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「ごきげんよう、ミナ・サクライ男爵令嬢。少々お顔を貸していただけるかしら?」
放課後の教室。
帰り支度をしていたミナ様に、私は極上の「悪役スマイル」で声をかけた。
口元は扇子で隠し、目は笑っていない(つもり)。
教室に残っていた数名の生徒が、ヒソヒソと噂をするのが聞こえる。
「おい、ラヴィニア様だ……」
「あの男爵令嬢、何かしたのか?」
「怖い……絶対に関わりたくない……」
ふふふ、いい反応だわ。
私の狙い通り、周囲はすでに私を「弱い者いじめをする高慢な令嬢」として認識し始めている。
さあ、ミナ様。怯えなさい。震えなさい。
そして、私の理不尽な要求に涙するがいいわ!
「は、はいっ! なんでしょうか、ラヴィニア様!?」
ミナ様は直立不動で敬礼した。
怯えるというより、上官に呼び出された新兵のような反応だ。
「ここじゃなんだから、裏庭へ来てもらえる? ……たっぷりと『教育』的指導をして差し上げますわ」
「きょ、教育……! は、はい! お供します!」
ミナ様はなぜかカバンを大事そうに抱え、私の後をついてきた。
裏庭のガゼボ(西洋風の東屋)は、人目につきにくい絶好のいじめスポットだ。
私は彼女をベンチの前に立たせると、腕組みをして見下ろした。
「単刀直入に言うわ。貴女、その猫背はどういうこと?」
「えっ? 猫背……ですか?」
「そうよ。先日の廊下での転び方もそうだけれど、貴女は体幹がなっていないわ。そんな姿勢で、将来……その、高貴な方の隣を歩けるとでも思って?」
「こ、高貴な方……?」
ミナ様が首を傾げた。
いけない、うっかり「フリード殿下」と言うところだった。
まだ彼女は殿下と出会っていない(はず)。
ここで私がネタバレしてしまっては、運命の出会いが台無しだ。
「と、とにかく! 貴女のその貧相な歩き方が、私の視界に入るだけで不快なのよ! 今すぐ矯正しなさい!」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」
「いいこと? 背筋を伸ばして、顎を引く。視線はまっすぐ前へ。頭のてっぺんを糸で吊られているようなイメージよ!」
私は手本を見せるために、その場を優雅に一周した。
公爵令嬢として叩き込まれたウォーキングだ。
足音を立てず、ドレスの裾を揺らめかせ、滑るように歩く。
「す、すごいですラヴィニア様……! まるで白鳥みたい……!」
ミナ様が目を輝かせて拍手をした。
……あれ?
称賛されている?
違う、これは「私と貴女の実力差を見せつけるマウント」であって、パフォーマンスではないのだけれど。
「ふん、お世辞は結構よ。さあ、やってみなさい」
「はい!」
ミナ様が歩き出す。
が、三歩目で足がもつれ、盛大に前のめりになった。
「あっ」
「危ない!」
私は反射的に体を動かし、倒れそうになったミナ様をガシッと受け止めていた。
……しまった。
いじめるはずが、助けてしまった。
「あ、ありがとうございます……」
ミナ様がうるうるとした瞳で私を見上げている。
至近距離で見ると、まつげが長くて本当に可愛い。
小動物のような愛らしさに、私の「推しカップリング妄想」が加速する。
(ああ、この子が殿下の腕の中に収まったら、どんなに絵になることか……! 身長差も完璧だわ。殿下が少し屈んで、彼女の涙を拭うシーンとか最高じゃない!?)
私は脳内でスクショを連写しながら、慌ててミナ様を突き放した(優しく)。
「勘違いしないでちょうだい! 貴女が怪我をして血でも流したら、私のドレスが汚れるでしょう? だから助けただけよ!」
「ラヴィニア様……お優しい……」
「優しくないわよ! さあ、もう一度! 今度はこの本を頭に乗せて歩くのよ!」
私は持参していた分厚い魔導書(ハードカバー)を、ミナ様の頭に乗せた。
これは古典的だが効果的なスパルタ指導だ。
「重っ!? これ、すごく重いですラヴィニア様!」
「当然よ。その重みに耐えられないようじゃ、王太……コホン、社交界の荒波は渡っていけないわ!」
「お、王太……?」
「なんでもないわ! さあ歩きなさい! 落としたら罰として、その本の内容を暗記してもらうわよ!」
「ひええええ!」
ミナ様は必死の形相で歩き出した。
プルプルと小鹿のように震えながらも、なんとか一歩、二歩と進む。
その姿を見ながら、私は心の中で(頑張れ! 右足だ! 次は左! 殿下の未来のために!)と旗を振って応援していたが、表向きは鬼教官の顔を崩さない。
「まだまだね! 背中が丸まっているわよ! もっと胸を張って!」
「は、はいっ! ……あっ!」
バサッ。
本が落ちた。
ミナ様は「終わった」という顔で地面に落ちた本を見つめている。
私は扇子で口元を隠し、高らかに笑い声を上げた。
「オーッホッホッホ! 無様ね! 所詮は男爵家の娘、公爵家の教育にはついてこれないのかしら?」
どうだ。
これぞ悪役令嬢のテンプレ台詞。
これで彼女は悔し涙を流し、私を憎むようになるはず――。
「……すごいです」
「え?」
ミナ様は地面の本を拾い上げ、キラキラした瞳で私を見ていた。
「ラヴィニア様は、こんなに難しいことを涼しい顔でこなしていらっしゃるんですね……。私、自分の未熟さが恥ずかしいです」
「は?」
「私、もっと練習します! ラヴィニア様みたいに、堂々と歩けるようになりたいです!」
ミナ様は埃を払うと、再び本を頭に乗せた。
その目には、憎しみどころか「尊敬」の念が宿っている。
いや、待って。
なんでそうなるの?
私は貴女をいじめているのよ?
「無理難題を押し付ける嫌な先輩」というポジションを確立しようとしているのよ?
「あの、ラヴィニア様。もう一度、お手本を見せていただけませんか?」
「……し、仕方ないわね。一度だけよ」
頼られると断れないのが、私の悪い癖だ。
私は再び優雅に歩いてみせ、ついでにターンまで決めてしまった。
「素敵です! 師匠と呼ばせてください!」
「師匠じゃないわよ! 悪役よ!」
「あくやく……?」
「なんでもないわ! ほら、日が暮れるまで続けるわよ!」
結局、その日の放課後は、私がつきっきりでミナ様にウォーキング指導をする羽目になった。
スパルタ指導の甲斐あって、帰り際、ミナ様の歩き方は見違えるほど美しくなっていた。
「ありがとうございました、ラヴィニア様! 明日もよろしくお願いします!」
「……ふん。明日はもっと厳しくいくから覚悟なさい」
深々と頭を下げるミナ様を見送りながら、私は首を傾げた。
(おかしいわね。いじめたはずなのに、なぜか感謝されたわ……)
まあいい。
結果として彼女が美しくなり、殿下の隣に相応しいレディに近づいたのだから、作戦としては成功だろう。
私は満足感とともに帰路についた。
翌日。
登校した私は、教室の空気が微妙に変わっていることに気づいた。
「おはようございます、ラヴィニア様」
「ごきげんよう」
クラスメイトたちの視線が、昨日までの「恐怖」とは少し違う気がする。
そこへ、昨日と同じくミナ様が駆け寄ってきた。
「ラヴィニア様! おはようございます!」
「あら、ミナ様。昨日の筋肉痛は大丈夫?」
「はい! お風呂でマッサージしましたから! あの、これ……お礼です!」
差し出されたのは、可愛らしいラッピング袋に入ったクッキーだった。
「手作りなんです。形は悪いんですけど、味は保証します!」
「……私に、貢ぎ物?」
「お礼です! 昨日のご指導、本当に勉強になりましたから!」
教室中がざわめく。
「おい、見たか? ミナ様がラヴィニア様に手作りクッキーを……」
「昨日は裏庭に連れ込まれたって聞いたけど……」
「まさか、ラヴィニア様がカツアゲしたんじゃ……」
「いや、ミナ様すごい笑顔だぞ?」
「どういう関係だ?」
ヒソヒソ話の内容は芳しくないが、まあ「私が無理やり奪い取った」ように見えなくもない。
私はあえて尊大な態度でクッキーを受け取った。
「ふん、平民のお菓子なんて私の口に合うかしらね。……まあ、せっかくだから貰ってあげるわ」
「はいっ! 食べていただけたら嬉しいです!」
ミナ様はニコニコして席に戻っていった。
私は袋の中のクッキー(うさぎ型)を見つめる。
(可愛い……。後でこっそり食べよう)
その時、教室の入り口が騒がしくなった。
女子生徒たちの黄色い悲鳴が上がる。
「キャーッ! フリード殿下よ!」
「王太子殿下が教室にいらしたわ!」
私の心臓が「ドクン!」と跳ね上がった。
嘘でしょう?
高等部の校舎に、殿下が来るなんて滅多にないことだ。
入り口に現れたのは、今日も今日とて発光しているかのように眩しい、我が推しフリード殿下だった。
そして、その背後には「やれやれ」といった顔のアレク様もいる。
殿下は教室を見渡すと、私を見つけて真っ直ぐに歩いてきた。
モーゼの十戒のように、生徒たちが道を開ける。
(ひいいいい! 近づいてくる! 尊いオーラが! 高画質が近づいてくる!)
私は息を止めて直立不動になった。
殿下は私の目の前で足を止めると、アイスブルーの瞳を細めた。
「ラヴィニア」
「は、はひっ!?」
裏返った声が出てしまった。死にたい。
「昨日、裏庭で男爵令嬢に何かしていたそうだな」
教室が静まり返る。
来た。
断罪イベントの前兆だ。
殿下の耳にも、私の「悪行」が届いたのだわ!
私は震える膝をドレスの中で必死に押さえつけ、精一杯の悪役顔を作った。
「ええ、そうですわ殿下。身分の低い娘に、少しばかり『公爵家流の礼儀』を教えてやっただけですの。おほほ……」
どうだ。嫌な女だろう。
軽蔑してくれ。そして婚約破棄を突きつけてくれ!
殿下はしばらく無言で私を見下ろしていたが、やがてふっと口元を緩めた。
その笑顔が、あまりにも優しくて、甘くて、破壊力抜群すぎて――。
「そうか。お前は本当に……勤勉だな」
「…………は?」
予想外の言葉に、私の思考が停止した。
「次期王妃として、下の者の教育にも熱心に取り組んでいるとは。アレクから『ラヴィニアが新入生を指導している』と聞いて見に来たが……感心したよ」
殿下の手が伸びてきて、私の頭をポンポンと撫でた。
「!?!?!?」
頭皮から電流が走った。
推しに! 頭を! 撫でられた!
キャパシティオーバーを起こした私の脳内では、緊急警報が鳴り響いている。
「励めよ、ラヴィニア。俺も期待している」
殿下は爽やかに言い残すと、キラキラした粒子(幻覚)を振りまきながら去っていった。
教室に残されたのは、真っ白に燃え尽きた私と、感動に震えるクラスメイトたち。
「す、すごい……殿下に褒められた……」
「やっぱりラヴィニア様は厳しいけどご立派な方なんだ……」
「誤解してたかも……」
違う。
違うのよおおおおおお!
私は嫌われたいの! 褒められたいわけじゃないの!
それに殿下、なんで私の悪行をそんなポジティブに解釈するんですか!?
「ううっ……」
私は机に突っ伏した。
手の中のうさぎ型クッキーが、無情にも可愛らしく微笑んでいた。
悪役令嬢への道は、思っていたよりも険しいかもしれない。
放課後の教室。
帰り支度をしていたミナ様に、私は極上の「悪役スマイル」で声をかけた。
口元は扇子で隠し、目は笑っていない(つもり)。
教室に残っていた数名の生徒が、ヒソヒソと噂をするのが聞こえる。
「おい、ラヴィニア様だ……」
「あの男爵令嬢、何かしたのか?」
「怖い……絶対に関わりたくない……」
ふふふ、いい反応だわ。
私の狙い通り、周囲はすでに私を「弱い者いじめをする高慢な令嬢」として認識し始めている。
さあ、ミナ様。怯えなさい。震えなさい。
そして、私の理不尽な要求に涙するがいいわ!
「は、はいっ! なんでしょうか、ラヴィニア様!?」
ミナ様は直立不動で敬礼した。
怯えるというより、上官に呼び出された新兵のような反応だ。
「ここじゃなんだから、裏庭へ来てもらえる? ……たっぷりと『教育』的指導をして差し上げますわ」
「きょ、教育……! は、はい! お供します!」
ミナ様はなぜかカバンを大事そうに抱え、私の後をついてきた。
裏庭のガゼボ(西洋風の東屋)は、人目につきにくい絶好のいじめスポットだ。
私は彼女をベンチの前に立たせると、腕組みをして見下ろした。
「単刀直入に言うわ。貴女、その猫背はどういうこと?」
「えっ? 猫背……ですか?」
「そうよ。先日の廊下での転び方もそうだけれど、貴女は体幹がなっていないわ。そんな姿勢で、将来……その、高貴な方の隣を歩けるとでも思って?」
「こ、高貴な方……?」
ミナ様が首を傾げた。
いけない、うっかり「フリード殿下」と言うところだった。
まだ彼女は殿下と出会っていない(はず)。
ここで私がネタバレしてしまっては、運命の出会いが台無しだ。
「と、とにかく! 貴女のその貧相な歩き方が、私の視界に入るだけで不快なのよ! 今すぐ矯正しなさい!」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」
「いいこと? 背筋を伸ばして、顎を引く。視線はまっすぐ前へ。頭のてっぺんを糸で吊られているようなイメージよ!」
私は手本を見せるために、その場を優雅に一周した。
公爵令嬢として叩き込まれたウォーキングだ。
足音を立てず、ドレスの裾を揺らめかせ、滑るように歩く。
「す、すごいですラヴィニア様……! まるで白鳥みたい……!」
ミナ様が目を輝かせて拍手をした。
……あれ?
称賛されている?
違う、これは「私と貴女の実力差を見せつけるマウント」であって、パフォーマンスではないのだけれど。
「ふん、お世辞は結構よ。さあ、やってみなさい」
「はい!」
ミナ様が歩き出す。
が、三歩目で足がもつれ、盛大に前のめりになった。
「あっ」
「危ない!」
私は反射的に体を動かし、倒れそうになったミナ様をガシッと受け止めていた。
……しまった。
いじめるはずが、助けてしまった。
「あ、ありがとうございます……」
ミナ様がうるうるとした瞳で私を見上げている。
至近距離で見ると、まつげが長くて本当に可愛い。
小動物のような愛らしさに、私の「推しカップリング妄想」が加速する。
(ああ、この子が殿下の腕の中に収まったら、どんなに絵になることか……! 身長差も完璧だわ。殿下が少し屈んで、彼女の涙を拭うシーンとか最高じゃない!?)
私は脳内でスクショを連写しながら、慌ててミナ様を突き放した(優しく)。
「勘違いしないでちょうだい! 貴女が怪我をして血でも流したら、私のドレスが汚れるでしょう? だから助けただけよ!」
「ラヴィニア様……お優しい……」
「優しくないわよ! さあ、もう一度! 今度はこの本を頭に乗せて歩くのよ!」
私は持参していた分厚い魔導書(ハードカバー)を、ミナ様の頭に乗せた。
これは古典的だが効果的なスパルタ指導だ。
「重っ!? これ、すごく重いですラヴィニア様!」
「当然よ。その重みに耐えられないようじゃ、王太……コホン、社交界の荒波は渡っていけないわ!」
「お、王太……?」
「なんでもないわ! さあ歩きなさい! 落としたら罰として、その本の内容を暗記してもらうわよ!」
「ひええええ!」
ミナ様は必死の形相で歩き出した。
プルプルと小鹿のように震えながらも、なんとか一歩、二歩と進む。
その姿を見ながら、私は心の中で(頑張れ! 右足だ! 次は左! 殿下の未来のために!)と旗を振って応援していたが、表向きは鬼教官の顔を崩さない。
「まだまだね! 背中が丸まっているわよ! もっと胸を張って!」
「は、はいっ! ……あっ!」
バサッ。
本が落ちた。
ミナ様は「終わった」という顔で地面に落ちた本を見つめている。
私は扇子で口元を隠し、高らかに笑い声を上げた。
「オーッホッホッホ! 無様ね! 所詮は男爵家の娘、公爵家の教育にはついてこれないのかしら?」
どうだ。
これぞ悪役令嬢のテンプレ台詞。
これで彼女は悔し涙を流し、私を憎むようになるはず――。
「……すごいです」
「え?」
ミナ様は地面の本を拾い上げ、キラキラした瞳で私を見ていた。
「ラヴィニア様は、こんなに難しいことを涼しい顔でこなしていらっしゃるんですね……。私、自分の未熟さが恥ずかしいです」
「は?」
「私、もっと練習します! ラヴィニア様みたいに、堂々と歩けるようになりたいです!」
ミナ様は埃を払うと、再び本を頭に乗せた。
その目には、憎しみどころか「尊敬」の念が宿っている。
いや、待って。
なんでそうなるの?
私は貴女をいじめているのよ?
「無理難題を押し付ける嫌な先輩」というポジションを確立しようとしているのよ?
「あの、ラヴィニア様。もう一度、お手本を見せていただけませんか?」
「……し、仕方ないわね。一度だけよ」
頼られると断れないのが、私の悪い癖だ。
私は再び優雅に歩いてみせ、ついでにターンまで決めてしまった。
「素敵です! 師匠と呼ばせてください!」
「師匠じゃないわよ! 悪役よ!」
「あくやく……?」
「なんでもないわ! ほら、日が暮れるまで続けるわよ!」
結局、その日の放課後は、私がつきっきりでミナ様にウォーキング指導をする羽目になった。
スパルタ指導の甲斐あって、帰り際、ミナ様の歩き方は見違えるほど美しくなっていた。
「ありがとうございました、ラヴィニア様! 明日もよろしくお願いします!」
「……ふん。明日はもっと厳しくいくから覚悟なさい」
深々と頭を下げるミナ様を見送りながら、私は首を傾げた。
(おかしいわね。いじめたはずなのに、なぜか感謝されたわ……)
まあいい。
結果として彼女が美しくなり、殿下の隣に相応しいレディに近づいたのだから、作戦としては成功だろう。
私は満足感とともに帰路についた。
翌日。
登校した私は、教室の空気が微妙に変わっていることに気づいた。
「おはようございます、ラヴィニア様」
「ごきげんよう」
クラスメイトたちの視線が、昨日までの「恐怖」とは少し違う気がする。
そこへ、昨日と同じくミナ様が駆け寄ってきた。
「ラヴィニア様! おはようございます!」
「あら、ミナ様。昨日の筋肉痛は大丈夫?」
「はい! お風呂でマッサージしましたから! あの、これ……お礼です!」
差し出されたのは、可愛らしいラッピング袋に入ったクッキーだった。
「手作りなんです。形は悪いんですけど、味は保証します!」
「……私に、貢ぎ物?」
「お礼です! 昨日のご指導、本当に勉強になりましたから!」
教室中がざわめく。
「おい、見たか? ミナ様がラヴィニア様に手作りクッキーを……」
「昨日は裏庭に連れ込まれたって聞いたけど……」
「まさか、ラヴィニア様がカツアゲしたんじゃ……」
「いや、ミナ様すごい笑顔だぞ?」
「どういう関係だ?」
ヒソヒソ話の内容は芳しくないが、まあ「私が無理やり奪い取った」ように見えなくもない。
私はあえて尊大な態度でクッキーを受け取った。
「ふん、平民のお菓子なんて私の口に合うかしらね。……まあ、せっかくだから貰ってあげるわ」
「はいっ! 食べていただけたら嬉しいです!」
ミナ様はニコニコして席に戻っていった。
私は袋の中のクッキー(うさぎ型)を見つめる。
(可愛い……。後でこっそり食べよう)
その時、教室の入り口が騒がしくなった。
女子生徒たちの黄色い悲鳴が上がる。
「キャーッ! フリード殿下よ!」
「王太子殿下が教室にいらしたわ!」
私の心臓が「ドクン!」と跳ね上がった。
嘘でしょう?
高等部の校舎に、殿下が来るなんて滅多にないことだ。
入り口に現れたのは、今日も今日とて発光しているかのように眩しい、我が推しフリード殿下だった。
そして、その背後には「やれやれ」といった顔のアレク様もいる。
殿下は教室を見渡すと、私を見つけて真っ直ぐに歩いてきた。
モーゼの十戒のように、生徒たちが道を開ける。
(ひいいいい! 近づいてくる! 尊いオーラが! 高画質が近づいてくる!)
私は息を止めて直立不動になった。
殿下は私の目の前で足を止めると、アイスブルーの瞳を細めた。
「ラヴィニア」
「は、はひっ!?」
裏返った声が出てしまった。死にたい。
「昨日、裏庭で男爵令嬢に何かしていたそうだな」
教室が静まり返る。
来た。
断罪イベントの前兆だ。
殿下の耳にも、私の「悪行」が届いたのだわ!
私は震える膝をドレスの中で必死に押さえつけ、精一杯の悪役顔を作った。
「ええ、そうですわ殿下。身分の低い娘に、少しばかり『公爵家流の礼儀』を教えてやっただけですの。おほほ……」
どうだ。嫌な女だろう。
軽蔑してくれ。そして婚約破棄を突きつけてくれ!
殿下はしばらく無言で私を見下ろしていたが、やがてふっと口元を緩めた。
その笑顔が、あまりにも優しくて、甘くて、破壊力抜群すぎて――。
「そうか。お前は本当に……勤勉だな」
「…………は?」
予想外の言葉に、私の思考が停止した。
「次期王妃として、下の者の教育にも熱心に取り組んでいるとは。アレクから『ラヴィニアが新入生を指導している』と聞いて見に来たが……感心したよ」
殿下の手が伸びてきて、私の頭をポンポンと撫でた。
「!?!?!?」
頭皮から電流が走った。
推しに! 頭を! 撫でられた!
キャパシティオーバーを起こした私の脳内では、緊急警報が鳴り響いている。
「励めよ、ラヴィニア。俺も期待している」
殿下は爽やかに言い残すと、キラキラした粒子(幻覚)を振りまきながら去っていった。
教室に残されたのは、真っ白に燃え尽きた私と、感動に震えるクラスメイトたち。
「す、すごい……殿下に褒められた……」
「やっぱりラヴィニア様は厳しいけどご立派な方なんだ……」
「誤解してたかも……」
違う。
違うのよおおおおおお!
私は嫌われたいの! 褒められたいわけじゃないの!
それに殿下、なんで私の悪行をそんなポジティブに解釈するんですか!?
「ううっ……」
私は机に突っ伏した。
手の中のうさぎ型クッキーが、無情にも可愛らしく微笑んでいた。
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