尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

文字の大きさ
23 / 28

23

しおりを挟む
「見つけたぞ! あそこだ!」

「間違いねえ! ポスターの令嬢だ!」

「捕まえろー! 国家予算並みの報奨金だー!」

王都の下町。

深夜だというのに、通りは松明を手にした市民たちでごった返していた。

その喧騒の中心から、私は必死の形相で逃げ出していた。

「ひいいいい! 皆さん、お金に目が眩みすぎです! 私は珍獣じゃありません!」

ドレスの裾をたくし上げ、迷路のような路地を駆け抜ける。

ハイヒールはとっくに脱ぎ捨てた。今は裸足だ。

公爵令嬢にあるまじき姿だが、背に腹は代えられない。

「(恐ろしい……! 王都の住民全員がハンターになっているわ!)」

フリード殿下の出した『指名手配書』の効果は絶大だった。

パン屋のおじさんも、花売りのお姉さんも、酔っ払いのおじいさんまで、血眼になって私を探している。

まるでゾンビ映画の生存者になった気分だ。

「はぁ、はぁ……ここなら……」

私は古い時計塔のある広場に逃げ込んだ。

ここは入り組んでいて、身を隠す場所が多い。

物陰にある樽の後ろに滑り込み、荒くなった呼吸を整える。

「……どうしよう。完全に包囲されているわ」

王宮に戻る道も、王都から出る道も、全て市民と衛兵によって封鎖されているだろう。

逃げ場はない。

「(やっぱり、大人しく捕まるべきだったのかしら……)」

弱気な考えが頭をもたげる。

でも、捕まったらどうなる?

殿下の前に引きずり出され、「もう逃がさない」と監禁され、毎日愛の言葉を囁かれ、私の心臓が爆発して死ぬ。

「……うん、やっぱり駄目ね。死因が『尊死』なんて、歴史書に残せないわ」

私は首を振った。

せめて、殿下の顔を見ても動じないくらいの鉄の心臓を手に入れるまでは、会うわけにはいかないのだ。

「そのためには、まずこの包囲網を突破して、山に籠もって滝行を……」

ガツッ。

頭上で硬い音がした。

「……へ?」

見上げると、時計塔の上――巨大な時計の針の上に、誰かが立っていた。

月を背負い、長いマントを夜風になびかせるシルエット。

「う、嘘でしょう……?」

その人物は、数十メートルの高さから軽やかに飛び降りた。

ヒュンッ!

着地音すらさせず、私の目の前に舞い降りる。

「……チェックメイトだ、ラヴィニア」

「フリード殿下……ッ!」

出た。

ラスボスだ。

殿下は乱れた髪をかき上げ、ギラリと光る瞳で私を見据えた。

「よく逃げたな。褒めてやる」

「ど、どうしてここが……?」

「お前の行動パターンなど、全て把握していると言っただろう。……追い詰められたお前が選びそうな場所は、この時計塔か、下水道の二択だ」

「下水道はさすがに選びません!」

「そうか。なら、ここで正解だったわけだ」

殿下が一步踏み出す。

私はジリジリと後退り、背中が冷たい石壁に当たった。

行き止まりだ。

「ら、来ないでください! 私には今、強力な『近寄るなオーラ』が出ています!」

私は両手でバツ印を作った。

「無駄だ。俺には効かん」

殿下は私の抵抗など意に介さず、私の両脇の壁に手をついた。

ドンッ!

本日二度目の壁ドン。

しかも今度は、完全に逃げ場のない密着状態だ。

「ひっ……!」

近い。

月明かりに照らされた殿下の顔が、あまりにも美しくて、そして色っぽい。

汗ばんだ額、少し荒い呼吸、そして熱を帯びた瞳。

「……捕まえた」

殿下が私の耳元で囁く。

その低音ボイスが、背筋をゾクゾクと駆け上がる。

「もう逃がさないと言ったはずだ。……なぜ逃げる?」

「だ、だって……」

私は目を逸らしながら答えた。

「好きだからです」

「……は?」

「好きすぎて無理なんです! 殿下の顔を見ると心拍数が上がりすぎて、寿命が縮むんです! これは生存本能による避難行動なんです!」

私は正直に白状した。

もう隠しても無駄だ。

「殿下はご自分の破壊力を自覚してください! 貴方は歩く核兵器なんです! 私のような一般人が至近距離で被爆したら、灰になって消滅するんですよ!」

「……くっ」

殿下が吹き出した。

「ははは! 核兵器か。新しいあだ名だな」

殿下は私の額にコツンと自分のおでこをぶつけた。

「だが、残念ながら俺は爆発しない。そしてお前も灰にはならない」

「なります! 今まさに燃え尽きそうです!」

「なら、俺が冷やしてやる」

「え?」

殿下の顔が傾く。

唇が、私の唇に――。

「わぁぁぁ! タンマ! タイムです!」

私はとっさに殿下の口を手で塞いだ。

「な、何をなさるおつもりで!?」

「冷却だ。……キスをすれば、お前のパニックも少しは収まるかと思ってな」

「逆効果です! 火にガソリンです!」

私の手の中で、殿下の唇が動く感触がする。

それだけで気絶しそうだ。

「……ラヴィニア」

殿下は私の手首を掴み、ゆっくりと口元から外した。

そして、その掌に口付けを落とした。

「俺を見てくれ」

「見れません!」

「見ろ」

強い言葉に、私は恐る恐る目を開けた。

そこには、今まで見たこともないほど真剣で、切実な殿下の表情があった。

「俺は、お前が『推し』として見ていた偶像じゃない。……ただの男だ」

殿下の指が、私の頬を撫でる。

「お前が好きで、手に入れたくて、逃げられると不安でたまらなくなる……情けない男だ」

「……殿下が、不安?」

「ああ。お前はすぐに『身分が』とか『釣り合わない』とか言って、俺の前から消えようとするからな」

殿下の瞳が揺れている。

「お願いだ、ラヴィニア。俺を一人にしないでくれ。……お前がいない世界なんて、俺には耐えられない」

その言葉は、弱音のようにも、愛の告白のようにも聞こえた。

完璧だと思っていた殿下が、私一人のために、こんなにも必死になってくれている。

その事実に、私の胸の奥がキュンと音を立てて締め付けられた。

「……殿下」

私は震える手を伸ばし、殿下の頬に触れた。

「……私も、殿下がいないと生きていけません」

推しとして見ていた時も、恋心を自覚した今も。

私の世界の中心は、いつだってこの人だった。

「逃げてごめんなさい。……でも、もう少しだけ時間をください」

「時間?」

「はい。殿下の顔を直視しても鼻血を出さないくらいの耐性をつける時間を……」

「却下だ」

殿下は即答した。

「そんな時間は待てない。……リハビリは、俺の腕の中でやれ」

「えっ」

「毎日俺の顔を見て、俺の声を聞いて、俺に触れろ。そうすれば嫌でも慣れる」

殿下はニヤリと笑った。

「それが一番早い治療法だ」

「そ、そんなスパルタな……!」

「覚悟しろ。俺はもう、一秒たりともお前を離すつもりはない」

殿下は私を強く抱きしめた。

その腕の力強さと、温もりに、私はついに観念した。

「……分かりました」

私は殿下の背中に腕を回し、小さく呟いた。

「降参です。……捕まえてください、殿下」

「ああ。もう捕まえている」

殿下は嬉しそうに笑い、私の髪にキスをした。

その時。

「あー! いたぞー!」
「広場だ! 二人ともいるぞ!」

ドカドカと足音が近づいてきた。

市民たちが追いついてきたのだ。

「ちっ、ムードのない連中だ」

殿下は私を横抱きに抱え上げた。

「行くぞ、ラヴィニア。王宮へ凱旋だ」

「え、この状態で!?」

「当然だ。俺たちが『公認カップル』だと、王都中に見せつけてやるいい機会だ」

殿下はニヤリと笑い、広場の群衆に向かって叫んだ。

「国民よ! よく聞け!」

よく通る王子の声に、市民たちが足を止める。

「この令嬢は、俺が捕まえた! よって報奨金は俺のものだ!」

「「「ええー!?」」」

市民たちからブーイングが上がる。

「そして! 彼女は未来の王太子妃だ! 二度と彼女を追い回すことは許さん! ……祝え!」

殿下の無茶苦茶な宣言に、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が上がった。

「おめでとうございます殿下ー!」
「末長くお幸せにー!」
「結局ノロケかよー!」

拍手と口笛が鳴り響く中、私は殿下の腕の中で真っ赤になってうずくまった。

「……恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしいです」

「慣れろ。これからはこれが日常になる」

殿下は楽しそうに笑い、私を抱えたまま王宮への道を歩き始めた。

こうして、私の二度目の脱走劇は幕を閉じた。

そして、いよいよ物語はクライマックス――『結婚』へと向かって動き出すことになる。

私の心臓がそれまで持つかどうかは、神のみぞ知る、である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

婚約者の番

ありがとうございました。さようなら
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...