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「……お師匠様、緊急事態ですわ! 国境の検問所を、隣国の正規軍が『観劇ツアー』の名目で突破いたしました!」
リゼが楽屋に飛び込んできた時、私は新作の「悪女の微笑み」の角度を微調整している最中でした。
正規軍で観劇ツアー? 何を冗談を……と思いましたが、リゼの顔は真剣そのものです。
「……リゼ、落ち着きなさい。隣国の正規軍を動かせる変態なんて、この世に一人しか……」
私の視線が、鏡の隅で演出ノートを音読しているレオナード様に向きました。
彼はハッとしたように顔を上げ、珍しく冷や汗を流しています。
「……まずい。父上だ。デトモルトの現国王、フレデリック一世が自ら乗り込んできたに違いない。……あの人は、私以上の演劇至上主義者なんだ」
「貴方以上!? これ以上の変態が、王位に就いているというのですか……?」
私は思わず扇を落としそうになりました。
聞けば、レオナード様の父君は「面白くない劇を上演した劇団は、即座に国外追放にする」という、芸術に対して異常なまでに厳しい暴君(演劇マニア)なのだとか。
「レオナードよ! 貴様が夢中になっている『伝説の悪女』とは、どこの誰だ! 私の鑑賞眼に適わぬ三流役者であれば、今すぐ連れ帰って結婚(政略結婚)させるからな!」
劇場のロビーに、地響きのような豪快な声が響き渡りました。
現れたのは、レオナード様をさらに厳つく、さらに豪華にしたような、威厳の塊のような初老の男性。
デトモルト国王、フレデリック陛下です。
「ち、父上……! お越しになるなら、せめて先行予約(アポイント)を……!」
レオナード様が跪きます。
その隣で、掃除をしていた「タワシ」ことセラフィーナさんが、バケツを持って固まっていました。
「ふん、予約など不要! 私は『本物』を観に来たのだ! ……さて、そこのバケツを持っている娘。貴様が噂のヨレン・ド・マニエールか? ……期待外れだな。目が死んでいるではないか」
「……違います。私はただのタワシ(雑用)です……」
セラフィーナさんが涙目で否定するのを無視し、フレデリック陛下の鋭い視線が、二階のバルコニーにいた私に向けられました。
私は即座に、脳内のスイッチを切り替えました。
相手は一国の王。そして、超一流の「観客」。
ならば、挨拶代わりに最高の「不敬」を演じて差し上げなくては。
私はあえてバルコニーの手すりに寄りかかり、気怠げに陛下を見下ろしました。
「……やかましいわね、どこの野蛮な王様かしら。私の劇場のロビーで、許可なく腹式呼吸を披露しないでいただけます?」
一瞬、劇場内が凍りつきました。
護衛の騎士たちが剣に手をかけようとしましたが、フレデリック陛下は……。
「……ほう? この私を『野蛮』と呼び捨てたか。……その不遜な口角の上げ方、そして一切の怯えを感じさせない瞳の据わり具合……」
陛下は一歩、また一歩と私に近づき、三階まで届くような大声で笑い始めました。
「はっはっは!! ブラボー! レオナード、貴様の審美眼を疑った私を許せ! この女、立ち姿だけで『物語(プロット)』が透けて見えるぞ!!」
「父上、ご理解いただけましたか! 彼女こそが、私の……いえ、世界の至宝なのです!」
(……親子揃って、チョロ……いえ、感性が豊かすぎますわね)
私は優雅に階段を降り、陛下の前で完璧な、しかしどこか傲慢なカーテシーを披露しました。
「お褒めにあずかり光栄ですわ、陛下。……ですが、私の演技を観たいのであれば、それなりの『代償』を払っていただきますわよ?」
「代償だと? 金か? それとも領地か?」
「いいえ。……陛下のその威厳ある声、第二幕の『滅びゆく帝国の老王』役にぴったりですわ。……今夜の公演に、ゲスト出演していただきます」
「……な、何だと!? この私を、舞台に上げようというのか!」
陛下は目を見開きましたが、その口元はニヤリと歪んでいました。
そこへ、台本を持ったアリスター殿下が駆け寄ってきます。
「フレデリック陛下! ご一緒しましょう! 私も『ダメな息子』役として参加しております! ヨレンの演出指導は厳しいですが、その先には見たこともない絶景が……!」
「アリスター王子まで毒されているのか! 面白い、面白いぞヨレン・ド・マニエール! よかろう、このフレデリック、貴様の脚本の上で踊ってやろうではないか!」
こうして、二カ国の王族を配役に従えた、史上空前絶後の「接待なしのガチ公演」が決定しました。
「……お師匠様。……もう、この劇場に『普通の人間』は一人も来ない気がしますわ……」
リゼが遠い目をして呟きましたが、私は気にしません。
観客が豪華であればあるほど、役者魂は燃えるというものです。
「さあ、タワシさん! ぼさっとしていないで、陛下の衣装の埃を払いなさい! 開演まで一時間しかありませんわよ!」
「はいっ!! ……もう、どうにでもなれですわーー!!」
セラフィーナさんの絶叫と共に、劇場はかつてない狂乱の幕開けを迎えるのでした。
リゼが楽屋に飛び込んできた時、私は新作の「悪女の微笑み」の角度を微調整している最中でした。
正規軍で観劇ツアー? 何を冗談を……と思いましたが、リゼの顔は真剣そのものです。
「……リゼ、落ち着きなさい。隣国の正規軍を動かせる変態なんて、この世に一人しか……」
私の視線が、鏡の隅で演出ノートを音読しているレオナード様に向きました。
彼はハッとしたように顔を上げ、珍しく冷や汗を流しています。
「……まずい。父上だ。デトモルトの現国王、フレデリック一世が自ら乗り込んできたに違いない。……あの人は、私以上の演劇至上主義者なんだ」
「貴方以上!? これ以上の変態が、王位に就いているというのですか……?」
私は思わず扇を落としそうになりました。
聞けば、レオナード様の父君は「面白くない劇を上演した劇団は、即座に国外追放にする」という、芸術に対して異常なまでに厳しい暴君(演劇マニア)なのだとか。
「レオナードよ! 貴様が夢中になっている『伝説の悪女』とは、どこの誰だ! 私の鑑賞眼に適わぬ三流役者であれば、今すぐ連れ帰って結婚(政略結婚)させるからな!」
劇場のロビーに、地響きのような豪快な声が響き渡りました。
現れたのは、レオナード様をさらに厳つく、さらに豪華にしたような、威厳の塊のような初老の男性。
デトモルト国王、フレデリック陛下です。
「ち、父上……! お越しになるなら、せめて先行予約(アポイント)を……!」
レオナード様が跪きます。
その隣で、掃除をしていた「タワシ」ことセラフィーナさんが、バケツを持って固まっていました。
「ふん、予約など不要! 私は『本物』を観に来たのだ! ……さて、そこのバケツを持っている娘。貴様が噂のヨレン・ド・マニエールか? ……期待外れだな。目が死んでいるではないか」
「……違います。私はただのタワシ(雑用)です……」
セラフィーナさんが涙目で否定するのを無視し、フレデリック陛下の鋭い視線が、二階のバルコニーにいた私に向けられました。
私は即座に、脳内のスイッチを切り替えました。
相手は一国の王。そして、超一流の「観客」。
ならば、挨拶代わりに最高の「不敬」を演じて差し上げなくては。
私はあえてバルコニーの手すりに寄りかかり、気怠げに陛下を見下ろしました。
「……やかましいわね、どこの野蛮な王様かしら。私の劇場のロビーで、許可なく腹式呼吸を披露しないでいただけます?」
一瞬、劇場内が凍りつきました。
護衛の騎士たちが剣に手をかけようとしましたが、フレデリック陛下は……。
「……ほう? この私を『野蛮』と呼び捨てたか。……その不遜な口角の上げ方、そして一切の怯えを感じさせない瞳の据わり具合……」
陛下は一歩、また一歩と私に近づき、三階まで届くような大声で笑い始めました。
「はっはっは!! ブラボー! レオナード、貴様の審美眼を疑った私を許せ! この女、立ち姿だけで『物語(プロット)』が透けて見えるぞ!!」
「父上、ご理解いただけましたか! 彼女こそが、私の……いえ、世界の至宝なのです!」
(……親子揃って、チョロ……いえ、感性が豊かすぎますわね)
私は優雅に階段を降り、陛下の前で完璧な、しかしどこか傲慢なカーテシーを披露しました。
「お褒めにあずかり光栄ですわ、陛下。……ですが、私の演技を観たいのであれば、それなりの『代償』を払っていただきますわよ?」
「代償だと? 金か? それとも領地か?」
「いいえ。……陛下のその威厳ある声、第二幕の『滅びゆく帝国の老王』役にぴったりですわ。……今夜の公演に、ゲスト出演していただきます」
「……な、何だと!? この私を、舞台に上げようというのか!」
陛下は目を見開きましたが、その口元はニヤリと歪んでいました。
そこへ、台本を持ったアリスター殿下が駆け寄ってきます。
「フレデリック陛下! ご一緒しましょう! 私も『ダメな息子』役として参加しております! ヨレンの演出指導は厳しいですが、その先には見たこともない絶景が……!」
「アリスター王子まで毒されているのか! 面白い、面白いぞヨレン・ド・マニエール! よかろう、このフレデリック、貴様の脚本の上で踊ってやろうではないか!」
こうして、二カ国の王族を配役に従えた、史上空前絶後の「接待なしのガチ公演」が決定しました。
「……お師匠様。……もう、この劇場に『普通の人間』は一人も来ない気がしますわ……」
リゼが遠い目をして呟きましたが、私は気にしません。
観客が豪華であればあるほど、役者魂は燃えるというものです。
「さあ、タワシさん! ぼさっとしていないで、陛下の衣装の埃を払いなさい! 開演まで一時間しかありませんわよ!」
「はいっ!! ……もう、どうにでもなれですわーー!!」
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