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しおりを挟むいやなことが起こる日は、いつだって雨の日だった。
転校して、クラスメイトにいやな言葉を突きつけられたのも、母が自殺したのも、梅雨真っ只中の六月。
雨を見ると、いろんなものを思い出す。
灰色の世界と壁一枚挟んだ教室を照らすしらじらとした蛍光灯とか。
蛍光灯に照らされて、空気中で白く光る埃とか。
それから、雨音をかき消すクラスメイトたちの嬌声とか。
私の噂をする、囁き声とか。
じぶんの家に虫のように群がるパトカーの赤色とか。
袋に詰められて運ばれていく変わり果てた母の姿とか。
雨の中、泣き崩れる祖母の姿とか。
六月はきらいだ。
六月は雨が多いから。
私の苦しさは、いつも雨とともにある。
私を雨から守ってくれる傘は、ない。
生まれたときから、私はずぶ濡れのまま。今も。
「葉桜さん、ちょっと前髪長いですね」
全校総会後の制服指導で、学年主任の標的となってしまった。
学年主任は五十代の女性教師だ。厳しいことで有名だった。
「前髪は、眉毛の上の長さになるように。明日までに切ってきなさい。いいですね?」
「…………」
わざわざほかの生徒たちにも聞こえるような、大きな声で言われてしまう。奥歯にぎゅっと力がこもった。
「返事は」
「……はい」
小さく返事をすると、「声が小さい!」とさらに大きな声で怒鳴られた。
みんなの視線を痛いほどに感じる。
一年生だけでなく、上級生や先生たちの視線もあった。
背中が、冷水を落とされたように総毛立つ。
見えない圧を感じて、私は顔をあげられなくなる。
――あぁ、もうやだ。
見ないで。
私は見世物じゃない。
今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られるけれど、そんなことをしたらもっと目立ってしまう。私は動きそうになる足をぐっと抑え、「はい」ともう一度返事をする。
返事をしながら心の中で、ぜったい、死んでも切ってやらない。そう思った。
口の中は、からっからになっていた。
***
その日の帰り道は、どしゃぶりだった。
空は灰色どころか墨色に近いくらいの色で、大粒の雨がアスファルトや畑に強く打ち付けている。
傘を伝って落ちる粒が、私の足元を容赦なく濡らした。
まるで、私の心を表すような空模様だった。
赤い傘の取っ手を強く握って、バス停へ向かう。だれもいないバス停のベンチに座って傘を閉じると、足元に小さな水たまりができた。
『切ってきなさい』
『返事は!』
蘇るあの声。
雨音のせいだろうか。妙な気分になってくる。
私は、特に女にきらわれる。
その生い立ちと、この見た目と、性格のせいで。
努力で私に直せるところなんて、ひとつもない。
私は、どうしたらいい?
もし……もしも今、この場で私が自殺をしたとしたら、あの学年主任は少しは考えをあらためるだろうか。
私がなぜ前髪を伸ばしていたのか、少しは考えようとするだろうか。
じぶんの発言で私がどれほど傷ついたのか。
じぶんの発言のせいで死を選んだかもしれないと、罪悪感を抱くだろうか。
……私は、前髪を伸ばすことさえ許されないのだろうか。
ひとの視線が怖い。そう言ったら、あの学年主任はなんと言うのだろう。
私を取り巻くいろいろなものへの不満と、じぶんへの苛立ちが、荒々しく胸の中で渦を巻いていた。
「……死ぬ勇気なんてないのに、バカみたい」
ぽつりとひとりごちていると、水が弾ける音がした。
顔を上げると、透明なビニール傘をさした女生徒がいた。あのひとだ。
「となり、いい?」
「あ……はい。すみません。どうぞ」
私は慌てて謝りながら、身体を端に避ける。その拍子に、ベンチに立てかけていた傘が倒れてしまった。いけない。
私が拾うより先に、赤い傘にすっと白い手が伸びた。
「はい」
女生徒が、拾った傘を差し出してくる。
「……すみません」
謝って、私は傘をその手からそっと受け取る。
と、そのとき。
「それ、やめなよ」
はっきりとした声がした。
「え?」
顔を上げると、女生徒と目が合った。女生徒はどこか睨むような強い眼差しを私に向けていて、私は戸惑い、怖くなって目を逸らす。
けれど、逸らしてからも、彼女の言葉が気になって仕方ない。
――やめるって、なにを?
しかしそうは聞けずに、私は女生徒をちらりと見る。彼女はもう私のことなんて見えないかのように目を閉じていた。
雨足が強くなったような気がした。
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