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結社編 二章:神の研究
準備の日
しおりを挟むグラドという内部協力者を得て、老執事から流民街の出来事とケイルへの疑いを聞かされた数日後。
一ヶ月の時が過ぎた頃に、皇国軍第四兵士師団長のザルツヘルムが直々に兵士養成所に訪れ、訓練兵士達を集めてとある話を行った。
「君達が試験を合格し、訓練兵として従事してから一ヶ月が経つだろう。いい加減、養成所内だけの訓練に飽いてきた者もいるのではないかな?」
「……」
「そんな君達の為に、今回は特別訓練を実施したいと思う」
ザルツヘルムの言葉を聞き、訓練兵の中に僅かなどよめきが起こる。
特別訓練という言葉で、より一層きつい訓練が施されるのではという不安を持つ者や、逆に新たな訓練が行われるのではと期待する者もいる。
そんな訓練兵達の中で、一人だけ眼光を細め違う事を考えている者がいた。
それは進展しない状況が変化することを待ち続けた、エリクだった。
「五日後、皇都の外へ遠征を行う。この皇都から離れた皇国軍管轄の軍事基地があるが、そこまで武器や荷物を抱えたままの徒歩での行軍訓練だ」
「!」
「勿論、行軍訓練中に魔物や魔獣と遭遇することも予想される。そうした場合には実戦を想定されるだろう。我々第四師団からも十数名の精鋭を護衛に付けるが、基本的な問題は君達で対処してもらう。魔物や魔獣の迎撃は勿論、行軍中の部隊管理や野営の準備、夜の見張りなども君達自身で行わなければならない。行軍に必要だと思える物は後で渡す予算内で君達自身が申請してほしい。可能な限り軍で用意する」
「……」
「行軍予定日数は往復で二週間。訓練が行われる三日前には、それぞれ役割を決めて各種申請などを済ませて準備を行うように。片道で一週間の行軍だ。皇国軍基地に着いた後は補給と数日の休暇を与えるが、再び皇都までの帰還までを行軍訓練として行うから、そのつもりで」
訓練内容を説明したザルツヘルムは壇上の前から去り、後に訓練兵の中で話し合いが行われた。
準備に申請や物品の管理は知的技能訓練を行っている訓練兵が中心となって行い、行軍中の隊列や必要物資の選別は実戦経験者達が行うこととなる。
そして三十一名の訓練兵を率いる中隊長として選ばれたのは、元一等級傭兵のグラドだった。
「――……俺が中隊長でいいのか?」
「ああ、グラドなら任せられるさ。頼りがいもあるからな」
「頼りがいって言うなら、エリオもそうだろ?」
「エリオは、なんというか……なぁ?」
エリクが中隊長に選ばれなかった理由をグラドが聞くと、訓練兵達の顔が渋くなる。
その渋られる原因となっているエリク自身が、自分が中隊長に向かない理由を話した。
「俺には向かない。お前なら、上手く纏められるだろう」
「単にお前がやりたくないだけじゃねぇか?」
「俺は、誰かに指示するのが苦手だ。戦う事は出来るが、誰かに指示しながら戦うことはできない」
「そりゃあ、まぁそうか……」
一ヶ月の間、訓練を共にして来た者達はエリクの習性に気付いた。
個人での行動や戦闘に関しては、エリクは一級品の逸材であり信頼性は高い。
命じられた事には必ず応える技量と実力を兼ね備えた英傑だろう。
しかし、集団でのまとめ役に向かない。
実際にエリクはグラド以外の兵士達と交流している様子が無く、また張り詰めた雰囲気を持つエリクに怯んで他の訓練兵達もエリクに気軽な対応を出来ていない。
一ヶ月という期間の中で、訓練兵達の信頼性と信用性を得てまとめ役となれそうなのが、この中ではグラド一人だけに絞られていた。
「俺も、どっちかと言えば個人芸が得意なんだがなぁ」
「物資管理などは技能訓練を行っている私達で行うので、グラドさんには私達のような実戦経験の無い者達を上手くまとめて頂き、傭兵として培った知識と経験で補助して頂ければ」
「戦闘面はエリオ殿がいるから心配は無さそうなんだが、実戦経験が無い俺達が足を引っ張る可能性もあるからな。グラドに注意してもらえると助かる」
グラドは頭を掻きながら悩むが、それぞれの訓練兵達がグラドを中隊長に推していく。
悩み抜き話し合った結果、グラドは今回の行軍訓練での中隊長を任せられた。
しかし、エリクにも役職が与えられる。
それは中隊を戦闘面で補佐する小隊長という立場だった。
「俺が小隊長か?」
「ああ。でも他の奴等を率いて戦ってもらうわけじゃない。そこ等辺は他の奴に任せるさ」
「……どういうことだ?」
「要は戦闘に関する先駆け。戦闘になった際に俺の指示を受けずに戦える権限を役割として与えるってことだ」
「そんな事を決める必要があるのか?」
「傭兵と違って、兵士ってのは組織集団だ。それぞれが技量も疎らで各個人だけじゃ臨機応変に戦えねぇ。つまり兵士の戦いってのは、各技量の差を補う戦術的な戦い方の練度と指揮者が重要になってくる。そこ等辺は、お前も分かるだろ?」
「ああ」
「エリオの場合、逆に兵士の枠組みに縛るとお前自身の身体と技量を活かせない。それは戦いでは損になる。だったら兵士という枠組みから外して、個人で即座に動ける戦力と立場として動いてもらおうって話さ」
「……つまり、戦闘になったら俺は好きにやっていいという話か?」
「そうそう。遊撃に入るも良し。防衛に入るのも良し。お前さんの行動は中隊長の俺が保証する。そういう役割を与える為の役職だ」
「……そうか。分かった」
グラドの説明に納得したエリクは、戦闘隊長としての役割を受け入れる。
即席ながらも役職と立場にそれぞれ向いた者が与えられ、行軍訓練での役職が決まった。
訓練兵中隊を率いるのが、グラド中隊長。
戦闘面で臨機応変に動くのが、エリク小隊長。
その他は複数の班に別れ、行軍物資の管理班や野営設営班の小隊長が決められた。
そして話し合い、片道一週間の行軍に必要な物資や運搬用の荷車などを話し合い手配する。
五日後に控えて訓練内容も重量の多い荷物や武器を抱えたままの訓練が中心となり、それぞれが行軍訓練の準備が整えられた。
行軍訓練の前日。
その訓練は午前中で終わり、それぞれが次の日の為に帰宅する。
帰宅の途へ入ろうとするエリクに声を掛けて来たのはグラドだった。
「エリオ、ちょっといいか?」
「なんだ?」
「今日の夕食は、いつも通り一人で外食か?」
「ああ」
「だったら、今日は俺の家で夕食にしようぜ」
「……お前の家で?」
「俺の女房がな、行軍訓練の前にエリオを呼んで食事したいって言っててよ。この前、俺が酒に酔い潰れて運んだ時の礼がしたいってさ」
「……」
「お前さんがそういう性分じゃないってのは俺も分かってる。だが、俺も家族の頼みと言われちゃ断れねぇのさ。暇なら今日の夕食は、俺達と一緒にしようぜ?」
唐突なグラドの誘いに、エリクは僅かに思案する。
エリクは今日の昼頃に、老執事と会う約束をしている。
今回の行軍訓練が皇国軍側が実験素体|《モルモット》を選別する為のものではという思考から、エリクはこの訓練の情報を老執事に確認したかったのだ。
その後は暇なので、グラドの誘いを受ける事に問題は無い。
しかし舌の鈍いエリクには食事を楽しむという意識が薄い為、逆に断ることもできる。
それ等の思考を巡らせたエリクは、行き着いた答えをグラドに述べた。
「……分かった、行こう」
「おぉ。んじゃ、夕食時になったら俺の家に来てくれよ。俺の家、分かるか?」
「ああ」
「そうか。んじゃ、夕食で!」
そう話すグラドは自分の家に帰宅していく。
エリクは鼻で軽い溜息を吐き出しながら、老執事と会う約束をした場所へ向かった。
向かった場所は、市民街にあるレストラン。
そこの店員の招きで個室を取っていた老執事がエリクを招き、密談が行われた。
「明日からは行軍訓練ですな」
「ああ。……その訓練で向かう基地というのが、アリアの捕まっている場所か?」
「恐らく、当たりでしょう」
「!」
「アルトリア様がそこで捕えられている可能性は高いと、大旦那様も仰っています」
「……」
エリクはこの一ヶ月の間、この瞬間を待ち侘びていたのを自覚する。
アリア達を奪還する為に訓練兵として潜入し、初めて実を結んだ機会を得た事を知ったエリクは、拳を握り気配を高めた。
高揚が見えるエリクとは他所に、老執事は冷静な表情と声で話を続ける。
「今回の訓練がただの行軍訓練で終わる場合も考えられます。その際、エリク様は何もせず皇都へ帰還頂くよう、大旦那様からお願いされています」
「!!」
「例え第二皇子と皇国軍が繋がり、悪辣な研究の為にアルトリア様を不当に拘束していたとしても。大旦那様が国事として動くには大義名分が必要です。相手が皇国軍ともなれば、最大級の不祥事が見えねば大旦那様も手勢を動かせないでしょう」
「……」
「証拠が無ければ、大旦那様でも皇国軍にメスを入れられないのです。そうした場合、どうかご辛抱をお願いします」
老執事の話すことにエリクは納得しきれない。
目と鼻の先にアリアが居るかもしれない場所に赴くにも関わらず、何も無ければ素直に帰って来いという話がエリクに納得できない。
憤りに近いエリクの表情と視線を浴びながらも、老執事は淡々と話を続けた。
「逆に言えば、今回の行軍訓練で何かしらの証拠が掴めさえすれば、逆に大旦那様は即座にメスが入る準備は整えています」
「……どういうことだ?」
「掴めば良いのです、皇国軍側が明かされたくない秘密を」
「……俺が基地内部にある研究所へ潜入し、奴等が行っている実験の証拠を盗み出せということか?」
「そうです」
「……」
「通常の行軍訓練で終われば、貴方はただ帰還するしかない。ならば貴方自身が基地施設へ入り込み、施設内部で証拠を押さえる。……失敗すれば、貴方は証拠を盗み出せずアルトリア様の奪還も出来ない。その場合は、皇国軍に潜入したスパイとして捕らわれるか殺されるかの二択となるでしょう。どちらにしても皇国兵士として潜入する貴方の役割は、成功しても失敗して終わりです」
「……」
「これは貴方にとって、高い危険と高い見返りが伴う依頼です。……どうなさいますか? エリク様」
皇国軍基地の施設へ侵入し、皇国軍部が行っている実験の情報を確保する。
それを持ち帰りハルバニカ公爵へ届ければアリアの奪還が叶う可能性が高い。
逆に失敗すれば、アリアの奪還は叶えられずにエリク自身も今後はアリア奪還に関われなくなる。
一か八かの要素ながらも、エリクはアリアを思い出して決断した。
「……分かった。やろう」
「よろしいのですか?」
「アリアを取り戻せるなら、俺はやる」
アリアを取り戻す為ならば危険を冒してでも進む。
そう決断したエリクの揺ぎ無い精神性と言葉を聞いた老執事は、感慨深い表情をしながら訊ねた。
「……一つ、お聞きしたい事があります。よろしいですか?」
「なんだ?」
「エリク様がアルトリア様をそこまで取り戻したい理由とは、なんでしょうか?」
「……理由?」
「私見ながら、アルトリア様とエリク様の関係は長くも深くもない。一年程の時間を共に居た貴方が、そのようにアルトリア様への拘りと執着を見せる理由が、私には分かりません」
「……」
「貴方は何を思い、アルトリア様を見ておられるのか。それをお聞きしたいのです」
エリクがアリアへ執着し続ける理由。
それを改めて言語として尋ねられた時、エリクは思わず硬直した。
アリアにそれを問われた時、エリクは約束したからだと答えた。
しかし他者からそれを執着だと言われた時、その執着の理由をエリクは説明できなかった。
返事を待つ老執事に対し、エリクは辛うじて言葉を漏らした。
「……俺は、約束した」
「約束?」
「あの子が平和に暮らせる土地まで、俺が付いて行きたいと思うまで、あの子を守ると約束した」
「……それは、私の聞きたい答えではありませんね」
「……」
老執事はそう述べると、出された料理を食べ終わり席を立つ。
レストランの個室から出ようとした際に、老執事は背中を見せながらエリクに最後の言葉を向けた。
「エリク様」
「……?」
「私は貴方に対し、大旦那様から二つの命を受けております」
「……命令?」
「一つ目は、貴方を支援するという役割。そしてもう一つが、貴方の人となりを見定めるという役割です」
「……人となり?」
「貴方がどのような人物なのか。アルトリア様を任せるに足る人物なのか。それを見定めたく、大旦那様は私にそれを命じました」
「……」
「エリク様。貴方がアルトリア様の『臣』として仕える分には、問題は無いと思われます。むしろその技量だけを話せば、貴方以上に相応しい者もいないかもしれない」
「……」
「しかし、アルトリア様を任せるに足る『男』としては、まだ認めるわけにはいきませんな」
「……どういうことだ?」
「それでは、これで失礼を。行軍訓練の成功を願っております」
老執事はそう言い残した後、個室から出て行った。
取り残されたエリクは老執事の言葉の意味を理解できず、少し時間が経ってから出て行く。
会計は既に老執事が済ませた後であり、エリクは借家へ帰宅した。
それから行軍の為に必要な荷物を軽く纏め、エリクは夕暮れの時間にグラドの家に向かうのだった。
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