あめふりバス停の優しい傘

朱宮あめ

文字の大きさ
9 / 20

8

しおりを挟む
 家についたのは、それから二時間後のことだった。
「ただいま」
 言いながら引き戸を開けて中に入ると、祖母は、玄関先にある電話を使ってだれかと話をしているようだった。すぐに通話は終わり、祖母は受話器を置く。そしてちらりと私を見て、目を見張った。
「おかえりなさい……って、あなたびちょ濡れじゃない」
「……学校から歩いてきたから」
 びちょ濡れになった私を見て、祖母は一瞬顔をしかめてから、洗面所へタオルを取りに行った。
「ほら、早く拭きなさい」
 差し出されたタオルを受け取って、黙ったまま濡れた制服や身体を拭いた。
「……しずくちゃん、」
 祖母が私の名前を呼ぶ。
「なに」
「もうすぐお母さんの命日でしょう。だから、今年は一緒に……」
 お墓参りに行きましょう。そう言われる前に、私は祖母の声を遮った。
「行かない」
「しずくちゃん」
「行きたいなら、ひとりで勝手に行けばいいでしょ。私を巻き込まないでよ」
「巻き込むってあなたね……じぶんの母親の命日でしょう」
「はぁ?」
 苛立ちで、声が震えそうになる。
「母親? 子どもを置いて自殺したあのひとが? 子どもがその生い立ちのせいでいじめられてるのに、じぶんだけさっさと死んだあのひとが?」
「それは……たしかに、あなたも辛い思いをしたかもしれないけれど……あの子だって辛かったのよ」
 あなたも辛い思いをしたかもしれないけれど?
「……なにそれ。私より、あのひとのほうが辛かったって言いたいの? だから、自殺を許せって? ふざけないでよっ……! だったら産まなきゃ良かったじゃない! 勝手に産んで、勝手に死んで、残されたこっちはずっと後ろ指を指されて生きてきたんだよ! あのひとのせいで私は、ふつうにすらなれないの! 私のほうがずっとずっと辛いんだよ!!」
「それは……ごめんなさい、しずくちゃん……」
 祖母が言葉につまるのを見て、どうしようもない苛立ちが込み上げてくる。
「……っ、もういい。お風呂入ってくる」
 それだけ言って、私は脱衣所に逃げ込む。荒々しく扉を閉めると同時に涙が出そうになって、私は奥歯を強く噛み締める。
 ――バカじゃない。祖母に言ったって、なんにもならないのに。
 洗面台に手をついて、心を落ち着けるようにゆっくりと息を吐く。
 私はいったい、どうしてここにいるんだろう。
 祖母は昔の母の話ばかり。
 あの子は昔は素直で優しくて、とってもいい子だった。いい子だったから、あんな男に騙されたの。すべてあの男が悪い。
 いつも、そう言う。
 でも、私がお腹に宿ったとき、産むという選択をしたのは母だ。
 私を産めば、あの男がじぶんを見るとでも思ったのだろうか。そんなわけないのに。
 母は素直だったんじゃない。ただ無知で、おろかだったのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

先生の秘密はワインレッド

伊咲 汐恩
恋愛
大学4年生のみのりは高校の同窓会に参加した。目的は、想いを寄せていた担任の久保田先生に会う為。当時はフラれてしまったが、恋心は未だにあの時のまま。だが、ふとしたきっかけで先生の想いを知ってしまい…。 教師と生徒のドラマチックラブストーリー。 執筆開始 2025/5/28 完結 2025/5/30

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

なほ
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模るな子。新入社員として入った会社でるなを待ち受ける運命とは....。

さようなら、初恋

芙月みひろ
恋愛
彼が選んだのは姉だった *表紙写真はガーリードロップ様からお借りしています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

処理中です...