尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「……ふぅ。やっと逃げ出せたわ」

夜会もたけなわ。

私はホールの喧騒を離れ、バルコニーに通じるカーテンの陰に潜んでいた。

フリード殿下は今、国王陛下に呼ばれて挨拶回りをしている。

「ラヴィニアも来い」と言われたが、「私は殿下の背後霊(シャドウ)として、遠くから見守る任務がありますので!」と煙に巻いて逃走してきたのだ。

やはり、推しは遠くから眺めるに限る。

「さて、オペラグラスのピントを合わせて……と」

私は懐から愛用の双眼鏡を取り出した。

レンズ越しに見る殿下は、今日も絶好調に輝いている。

貴族たちに囲まれ、優雅に微笑みながら談笑する姿は、まさに『王者の風格』。

「ああ、尊い……。あの左斜め45度からの顎のライン、国宝に指定すべきだわ」

私は一人、ニマニマと怪しい笑みを浮かべていた。

これよ。

この距離感こそが、私にとって一番居心地が良いポジションなのよ。

殿下の隣で腕を組むなんて、心臓に負担がかかりすぎる。

こうして物陰から「今日も顔が良い」と崇めている方が、精神衛生上よろしい。

「……ん?」

レンズの中に、赤い影が入り込んできた。

燃えるような赤髪。

背中が大きく開いた大胆なドレス。

チェルシー王女だ。

「出たわね、ラスボス」

私は息を潜めた。

王女は、殿下の周囲にいた貴族たちをその美貌と圧力で散らすと、殿下の真正面に立った。

そして、扇子で殿下の胸元をツンツンしつつ、何かを囁いている。

「(何を話しているのかしら……読唇術スキルが欲しいところね)」

私は目を凝らした。

すると、王女が殿下の腕を取り、強引にバルコニーの方へと誘導し始めたではないか。

「(連れ込み!? 衆人環視の中で!?)」

殿下は少し嫌そうな顔をしたが、外交上の配慮か、無下には振り払えない様子でついていく。

二人は私の隠れているカーテンのすぐ横を通り過ぎ、夜風の吹き抜けるバルコニーへと消えていった。

「……チャンスだわ」

私は目を輝かせた。

これは『密会イベント』の発生だ。

ここで二人の愛が燃え上がる決定的瞬間を目撃し、私が「お邪魔だったようね!」と飛び出して修羅場を演じる。

完璧なシナリオだ。

私は音もなくカーテンをめくり、バルコニーの柱の陰へと移動した。

          ◇

「フリード様。やっと二人きりになれましたわね」

バルコニーの手すりに寄りかかり、チェルシー王女が甘い声を出した。

月明かりの下、彼女の白い肌と赤いドレスのコントラストが妖艶に輝く。

「……用件を聞こう、チェルシー王女。俺は忙しい」

殿下は冷淡だ。

私に対するデレデレモードとは打って変わって、氷点下の対応である。

「つれないですわね。昔はもっと優しく遊んでくださいましたのに」

「七年前、公式訪問の際に一度チェスをしただけだ」

「私にとっては、運命の出会いでしたわ」

王女は殿下に一歩近づいた。

その距離、およそ三十センチ。

「(近いっ!)」

柱の陰で、私は思わずのけぞった。

「フリード様。単刀直入に申し上げますわ」

王女の手が、殿下の胸板を這う。

「あの地味な女……ラヴィニア嬢とは別れて、私と結婚なさいませ」

「……断る」

「なぜ? 家柄、美貌、知性……どれをとっても私の方が上ですわ。西の大国と東の王国が結ばれれば、大陸最強の同盟になりますのよ?」

「国益の話なら、外交官を通せ」

「愛の話をしていますの」

王女は殿下のネクタイに指をかけ、グイッと引き寄せた。

「私なら、貴方を退屈させませんわ。夜も、昼も……たっぷりと愛して差し上げます」

うわあ。

なんて直接的な誘惑。

R指定入りそうな色気に、私なら鼻血を出して倒れているところだ。

しかし、殿下は動じない。

「俺はラヴィニア以外に欲情しない」

「……っ」

殿下の鉄壁ぶりに、私は感動した。

(さすが殿下! 貞操観念が強固すぎる!)

だが、王女も引かない。

「口ではそう仰っても、体はどうかしら?」

王女はさらに体を密着させた。

豊満な胸が殿下の腕に押し付けられる。

殿下の耳元で、甘い吐息を吹きかける。

その光景を見た瞬間。

ズキン。

私の胸の奥で、何かが軋んだ。

「……あれ?」

私は胸を押さえた。

痛い。

心臓が締め付けられるような、胃のあたりが重くなるような、嫌な感覚。

「(何これ……。クッキーの食べ過ぎ?)」

いや、違う。

目の前で繰り広げられる『美男美女の密会』。

本来なら「尊い! 絵になる!」とスクショを連写すべきシーンのはずだ。

なのに。

「(……嫌だ)」

王女の指が、殿下の頬に触れる。

その指先が、殿下の唇をなぞろうとする。

それを見て、私の体温が急激に下がっていくのを感じた。

モヤモヤする。

イライラする。

あんなに近くに寄らないでほしい。

殿下に触らないでほしい。

殿下の視界を、あの赤い髪で埋め尽くさないでほしい。

「(……まさか、これが『嫉妬』?)」

自分の感情に気づきかけて、私はブンブンと首を振った。

「(違うわ! 断じて違う!)」

私が嫉妬なんてするはずがない。

私はただのファンであり、モブであり、悪役なのだから。

殿下が誰と結ばれようと、祝福するのがオタクの務めだ。

じゃあ、この感情は何?

私は必死に理由を探した。

そして、一つの結論に達した。

「(……そうよ! 『解釈違い』よ!)」

私は拳を握りしめた。

「(あんな強引な誘惑は、殿下の美学に反するわ! 殿下はもっとこう、清らかなプラトニックな関係がお似合いなのよ!)」

そうだ。

これは私の『推しへの解釈』を守るための義憤だ。

王女のあのアグレッシブさは、殿下の『聖域(サンクチュアリ)』を汚しているに等しい!

「(許せない……! 私の殿下に、ベタベタと手垢をつけるなんて!)」

怒りのあまり、私の握っていた扇子がメキメキと音を立てた。

バルコニーでは、王女がいよいよ決定的な行動に出ようとしていた。

「フリード様……試してみれば分かりますわ」

王女が背伸びをして、殿下の唇を奪おうとする。

殿下は避けようとしたが、後ろは手すりで逃げ場がない。

「(やめろぉぉぉぉ! 私の(鑑賞用)殿下に傷がつくだろうがぁぁぁ!)」

限界だった。

思考よりも先に、体が動いていた。

          ◇

「――そこまでですわ!!」

私は柱の陰から飛び出し、二人の間に割って入った。

「ラ、ラヴィニア!?」

殿下が驚いた顔をする。

「チッ……邪魔が入りましたわね」

王女が舌打ちをして離れる。

私は二人の間に仁王立ちになり、バッと両手を広げて殿下を背に庇った。

「チェルシー王女殿下! マナー違反です!」

私は王女を指差し、高らかに叫んだ。

「え? マナー?」

王女がキョトンとした。

「ええ、マナーです! 殿下のような『国宝級イケメン』に触れる際は、事前の申請と、手袋の着用、そして心の準備(拝観料)が必要です!」

「……は?」

「貴女のその馴れ馴れしいボディタッチは、美術品保護法に違反しています! 指紋がついたらどうするんですか! 殿下の肌はデリケートなんですよ!」

私はまくしたてた。

「それに、その構図(アングル)もなっていません! 殿下の美しさを引き出すには、もっと距離を取って、逆光を利用すべきです! 貴女が密着することで、殿下の神聖なオーラが遮断されてしまっているではありませんか!」

「な、何を言っているのこの女……」

王女がドン引きしている。

「頭がおかしいのですか?」

「おかしくありません! 私は殿下の『美的景観』を守る保護者(ガーディアン)です!」

私は鼻息荒く宣言した。

背後で、殿下が「ぷっ」と吹き出す気配がした。

「くくっ……保護者か」

殿下の肩が震えている。

「ラヴィニア。つまりお前は、俺に他の女が触れるのが『気に入らない』と言いたいんだな?」

「違います! 保存状態を心配しているだけです!」

「素直じゃないな」

殿下は私の背中を抱き寄せ、耳元で囁いた。

「俺は嬉しいぞ。お前が俺のために怒ってくれて」

「怒ってません! 指導です!」

私は真っ赤になって否定した。

チェルシー王女は、呆気にとられた顔で私たちを見ていたが、やがて冷ややかな笑みを浮かべた。

「……なるほど。頭がおかしいというのは本当のようですわね」

王女はパチンと扇子を閉じた。

「でも、面白いわ。ただの地味な女かと思えば、狂犬だったなんて」

王女の瞳に、狩人のような光が宿る。

「いいでしょう。そこまで仰るなら、勝負しましょうか」

「勝負?」

「ええ。どちらが『フリード様の隣に相応しいか』を賭けた、淑女の戦いを」

王女は私を見据え、挑発的に言い放った。

「今ここで、ダンス勝負を申し込みますわ。フリード様と踊って、より美しく、より彼を輝かせた方が勝ち。……負けた方は、潔く身を引くというのはいかが?」

「望むところです!」

私は即答した。

「受けて立ちます! ただし、私が勝ったら殿下に半径五メートル以内接近禁止令を出させていただきます!」

「ふふ、自信がおありのようね。よろしくてよ」

王女は不敵に笑い、ホールの方へと戻っていった。

残された私と殿下。

「……ラヴィニア」

殿下が呆れたように私を見た。

「勝手に勝負を受けるな。俺は賞品じゃないんだぞ」

「すみません、つい売り言葉に買い言葉で……」

私は我に返り、青ざめた。

「ま、まずいです! 私、ダンスなんて公爵家のたしなみ程度しか……! 相手は『西の至宝』ですよ!? 勝てるわけがない!」

「何を言っている」

殿下は私の手を取り、その甲に口付けた。

「お前のパートナーは誰だと思っている?」

殿下のアイスブルーの瞳が、自信と愛に満ちて輝いている。

「俺だぞ? 俺がリードすれば、案山子(かかし)だろうが女神に見せてやる」

「か、案山子扱いは酷いです!」

「安心しろ。お前は俺の隣にいる時が一番可愛い」

殿下はニヤリと笑った。

「行こうか、ラヴィニア。あの生意気な王女に、俺たちの『愛の力(お前の変態的なこだわり)』を見せつけてやろう」

「はいっ!」

こうして、私の初めての『嫉妬』……もとい『美的景観保護活動』は、国を巻き込んだダンスバトルへと発展することになった。
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