレス。
かつて「王太子妃」という役割に縛られていた頃には選べなかった、情熱的で攻撃的な色です。
「では、開演ですわ。……レオナード様、配置はよろしいかしら?」
「ああ。バルコニーの特等席で、君の輝きを瞳に焼き付ける準備はできているよ。……ふふ、今日の君は、まるで神話から抜け出した復讐の女神のようだ」
二階のバルコニーから、レオナード様が優雅に、しかしどこか狂気を感じさせる笑みで私を見下ろしていました。
彼は一言も発さず、ただそこに座っているだけで「謎の強大なパトロン」という重厚な雰囲気を醸し出しています。
「……さて。お待たせいたしましたわ、皆様」
私はテラスへの扉を、勢いよく開け放ちました。
その瞬間、ざわついていた庭園が、水を打ったように静まり返りました。
数百組の視線が、私一点に集中します。
私はあえて無言のまま、ゆっくりと階段を降り、会場の中央へと進み出ました。
「お久しぶりですわね。皆様、私がいない間、さぞかし退屈な日々を過ごされていたのでしょう?」
私の第一声。
それは、挨拶というよりも、宣戦布告に近いものでした。
「ヨ、ヨレン様……! 貴女、よくもまあそんな厚顔無恥な顔をして戻ってこれましたわね!」
声を上げたのは、中堅貴族の令嬢、メルバさんでした。
彼女は私が不在の間、自分のことを「正義の代弁者」と称して、周囲に説教を垂れ流していたという新興勢力です。
「まあ、メルバさん。その声の張り方……喉を痛めていらっしゃるの? まるで錆びた鉄板をこすり合わせたような、耳障りな音ですこと」
「なっ……!?」
「正義を語るなら、せめてその貧相な姿勢をどうにかしなさい。貴女が立っているだけで、この美しい庭園の景観が、三流の物置小屋に見えてしまいますわ」
私は扇で口元を隠し、おーっほっほっほ、と高く、澄んだ声で笑いました。
これです。これこそが、王都が、そして私が求めていた「空気」です。
「ヨレン様! 貴女はアリスター殿下の心を弄び、リゼ様を追い詰め、最後には卑怯にも逃げ出した! その罪を、どう償うおつもりですの!?」
メルバさんが顔を真っ赤にして叫びます。
彼女の演技……いえ、反論は熱が入りすぎて、少しばかり「必死さ」が透けて見えました。
「償う? ふふ、おかしなことを仰いますわね。殿下との婚約破棄は、あの方が自ら望まれたこと。私はただ、その望みを『完璧に』叶えて差し上げただけ。……そしてリゼ、貴女は私に追い詰められて、今にも死にそうですの?」
私が隣を歩くリゼに話を振ると、彼女は待ってましたと言わんばかりに、優雅なカーテシーを披露しました。
「滅相もございませんわ。私は今、お師匠様の慈悲深いご指導により、かつてないほど生命力に溢れております。……メルバ様、貴女の『被害者ヅラ』の演技、お師匠様に比べればお遊戯会レベルですわよ?」
「な、弟子まで……! それに、あのバルコニーにいる男は何ですの!? 王太子殿下を裏切り、早くも別の男を誘惑したというのですか!?」
メルバさんの指差す先、二階のバルコニーでは、レオナード様が静かに赤ワインのグラスを傾けていました。
彼は何も言いません。ただ、その整いすぎた顔で、蔑むように階下を一瞥しただけです。
その瞬間、会場の令嬢たちから「キャッ……!」「あの方はどなた……!?」「なんて冷たくて素敵な瞳……!」という、悲鳴に近い歓声が上がりました。
「……あの方は、私の『物語』における重要な協力者。貴女のような脇役が、気安く名前を呼んでいい方ではありませんわ」
私はメルバさんのすぐ目の前まで歩み寄り、彼女の顎を扇でくいっと持ち上げました。
「いいですか。王都の平穏が欲しいなら、そう仰い。でも、貴女たちが本当に求めているのは、この『刺激』なのでしょう?」
私は周囲を見渡しました。
恐怖に震えているはずの令嬢たちの瞳は、驚くほどキラキラと輝いていました。
彼女たちは、私という「悪役」がもたらすカタルシスに、完全に中毒(ファン)になっていたのです。
「さあ、パーティーは始まったばかり。……殿下がお見えにならないからといって、手加減はいたしませんわよ。存分に、私の『毒』を楽しみなさい!」
私が再び高笑いすると、会場からは罵倒ではなく、割れんばかりの拍手が巻き起こりました。
もはや、どちらが悪役でどちらが観客なのか、分かりません。
(……ふふ。これよ、これ。やっぱり大勢の観客がいる舞台は最高だわ!)
私は心の中でガッツポーズを決めながら、次なる「脚本」へと頭を切り替えました。
しかし、その時。
「待て!! その物語、私が主役(ヒーロー)として書き換えさせてもらう!!」
屋敷の地下から、埃まみれのアリスター殿下が「我慢の限界だ!」という顔で飛び出してきたのです。
(……殿下。まだ貴方の出番じゃありませんってば!!)
私の完璧な復帰公演は、早くも「アドリブの嵐」に飲み込まれようとしていました。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話
ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。
リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。
婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。
どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。
死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて……
※正常な人があまりいない話です。
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
- - - - - - - - - - - - -
ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします
ほーみ
恋愛
その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。
そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。
冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。
誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。
それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。
だが、彼の言葉は、決定的だった。
「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
王太子に婚約破棄されてから一年、今更何の用ですか?
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しいます。
ゴードン公爵家の長女ノヴァは、辺境の冒険者街で薬屋を開業していた。ちょうど一年前、婚約者だった王太子が平民娘相手に恋の熱病にかかり、婚約を破棄されてしまっていた。王太子の恋愛問題が王位継承問題に発展するくらいの大問題となり、平民娘に負けて社交界に残れないほどの大恥をかかされ、理不尽にも公爵家を追放されてしまったのだ。ようやく傷心が癒えたノヴァのところに、やつれた王太子が現れた。
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる