尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

文字の大きさ
22 / 28

22

しおりを挟む
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」

王宮の広大な庭園。

美しく整えられた迷路のような植え込みの中を、私はドレスの裾を抱えて疾走していた。

心臓が早鐘を打っている。

これは運動による動悸ではない。

先ほど自覚してしまった『恋心』という名の爆弾が、私の胸の中でカウントダウンを始めているからだ。

「無理無理無理! 好きとか! 愛してるとか! そんなハイカロリーな感情、私の貧弱な精神では受け止めきれません!」

私は走りながら、誰もいない空間に向かって叫んだ(不審者極まりない)。

今まで私は、殿下を『神』として崇めてきた。

神様なら、遠くから拝んで、お供え物をして、たまにファンサをもらえればそれで幸せだった。

けれど、『好きな人』となると話は別だ。

「欲が出てしまうじゃない……!」

茂みの陰に滑り込み、私は膝を抱えた。

「もっとこっちを見てほしいとか、優しくしてほしいとか、他の女の人と話さないでほしいとか……そんな図々しいこと、考えてしまう!」

そして何より恐ろしいのは、『恥ずかしい』という感情だ。

今までなら平気で言えた「殿下の顔が良いですね」というセリフも、これからは意識しすぎて「で、でんかのかお、が、す、すき……」みたいにどもってしまうに違いない。

あんな至近距離で見つめられたら?

間違いなく顔が真っ赤になる。

手汗もかく。

挙動不審になる。

「そんな無様な姿、推しに見せられないわ!」

私は頭を抱えてゴロゴロと転がった。

「可愛くありたい! 殿下の前では、余裕のある素敵なレディでいたい! 今の私じゃ、ただの『恋に浮かれたパニックご令嬢』よ!」

だから逃げるのだ。

この動揺が収まり、殿下を直視しても鼻血を出さない強靭な精神力を手に入れるまで、冷却期間(クールダウン)が必要なのだ。

「目標、実家の別邸! あそこなら父様のコレクション(古書)に埋もれて心を鎮められるはず!」

私は立ち上がり、庭園の出口である裏門を目指した。

          ◇

しかし、王宮からの脱出は容易ではなかった。

「……いるわね」

植え込みの隙間から覗くと、裏門の前には二人の衛兵が立っていた。

しかも、いつもより警備が厳重だ。

「おい、聞いたか? 殿下から『緊急配備』の指令が出たぞ」
「ああ。『逃げ出した婚約者を捕獲せよ。ただし傷つけるな。優しく、かつ迅速に』だってさ」
「どんな指令だよ……」

衛兵たちの会話に、私は血の気を引かせた。

(仕事が早い! まだ逃げてから十分も経っていないのに!)

さすが有能王子。

私の行動パターンを完全に読んでいらっしゃる。

「正面突破は無理ね。なら、搦手(からめて)で行くしかないわ」

私は視線を巡らせた。

そこへ、ちょうど一台の荷馬車が通りかかった。

王宮への食料搬入を終えた業者の馬車だ。

荷台には、空になった木箱や麻袋が積まれている。

「これだわ!」

私は身を低くし、忍者のような動きで馬車の背後に近づいた。

御者が鼻歌を歌いながら手綱を握っている隙に、荷台の麻袋の中に潜り込む。

「(ふふふ……これぞ『スネーク作戦』! 荷物に紛れて脱出するなんて、スパイ映画みたいでカッコいいじゃない!)」

私は麻袋の中で小さくなり、息を殺した。

馬車がガタゴトと動き出す。

振動が体に響くが、これで殿下の包囲網を突破できるなら安いものだ。

さようなら、殿下。

私は一度、普通の女の子に戻ります。

そして、いつか貴方にふさわしいレディになって帰ってきますから……!

馬車は裏門に差し掛かった。

「止まれ! 検問だ!」

衛兵の声。馬車が停止する。

ドキリと心臓が跳ねた。

「何か変わったことはないか?」

「へえ、ただの空箱ですよ。早く帰らせてくださいよ」

「念のためだ。中を見せろ」

足音が近づいてくる。

ザッ、ザッ、ザッ。

(まずい。見つかる……!)

私は麻袋の口を内側から必死に押さえた。

「……よし、異常なし。通っていいぞ」

「へい、どうも」

馬車が再び動き出す。

助かった!

衛兵さん、ありがとう! 貴方の節穴な目に感謝します!

私はホッと胸を撫で下ろした。

馬車は王宮の敷地を出て、王都の石畳を走り始めたようだ。

周囲の音が賑やかになってくる。

「(成功よ! 脱出成功!)」

私は勝利の笑みを浮かべ、麻袋から少しだけ顔を出した。

新鮮な空気が美味しい。

自由の味だ。

「さて、どこで降りようかしら……」

私が辺りを見回そうとした、その時だった。

「――どこまで行くつもりだ?」

頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。

「え?」

私は恐る恐る上を見た。

荷馬車の屋根――いや、御者台のすぐ後ろの屋根の上に、誰かが座っている。

夜風になびく金色の髪。

街灯の光を反射して輝くアイスブルーの瞳。

そして、獲物を追い詰めた猛獣のような、獰猛な笑み。

「で、殿下ぁぁぁぁ!?」

私は麻袋から飛び出した。

「な、な、なぜここに!? 私は完璧に隠れていたはず!」

「甘いな、ラヴィニア」

殿下はひらりと屋根から飛び降り、狭い荷台に着地した。

「お前が『裏門の警備が手薄な時間帯』と『業者の出入り』を利用することは予測済みだ。……先回りして待っていたんだよ」

「先回り!? 王太子が荷馬車の上で待ち伏せ!?」

「お前を捕まえるためなら、泥の中だろうが屋根の上だろうが行くさ」

殿下がジリジリと距離を詰めてくる。

揺れる荷台の上。逃げ場はない。

「こ、来ないでください!」

私は後ずさりし、荷台の隅に追い詰められた。

「今は駄目なんです! 顔が見られません!」

「なぜだ? さっきまで『好きだ』と泣いていただろう?」

「だからですよ!」

私は顔を覆った。

「好きだから見られないんです! 意識しすぎて爆発しそうなんです! 今の私は、殿下のフェロモンに対する耐性がゼロなんです!」

「……ほう」

殿下の足が止まった。

「意識しすぎて見られない、か」

殿下の声色が、少し変わった。

楽しそうな、それでいて甘く蕩けるような響き。

「それはつまり、俺を見るたびにドキドキしているということか?」

「そうです! 心臓に悪いです!」

「俺の声を聞くだけで、熱くなると?」

「そうです! 耳が溶けそうです!」

「……可愛いことを言う」

殿下がドン! と荷台の壁に手をついた。

「ひゃっ!」

いわゆる『荷台ドン』だ。

「なら、もっと意識させてもいいか?」

「だ、駄目です! これ以上は致死量……」

「逃がさない。……俺もお前が好きでたまらないんだ」

殿下の顔が近づいてくる。

街の灯りが流れる中、殿下の瞳だけが私を捉えて離さない。

「ラヴィニア。観念しろ。お前はもう、俺から逃げることはできない」

殿下の唇が、私の唇に触れようとした――。

ガタンッ!

馬車が大きく揺れた。

「わっ!?」

「っと……」

私たちはバランスを崩し、もつれ合うようにして荷台の中に倒れ込んだ。

麻袋がクッションになり、私は殿下の下敷きになる形になった。

「……大丈夫か?」

殿下が私を庇うように腕をついている。

その顔が、あまりにも近い。

「…………」

「…………」

見つめ合う二人。

殿下の整いすぎた顔。長いまつ毛。心配そうな瞳。

そして、私を抱きしめる腕の温もり。

ブシュッ。

私の脳内で何かのヒューズが飛んだ。

「あ、あわわわ……」

「ラヴィニア?」

「む、無理……キャパオーバー……!」

私は白目を剥きかけながら、最後の力を振り絞った。

「すきありぃぃぃ!」

「なっ!?」

私は殿下の胸を突き飛ばし(火事場の馬鹿力)、転がるように荷台から飛び降りた。

「おい、ラヴィニア! 危ないぞ!」

「着地成功! 受け身は完璧です!」

私はドレスのまま見事な着地を決めると、夜の街へ向かって全力疾走した。

「待て! くそっ、なんて素早さだ!」

殿下が馬車を止めさせている間に、私は路地裏へと逃げ込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

心臓が痛い。

でも、あんな状況(押し倒され状態)でキスなんてされたら、私は間違いなく昇天していただろう。

「命拾いしたわ……! でも、ここからどうする?」

私は暗い路地裏で立ち尽くした。

王宮には戻れない。実家もバレる。

行く当てがない。

「……とりあえず、今日はどこか安宿に泊まって……」

私がフラフラと歩き出した時。

目の前の壁に、一枚のポスターが貼ってあるのが見えた。

『指名手配(家出人捜索)』
『特徴:愛すべき変人令嬢。見つけた者には国家予算並みの報奨金を与える』
『連絡先:フリード』

「仕事が早すぎるぅぅぅ!!」

いつの間に貼ったの!?

これじゃあ王都中が私の敵(捕獲者)じゃない!

「詰んだ……」

私はその場にへたり込んだ。

恋を知った乙女の逃避行は、どうやら世界一過酷な鬼ごっこの幕開けだったようだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

婚約者の番

ありがとうございました。さようなら
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...