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結婚式から一夜明けた、ヴォルグ辺境伯邸。
昇ったばかりの朝日が、宴の跡を照らしていた。
庭には、巨大なドラゴンの骨(綺麗に肉が削ぎ落とされたもの)がモニュメントのように鎮座している。
そして、その周囲には……。
「むにゃ……もう食えん……」
「肉……肉が美味い……」
「隊長、私の腹筋が割れていますわ……」
死屍累々(ししるいるい)。
騎士も、領民も、招待客も、芝生の上で折り重なるようにして眠っていた。
彼らは昨夜、ドラゴンの肉が持つ凄まじいエネルギーに当てられ、朝まで踊り狂い、暴れ回り、そして電池が切れたように力尽きたのだ。
「……ひどい光景だな」
テラスに出てきたギルバートが、コーヒーを片手に苦笑した。
彼もまた、少し気怠げだ。新婚初夜だというのに、昨晩は興奮した(肉のせいで)領民たちに胴上げされ続け、ベッドに入ったのは明け方だったからだ。
「あら、皆さん幸せそうな寝顔ですわよ」
厨房から、エプロン姿のメリアナが顔を出した。
彼女だけは、なぜか肌がツヤツヤと輝き、元気いっぱいだ。
「おはようございます、あなた。朝食の準備ができましたわよ」
「……お前はタフだな」
「当然です! 今日は『ドラゴン・ガラ』をじっくり煮込んだ特製ラーメンですからね! 二日酔い(魔力酔い)の体に染みますわよ!」
その言葉に反応して、庭の死体(酔っ払い)たちがゾンビのように起き上がった。
「……ラーメン?」
「汁……汁をくれ……」
十分後。
食堂には、ズルズルと麺をすする音が大合唱していた。
「くぅぅ~ッ! 染みるぅぅ!」
「濃厚なのに後味スッキリ! 胃が洗われるようだ!」
アレクセイ王子も、王族とは思えない姿勢で丼を抱えていた。
彼の顔つきは以前より精悍になり、どこかワイルドな雰囲気を漂わせている。
「……美味い。王都に帰るのが憂鬱になる味だ」
「殿下、おかわりありますわよ」
「もらう! 煮卵ダブルで!」
隣のリリィも、無言で替え玉を注文している。
平和で、騒がしい朝の風景。
しかし、別れの時は迫っていた。
昼過ぎ。
屋敷の正門前には、王家の紋章が入ったワイバーン馬車が待機していた。
「……本当に行ってしまうのですか、殿下」
メリアナが見送りに立つ。
「ああ。国を空けすぎるわけにはいかん。父上も『ドラゴンの肉を持って早く帰れ』と催促してきているしな」
アレクセイは荷台を親指で指した。
そこには、氷漬けにされたドラゴンのブロック肉や、メリアナ特製の『食べるラー油(ドラゴン脂入り)』などが山積みにされている。
「リリィも、名残惜しいか?」
「ええ……。でも、私には使命がありますから」
リリィはメリアナの手を握った。
「王都に戻って、ここで学んだ『命の味』を広めます。……まずは、王宮の菜園を耕すところから始めますわ!」
「ふふ。頼もしいですわね。土作りは基本ですから」
メリアナは二人に、分厚い封筒を手渡した。
「これは?」
「お土産の『レシピ集・完全版』です。王宮料理人たちに渡してください。……あと、私の実家の父にも、たまには美味しいものを食べさせてあげてくださいね」
「……承知した。必ず届ける」
アレクセイは封筒を懐にしまい、ギルバートに向き直った。
「兄上。……世話になった」
「ああ。達者でな」
兄弟の間には、多くの言葉は必要なかった。
かつては対立していた二人だが、今は「同じ釜の飯(ドラゴン)」を食った仲間としての絆がある。
「次に会う時は、私も負けない料理人……いや、王になっているだろう」
「楽しみにしている。……その時はまた、何か狩ってきてやる」
「ふっ、期待しているぞ!」
アレクセイとリリィは馬車に乗り込んだ。
「さようならー! メリアナ様ー! また食べに来ますわー!」
「元気でな! 食いすぎるなよ!」
ワイバーンが翼を広げ、空高く舞い上がる。
二人は小さくなるまで手を振り続け、やがて雲の彼方へと消えていった。
「……行っちゃいましたね」
メリアナは少し寂しそうに空を見上げた。
「静かになったな」
ギルバートが隣に立つ。
庭にはまだ宴の片付けが残っているが、喧騒は去り、穏やかな風が吹いている。
「さて、と」
メリアナはパンッ! と手を叩き、感傷を吹き飛ばした。
「寂しがっている暇はありませんわ! 私たちには、まだやるべきことが山積みです!」
「やるべきこと?」
「ええ。まず、残ったドラゴン肉の保存加工! 燻製小屋を増設しないと入りきりません。それに、トマスさんが『ドラゴンの鱗を加工してフライパンとして売り出したい』と商談に来ていますし……」
メリアナは指折り数え始めた。
「あ、それと! そろそろ『温泉農園』の野菜が収穫時期です! ピクルスを漬けないと!」
「……新婚生活を楽しむ余裕はなさそうだな」
ギルバートは苦笑したが、嫌そうではなかった。
むしろ、この忙しなくも充実した日々こそが、彼が望んだ「日常」なのだ。
「ねえ、あなた」
メリアナが振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
「今日の夕食、何がいいですか?」
「……そうだな」
ギルバートは少し考え、そして答えた。
「お前が一番好きなものを」
「あら、じゃあ『ドラゴンの残り汁で作る雑炊』で決まりですね!」
「……結局それか」
二人は笑い合い、手をつないで屋敷へと戻った。
ヴォルグ辺境伯領。
かつては「最果ての地」と呼ばれたこの場所は、今や国中で最も注目される「美食の聖地」となりつつある。
食堂『悪役令嬢』の看板は、今日も元気に掲げられている。
そこには、美味しい匂いと、人々の笑顔が絶えることはない。
そして――時は流れる。
物語は、数年後の未来へ。
二人の食卓が、どのように広がっていったのか。
その結末を、少しだけ覗いてみよう。
昇ったばかりの朝日が、宴の跡を照らしていた。
庭には、巨大なドラゴンの骨(綺麗に肉が削ぎ落とされたもの)がモニュメントのように鎮座している。
そして、その周囲には……。
「むにゃ……もう食えん……」
「肉……肉が美味い……」
「隊長、私の腹筋が割れていますわ……」
死屍累々(ししるいるい)。
騎士も、領民も、招待客も、芝生の上で折り重なるようにして眠っていた。
彼らは昨夜、ドラゴンの肉が持つ凄まじいエネルギーに当てられ、朝まで踊り狂い、暴れ回り、そして電池が切れたように力尽きたのだ。
「……ひどい光景だな」
テラスに出てきたギルバートが、コーヒーを片手に苦笑した。
彼もまた、少し気怠げだ。新婚初夜だというのに、昨晩は興奮した(肉のせいで)領民たちに胴上げされ続け、ベッドに入ったのは明け方だったからだ。
「あら、皆さん幸せそうな寝顔ですわよ」
厨房から、エプロン姿のメリアナが顔を出した。
彼女だけは、なぜか肌がツヤツヤと輝き、元気いっぱいだ。
「おはようございます、あなた。朝食の準備ができましたわよ」
「……お前はタフだな」
「当然です! 今日は『ドラゴン・ガラ』をじっくり煮込んだ特製ラーメンですからね! 二日酔い(魔力酔い)の体に染みますわよ!」
その言葉に反応して、庭の死体(酔っ払い)たちがゾンビのように起き上がった。
「……ラーメン?」
「汁……汁をくれ……」
十分後。
食堂には、ズルズルと麺をすする音が大合唱していた。
「くぅぅ~ッ! 染みるぅぅ!」
「濃厚なのに後味スッキリ! 胃が洗われるようだ!」
アレクセイ王子も、王族とは思えない姿勢で丼を抱えていた。
彼の顔つきは以前より精悍になり、どこかワイルドな雰囲気を漂わせている。
「……美味い。王都に帰るのが憂鬱になる味だ」
「殿下、おかわりありますわよ」
「もらう! 煮卵ダブルで!」
隣のリリィも、無言で替え玉を注文している。
平和で、騒がしい朝の風景。
しかし、別れの時は迫っていた。
昼過ぎ。
屋敷の正門前には、王家の紋章が入ったワイバーン馬車が待機していた。
「……本当に行ってしまうのですか、殿下」
メリアナが見送りに立つ。
「ああ。国を空けすぎるわけにはいかん。父上も『ドラゴンの肉を持って早く帰れ』と催促してきているしな」
アレクセイは荷台を親指で指した。
そこには、氷漬けにされたドラゴンのブロック肉や、メリアナ特製の『食べるラー油(ドラゴン脂入り)』などが山積みにされている。
「リリィも、名残惜しいか?」
「ええ……。でも、私には使命がありますから」
リリィはメリアナの手を握った。
「王都に戻って、ここで学んだ『命の味』を広めます。……まずは、王宮の菜園を耕すところから始めますわ!」
「ふふ。頼もしいですわね。土作りは基本ですから」
メリアナは二人に、分厚い封筒を手渡した。
「これは?」
「お土産の『レシピ集・完全版』です。王宮料理人たちに渡してください。……あと、私の実家の父にも、たまには美味しいものを食べさせてあげてくださいね」
「……承知した。必ず届ける」
アレクセイは封筒を懐にしまい、ギルバートに向き直った。
「兄上。……世話になった」
「ああ。達者でな」
兄弟の間には、多くの言葉は必要なかった。
かつては対立していた二人だが、今は「同じ釜の飯(ドラゴン)」を食った仲間としての絆がある。
「次に会う時は、私も負けない料理人……いや、王になっているだろう」
「楽しみにしている。……その時はまた、何か狩ってきてやる」
「ふっ、期待しているぞ!」
アレクセイとリリィは馬車に乗り込んだ。
「さようならー! メリアナ様ー! また食べに来ますわー!」
「元気でな! 食いすぎるなよ!」
ワイバーンが翼を広げ、空高く舞い上がる。
二人は小さくなるまで手を振り続け、やがて雲の彼方へと消えていった。
「……行っちゃいましたね」
メリアナは少し寂しそうに空を見上げた。
「静かになったな」
ギルバートが隣に立つ。
庭にはまだ宴の片付けが残っているが、喧騒は去り、穏やかな風が吹いている。
「さて、と」
メリアナはパンッ! と手を叩き、感傷を吹き飛ばした。
「寂しがっている暇はありませんわ! 私たちには、まだやるべきことが山積みです!」
「やるべきこと?」
「ええ。まず、残ったドラゴン肉の保存加工! 燻製小屋を増設しないと入りきりません。それに、トマスさんが『ドラゴンの鱗を加工してフライパンとして売り出したい』と商談に来ていますし……」
メリアナは指折り数え始めた。
「あ、それと! そろそろ『温泉農園』の野菜が収穫時期です! ピクルスを漬けないと!」
「……新婚生活を楽しむ余裕はなさそうだな」
ギルバートは苦笑したが、嫌そうではなかった。
むしろ、この忙しなくも充実した日々こそが、彼が望んだ「日常」なのだ。
「ねえ、あなた」
メリアナが振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
「今日の夕食、何がいいですか?」
「……そうだな」
ギルバートは少し考え、そして答えた。
「お前が一番好きなものを」
「あら、じゃあ『ドラゴンの残り汁で作る雑炊』で決まりですね!」
「……結局それか」
二人は笑い合い、手をつないで屋敷へと戻った。
ヴォルグ辺境伯領。
かつては「最果ての地」と呼ばれたこの場所は、今や国中で最も注目される「美食の聖地」となりつつある。
食堂『悪役令嬢』の看板は、今日も元気に掲げられている。
そこには、美味しい匂いと、人々の笑顔が絶えることはない。
そして――時は流れる。
物語は、数年後の未来へ。
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