尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「病気だわ……。これは間違いなく、不治の病よ」

夜会から一夜明けた、白の離宮。

私はベッドの上で布団にくるまり、ガタガタと震えていた。

胸が苦しい。

食欲がない(パンケーキは完食したけど)。

そして何より、フリード殿下の顔を思い出すだけで、体温が急上昇して知恵熱が出そうになる。

「昨日のバルコニーでの出来事……あれは幻覚? いいえ、唇に残る感触がリアルすぎるわ」

殿下は私の額にキスをして、『共演者になってくれ』と言った。

その言葉のリフレインが止まらない。

「くっ……! 推しから認知されるどころか、求婚されるなんて……! 徳を積みすぎたの? 前世で世界を救ったの?」

私が悶絶していると、ドアがノックされた。

「ラヴィニア様、入ってもよろしいですか?」

「ど、どうぞ……」

現れたのは、ミナ様とアレク様だった。

二人は部屋に入ってくると、なぜか私のベッドの両脇に椅子を置いて座った。

まるで、取り調べか、あるいは病人の見舞いのような構図だ。

「……何の御用でしょうか。私は今、重篤な『推し尊い病』の発作中でして」

私が布団から顔だけ出して言うと、アレク様が深いため息をついた。

「ラヴィニア嬢。今日は貴女に『現実』を見てもらうために来ました」

「現実?」

「そうです。昨夜のダンス、そしてバルコニーでの一件。……あれをまだ『ファンの妄想』や『公式からの供給』で片付けるつもりですか?」

アレク様の目が真剣だ。

いつもの疲れた目ではなく、獲物を追い詰める騎士団長の目だ。

「うっ……」

私は視線を逸らした。

「そ、それは……殿下が王女様を牽制するために、私を利用した演技であって……」

「演技であんな顔をする男はいません」

アレク様がバッサリと切り捨てた。

「今の殿下を見てください。執務室で一人、思い出してニヤニヤし、書類にサインするたびに鼻歌を歌い、周囲に『愛の波動』を撒き散らしています。……迷惑なんです」

「め、迷惑って」

「部下たちが『殿下が眩しすぎて直視できない』とサングラスをかけ始めています。業務に支障が出ています」

アレク様は身を乗り出した。

「いい加減に認めてください。殿下は本気で貴女を愛しているし、貴女も殿下を愛している。……違いますか?」

「ち、違います!」

私はガバッと起き上がった。

「私は殿下のファンです! 崇拝者です! 愛していると言っても、それは『尊い』という感情であって、恋愛感情とは別ベクトルなんです!」

「往生際が悪いですね」

「だって! 神様と恋愛できますか!? できませんよね!? 畏れ多いし、解釈違いだし、第一私なんかが殿下の隣にいたら、殿下の完璧な経歴に傷がつきます!」

私がまくしたてると、今まで黙っていたミナ様が口を開いた。

「……ラヴィニア様」

「な、何? ミナ様も私の味方よね? 身分違いの恋なんて、物語の中だけよね?」

ミナ様は悲しげな瞳で私を見つめ、静かに問いかけた。

「じゃあ、ラヴィニア様。想像してみてください」

「想像?」

「もし、フリード殿下がチェルシー王女と結婚されたら……どう思いますか?」

ドキッとした。

「……それは、美しい絵になると思うわ。お似合いのカップルよ」

私は強がって答えた。

「本当に?」

ミナ様が畳み掛ける。

「殿下が、チェルシー王女の肩を抱いて、昨日のように微笑みかけるんです。『愛しているよ』って囁くんです」

「……」

「王女の手作りクッキーを食べて、『美味しい』って幸せそうな顔をするんです」

「…………」

「王女の膝枕で眠ったり、王女とキスをしたり、王女だけのものになったりするんです」

「やめて」

私の口から、乾いた声が漏れた。

想像したくなかった。

殿下のあの笑顔が、あの温かい手が、私以外の誰かに向けられるところなんて。

「ラヴィニア様は、それでも『お似合いです』って拍手できますか? 『尊い』って笑えますか?」

ミナ様の問いかけが、鋭いナイフのように胸に突き刺さる。

脳裏に浮かぶ映像。

赤いドレスの王女と並ぶ殿下。

二人は幸せそうに笑い合い、私のことなんて忘れてしまう。

私は遠くからそれを見つめるだけ。

「(……嫌だ)」

胸が張り裂けそうだった。

呼吸が苦しい。

涙が勝手に滲んでくる。

「嫌……」

私は布団を握りしめた。

「嫌よ……。殿下の笑顔は、私だけのものにしたい……。誰にも触らせたくない……!」

「ほら」

アレク様が静かに言った。

「それが『嫉妬』です。そして、その独占欲こそが『恋』です」

「……恋?」

「崇拝する神様なら、誰に愛されようと構わないはずでしょう? でも貴女は、殿下が他の誰かのものになるのが許せない。……それは、貴女が殿下を一人の男性として見ている何よりの証拠です」

私は呆然とした。

そうか。

私はずっと、自分の感情に蓋をしていたんだ。

「身分が違うから」「釣り合わないから」「オタクだから」。

そんな言い訳を並べて、傷つくのが怖くて、殿下への想いを『推しへの愛』という安全な箱に閉じ込めていた。

でも、箱の中身はとっくに溢れ出していたのだ。

「……私、殿下のことが好きだったの?」

声に出すと、ストンと腑に落ちた。

「尊いだけじゃない。……触れたいし、触れられたいし、ずっと隣にいたい。……殿下の特別になりたい」

「はい。やっと認めましたね」

ミナ様がニッコリと笑い、私の手を握った。

「ラヴィニア様。物語の悪役令嬢は、王子様の幸せのために身を引くかもしれません。……でも、ラヴィニア様は『ヒロイン』なんですよ」

「ヒロイン……私が?」

「ええ。殿下が選んだ、たった一人のヒロインです」

ミナ様の言葉に、涙が堰を切ったように溢れ出した。

「うっ……うわぁぁぁん!」

私はミナ様に抱きついて号泣した。

「好きぃぃ! 殿下が大好きよぉぉぉ! 顔も中身も全部好きぃぃぃ!」

「はいはい、よしよし」

「でも怖いぃぃ! あんな完璧な人と結婚とか無理ぃぃ! 緊張でハゲるぅぅ!」

「大丈夫です、ハゲたら育毛剤をプレゼントしますから」

アレク様も、やれやれといった顔で、でも安堵したように息を吐いた。

「やっと素直になりましたか。……これで私の胃も安泰ですね」

ひとしきり泣いて、私は鼻をかんだ。

スッキリした。

自分の気持ちを自覚した今、世界が違って見える。

殿下が愛おしい。

会いたい。

でも――。

「……待って」

私はハッとして青ざめた。

「ど、どうしたんですか?」

「私……自覚しちゃったってことは……」

私は震える手で自分の顔を覆った。

「もう殿下の顔、まともに見られないんだけど!?」

「は?」

「だって『好き』なんでしょう!? 『推し』として見るのと『好きな人』として見るのは全然違うのよ! 意識しすぎて挙動不審になるに決まってるじゃない!」

今までは「素晴らしい芸術品」としてガン見できた。

でも、これからは「恋する相手」として見なければならない。

無理だ。

恥ずかしすぎて死ぬ。

昨日のダンスとか、今思い返すと恥ずかしさで爆発しそうだ。

「あ、あああああ! 無理! 会えない! 今の私の顔、絶対に変だから!」

私はパニックになり、ベッドから飛び降りた。

「ラヴィニア様!?」

「逃げるわ! 心を落ち着けるために、一時撤退よ!」

「また逃げるんですか!?」

「今度は前向きな逃走よ! 『恋する乙女の準備期間』が必要なの!」

私は窓に駆け寄った。

ここは最上階だが、殿下の愛(監視)が重すぎて入り口には騎士がいる。

ならば、ルートは一つ。

「ラヴィニア様、まさか!」

「ごきげんよう、二人とも! 殿下には『しばらく冷却期間を置きます』と伝えて!」

私は窓を開け放ち、ドレスの裾をたくし上げると、結界の隙間(以前、殿下が空気の入れ替えのために少し緩めていた場所)を狙って、雨樋に飛び移った。

「ひいいっ! 公爵令嬢の身体能力じゃない!」

アレク様の悲鳴を背に、私はスルスルと壁を伝って降りていく。

恋心を自覚した乙女は強いのだ。

いや、強すぎて方向性を間違えている気もするが、今の私には止まることなどできなかった。

「待っててね、殿下! 私が貴方の顔を直視できるくらい心臓を鍛えるまで、しばしのお別れよー!」

私は王宮の庭園に着地すると、脱兎のごとく走り出した。

目指すは、王都のどこかにある隠れ家(実家の別邸か、安宿か)。

とにかく、殿下のフェロモンが届かない場所へ!

しかし、私は忘れていた。

私の恋のお相手が、国一番の『有能かつ執着心の強い男』であることを。
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