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「ラヴィニア。糖分が足りない」
「はいはい、ただいま」
王宮の執務室。
山積みになった書類と格闘していたフリード殿下が、羽ペンを置いて私を呼んだ。
私はソファから立ち上がり、サイドテーブルに用意しておいたクッキー(先日大量生産したものの残り)を一枚、手に取った。
そして、殿下の元へ歩み寄り、その口元へ差し出す。
「はい、どうぞ殿下。あーん」
「あーん」
サクッ。
殿下は私の指ごと食べる勢いでクッキーを口にし、満足げに咀嚼した。
「……ふう。生き返った」
「お疲れ様です。また少し眉間の皺が深くなっていましたよ」
「誰のせいだと思っている。お前が逃げ回るから、その分のツケを払っているんだ」
「うぐっ……」
そうなのだ。
殿下が今処理している膨大な仕事は、私を追って別荘へ行っていた間の未決裁案件や、私を監禁……いえ、保護するための根回しによるものらしい。
つまり、私が元凶だ。
「申し訳ありません……。では、お詫びにもう一枚」
「ん」
パクッ。
殿下は当然のように口を開け、私がクッキーを放り込むのを待っている。
……おかしい。
いつから私は『王太子の餌付け係』に就任したのだろうか。
あの日、クッキーで殿下の機嫌を直して以来、私はこうして執務室に連行され、殿下の横で待機することを命じられている。
名目は『監視』。
実態は『おやつ係兼、目の保養(殿下曰く)』だ。
「(でも……悪くないわ)」
私はこっそりと、執務に戻った殿下の横顔を盗み見た。
真剣な眼差しで書類を読み込み、流れるような筆跡でサインをする姿。
時折、考え込むようにペンを唇に当てる仕草。
そして、ふとした瞬間に私を見て、ふわりと緩む表情。
「(最高か……! 特等席すぎる! チケット代いくら払えばいいの!?)」
私は内心で悶絶していた。
処刑までの監視だとしても、こんな至近距離で推しの仕事風景を見られるなら、本望だ。
むしろ、このまま一生ここで『壁のシミ』として生きていきたい。
「……ラヴィニア」
「は、はいっ!」
見惚れていたのがバレたかと思い、私はビクッと背筋を伸ばした。
殿下は書類から目を離さず、淡々と言った。
「視線が熱い。穴が開きそうだ」
「も、申し訳ありません! 殿下の執務姿があまりにも尊くて、つい眼球の限界まで焼き付けようと……」
「……ふっ」
殿下は小さく笑い、手招きをした。
「こっちへ来い」
「はい?」
「膝の上に乗れ」
「はああああ!?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
「む、無理です! 仕事の邪魔になります!」
「邪魔じゃない。むしろ効率が上がる」
「上がりません! 私の体重で殿下の太ももが圧迫され、血流が悪くなって思考力が低下します!」
「俺の太ももはそんなにヤワじゃない。鍛えているからな」
殿下は強引に私の腕を引き、自分の膝の上に座らせた。
「ひゃっ!」
安定感がすごい。
そして、背中越しに伝わる殿下の体温と鼓動。
包み込まれるような安心感と、心臓が爆発しそうな緊張感が同時に襲ってくる。
「じっとしていろ。……こうしていると、落ち着くんだ」
殿下は私の肩に顎を乗せ、そのまま書類仕事を再開した。
カッカッカッ……。
ペンの走る音が、私の耳元で響く。
近い。吐息がかかる。
私は石像のように固まるしかなかった。
「(たすけて……尊すぎて死ぬ……)」
心の中で遺書を書き始めた、その時。
コンコン。
「失礼します、殿下」
アレク様が入ってきた。
そして、膝の上に私を乗せて仕事をしている殿下を見て、スンッ……と真顔になった。
「……あの、殿下?」
「なんだ。入っていいぞ」
「入りにくいです。非常に」
アレク様はため息をつきながら、バサリと書類を置いた。
「緊急の案件ではありませんが、重要なお知らせです。隣国の王女殿下が、来週の夜会に合わせて来訪されることが決定しました」
「隣国の王女?」
殿下のペンが止まった。
「ああ、西の国の……チェルシー王女か」
「はい。友好の証として、今回の夜会に参加されたいと」
チェルシー王女。
その名前を聞いた瞬間、私のオタク脳内データベースが検索を開始した。
『チェルシー・ウェスト』。
西の大国の第一王女であり、その美貌と才女ぶりから『西の至宝』と呼ばれる方だ。
そして何より――彼女は、フリード殿下の婚約者候補の筆頭と言われていた人物でもある!
「(来たわ……! ついに真打登場ね!)」
私は心の中でガッツポーズをした。
ミナ様は可愛らしいけれど、身分差がありすぎて王妃になるにはハードルが高い。
けれど、チェルシー王女なら家柄も容姿も完璧。
殿下の隣に並ぶに相応しい、正真正銘の『ロイヤル・カップル』が爆誕するのだ!
「(これで私の役目も終わりね。殿下はチェルシー王女と結ばれ、私はひっそりとフェードアウト……完璧なシナリオだわ!)」
私は興奮して、思わず殿下の膝の上で跳ねてしまった。
「うわぁ、素敵です! チェルシー王女がいらっしゃるんですね!」
「……なんだ、随分と嬉しそうだな」
殿下が怪訝な顔で私を見下ろした。
「当然です! チェルシー王女といえば、大陸一の美女と名高い方! 殿下とお並びになったら、さぞかし絵になることでしょう!」
「……ほう」
殿下の目が据わった。
室温が下がる。
「お前は、俺が他の女と並ぶのが嬉しいのか?」
「え? はい! 美しいものと美しいものの組み合わせは、世界を救いますから!」
私は満面の笑みで答えた。
オタクとして、推しの幸せなカップリングを見るのは至上の喜びなのだ。
殿下はしばらく無言で私を見つめていたが、やがて不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……気に入らんな」
「へ?」
「俺はお前以外の女に興味はない。隣国の王女だろうが何だろうが、俺の隣はお前専用だ」
「またまたご冗談を! 私なんて、王女様の引き立て役にもなれませんよ!」
「……ラヴィニア」
殿下が低い声で私の名前を呼び、腰に回した腕に力を込めた。
ギュウウウッ。
「く、苦しいです殿下! 愛が重いです!」
「分からせてやる必要があるな」
殿下はアレク様に向き直った。
「アレク。その夜会、俺も出るぞ」
「は? 欠席の予定でしたが……」
「予定変更だ。ラヴィニアも連れて行く」
「えっ、私もですか!?」
私は驚いた。
謹慎中の身で、華やかな夜会に出席するなんて。
「当然だ。俺のパートナーとして参加してもらう」
殿下はニヤリと笑った。
「チェルシー王女の前で、俺たちがどれほど『仲睦まじい』かを見せつけてやろうじゃないか」
「えええええ!?」
待って。
それはつまり、王女様への当てつけ?
それとも、私を使った『悪役令嬢としての断罪プレイ』の第二幕?
「(そうか……! 分かったわ!)」
私は閃いた。
殿下は、あえて私のような『難あり元婚約者』を連れて行くことで、チェルシー王女の完璧さを際立たせようとしているのね!
「分かりました、殿下! その役目、謹んでお受けいたします!」
私はキリッとした顔で敬礼した。
「夜会当日、私は最高の『引き立て役(悪役)』として振る舞い、チェルシー王女の美しさを引き立ててみせます!」
「……絶対にお前は何か勘違いしているな」
殿下が深くため息をついた。
「まあいい。当日になれば分かることだ」
殿下は私の首筋に顔を埋め、ふーっと息を吐きかけた。
「ひゃうっ!」
「逃がさないと言っただろう。……覚悟しておけよ、ラヴィニア」
その言葉の意味を、私はまだ正しく理解していなかった。
ただ、来たる夜会が、私の運命を大きく揺るがすイベントになることだけは予感していた。
「あ、アレク様……助けて……」
私は目で訴えたが、アレク様は「南無」と拝むようなポーズをして、静かに部屋を出て行った。
執務室には、再び殿下と私、そして食べかけのクッキーだけが残された。
「はいはい、ただいま」
王宮の執務室。
山積みになった書類と格闘していたフリード殿下が、羽ペンを置いて私を呼んだ。
私はソファから立ち上がり、サイドテーブルに用意しておいたクッキー(先日大量生産したものの残り)を一枚、手に取った。
そして、殿下の元へ歩み寄り、その口元へ差し出す。
「はい、どうぞ殿下。あーん」
「あーん」
サクッ。
殿下は私の指ごと食べる勢いでクッキーを口にし、満足げに咀嚼した。
「……ふう。生き返った」
「お疲れ様です。また少し眉間の皺が深くなっていましたよ」
「誰のせいだと思っている。お前が逃げ回るから、その分のツケを払っているんだ」
「うぐっ……」
そうなのだ。
殿下が今処理している膨大な仕事は、私を追って別荘へ行っていた間の未決裁案件や、私を監禁……いえ、保護するための根回しによるものらしい。
つまり、私が元凶だ。
「申し訳ありません……。では、お詫びにもう一枚」
「ん」
パクッ。
殿下は当然のように口を開け、私がクッキーを放り込むのを待っている。
……おかしい。
いつから私は『王太子の餌付け係』に就任したのだろうか。
あの日、クッキーで殿下の機嫌を直して以来、私はこうして執務室に連行され、殿下の横で待機することを命じられている。
名目は『監視』。
実態は『おやつ係兼、目の保養(殿下曰く)』だ。
「(でも……悪くないわ)」
私はこっそりと、執務に戻った殿下の横顔を盗み見た。
真剣な眼差しで書類を読み込み、流れるような筆跡でサインをする姿。
時折、考え込むようにペンを唇に当てる仕草。
そして、ふとした瞬間に私を見て、ふわりと緩む表情。
「(最高か……! 特等席すぎる! チケット代いくら払えばいいの!?)」
私は内心で悶絶していた。
処刑までの監視だとしても、こんな至近距離で推しの仕事風景を見られるなら、本望だ。
むしろ、このまま一生ここで『壁のシミ』として生きていきたい。
「……ラヴィニア」
「は、はいっ!」
見惚れていたのがバレたかと思い、私はビクッと背筋を伸ばした。
殿下は書類から目を離さず、淡々と言った。
「視線が熱い。穴が開きそうだ」
「も、申し訳ありません! 殿下の執務姿があまりにも尊くて、つい眼球の限界まで焼き付けようと……」
「……ふっ」
殿下は小さく笑い、手招きをした。
「こっちへ来い」
「はい?」
「膝の上に乗れ」
「はああああ!?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
「む、無理です! 仕事の邪魔になります!」
「邪魔じゃない。むしろ効率が上がる」
「上がりません! 私の体重で殿下の太ももが圧迫され、血流が悪くなって思考力が低下します!」
「俺の太ももはそんなにヤワじゃない。鍛えているからな」
殿下は強引に私の腕を引き、自分の膝の上に座らせた。
「ひゃっ!」
安定感がすごい。
そして、背中越しに伝わる殿下の体温と鼓動。
包み込まれるような安心感と、心臓が爆発しそうな緊張感が同時に襲ってくる。
「じっとしていろ。……こうしていると、落ち着くんだ」
殿下は私の肩に顎を乗せ、そのまま書類仕事を再開した。
カッカッカッ……。
ペンの走る音が、私の耳元で響く。
近い。吐息がかかる。
私は石像のように固まるしかなかった。
「(たすけて……尊すぎて死ぬ……)」
心の中で遺書を書き始めた、その時。
コンコン。
「失礼します、殿下」
アレク様が入ってきた。
そして、膝の上に私を乗せて仕事をしている殿下を見て、スンッ……と真顔になった。
「……あの、殿下?」
「なんだ。入っていいぞ」
「入りにくいです。非常に」
アレク様はため息をつきながら、バサリと書類を置いた。
「緊急の案件ではありませんが、重要なお知らせです。隣国の王女殿下が、来週の夜会に合わせて来訪されることが決定しました」
「隣国の王女?」
殿下のペンが止まった。
「ああ、西の国の……チェルシー王女か」
「はい。友好の証として、今回の夜会に参加されたいと」
チェルシー王女。
その名前を聞いた瞬間、私のオタク脳内データベースが検索を開始した。
『チェルシー・ウェスト』。
西の大国の第一王女であり、その美貌と才女ぶりから『西の至宝』と呼ばれる方だ。
そして何より――彼女は、フリード殿下の婚約者候補の筆頭と言われていた人物でもある!
「(来たわ……! ついに真打登場ね!)」
私は心の中でガッツポーズをした。
ミナ様は可愛らしいけれど、身分差がありすぎて王妃になるにはハードルが高い。
けれど、チェルシー王女なら家柄も容姿も完璧。
殿下の隣に並ぶに相応しい、正真正銘の『ロイヤル・カップル』が爆誕するのだ!
「(これで私の役目も終わりね。殿下はチェルシー王女と結ばれ、私はひっそりとフェードアウト……完璧なシナリオだわ!)」
私は興奮して、思わず殿下の膝の上で跳ねてしまった。
「うわぁ、素敵です! チェルシー王女がいらっしゃるんですね!」
「……なんだ、随分と嬉しそうだな」
殿下が怪訝な顔で私を見下ろした。
「当然です! チェルシー王女といえば、大陸一の美女と名高い方! 殿下とお並びになったら、さぞかし絵になることでしょう!」
「……ほう」
殿下の目が据わった。
室温が下がる。
「お前は、俺が他の女と並ぶのが嬉しいのか?」
「え? はい! 美しいものと美しいものの組み合わせは、世界を救いますから!」
私は満面の笑みで答えた。
オタクとして、推しの幸せなカップリングを見るのは至上の喜びなのだ。
殿下はしばらく無言で私を見つめていたが、やがて不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……気に入らんな」
「へ?」
「俺はお前以外の女に興味はない。隣国の王女だろうが何だろうが、俺の隣はお前専用だ」
「またまたご冗談を! 私なんて、王女様の引き立て役にもなれませんよ!」
「……ラヴィニア」
殿下が低い声で私の名前を呼び、腰に回した腕に力を込めた。
ギュウウウッ。
「く、苦しいです殿下! 愛が重いです!」
「分からせてやる必要があるな」
殿下はアレク様に向き直った。
「アレク。その夜会、俺も出るぞ」
「は? 欠席の予定でしたが……」
「予定変更だ。ラヴィニアも連れて行く」
「えっ、私もですか!?」
私は驚いた。
謹慎中の身で、華やかな夜会に出席するなんて。
「当然だ。俺のパートナーとして参加してもらう」
殿下はニヤリと笑った。
「チェルシー王女の前で、俺たちがどれほど『仲睦まじい』かを見せつけてやろうじゃないか」
「えええええ!?」
待って。
それはつまり、王女様への当てつけ?
それとも、私を使った『悪役令嬢としての断罪プレイ』の第二幕?
「(そうか……! 分かったわ!)」
私は閃いた。
殿下は、あえて私のような『難あり元婚約者』を連れて行くことで、チェルシー王女の完璧さを際立たせようとしているのね!
「分かりました、殿下! その役目、謹んでお受けいたします!」
私はキリッとした顔で敬礼した。
「夜会当日、私は最高の『引き立て役(悪役)』として振る舞い、チェルシー王女の美しさを引き立ててみせます!」
「……絶対にお前は何か勘違いしているな」
殿下が深くため息をついた。
「まあいい。当日になれば分かることだ」
殿下は私の首筋に顔を埋め、ふーっと息を吐きかけた。
「ひゃうっ!」
「逃がさないと言っただろう。……覚悟しておけよ、ラヴィニア」
その言葉の意味を、私はまだ正しく理解していなかった。
ただ、来たる夜会が、私の運命を大きく揺るがすイベントになることだけは予感していた。
「あ、アレク様……助けて……」
私は目で訴えたが、アレク様は「南無」と拝むようなポーズをして、静かに部屋を出て行った。
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