あめふりバス停の優しい傘

朱宮あめ

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「ちょっと聞きますけど、先生って苦手なものないんですか?」
 びっくりするくらい、のんびりとした声だった。学年主任が眉を寄せる。
「ちょっと、あなたいきなり来てなにを……」
「あたしは、雪山がちょっと苦手です。前に雪崩に巻き込まれて死にかけたことがあったから。ってまぁ、先生ならそれくらい知ってますよねぇ。先生、昨年もいましたもんね」
 学年主任の喉が鳴る。が、椿先輩は気にしない。
「……あのねぇ先生。あたし、みんなに雪女って言われてるんですよ。……先生も知ってますよね? 全学年で言われてますしね。でも、なーんにも言ってくれないですよね。あたしがみんなから噂されて、孤立してても、教師らしいこと、なんにもしてくれない」
 後半、彼女の声から温度が消える。
「それは……今の話とはなんの関係もないでしょう」
 学年主任がわずかに狼狽うろたえる。
「ありますよ」
 椿先輩は畳み掛けるように声を張った。
「先生は都合がいいんです。生徒を守りもしない教師の言うことを、だれが聞くんです? 生憎あいにく、あたしたちだってバカじゃない。言葉の中に含まれた嫌味も悪意も、こっちはちゃんと気付いてますからね」
「わ、私はそんなこと……」
「はっきり言わなきゃ分かりませんか。さっき、わざとこの子をさげすむような発言をしたでしょ。この子の生い立ちも、これまでの状況もぜーんぶ知ってて、わざと、言いましたよね。ひとの髪型指摘する前に、今、じぶんの顔見てみたらどうですか? ふつーにドブスですよ」
「なっ……」
 発言を指摘された学年主任は、とうとう耳まで赤くして言葉を失くしている。それでも椿先輩はかまわず続けた。
「やめろって言われてやめないのは、それなりに理由があるからです。この子はべつに特別扱いしてって言ってるわけじゃない。人間扱いしてって言ってるんですよ。……あ、それに、理由も聞かずに頭ごなしに注意するのは指導じゃなくて、ハラスメントなんじゃないですか?」
 言いながら、椿先輩がちらりと私を見た。
 学年主任へ向ける厳しい眼差しと違ってどこまでも優しい眼差しに、涙が出そうになった。一度ふぅっと息を吐いて、学年主任を見る。
 学年主任の青筋が入った顔面を見てハッとする。
 ――ヤバい。
「せ……先輩、あの、もういいです。もういいですから」
「はぁ? よくないよ。あんたもいやなことはちゃんといやって言いなよ。大人だから言ってることがぜんぶ正しいなんてことはぜったいにないんだから。ずっと思ってたんだよ。あたしたちが事故に巻き込まれたときも、雪崩に巻き込まれたコーチ以外全員旅館で飲んだくれてたんだよ。ずっと、ふざけんなって思ってた。言ってやりたかった。だって、あいつらにはもう口はないから。あたしが……」
 さらに挑発するような発言をする椿先輩に、私はさらに青ざめる。
「……あ、あの、とりあえず行きましょう!」
 私は椿先輩の手をグッと掴んで、逃げるように渡り廊下を歩き出す。
 牧さんの横をすり抜ける直前、彼女と目が合う。
 牧さんはなにか言おうとしたのか口を開いたが、私はかまわず椿先輩の手を引いてそのまま通り過ぎた。
 背後から学年主任の我に返った「待ちなさい!」という叫びが聞こえたが、椿先輩の手を掴んでしまった私は、今さら立ち止まれるはずもなかった。
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