尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「着いた……! ここが私の楽園(エデン)ね!」

馬車の扉が開いた瞬間、私は大きく両手を広げて深呼吸をした。

ひんやりとした冷気が肺を満たす。

王都の喧騒とは無縁の、静寂に包まれた森と雪山。

目の前にそびえ立つのは、古びた――言葉を選ばずに言えば、お化け屋敷一歩手前の木造の別荘だ。

クロック領の最北端、『終わりの地』。

「素晴らしいわ……! 見て、あの外壁の蔦! 侘び寂びを感じるわ!」

私は感動に打ち震えた。

普通のご令嬢なら「なんて寂しい場所なの」と泣き崩れるかもしれない。

だが、私にとっては違う。

ここには面倒な夜会もなければ、マナーにうるさい貴婦人たちもいない。

あるのは大自然と、無限の時間だけ。

つまり、誰にも邪魔されずに推し活に没頭できる聖域なのだ!

「さあ、荷物を降ろしてちょうだい! 特に『割れ物注意』の箱は慎重にね! 中には殿下の石膏像(未完成)が入っているんだから!」

私は護衛の騎士たちにテキパキと指示を出した。

騎士たちは顔を見合わせ、戸惑っているようだ。

「……あのご令嬢、追放されたんですよね?」
「ショックで気が触れたんじゃないか?」

失礼なヒソヒソ話が聞こえるが、今の私は無敵のメンタルを持っているので気にならない。

別荘の玄関から、年老いた使用人夫婦が出てきた。

この別荘の管理人をしているハンスとマーサだ。

「お、お待ちしておりました、お嬢様……。この度は、なんと申し上げればよいか……」

マーサがハンカチで目頭を押さえている。

どうやら私の「婚約破棄されて島流し」という情報を聞いて、哀れんでいるらしい。

「マーサ、泣かないで。私は幸せよ」

「うっ……無理になさらなくていいのです。こんな何もない田舎に押し込められて、お辛いでしょうに……」

「何もない? いいえ、ここには『愛』があるわ」

私は胸を張って答えた。

マーサは「可哀想に、まだ現実を受け入れられないのね」という顔で私を見た。

違うのよ。

本当に、ここからが私の人生の本番なのよ。

          ◇

別荘の中は、掃除が行き届いていて意外と快適だった。

私は二階の一番奥、日当たりの良い部屋を自分の寝室に選んだ。

「よし、まずは祭壇の設営ね」

私はトランクを開け、厳重に梱包されたコレクションを取り出した。

壁の中央には、特注の『フリード殿下の肖像画(実物大)』を飾る。

これは王宮の画家に「背景として描かれている殿下をもっとアップにして!」と頼み込んで入手した、非公式のレア物だ。

机の上には、殿下が使った羽ペン、殿下が触れたかもしれないリボン、そして殿下の活躍を綴った自作のスクラップブックを並べる。

「……完璧だわ」

部屋があっという間に『フリード殿下ミュージアム』に変貌した。

私は肖像画の前に正座し、両手を合わせた。

「ああ、フリード様……。今日も麗しいですわ。その冷ややかな瞳で見下ろされると、ゾクゾクします」

肖像画の殿下は何も答えない。

だが、それがいい。

二次元(絵画)は裏切らない。

「私が身を引いたことで、今頃あなたはミナ様と仲睦まじく過ごされているのでしょうね……。ふふっ、想像するだけでご飯が進みます」

私は妄想にふけった。

執務室でミナ様にコーヒーを淹れてもらう殿下。

庭園でミナ様と散歩する殿下。

そんな幸せな光景を思い浮かべるだけで、私の心は浄化されていく。

「お嬢様、お茶が入りましたが……」

ノックとともにマーサが入ってきて、固まった。

「……お嬢様? その、壁の絵に話しかけていらしたのですか?」

「ええ、日課のお祈りよ」

「お、お祈り……」

マーサの手が震え、ティーカップがカチャカチャと音を立てる。

「(ああ、なんてこと……。愛する殿下を忘れられず、絵画に話しかけるほど病んでしまわれるなんて……!)」

マーサの心の声が聞こえてきそうだが、訂正するのも面倒なので放っておくことにした。

「マーサ、この別荘に古着はあるかしら? ドレスじゃ動きにくいから、もっとラフな服に着替えたいの」

「えっ? は、はい。私の若い頃の服でよければありますが……」

「それでいいわ! 貸してちょうだい!」

数分後。

私はカントリー風のワンピースにエプロン、頭には三角巾という、完全に「村娘」なスタイルに変身した。

「うん、動きやすい!」

鏡の前でくるりと回る。

ドレスのコルセットから解放された体が軽い。

「お嬢様……公爵令嬢がそのような格好を……」

「ここではただのラヴィニアよ。さあ、外に行くわよ!」

私は裏庭へと飛び出した。

北国の空気は冷たいが、澄んでいて気持ちがいい。

庭の片隅には、荒れ放題の菜園があった。

「よし、ここを耕しましょう」

「ええっ!? お嬢様が畑仕事を!?」

ハンスが腰を抜かしそうになっている。

「ええ。自給自足の生活、憧れていたのよ」

それに、体を動かせば邪念(殿下に会いたいという禁断症状)も払える。

私は鍬(くわ)を手に取り、勢いよく土に振り下ろした。

ガッ! ザッ!

公爵家で鍛えた(推しを見るために木登りなどで培った)体力が火を吹く。

「おりゃあああ! 殿下の! 筋肉は! 芸術だあああ!」

「ひっ」

掛け声に合わせて土を掘り返す私を見て、護衛の騎士が後ずさりした。

「すさまじい気迫だ……。やはり、殿下への未練を断ち切ろうと必死なんだな……」

違う。

ただの萌えのエネルギー変換だ。

一時間後、そこには見事に耕された畑が出現していた。

「ふう、いい汗かいたわ」

私は額の汗を拭い、満足げに腰に手を当てた。

「ハンス、ここにハーブと野菜を植えましょう。収穫したら、美味しいシチューを作るのよ」

「は、はい……。お嬢様は、なんとお強い方だ……」

ハンスが涙ぐんでいる。

なぜか私の行動全てが「健気な元婚約者」フィルターを通して解釈されてしまう。

まあ、その方が都合がいいからいいけれど。

その日の夕食。

食卓には、マーサが作ってくれた温かいスープとパンが並んだ。

豪華な宮廷料理ではないけれど、素朴で優しい味がした。

「美味しい……!」

「お口に合いましたか?」

「ええ、最高よ! これなら毎日でも食べられるわ!」

私はパンを頬張りながら、壁にかけた肖像画に視線を送った。

(見ていてください、フリード様。私はこの地で、逞しく生きていきます。貴方の幸せを願いながら、この自由な生活を謳歌してみせますわ!)

窓の外は満天の星空。

静寂と、美味しいご飯と、推しのグッズ。

これ以上の幸せがどこにあるだろうか。

「……あー、幸せ。一生ここに引きこもっていたい」

私はベッドにダイブし、殿下の夢を見るために早めに就寝した。

          ◇

それから数日が過ぎた。

私の田舎暮らしは、驚くほど順調だった。

朝は小鳥のさえずりで目覚め、肖像画に「おはようのキス(エアー)」をして一日が始まる。

午前中は畑仕事や森の散策。

午後は読書をしたり、妄想小説を書いたり。

そして夜は、星を見ながら殿下への愛を叫ぶ(近所迷惑にならない程度に)。

「平和だ……」

私は森の入り口で、摘み取った野草をカゴに入れながら呟いた。

「もう二度と、あの堅苦しい王宮には戻りたくないわね」

王都では「悪役令嬢」を演じるために気を張っていたけれど、ここでは素の自分でいられる。

誰にも咎められず、好きなだけオタク活動ができる。

「ここを永住の地にしようかしら。お金がなくなったら、この水晶玉(通販で買った安物)を使って『謎の占い師』でも始めようかな」

『王都の未来を占う美女』として評判になれば、細々と食いつないでいけるかもしれない。

そんな能天気な計画を立てていた、ある日の午後。

別荘の前に、一台の馬車が止まったという知らせが入った。

「馬車? 補給物資かしら?」

私はエプロン姿のまま、玄関へ向かった。

てっきり、実家からの仕送りか、あるいは追加の「殿下グッズ(アレク様に頼んでおいた)」が届いたのだと思ったのだ。

玄関の扉を開けると、そこには息を切らした護衛騎士が立っていた。

「ら、ラヴィニア様! 大変です!」

「どうしたの? そんなに慌てて」

「お、王都から……お客様が……!」

「お客様?」

こんな辺境に、物好きな人もいたものだ。

私は首を傾げながら、馬車の方へ視線を向けた。

その馬車には、見覚えのある紋章が刻まれていた。

王家の紋章。

それも、王太子専用の――。

「……はい?」

私の思考が停止した。

馬車の扉が開き、一人の青年が降り立つ。

旅装を解き、フードをかぶっているが、隠しきれないオーラが漏れ出ている。

太陽の光を閉じ込めたような金髪。

凍てつくような、それでいて熱を帯びたアイスブルーの瞳。

「嘘……」

私は持っていた野草のカゴを取り落とした。

バラバラと散らばる薬草たち。

その向こうで、青年――フリード殿下が、私を見つけてニヤリと笑った。

「見つけたぞ、ラヴィニア」

「ひっ!?」

低い声が、鼓膜を震わせる。

なぜ?

どうしてここに?

私は追放されたはずでは?

「で、殿下……!? なぜ、このようなむさ苦しい場所に……!?」

「迎えに来たと言っただろう」

殿下はズカズカと歩み寄ってくる。

その歩調は速く、明らかに「逃がさない」という気迫に満ちている。

「待って、無理、尊い、近い!」

パニックになった私は、踵を返して家の中へ逃げ込もうとした。

「マーサ! ハンス! 塩を撒いて! いや、結界を張って! 直視できないものが来ちゃったの!」

「往生際の悪い」

ガシッ。

背後から、強い力で腕を掴まれた。

「つ、捕まったぁぁぁぁ!?」

「久しぶりだな、ラヴィニア。……元気そうで何よりだ」

耳元で囁かれた声に、私の背筋に電流が走る。

振り返ると、至近距離に殿下の顔があった。

肌のキメまで見える距離。

長すぎるまつ毛の一本一本まで数えられそうな距離。

「ぐふっ……」

私はあまりの刺激に耐えきれず、白目を剥いてその場に崩れ落ちそうになった。

平和なスローライフは、わずか三日で終わりを告げたのだった。
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