彼女のなまえ

8style

文字の大きさ
1 / 1

彼女のなまえ

しおりを挟む
彼女はきっと僕の事を忘れるだろう
だけど僕は君のことをずっと忘れない





「○○くん」
不意に背中から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

今日で彼女に会うのは2回目
僕は彼女の名前を知らない。

初めて彼女と出会ったのは3日前
場所はいつも通学で使っている駅のホーム
何かの恋愛小説やドラマでありがちなパターンだが、自分がそのありがちな主人公になるとは思ってもみなかった。

僕は某大学に通う4年生
偏差値は可もなく不可もなく至って普通と言える程度
周りの友人や同級生が就職の内定を決めていくなか、自分が何をしたいのか分からない事に焦りを感じていた。
だが焦りとは裏腹に「なにもそんなに焦って決めることではない」と言い聞かせている自分もいた

今日もどこか冴えない朝、テンションも上がらないままいつものように駅に向かいホームで電車を待っている時に彼女と出会った
列に並んだ時、たまたま自分の前に並んでいたのが彼女だった、もちろんこの時は互いのことを知らない
予定通り電車が着き乗り込もうとしたところ、彼女の隣に並んでいたサラリーマンの男が彼女を押すような状態になってしまい彼女はバランスを崩し、自分が持っていたバッグを落としてしまった。
サラリーマンの男は気付いたのか、それとも無視したのかは分からないがそのまま人に流されるように乗ってしまった
「なんだよあいつ」そう思いながら僕は彼女のバッグを拾い、大丈夫ですか、と声をかけて彼女に渡した
少し動揺した表情を残しつつ、ありがとうございます、と彼女に言われそのまま僕と彼女は電車に乗った。
通勤・通学時間もあってか、いつも電車は混んでいる。普段なら知らないおじさんに挟まれ、なんとなく不快を感じながら乗っているこの時間だが、今日は彼女が隣に立っていた。

「さっきはありがとうございました、助かりました」彼女は改めて僕に礼を言ってきた。
「いえ、それより怪我とかありませんか?」普段そんなに女の子と会話をしない僕にとっては上出来な返事だ。
「はい、大丈夫です。わたし結構ドジなんで」彼女はそう言って僕に笑顔を見せた。
彼女はスーツ姿ではない、私服だ。
歳は同じくらいだろうか、もしかしたら同じ大学かもしれない。
降りる駅までは約20分、なんとなく出会った彼女と僕は降りるまで会話をした。
そんなたいした会話ではない、最近観た映画の話・この前行った居酒屋で食べた料理が美味しかった話、女子がするような会話を互いに話していた。
「良かった、さっきの事はもう気にしていないな」彼女のリラックスした表情を見て僕も安心していた。
「それじゃ、私はここで。本当にありがとうございました」僕が降りる1つ前の駅で彼女は降りた、同じ大学じゃなかったか。少し残念な気持ちを残しながら次の駅で僕も電車を降りた。
大学に着くまでの間、彼女の事を思い出していた。
僕が人を評価するほどの人間でないことは重々承知だが、彼女はみんなが認めるような絶世の美女ではない、どちらかといえば普通の女の子だ。
身長も少し低め、だけど彼女の肌は白く、見ているこっちも笑顔になるような屈託のない笑顔、相手を疑わない真っ直ぐな眼差し

そんな彼女に僕は恋をしていた

その3日後、駅のホームで彼女に名前を呼ばれた。
互いに挨拶をして、この3日の間であった出来事を彼女が話し始めた。
あれ?俺、名前なんか言ったっけ?彼女の話しを聞きながら心の中で疑問が湧いた
だが聞けなかった、いや、聞いてはいけないとなぜかそんな考えが頭をよぎった
今日の彼女は話が止まらない。凄く楽しそうに話しをする彼女を見ていたら、完全に聞くタイミングを失ってしまった。
また会った時に聞けばいい。その時はそう自分に言い聞かせて彼女と別れた。

でもやっぱり気になる
なぜ彼女は俺の名前を知ってるんだ
小学生みたいに名札を付けているわけでもないし
彼女の友達が俺と同じ大学に通っていてそれで聞いたのか
いや、それなら会話の中でその友達の話が出てもおかしくはない
色々な疑問を抱えたまま1日を過ごした

また必ず会える
その時の俺は勝手にそう思っていた

思いの外、不安を抱きながらも予想通り2日後にまた彼女に会うことができた
というより見たと言ったほうが正しい
彼女は別の男と一緒に駅のホームにいた

背が高く、顔は俺が言うまでもない、男前だ
2人はとても楽しそうに会話をしている
その男前と話してるんだから、当然彼女が俺に気がつくわけがない
なんだ、彼氏いたのか…
胸が詰まる・イライラする・モヤモヤする、様々な感情を抱えながらしばらく2人を遠くから見ていた
電車に乗り込もうとした時、不意に彼女と目が合ってしまった
何か俺に言いたげな表情を見せる彼女を凝視できるわけがなく、俺は視線をずらし乗り込んだ


それから何日かその状態が続いた
彼女はいつも例の男前と一緒にいる
やっぱり2人はそういう関係なんだ、自分の中でそう解釈し理解させた
今更本人に確認する必要もない。いや、むしろ俺は確認する資格もなければ、訊く勇気すら残っていない
本人の口からそれを訊くのが怖かった
彼女が独りの時もあった
俺に気を使っているのか、彼女から声を掛けてくる事もなくなってしまった

あぁ・・・終わったな
俺の恋なんて所詮その程度
上手くいった試しがない
自分からいく事もしないような人間だ、上手くいくはずがない
ただただ自分の不甲斐なさに失望するだけの、悲劇のヒロインを演じ、そんな自分に酔いしれていた

だけどあの日
あの日を堺に僕と彼女の距離が縮まっていく

悲劇のヒロインを演じてかれこれ2週間は経とうとしていた
いい加減立ち直れよ、そもそも何も始まってもなかったし終わってもないんだ
始めからなかった事にすればいい

いつもの駅のホーム、頭の中でそんな女々しい思考にふけっている時、「○○くん」。また背中から名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声
俺の名前を呼んだのは彼女だった


怖い

その感情しかなかった
「うん、何?」
「いや、別に。久しぶりだね、話すの」
「そうだね」
「元気にしてた?ここ最近なんだか元気がないように見えたけど」
「うん、まぁ・・・ね。元気だよ」
「そっか・・・それならいいけど。でも、ほんとに大丈夫?」
「何が?」
「・・・いや、なんでもない。ごめんね、話しかけちゃったりして。じゃあ。」

最低だ俺は
勇気を出して話しかけてくれた彼女に対して、なんて素っ気ない態度をとってしまったんだ
今更呼び止めて弁解する事もできない
最低な自分を責めながら、俺は彼女の背中を目で追うことしかできなかった
涙も出やしない
ほんと、最低だよ、俺ってやつは

自暴自棄になりながら俯いている時、2人組の女性の会話が耳に入ってきた
「ねぇねぇ、〇〇くんっているじゃん?あの背が高くてイケメンの」
「あー、〇〇くんね、どうかしたの?」
「そうそう、それがさぁ、最近いつも女の子と一緒にいたじゃん?なんかその子の事気に入ってたみたいでさぁ、この前ご飯に誘ったんだって。そしたら「気になってる人がいるから、ごめんなさい」って断られちゃったんだって。可哀相だよねー、私が慰めてあげようかなぁ」
「そうなんだ、っていうかあんた〇〇くんと話した事あんの?」
「いや、ないけど」 
「じゃあだめじゃん、それにあんた〇〇くんとは合わないよ?そんなに大して可愛くないんだから」
「うわっ、酷ぉい。あんたに言われると余計に傷付くし。でもその子見たことある?ほら、あそこにいるあの子、私とそんなに変わらなくない?あの子がOKなら私もOKじゃない?勇気でるわー」
「あんたも何気に酷いこと言ってるよ」

この2人は彼女の事を言っていた
気が付いたら俺はその2人を睨みつけていた
お前らに彼女の何が分かる
彼女の良さは俺は知ってる

無論、俺はその2人に意見する勇気もなく、怒りを抑えながら彼女に視線を戻す
もう俺は男前の事は気にも止めていない
気になっている人
誰なんだろう
別の誰か
彼女の心を揺さぶる人
きっと俺なんかよりも遥かに彼女の事を知っている人
多分彼女のなまえも知っている人

まだ彼女に対する気持ちが残っていた事を実感した
彼女の事が好きだ
もっと話したい
笑う顔を見たい
触れたい
なまえを知りたい

普通の男からしたら気持ち悪いと言われそうな、純粋な気持ちと恋心を心臓と頭の中で巡らせていた


その時だった


あの日、彼女を助けたあの日
あの日と同じ状況がまた彼女の身に降り掛かってきた
しかもあの日より状況が悪い
彼女はホームの床に倒れていた
ぼーっとしていたのだろうか
倒れた彼女の顔を見ると、放心状態だった

気が付くと、僕は倒れた彼女の元へ走っていた

腕を掴み、彼女を起こした

大丈夫?
うん、ありがとう。大丈夫。
怪我は?
うん、ないよ、ありがとね
作ったような笑顔を僕に見せた
不安な気持ちが残る中、彼女はこう言ったんだ


また助けてくれたね、2回も私を助けてくれた
でもね〇〇くん
私はあなたを助けたい
お願いだから
私に笑顔を見せて
私の笑顔はあなたに見せるためにあるの
だからお願い
私はあなたの笑顔を見たい
私はあなたを忘れない



・・・・・・・・・。



僕は気付いた


やっと


僕は・・・


そっか


そういう事だったんだ


なぜ彼女が僕の名前を


知っていたのか


僕がいるのは・・・


彼女が目の前にいない時も


いつも彼女の僕を呼ぶ声が聞こえていた


気のせいだと思っていた


だけど違ったんだ


彼女はいつも


僕のそばにいてくれてたんだ


・・・。



目覚めの悪い朝

雨が降っていた

直接は見ていない

遠くから雨の音が聞こえる


目を開けると彼女は顔を覗き込むような状態で僕を見ていた


あの日も雨だった

僕が初めて彼女と出会ったあの日

彼女を助けたあの日

あの日

人身事故が起きた

被害者は20代男性

駅を通過する電車に跳ねられ頭を強く打った

幸い、命に別状はなかったが意識が戻らず昏睡状態にあった

ホームの線ギリギリに立っていた女性が眩暈を起こし、助けようとしたところバランスを崩し跳ねられたという

その被害者が僕だった

3ヶ月が経とうとしている頃だった

意識が戻らないかもしれないと医師からの診断を受け、助けられた女性は絶望の淵に立たされていた

自分のせいでこの人の人生を台無しにしてしまった

私を助けてくれた人

お願い

目を開けて

目を開けてあなたにありがとうと伝えたい

彼女は毎日彼の病室を訪れ声をかけていた

○○くん、おはよう

昨日はこんな事があったんだよ

友達に誘われて行った居酒屋さんの料理が美味しかった

○○くんが元気になったら一緒に乾杯しようね

今日、私が来たら大学の先生がお見舞いに来てくれてたよ

早く起きて就職活動しなきゃ

私も手伝ってあげる

あなたの、人を助ける優しい心を活かせる仕事

私が見つけてあげる

私ばっかり話して

ずるいよ

あなたの話しも聞きたい

あなたの事

まだ名前しか知らないんだから

でも私には分かるの

あなたは私を大事にしてくれる人だって事

すごく優しそうなあなたの寝顔

あなたを助けたい

あなたが好き

だから


もう目を開けないかもしれないと言われていた男性は

奇跡的に意識を取り戻した

いつも誰かが僕の名前を呼んでくれていた

あぁ、そうだったんだ

あの日僕が助けた彼女

僕が恋い焦がれていた彼女

話した事さえない

名前も知らない彼女

彼女が僕を救ってくれた



長い間夢を見ていた

あの日から。

僕の彼女に対する想いが

夢となって出てきていた

彼女と話したい

名前はなんて言うのかな

彼女の事をもっと知りたい

彼女の声を聞いてみたい


彼女の優しい声とその想いが

僕の目を開けさせた

まだ上手く喋れない僕に

彼女は優しく微笑みかける

なまえは?

・・・・・。

素敵な名前だった

僕は今自分ができる精一杯の笑顔を

彼女に見せた



僕はもう一度
彼女に恋をした
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

初恋だったお兄様から好きだと言われ失恋した私の出会いがあるまでの日

クロユキ
恋愛
隣に住む私より一つ年上のお兄さんは、優しくて肩まで伸ばした金色の髪の毛を結ぶその姿は王子様のようで私には初恋の人でもあった。 いつも学園が休みの日には、お茶をしてお喋りをして…勉強を教えてくれるお兄さんから好きだと言われて信じられない私は泣きながら喜んだ…でもその好きは恋人の好きではなかった…… 誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。 更新が不定期ですが、よろしくお願いします。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...