悪役令嬢(演技)の卒業公演が、婚約破棄だった件について

恋の箱庭

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マニエール公爵邸の広大な庭園には、かつてないほどの緊張感が漂っていました。

「……お師匠様、観客(招待客)のボルテージは最高潮です。皆様、毒を喰らうのを今か今かと待ち構えていらっしゃいますわ」

控室の窓から外を覗き見たリゼが、興奮気味に報告してきます。
私は鏡の前で、最後の手袋のシワを伸ばしました。

「よろしい。……リゼ、今日の私の表情はどう?」

「完璧です! その『すべてを見下しながらも、どこか哀愁を漂わせる、氷の彫刻のような冷徹さ』……。まさに王都が渇望していた、究極の劇薬ですわ!」

私は満足げに頷き、扇を手に取りました。
本日の衣装は、燃えるような深紅のドレス。
かつて「王太子妃」という役割に縛られていた頃には選べなかった、情熱的で攻撃的な色です。

「では、開演ですわ。……レオナード様、配置はよろしいかしら?」

「ああ。バルコニーの特等席で、君の輝きを瞳に焼き付ける準備はできているよ。……ふふ、今日の君は、まるで神話から抜け出した復讐の女神のようだ」

二階のバルコニーから、レオナード様が優雅に、しかしどこか狂気を感じさせる笑みで私を見下ろしていました。
彼は一言も発さず、ただそこに座っているだけで「謎の強大なパトロン」という重厚な雰囲気を醸し出しています。

「……さて。お待たせいたしましたわ、皆様」

私はテラスへの扉を、勢いよく開け放ちました。

その瞬間、ざわついていた庭園が、水を打ったように静まり返りました。
数百組の視線が、私一点に集中します。
私はあえて無言のまま、ゆっくりと階段を降り、会場の中央へと進み出ました。

「お久しぶりですわね。皆様、私がいない間、さぞかし退屈な日々を過ごされていたのでしょう?」

私の第一声。
それは、挨拶というよりも、宣戦布告に近いものでした。

「ヨ、ヨレン様……! 貴女、よくもまあそんな厚顔無恥な顔をして戻ってこれましたわね!」

声を上げたのは、中堅貴族の令嬢、メルバさんでした。
彼女は私が不在の間、自分のことを「正義の代弁者」と称して、周囲に説教を垂れ流していたという新興勢力です。

「まあ、メルバさん。その声の張り方……喉を痛めていらっしゃるの? まるで錆びた鉄板をこすり合わせたような、耳障りな音ですこと」

「なっ……!?」

「正義を語るなら、せめてその貧相な姿勢をどうにかしなさい。貴女が立っているだけで、この美しい庭園の景観が、三流の物置小屋に見えてしまいますわ」

私は扇で口元を隠し、おーっほっほっほ、と高く、澄んだ声で笑いました。
これです。これこそが、王都が、そして私が求めていた「空気」です。

「ヨレン様! 貴女はアリスター殿下の心を弄び、リゼ様を追い詰め、最後には卑怯にも逃げ出した! その罪を、どう償うおつもりですの!?」

メルバさんが顔を真っ赤にして叫びます。
彼女の演技……いえ、反論は熱が入りすぎて、少しばかり「必死さ」が透けて見えました。

「償う? ふふ、おかしなことを仰いますわね。殿下との婚約破棄は、あの方が自ら望まれたこと。私はただ、その望みを『完璧に』叶えて差し上げただけ。……そしてリゼ、貴女は私に追い詰められて、今にも死にそうですの?」

私が隣を歩くリゼに話を振ると、彼女は待ってましたと言わんばかりに、優雅なカーテシーを披露しました。

「滅相もございませんわ。私は今、お師匠様の慈悲深いご指導により、かつてないほど生命力に溢れております。……メルバ様、貴女の『被害者ヅラ』の演技、お師匠様に比べればお遊戯会レベルですわよ?」

「な、弟子まで……! それに、あのバルコニーにいる男は何ですの!? 王太子殿下を裏切り、早くも別の男を誘惑したというのですか!?」

メルバさんの指差す先、二階のバルコニーでは、レオナード様が静かに赤ワインのグラスを傾けていました。
彼は何も言いません。ただ、その整いすぎた顔で、蔑むように階下を一瞥しただけです。

その瞬間、会場の令嬢たちから「キャッ……!」「あの方はどなた……!?」「なんて冷たくて素敵な瞳……!」という、悲鳴に近い歓声が上がりました。

「……あの方は、私の『物語』における重要な協力者。貴女のような脇役が、気安く名前を呼んでいい方ではありませんわ」

私はメルバさんのすぐ目の前まで歩み寄り、彼女の顎を扇でくいっと持ち上げました。

「いいですか。王都の平穏が欲しいなら、そう仰い。でも、貴女たちが本当に求めているのは、この『刺激』なのでしょう?」

私は周囲を見渡しました。
恐怖に震えているはずの令嬢たちの瞳は、驚くほどキラキラと輝いていました。
彼女たちは、私という「悪役」がもたらすカタルシスに、完全に中毒(ファン)になっていたのです。

「さあ、パーティーは始まったばかり。……殿下がお見えにならないからといって、手加減はいたしませんわよ。存分に、私の『毒』を楽しみなさい!」

私が再び高笑いすると、会場からは罵倒ではなく、割れんばかりの拍手が巻き起こりました。
もはや、どちらが悪役でどちらが観客なのか、分かりません。

(……ふふ。これよ、これ。やっぱり大勢の観客がいる舞台は最高だわ!)

私は心の中でガッツポーズを決めながら、次なる「脚本」へと頭を切り替えました。
しかし、その時。

「待て!! その物語、私が主役(ヒーロー)として書き換えさせてもらう!!」

屋敷の地下から、埃まみれのアリスター殿下が「我慢の限界だ!」という顔で飛び出してきたのです。

(……殿下。まだ貴方の出番じゃありませんってば!!)

私の完璧な復帰公演は、早くも「アドリブの嵐」に飲み込まれようとしていました。
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