あめふりバス停の優しい傘

朱宮あめ

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「ほかに、いないんですか」
「いないよ。分かるでしょ」と、椿先輩は肩をすくめる。
「周りはあたしをどう扱っていいのか分かんないんだよ。遠巻きにこそこそ噂するだけで、ぜったい直接話しかけてはこない。こうやってバス停で居眠りしてても、みんなあたしを避けて通り過ぎていくか、無視してバスに乗り込んでいく」
 彼女は、学校で噂になっている『雪女センパイ』。
 彼女が言う光景は、容易に想像がついた。
 みんなどう接していいのか分からなくて、彼女から距離をとる。いろいろと、考え過ぎてしまうのだろう。
「嬉しかったよ、あんたが声かけてくれて」
 向けられた笑みに、私はわずかに動揺する。
「……バスは行っちゃいましたけどね」
 私も椿先輩も、結局バスには乗れていない。声をかけた意味はなかった。
「そんなの関係ないよ。あんたはあたしを無視しなかった。それが嬉しかったって言ってんの、あたしは」
「…………」
 ストレートな言葉に私は戸惑い、言葉につまる。
 椿先輩は、ずっと寝ているふりをして待っていたのだ。
 声をかけてくれるひとを。じぶんを気にかけてくれるひとを。
 最初、雨の中このバス停で椿先輩を見かけたとき。私は、彼女に声をかけずにバスに乗ってしまった。
 そのとき彼女は、どんな気持ちだったのだろう。
「……次のバスが来るまで、あと一時間もありますね」
「十二分」
「え?」
 十二分、とはなんだろう。私は首を傾げた。
「向かいのバス停に、反対方向のバスが来る。ねぇ、今から一緒に駆け落ちしない?」
「……えっ?」
 ――か、駆け落ちっ!?
 突拍子もない提案に、私は目を丸くした。
「行く宛てもなく、ただふらふらってバスに乗って、終点まで行くの。明日のことも、じぶんのことも、なにもかもぜんぶ、忘れて」
「……忘れられませんよ、そんな簡単に」
 そんなことで忘れられるなら、とっくにやっている。とっくにどこかへ旅に出ている。
「そんなことないよ。あんたは、難しく考え過ぎだよ」
「…………」
「あたしさ、あの事故でみんなが死んで、スキー部が廃部になったとき、思ったんだ。あたしもほんとは死んでるのかもって。あたしは既にみんなと一緒に死んでいて、ただそれに気付いてないだけなのかもって。みんなと同じように死んだから悲しくないし、涙も出ない。クラスメイトたちには見えてないから無視されてるのかもなってさ」
「……涙、出なかったんですか」
 私の問いに、椿先輩は乾いた笑みを浮かべて頷く。
「出なかった。ヤバいよね。だから雪女なんて言われるんだよ」
 椿先輩はそう言って、自嘲気味に笑った。
「……私もです。……私も、母が自殺したとき、泣けなかった」
「そっか。……なんで自殺したの? お母さん」
「……知りません」
 男にふられたことがショックだったのか、それとも子育てに絶望したのか。はたまた、世間の目に耐えられなくなったのか。
 どうでもいい。考えたくもない。勝手に私を産んで、死んだやつなんか。
 母がいなければ、母が私を産まなければ、私はこんなに生きづらい今を送らなくて済んだ。だから私は、ぜったいにあのひとを許さない。
 私は立ち上がり、空に向かって赤い傘を広げる。
「……すみません。私、歩いて帰ります」
「あそ。じゃあね」
 椿先輩は、私を引き止めるでもなく、あっさりと手を振った。
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