明日はちゃんと、君のいない右側を歩いてく。

朱宮あめ

文字の大きさ
17 / 85
第2章

4

しおりを挟む
 あの日、事故で頭に傷を負った私は、病院で目を覚ました。

 なんで、私は生きているのだろう。
 私はひとりだった。
 なんで、だれもいないのだろう。

『大変だったね。今はとにかく、ゆっくり休みなさい』
 ねぇ、来未は? ほかのみんなは?
『とにかく、水波が無事でよかったわ』
 ここはどこ?
『もう大丈夫だからね』
 だれか、だれか教えてよ。

 だれも答えてくれない。だれも、本当のことを私に言わない。
 だから私は、来未の葬儀にすら行っていない。来未の最期を見ていないし、来未とちゃんとしたお別れをしていない。

「……お母さんの顔なんか、見たくない」
 そう言い捨てた瞬間、お母さんの顔がガラスにヒビが入るようにピキッと強ばったのが分かった。
 私はこれ以上お母さんの傷付いた顔を見るのが怖くて、家を飛び出した。


 ***


 ふらふらと、夜の街を歩く。

 空に輝く満天の星は、カーブミラーやビルの窓ガラスの枠の中に落ちていて、きらきらと私のゆく道を照らしてくれている。

 どこからか、夜色の蝶がひらひらと飛んできた。まるで私に寄り添うように近くを飛び続ける。

「君もひとり?」
 言葉を持たない蝶に話しかけながら、静謐せいひつな空気を裂くように歩く。

 街灯がチカチカと頼りなく揺れている。
 八月の夜風はなまあたたかく、私の肌にねっとりとまとわりつく。

 しばらく歩いていると、突然暗闇が薄れたような気がした。顔を上げると、ゆらゆらと赤色の提灯が揺れている。
 あの場所だ。
 石段を登り、神社を抜けて、また石段を登る。
 登りながら、ぼんやりと考える。
 私はどうして、あそこに向かってるんだろう。

 こんな真夜中に、いるわけないのに。

 じんわりと汗をかいてきた。ティーシャツが肌に張り付き、息が切れる。それでも、心は一心に彼の名前を呼んでいた。

 会いたい。綺瀬くんに、会いたい。

 もう心が限界だった。
「綺瀬くん……!」
 頂上が見え始める頃にはもう、走っていた。石段を駆け上がり、広場に出てベンチを見る。

 いた!

 そっとそばにいくと、綺瀬くんは小さく寝息を立てて眠っていた。その寝顔に、わけもなく泣きそうになる。

 起こさないようにとなりに座って、息をする。

 ねぇ、あなたは何者なの? こんな時間になにしてるの? 家は?

 そっと手を握ると、その手はやはりひんやりとしていた。凍えそうなほど冷たい手のひらを、私は優しく両手で包む。
 ……と。

「……ん……あ、あれ?」

 綺瀬くんが目を開ける。となりに私がいることに気付くと、ぎょっとした顔をする。

「えっ!? なに!? なんで水波がいるの!?」
「……あ、ごめんね、起こして。なんかちょっと、会いたくなっちゃって……」

 沈んだ声を出した私を、綺瀬くんは静かに見つめて微笑んだ。

「……ん、そっか。俺もひとりで寂しかったから、来てくれて嬉しい」

 そう言って綺瀬くんは私の手を握り返してくれた。たったそれだけのことがすごく嬉しい。

「手、冷たいね」
「……うん、ちょっと寒いんだ」

 綺瀬くんは、会うたび寒いという。寒いというのは、彼の口癖なのかもしれない。
 だって、今は真夏だ。夜とはいえ、体感的にはものすごく暑い。
 なら、なにが寒いのだろう。心のことだろうか。分からない。分かりたい。でも、その一歩を踏み込むのが怖かった。

「……私もね、眠いんだ。でも眠れなくて」
「そっか。じゃあ一緒に寝よう」

 綺瀬くんは当たり前のように私にもたれかかって目を閉じた。私も目を閉じる。
 まだ数回しか会っていないというのに、この安心感はなんなのだろう。
 触れ合った手から伝わるぬくもりがあたたかくて、優しくて、ぎゅっと目を閉じると涙が流れる。

 ……あたたかい。

 声を殺してすすり泣く私に、綺瀬くんはなにも言わなかった。ただ静かに寝たふりをして、寄り添ってくれていた。

 次に目が覚めたとき、綺瀬くんはいなくなっていた。でも、ベンチにはまだ綺瀬くんの香りが残っていて、ついさっきまでそこにいてくれてたんだな、と心があたたかくなった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

最初から最強ぼっちの俺は英雄になります

総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...