婚約破棄された「毒殺未遂」の悪役令嬢ですが、それ滋養強壮スープですけど?

恋の箱庭

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ズズズズズ……ッ!!


地響きと共に、雪山の一角が崩れ落ちた。


舞い上がった雪煙の中から現れたのは、山の頂(いただき)よりも高く広げられた、紅蓮の翼。
そして、鋼鉄をも溶かす高熱を纏った、圧倒的な巨躯。


『ヴォォォォォォォォッ!!!』


大気を震わせる咆哮。
その衝撃だけで、周囲の樹木がなぎ倒され、雪が瞬時に蒸発する。


『エンシェント・フレイムドラゴン(古代炎竜)』。
食物連鎖の頂点に君臨し、一国を単独で滅ぼしうる、生ける災害だ。


「……なんてことだ」


ギルバートは剣を構え、メリアナを背に庇った。


「まさか、こんな辺境の山奥に『古代種』が眠っていたとは……。サラマンダーの騒ぎで目を覚ましたか」


ドラゴンの眼光が、眼下の二人を捉える。
その瞳は黄金色に輝き、知性と残虐性が同居していた。


『……久方ぶりの目覚めだ。そして、鼻をくすぐるこの香りはなんだ?』


ドラゴンが言葉を発した。
重低音が直接脳内に響いてくる念話(テレパシー)だ。


ドラゴンは鼻を鳴らし、メリアナたちが作った『サラマンダー鍋』を見下ろした。


『我の眷属(サラマンダー)を煮込んだのか。……面白い。その残り汁、我に献上せよ。さすれば、貴様らの命だけは助けてやろう』


傲慢な要求。
圧倒的強者からの慈悲。
普通の人間なら、泣いて感謝し、鍋ごと差し出して逃げ出す場面だ。


しかし。


「……お断りします」


凛とした声が響いた。


メリアナである。
彼女はギルバートの背中からひょいと顔を出し、フライパン片手にドラゴンを睨みつけた。


『……なんだと?』


「この雑炊は、私と閣下の愛の結晶(シメ)です。貴方のようなトカゲさんに、横取りされる筋合いはありません!」


『ト、トカゲだと……!?』


ドラゴンが激昂し、口元から黒い煙を吐き出す。


「それに! 貴方、自分の立場を分かっていませんわね?」


メリアナはビシッとドラゴンの鼻先を指差した。


「貴方は今、『捕食者』としてここに立ったつもりでしょうけど……私の目には『極上の塊肉(メインディッシュ)』にしか見えていませんわよ!」


彼女の瞳は、ドラゴンの紅蓮の鱗を透かし、その下にある肉質を見定めていた。


(見て、あの上腕三頭筋! 赤身と脂のバランスが完璧だわ! 尻尾の付け根はコラーゲンの宝庫! 舌(タン)だって、牛タンの百倍は食べ応えがありそう!)


ジュルリ。


メリアナは無意識に唇を舐めた。


『キサマ……我を食うつもりか!? 人間風情が、この古代炎竜を!?』


ドラゴンはプライドを傷つけられ、大きく息を吸い込んだ。
喉の奥で、灼熱のブレスが渦を巻く。


『消え失せろ! 塵も残さず焼き尽くしてやる!』


「危ない!」


ギルバートがメリアナを抱き寄せ、跳躍する。


ゴオオオオオオオッ!!!!


ドラゴンのブレスが、二人がいた場所を焼き払った。
岩が溶け、マグマとなって流れ出す。


「……ッ、なんて威力だ」


ギルバートは着地し、冷や汗を拭った。
彼の氷魔法でも、あの熱量を相殺しきれるかどうか。


「メリアナ、下がっていろ。奴は私が引きつける」


ギルバートは覚悟を決めた目で言った。
これは、領主としての責務だ。この怪物を野放しにすれば、領民たちに被害が出る。ここで食い止めなければならない。


だが。


「いいえ、閣下。下がるのは貴方です」


メリアナは譲らなかった。
彼女は『炎竜のフライパン』を構え、不敵に笑った。


「あの子は『炎』属性。私のフライパンとは相性が悪い……いいえ、良すぎるんです」


「何?」


「見ていてください。……『熱吸収(ヒート・ドレイン)・最大出力(オーバーロード)』!」


メリアナはフライパンを掲げ、ドラゴンの次なるブレスの予備動作に合わせて突っ込んだ。


『愚かな! 虫ケラが!!』


ドラゴンが再びブレスを放つ。
全てを灰にする破壊の炎。


しかし、その炎はメリアナに届く直前で、渦を巻いてフライパンへと吸い込まれていった。


「いただきですわッ!!」


フライパンの底にある魔石が、赤を通り越して白く発光する。
ドラゴンの膨大な熱エネルギーを、調理器具が貪り食っていく。


『な、なんだそのふざけた武器は!? 我の炎が……調理の熱源にされているだと!?』


「ふふん! いい火力ですわ! これなら、一万年凍っていたマンモス肉も一瞬で解凍できます!」


メリアナは吸収した熱を利用し、フライパンから巨大な炎の刃を形成した。


「お返しします! 『ドラゴン・ステーキ・カッター』!!」


ザンッ!!


炎の斬撃が飛び、ドラゴンの鼻先を浅く切り裂いた。


『グオオッ!?』


ドラゴンがたじろぐ。
自分の炎で傷つけられた屈辱と、目の前の「餌」だと思っていた女の異常性に、初めて恐怖を抱いたのだ。


「……ははっ」


ギルバートは、その光景を見て乾いた笑いを漏らした。


「守るつもりだったが……まさか、ここまで逞しいとはな」


彼は愛剣『氷狼剣』を抜き放ち、ゆっくりと歩み出た。
その体から、凄まじい冷気が立ち上る。


「だが、いいところを全て妻に持っていかれるわけにはいかん」


ギルバートの瞳が、蒼く輝く。


「おい、トカゲ。……いや、食材」


『なんだと!?』


「彼女は言った。『メインディッシュ』だと。ならば、私がその下処理(トドメ)をしてやろう」


ギルバートは剣を天に向けた。


「我はヴォルグ辺境伯ギルバート。この地の支配者にして……世界一の料理人の夫となる男だ!!」


高らかな宣言。
それはドラゴンへの宣戦布告であり、メリアナへの愛の誓いでもあった。


「この剣は、彼女の未来を切り拓くためにある! 貴様の肉も、骨も、全て彼女の結婚式の飾り付けにしてやる!」


『結婚式だと……!? 我を祝宴の生贄にする気か!』


「光栄に思え! 彼女に調理されるなら、貴様は世界一美味い料理になれるのだからな!」


ギルバートの狂気じみた(しかし大真面目な)啖呵に、メリアナが頬を染めて叫んだ。


「閣下! 素敵です! 惚れ直しました!」


「メリアナ! 私が足を凍らせる! お前は柔らかい腹を狙え!」


「はい! 役割分担(共同作業)ですね!」


最強の夫婦(予定)の連携が始まった。


ギルバートが氷の嵐を巻き起こし、ドラゴンの動きを封じる。
その隙に、メリアナがフライパンで急所を狙う。


熱と冷気。
剣と調理器具。
全く噛み合わないはずの二つの力が、奇跡的なハーモニーを奏でてドラゴンを追い詰めていく。


『バ、バカな……! 人間ごときが……!』


ドラゴンは焦った。
こいつらは戦っていない。
まるで厨房で食材を捌くように、淡々と、そして楽しそうに自分を追い詰めているのだ。


「そこです! 右翼の付け根! 手羽元の美味しいところ!」


「承知した! 『氷牙斬』ッ!」


ズバァァァッ!!


ギルバートの一撃が、ドラゴンの翼膜を引き裂く。
飛べなくなったドラゴンが地に落ちる。


ズシィィィィン……!!


「今ですわ! とどめの『ウェディング・ケーキ入刀(プレ)』です!」


メリアナが高く跳躍した。
白熱したフライパンを、隕石のように振りかぶる。


「美味しくなぁれぇぇぇぇッ!!!」


ドゴォォォォォォォンッ!!!!


フライパンがドラゴンの脳天に直撃した。
物理的衝撃と、熱によるダメージ。そして何より「美味しく食べたい」という執念の一撃。


『グ、グオオオ……解せぬ……』


古代炎竜は、理不尽な最期を嘆きながら、白目を剥いて沈黙した。


静寂が戻る。
残ったのは、気絶した巨大なドラゴンと、肩で息をする二人の男女。


「……ふぅ。やりましたわね、閣下」


メリアナは乱れた髪をかき上げ、満面の笑みを見せた。


「大物でしたわ。これなら、領民全員を招待しても余るくらいのステーキが焼けます!」


「ああ。……見事な手際だった」


ギルバートは剣を納め、彼女に歩み寄った。
そして、煤(すす)で汚れた彼女の顔を、愛おしそうに両手で包んだ。


「メリアナ」


「はい?」


「これで、結婚式の準備は整ったな」


「ええ! メインディッシュ(ドラゴン)、スープ(マンモス)、前菜(ロブスター)。完璧なフルコースです!」


「そうじゃない。……私の覚悟の話だ」


ギルバートは彼女の額に、コツンと自分の額を合わせた。


「お前となら、どんな化け物が現れても、笑って食卓を囲める。……そう確信した」


「あら、今さらですか? 私は最初から分かっていましたわよ」


メリアナは悪戯っぽく笑った。


「貴方の胃袋は、もう私のものですから」


二人は、倒れ伏したドラゴンの前で、熱い口づけを交わした。
背景には、湯気を上げる温泉と、煮詰まったサラマンダー鍋。
世界一カオスで、世界一幸せなプロポーズの成立だった。


「さあ、閣下! 熱いうちに血抜きをしますよ!」


「……余韻というものを知らんのか、お前は」


甘い時間は一瞬で終わり、すぐに解体作業という現実が始まる。
しかし、ギルバートの顔には、もう呆れの色はなかった。


彼は袖をまくり、嬉々としてナイフを取り出した。


「どこの部位が一番美味いんだ?」


「心臓(ハツ)です! 刺身でいきましょう!」


ヴォルグ辺境伯領の伝説となる『ドラゴン解体結婚式』まで、あと数日。
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