婚約破棄と自由なセカンドライフを望みます。

恋の箱庭

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「……閣下。私の庭園は、いつから国際会議場になったのですか?」


ミュークオは、特製のアイマスクを額に上げ、不機嫌そうに隣の椅子を睨んだ。
そこには、カイルだけでなく、見たこともないほどキッチリとした服装の男が座っていた。
男は分厚い眼鏡の奥で、鋭い計算機のような視線をミュークオに向けている。


「やあ、ミュークオ。起こして済まない。彼は隣国メルカント通商共和国の特使、ヴァレリウス伯爵だ。君の『泥団子経済再建案』を聞きつけて、ぜひ面会したいと朝の五時から門前で待機していてね」


カイルが苦笑いしながら紹介する。
ヴァレリウスは、ミュークオが挨拶をするよりも早く、手元の書類を叩いた。


「ミュークオ嬢。貴女のやり方は、あまりにも非効率で感情的だ。皇太子を泥まみれにするなど、一時的な民衆の娯楽に過ぎない。我が国なら、国民の労働時間を一律三割増やし、睡眠時間を四時間に制限することで、GDPを十五%即座に向上させる提案ができますぞ」


ミュークオは、その言葉を聞いた瞬間、ティーカップを置く手が止まった。
彼女の周囲の空気が、スッと絶対零度まで下がる。


「……睡眠時間を、四時間に制限?」


「いかにも! 寝ている時間は一銭の利益も生み出さない無駄な空白だ。人間は動いてこそ価値がある。貴女のような『お昼寝』を推奨する怠惰な指導者がいるから、この国の再建は遅れるのです」


ヴァレリウスは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
ミュークオは、静かにアイマスクをテーブルに置くと、カイルに冷たい視線を送った。


「閣下。この方を今すぐ国外追放になさるか、あるいは私がここで『効率的な論破』を完遂するまで、一切の口出しを禁じていただけますか?」


「おっと……。ヴァレリウス卿、逃げるなら今ですよ。彼女の『睡眠』を侮辱するのは、竜の逆鱗に触れるより質が悪い」


カイルが肩をすくめて椅子を引く。
ミュークオは、ヴァレリウスの目を真っ直ぐに見据えた。


「伯爵。貴方の国では、機械が壊れたらどうなさるの?」


「……直ちに修理するか、廃棄して新しいものを買いますが?」


「では、なぜ人間にはそれを適用しないのかしら。四時間睡眠を続けた労働者の脳は、酒に酔った状態と同等の判断力しか持ち合わせません。つまり、貴方は『酔っ払いの集団』に国を運営させていることになりますわ。それは果たして、効率的と言えるのかしら?」


「なっ……我が国の労働者は、強靭な精神力で……!」


「精神力で生産性は上がりませんわ。データを見なさい。適切な睡眠をとった労働者と、不足している労働者のミス発生率の差は、実に三倍。そのミスを修正するための『無駄な残業代』と『納期遅延の損失』を計算したことがありますの?」


ミュークオは、カイルの机から勝手に奪い取っていた隣国の経済統計資料を、ヴァレリウスの鼻先に突きつけた。


「貴国の昨年度の労働災害件数。そして、若手官僚の離職率。これらすべてが、貴方の言う『効率主義』の敗北を証明していますわ。……ゴミ山の上で王様気取りをするのが、貴方の国の経営学ですの?」


「ぐ……う……。だが、寝ていても金は稼げない!」


「稼げますわよ。……閣下、例のブツを」


カイルが合図すると、アンナが持ってきたのは、ミュークオがプロデュースした「最高級アロマ枕」と「安眠用オーガニックハーブティー」のセットだった。


「これは、私が『有給休暇』の合間に開発した新製品です。ターゲットは、日々の激務で疲れ果てた王侯貴族と豪商たち。彼らは『質の高い一時間の眠り』のためなら、金貨十枚など惜しまずに払いますわ」


ミュークオは、ヴァレリウスの眼鏡を指でコツンと叩いた。


「馬車馬のように働かせて銅貨を稼ぐのと、極上の眠りを売って金貨を稼ぐの。どちらが『効率的』か、小学生でも分かりますわよね? 伯爵、貴方の理論は、三周遅れの骨董品ですわ」


ヴァレリウスは、真っ青な顔でガタガタと震え出した。
自分が信じてきた「労働教」が、一介の(自称無職の)令嬢によって、完膚なきまでに破壊されたのだ。


「……この、悪魔のような女め……! 睡眠こそが正義だとでも言うのか!」


「ええ。安眠を妨げる者は、経済の敵。……さあ、伯爵。これ以上私の貴重な休息時間を奪うのであれば、貴国の全取引先に『睡眠不足による判断ミスのおそれあり』との注意喚起を、私のネットワークで一斉送信いたしますが?」


「ひっ……! し、失礼したぁ!」


ヴァレリウスは、転がるようにして庭園から逃げ出していった。
その様子を眺めながら、ミュークオは大きく欠伸をした。


「……ふぅ。これでようやく、静かになりましたわ」


「お見事。これでまた一つ、君の『安眠ブランド』にハクがついたね。メルカント共和国も、これからは君の枕を輸入せざるを得なくなるだろう」


カイルが感心したように、彼女の肩にブランケットをかけた。


「当然ですわ。……ところで閣下。今の論破代、特急料金も含めて、金貨二十枚ほど私の口座に振り込んでおいてくださいね」


「……プロポーズの返事の代わりに、請求書が届くとはね。君らしいよ、ミュークオ」


カイルが苦笑いしながら彼女の額にキスをする。
ミュークオは「……それは、ボーナスとして受け取っておきますわ」と呟き、今度こそ幸せな深い眠りへと落ちていった。


一方その頃。
王都の広場では、レオポルド皇太子が「効率主義万歳!」と叫ぶ民衆から、本日二千個目となる泥団子を顔面に受けていた。
「ミュークオーー! 俺、もう寝たいよーーー!」
彼の叫びが、虚しく王都の空に響いていた。
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