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「……ふぅ。夜風が気持ちいいな」
夜会の熱気が嘘のように静まり返ったバルコニー。
フリード殿下は手すりに寄りかかり、夜空を見上げながら呟いた。
私はその隣で、真っ赤になった顔を両手で仰いでいた。
「(あ、危なかった……!)」
先ほどのダンスバトルの興奮がまだ冷めやらない。
まさかあんな大勢の前で、殿下と密着ダンス(という名の高速回転)を披露してしまうなんて。
しかも最後は、お姫様抱っこからのキメポーズ。
明日の新聞の一面は間違いなく『王太子カップル、愛の竜巻旋風』という見出しで埋め尽くされるだろう。
「……ラヴィニア」
不意に殿下が私の方を向いた。
月明かりに照らされたその表情は、いつもの冷徹な仮面が外れ、見たこともないほど穏やかで、優しげだった。
「ありがとう。今日は楽しかった」
「へ?」
「あんなに笑ったのは久しぶりだ。お前のおかげだよ」
殿下はふわりと微笑んだ。
その笑顔の破壊力たるや、隕石級だ。
ズキュン! と胸の奥で何かが撃ち抜かれる音がした。
「(ちょ、待って。今の笑顔、反則じゃない!?)」
普段の「ニヤリ」という余裕のある笑みではない。
少年のような、無防備で純粋な笑顔。
推しのそんな表情(レア度SSR)を、至近距離で、独り占めしてしまった。
「……で、殿下。お戯れはおやめください」
私は視線を逸らし、心臓を押さえた。
「私、今ちょっと心拍数が異常値を示しているので。これ以上デレられますと、救護班を呼ぶことになります」
「デレているつもりはない。本音だ」
殿下は私に一歩近づいた。
「さっき、チェルシー王女に言っただろう。『俺にはラヴィニア以外興味がない』と」
「あれは……王女様を追い払うための方便ですよね?」
「違う」
殿下は私の手を取り、自分の胸に当てた。
ドクン、ドクン。
服の上からでも分かる、速い鼓動。
「……えっ?」
「俺も緊張していたんだ。お前と踊るのが嬉しくて、鼓動が早くなっていた」
殿下のアイスブルーの瞳が、熱を帯びて私を見つめる。
「ラヴィニア。俺はお前が思っているような『完璧な彫像』じゃない。お前の前では、ただの男になりたいんだ」
「た、ただの……男?」
「ああ。嫉妬もするし、独占欲も湧く。お前が他の男と話しているだけでイラつくし、お前が俺を見て顔を赤くしてくれるだけで舞い上がる」
殿下の指が、私の頬を包み込む。
「例えば今、こうしてお前に触れているだけで、俺は理性が飛びそうなんだが」
「ッ!?」
ボンッ!
私の頭から再び湯気が出た。
理性が飛ぶ? 殿下が? 私ごときに!?
「う、嘘です! 殿下はもっとクールでドライで、感情を表に出さないのが魅力なんです! そんな……そんな甘酸っぱいこと言わないでください!」
「解釈違いか?」
「大違いです! 公式設定崩壊です!」
私が抗議すると、殿下はクスクスと笑った。
「なら、お前の解釈を書き換えてくれ。『フリードはラヴィニアにだけは甘い』とな」
殿下は私の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。
「知っているか? 俺は昔から、お前の奇行……いや、行動を見ていたんだぞ」
「……はい?」
「庭木に擬態して俺を覗いていたことも、俺が使った羽ペンを回収していたことも、俺の肖像画に話しかけていたことも」
「ぎゃあああああ!」
私は殿下の腕の中で暴れた。
「知っていたんですか!? 全部!? 気づかないフリをしてくれていたんじゃなくて!?」
「気づかないフリをしていただけだ。……可愛かったからな」
「可愛い!?」
私のストーカー行為を可愛いと表現するなんて、殿下の美的感覚はどうなっているの?
「一生懸命隠れているつもりで、リボンが見えていたり。俺と目が合うと真っ赤になって逃げ出したり。……そんなお前を見るのが、俺の執務中の唯一の楽しみだった」
殿下は懐かしむように目を細めた。
「俺は退屈な王子だったよ。周りの人間は皆、俺の機嫌を伺い、俺を利用しようとする奴ばかり。……だが、お前だけは違った」
殿下の声が優しく響く。
「お前だけは、俺の地位や権力ではなく、俺自身を……いや、俺の『顔』かもしれんが、とにかく俺を純粋に見てくれた」
「顔だけじゃありません!」
私は思わず反論した。
「声も、指先も、歩き方も、仕事ぶりも、全部好きです! 殿下が存在しているだけで、世界が輝いて見えるんです!」
「……そうか」
殿下は嬉しそうに私の頭を撫でた。
「なら、その輝く世界に、これからもずっといてくれないか? 観客としてではなく、共演者として」
「……共演者」
「ああ。俺の隣でお前が笑っていてくれれば、俺はもっと輝ける気がするんだ」
殿下の顔が近づいてくる。
逃げられない。
逃げたくない、と思ってしまった。
(ああ、どうしよう。推し変しそう)
『孤高の王子』から、『私を溺愛してくれる王子』へ。
それは私の長年の解釈とは違うけれど、目の前の殿下は、どんな妄想よりも素敵で、愛おしかった。
「殿下……」
私が目を閉じた、その瞬間。
「――おーい、二人ともー! そろそろ戻らないと、王様が閉会の挨拶をするってよー!」
空気の読めない明るい声が、バルコニーの入り口から響いた。
「……チッ」
殿下が盛大に舌打ちをした。
本日二度目の舌打ちだ。
バッと離れると、そこにはアレク様とミナ様が立っていた。
「あ、邪魔しちゃいました?」
ミナ様が無邪気に首を傾げている。
アレク様は「南無」という顔で天を仰いでいた。
「……アレク。お前、後で覚悟しておけよ」
殿下がドスの利いた声で告げると、アレク様は「ひぃっ、やっぱり!」と怯えた。
「い、いいえ殿下! ミナ嬢が『ラヴィニア様が王女にいじめられてないか心配!』って突撃しようとしたのを、私が止めたんです!」
「止められてないだろうが」
殿下はため息をつき、私の手を強く握り直した。
「……続きは、また後でな」
殿下は私にだけ聞こえる声で囁き、ウィンクをした。
私は茹で上がったタコのようにフラフラになりながら、殿下に引かれてホールへと戻っていった。
背後でミナ様が「あれ? ラヴィニア様、魂抜けてません?」と心配していたが、返事をする余裕もなかった。
私の『悪役令嬢計画』は、完全に崩壊していた。
残されたのは、殿下からの特大の愛と、それに絆され始めている自分の心だけ。
(……認めない。まだ認めないわよ! これは恋じゃない! ただの『推しへの信仰心』がバグを起こしているだけなんだから!)
私は必死に自分に言い聞かせたが、胸の高鳴りは一向に収まる気配がなかった。
夜会の熱気が嘘のように静まり返ったバルコニー。
フリード殿下は手すりに寄りかかり、夜空を見上げながら呟いた。
私はその隣で、真っ赤になった顔を両手で仰いでいた。
「(あ、危なかった……!)」
先ほどのダンスバトルの興奮がまだ冷めやらない。
まさかあんな大勢の前で、殿下と密着ダンス(という名の高速回転)を披露してしまうなんて。
しかも最後は、お姫様抱っこからのキメポーズ。
明日の新聞の一面は間違いなく『王太子カップル、愛の竜巻旋風』という見出しで埋め尽くされるだろう。
「……ラヴィニア」
不意に殿下が私の方を向いた。
月明かりに照らされたその表情は、いつもの冷徹な仮面が外れ、見たこともないほど穏やかで、優しげだった。
「ありがとう。今日は楽しかった」
「へ?」
「あんなに笑ったのは久しぶりだ。お前のおかげだよ」
殿下はふわりと微笑んだ。
その笑顔の破壊力たるや、隕石級だ。
ズキュン! と胸の奥で何かが撃ち抜かれる音がした。
「(ちょ、待って。今の笑顔、反則じゃない!?)」
普段の「ニヤリ」という余裕のある笑みではない。
少年のような、無防備で純粋な笑顔。
推しのそんな表情(レア度SSR)を、至近距離で、独り占めしてしまった。
「……で、殿下。お戯れはおやめください」
私は視線を逸らし、心臓を押さえた。
「私、今ちょっと心拍数が異常値を示しているので。これ以上デレられますと、救護班を呼ぶことになります」
「デレているつもりはない。本音だ」
殿下は私に一歩近づいた。
「さっき、チェルシー王女に言っただろう。『俺にはラヴィニア以外興味がない』と」
「あれは……王女様を追い払うための方便ですよね?」
「違う」
殿下は私の手を取り、自分の胸に当てた。
ドクン、ドクン。
服の上からでも分かる、速い鼓動。
「……えっ?」
「俺も緊張していたんだ。お前と踊るのが嬉しくて、鼓動が早くなっていた」
殿下のアイスブルーの瞳が、熱を帯びて私を見つめる。
「ラヴィニア。俺はお前が思っているような『完璧な彫像』じゃない。お前の前では、ただの男になりたいんだ」
「た、ただの……男?」
「ああ。嫉妬もするし、独占欲も湧く。お前が他の男と話しているだけでイラつくし、お前が俺を見て顔を赤くしてくれるだけで舞い上がる」
殿下の指が、私の頬を包み込む。
「例えば今、こうしてお前に触れているだけで、俺は理性が飛びそうなんだが」
「ッ!?」
ボンッ!
私の頭から再び湯気が出た。
理性が飛ぶ? 殿下が? 私ごときに!?
「う、嘘です! 殿下はもっとクールでドライで、感情を表に出さないのが魅力なんです! そんな……そんな甘酸っぱいこと言わないでください!」
「解釈違いか?」
「大違いです! 公式設定崩壊です!」
私が抗議すると、殿下はクスクスと笑った。
「なら、お前の解釈を書き換えてくれ。『フリードはラヴィニアにだけは甘い』とな」
殿下は私の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。
「知っているか? 俺は昔から、お前の奇行……いや、行動を見ていたんだぞ」
「……はい?」
「庭木に擬態して俺を覗いていたことも、俺が使った羽ペンを回収していたことも、俺の肖像画に話しかけていたことも」
「ぎゃあああああ!」
私は殿下の腕の中で暴れた。
「知っていたんですか!? 全部!? 気づかないフリをしてくれていたんじゃなくて!?」
「気づかないフリをしていただけだ。……可愛かったからな」
「可愛い!?」
私のストーカー行為を可愛いと表現するなんて、殿下の美的感覚はどうなっているの?
「一生懸命隠れているつもりで、リボンが見えていたり。俺と目が合うと真っ赤になって逃げ出したり。……そんなお前を見るのが、俺の執務中の唯一の楽しみだった」
殿下は懐かしむように目を細めた。
「俺は退屈な王子だったよ。周りの人間は皆、俺の機嫌を伺い、俺を利用しようとする奴ばかり。……だが、お前だけは違った」
殿下の声が優しく響く。
「お前だけは、俺の地位や権力ではなく、俺自身を……いや、俺の『顔』かもしれんが、とにかく俺を純粋に見てくれた」
「顔だけじゃありません!」
私は思わず反論した。
「声も、指先も、歩き方も、仕事ぶりも、全部好きです! 殿下が存在しているだけで、世界が輝いて見えるんです!」
「……そうか」
殿下は嬉しそうに私の頭を撫でた。
「なら、その輝く世界に、これからもずっといてくれないか? 観客としてではなく、共演者として」
「……共演者」
「ああ。俺の隣でお前が笑っていてくれれば、俺はもっと輝ける気がするんだ」
殿下の顔が近づいてくる。
逃げられない。
逃げたくない、と思ってしまった。
(ああ、どうしよう。推し変しそう)
『孤高の王子』から、『私を溺愛してくれる王子』へ。
それは私の長年の解釈とは違うけれど、目の前の殿下は、どんな妄想よりも素敵で、愛おしかった。
「殿下……」
私が目を閉じた、その瞬間。
「――おーい、二人ともー! そろそろ戻らないと、王様が閉会の挨拶をするってよー!」
空気の読めない明るい声が、バルコニーの入り口から響いた。
「……チッ」
殿下が盛大に舌打ちをした。
本日二度目の舌打ちだ。
バッと離れると、そこにはアレク様とミナ様が立っていた。
「あ、邪魔しちゃいました?」
ミナ様が無邪気に首を傾げている。
アレク様は「南無」という顔で天を仰いでいた。
「……アレク。お前、後で覚悟しておけよ」
殿下がドスの利いた声で告げると、アレク様は「ひぃっ、やっぱり!」と怯えた。
「い、いいえ殿下! ミナ嬢が『ラヴィニア様が王女にいじめられてないか心配!』って突撃しようとしたのを、私が止めたんです!」
「止められてないだろうが」
殿下はため息をつき、私の手を強く握り直した。
「……続きは、また後でな」
殿下は私にだけ聞こえる声で囁き、ウィンクをした。
私は茹で上がったタコのようにフラフラになりながら、殿下に引かれてホールへと戻っていった。
背後でミナ様が「あれ? ラヴィニア様、魂抜けてません?」と心配していたが、返事をする余裕もなかった。
私の『悪役令嬢計画』は、完全に崩壊していた。
残されたのは、殿下からの特大の愛と、それに絆され始めている自分の心だけ。
(……認めない。まだ認めないわよ! これは恋じゃない! ただの『推しへの信仰心』がバグを起こしているだけなんだから!)
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