氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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2話◆ノヂシャに愛を捧ぐ

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 件の伯爵邸はアシュフォード領から街二つほどの距離を離れた郊外に佇んでいた。第一印象としては妙に辺鄙な土地に建てられた何とも古めかしい館。オルワーズという名の辺境伯が別邸として所有している建物らしい。ただでさえ田舎の所領であるのに、更にあまり領主が寄り付かない古ぼけた別邸ともなれば、手入れが行き届いていない部分が目立つのは当然といえば当然かもしれなかった。カイはアシュフォード邸を出る際に、訪問を連絡する内容の術式をオルワーズ伯宛に投げておいたのだが、とうとう返答が無いまま数時間が経ち、二人は問題の別邸前へと辿り着いてしまった。馬を降りて手綱を引きながら錆びた門を通り抜け、然程距離の無い入り口までの小道を歩んで二人は屋敷を見上げる。
「……うん……、何というか、……趣が有るな……」
「古過ぎて今にも崩れて倒れそうだと言いたいんだろ」
 カイが言葉を選んで感想を述べるのに対し、誰が聞いているのかも分からないのに、イルはカイが包んだオブラートをしれっと全力で引っぺがしてくる。こらっ、とカイは小声で窘めるが、イルは悪びれた様子も無く、建物の入り口辺りに生えている木の幹に適当に馬の手綱を結び付けた。乗り合い馬車などが行き来するとも思えない辺境の地で、馬が無ければ生活が立ち行かないように思えるのに、見る限りでは今のところ敷地内に厩舎も窺えず、仕方なくカイもイルに倣って馬の手綱を木に結び付ける。もしかしたらこの奥に厩舎が有るのかもしれないが、邸宅の者に挨拶もしないまま馬を連れて敷地内をうろうろするのは失礼に当たるだろう。
「誰か居ると良いんだけどな」
 依然としてオルワーズ伯から返答は無い。伯爵領の別邸といっても、これだけ寂れているのなら、もしかしてそもそも使用しておらず常駐する者が居ないが故に手入れをしていないというのも有り得る。それならそれで、投書に記されていた精霊族の存在が危うくなるか、もしくは事件性を帯びてくるのだが。カイは庇を設けた玄関へと近寄り、所々黒ずんだ古めかしい獅子意匠のノッカーで扉を叩いた。暫く静寂が続いたのでこれはいよいよ無人なのでは、と思ったところに軋む音を響かせてそろそろと玄関の扉が開けられる。薄暗い隙間から、髪をひっつめてキャップを被った、小汚くはないが多少くたびれたワンピースとエプロンを纏った初老の女性が顔を覗かせた。どうもハウスメイドのようである。
「……どなたですか」
「ここはオルワーズ伯の別邸で間違いないか」
「左様でございます」
「主人は在宅だろうか。アシュフォードと言えば分かると思うが」
「……旦那様はいらっしゃいません」
 予想通りとはいえ、カイは一瞬返答に詰まった。流石にメイドは客人が去らぬうちから勝手に扉を閉めるようなことはしないが、自分から主人の所在について説明しようともしない。理路整然と話せず、聞かれたことしか答えない。丁寧語を使いはするが接客の訓練を受けているとは思えない田舎の使用人である。
「……それは、偶々今日……というかこの時間に居ないだけなのか、常日頃からこの別邸に滞在していないのか……」
「旦那様はいつもは本宅にお住まいで、ここには殆どいらっしゃいませんが、最近頻繁に立ち寄られます。ですが今日はいらっしゃいません」
 どうやら伯爵はこの別邸に来るには来るが、折悪く今日は不在のようだった。カイはイルと顔を見合わせる。
「どうしようか……」
 連絡が付く前に来てしまった訳だから、オルワーズ伯に落ち度は無い。一旦アシュフォード邸に戻れば良いのだが、片道だけでそこそこ時間が掛かるため、本音を言えば無駄に出直したくない。そういえば古めかしいとはいえここは貴族の別邸である。部屋数は多いだろうしその中には客が寝泊りする為の部屋も有る筈で、メイドが居るということは最低限の掃除もされていると見て良いだろう。押し入るような形になるが、伯爵と連絡が付くまで部屋で待たせてもらうという手も有る。交渉の為にメイドに向かって話し掛けようとしたとき、カイは伯爵に投げていた連絡の術式に反応が有ることに気付いた。
「少し待って貰えないか。伯爵から返事が来た」
 断りを入れてカイは踵を返し、その場を少し離れてから反応に応答する。その間イルは老メイドと無言の見つめ合いを続けていた。訪問者であるカイが離れていくと、必然的にメイドは付き従うイルに視線を向けたが、そこに自然とだとかさりげなくなどといった言葉は当て嵌まらない。いっそ不躾とも言えるほどの凝視だったが、イルは平然と相手を見つめ返していた。色狂いの貴族が向けるような情欲を剝き出しにした視線ではないのなら、いくら見られたところで憎悪も倦厭も特に無い。
「お待たせ。伯爵と連絡がついたよ」
 見つめることで無言の戦いを続けていたイルとメイドは、カイの言葉ですっと戦いを中断した。真顔の二人が一斉にこちらを見たことでカイは無意識に僅か身を引くが、気を取り直してメイドに語り掛ける。
「俺達は騎士団の依頼で探し物をしにここまで来たんだ。依頼ではオルワーズ伯がその探し物と関係が有るということなんだが、今伯爵と話した限りでは彼に心当たりは無いという。今すぐ出向いてくることは難しいとのことだが、代わりに捜索と滞在の許可は貰ったよ。心当たりも後ろめたいところも無いから、気の済むまで敷地内を探して構わないとのことだ」
「はぁ、承知いたしました」
 愛想も気遣いも無いメイドなので、伯爵の了承を得たとしてももう少し一悶着有ると思っていたが、あっさりと受け入れられてカイは逆に少々拍子抜けする。公爵の家紋が入った封筒を出すまでもなく、カイとイルはメイドが開けてくれた扉から屋敷の中へと踏み出した。中の造りはそれなりだが、やはり何といっても年季が入っている。流石に外装よりは手入れや掃除がされているが、アンティークだと思って喜べるかと言われると微妙なところである。二人はメイドの案内でホールの階段を上がり、少し進んだ先のゲストルームへと向かった。こちらも壁紙やカーテンは古いが、寝具などは清潔に保たれているようだ。
「お食事はどうしましょうか」
 部屋の入口からメイドが二人に声を掛ける。今から屋敷を捜索するとしてもすぐに夕食の頃合いになりそうだった。
「貰えると嬉しいな。今から少しこの辺りを見て回りたいから、日が暮れて少ししたくらいに用意してもらえないか」
「かしこまりました」
「……ああ、それと食事は一人分でお願いしたい。……で、良いのかな、イル」
「ああ、俺は要らない」
 当然のように食事の不要を告げて頭を振るイルを、怪訝な表情で眺めるメイドだったが、特に深く考えはしなかったようで、すぐに一礼すると部屋の扉を閉めて去っていく。メイドの気配が完全に失せてから、イルは手近な方のベッドの端に腰掛けて息をついた。黴や汚れは無いものの、古臭く重たい雰囲気のカーテンを少し捲って外を眺めようとしているカイに、イルは不意に声を掛ける。
「……どう思う」
「うん?」
 カイはカーテンから手を放し、ベッドの方を振り返ってイルを見遣る。言葉少なにじっとこちらを見つめるイルに、カイは少し思案して口を開く。
「探す余地は十分に有るだろうな。オルワーズ伯は夜会でも時々見掛けるけれど、朴訥な人物という印象で、精霊族を不当に囲って狼藉を働くようには思えない。……勿論これは俺の主観だから、投書の内容こそが真実であるならば、はっきりさせなければいけない。……だから、何とも言えないな」
 カイは壁に背を預けて腕を組む。
「もしも実際に精霊族がここに閉じ込められているのだとしたら、伯爵自身もあまり足を運ばないような別邸に、よくぞ監禁したものだと思う。寧ろここだからこそ、かもしれない。早く見付けてあげなければと思うけれど……。君は何か気になっていることは有るのか」
「……少しな」
「何か聞こえる、とか」
 つい先日、彼の耳によって某伯爵家の馬車が救われたことをカイは思い出す。だがイルはかぶりを振った。
「今のところは特には。それなりに動いて騒がしければ気付きやすいが、もしもここに精霊族が居たとして、動かずにじっと息を潜めていたりしたら、俺の耳でも捉えきれないこともある」
「なるほど……」
「俺が気になるのは、この別邸全体の空気だ。雰囲気とでも言うべきか。……精霊族が居るか居ないかはさておき、居てもおかしくない空気は有る」
 感覚的な話になるとカイには分かりにくいところも有るが、そこは想定済みなのか、イルは一呼吸の間を挟んで再び口を開く。
「仮に俺がここに閉じ込められていたとして、人間の体液が長らく得られなかったとしても、そこそこ生きていけそうな気がするということだ」
「……生きていけるものなのか」
「清浄な深い森の中だったり、産まれた集落の環境と似た所であれば、自然物から得られる生気を取り込んで命を繋ぎ止めることは出来る。若しくはそういった人里離れた所じゃなくても、似た空気を持つ場所が稀に存在する。……俺にはここがそういう場所に感じられる」
 住居も住人も少ない辺境の土地で、人間の気配が少ないという意味では市街地よりは精霊族に優しいのかもしれないが、深い森や静かな湖などと比較すれば格段にみすぼらしく魅力の無い土地に思える。イルが言っているのはいわゆるパワースポットのようなものなのだろうが、ここがとてもそんな場所だとは思えない。だが実際に精霊族である彼がそう言うのならそうなのだろう。
「……なら、もしも精霊族がここに閉じ込められていて、従属させている本人が滅多に寄り付かなくても……」
「衰弱するだろうが、生かしておくことは出来るだろうな」
 例え特別な力を湛えた土地だとしても、女王蜂を失った精霊族が本調子のまま生きるには足りない。寧ろ中途半端に生かされてしまう分、死ぬに死ねない場所だという意味では逆に苦しむだろう。イルの言い方にはそんな危うさが感じられる。
「……早く見付けてあげないと」
 本当にここに精霊族が閉じ込められているのであれば。カイは組んだ腕を解くと扉に向かって歩き出す。
「行こう、イル。本格的な捜索は明日にするとして、ひとまず敷地内の建物を把握したい」
 頷いてベッドの端から立ち上がったイルを伴い、カイは部屋を出て階段を降りると、奥の調理場で夕食の準備をしていた先ほどのメイドを含む三人の使用人達に声を掛けてから屋敷を出た。
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