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明かされる過去 3
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結果を目にした父は安堵し、皆に見守られながら静かに息を引き取った。
父が亡くなったことにより、俄に周囲は騒々しくなる。
山崎は顔に白布をかけた父の隣で、鴇に向き合い慇懃に頭を下げた。
「鴇さまが喪主でございます。旦那さまの葬儀のお手続きをいたしましょう」
安珠は怒りのあまり、用紙を握り潰した。
鴇が、父の後を継いで椿小路公爵家の当主になる。
それは生前の父が認めたことであり、至極当然であると使用人は考えるのだ。
もはや安珠は誰にも顧みられない存在と化した。産まれたときから、公爵家の唯一の嫡男として大切に扱われてきた尊い身分は脆くも崩れ去ったのだ。
鴇は父が亡くなるまで貼り付けていた神妙な顔を脱ぎ捨て、どこか不遜な笑みを口元に刻む。
「喪主をお受けいたします。ただ、俺はまだ勉強不足ですから皆様にご指導いただきたいです。ねえ、安珠」
それまで『安珠さま』と呼んでいたのに突然呼び捨てにされ、怒りを通り越して唖然とする。呆気に取られる安珠に、鴇は正面から向き合った。嬉しそうに微笑みながら。
「安珠は正妻の嫡男ですから、俺の隣に列席してほしいです。その隣は史子さま。それで宜しいでしょう、山崎さん」
「ええ、ええ。もちろんでございますとも」
史子や山崎への敬称は変わらないのに、安珠だけは呼び捨てにする。弟として、また序列が下の者として明確に示そうとでもいうのか。
安珠は歯噛みしながら、白布をかけた父の遺骸を見つめた。
後日、葬儀はしめやかに執り行われた。
下男だった男が喪主なので参列した華族たちは質問攻めにし、そのたびに山崎は丁寧に事情を説明していた。「よろしくご指導ください」などと言って低頭する鴇の隣に座る安珠に、好奇の視線が否応なしに降り注ぐ。
安珠は公爵を継承する直前で、すべてを失った。
人は哀れな者を眺めるとき、なぜか笑いを零すということを知る。
屈辱で腹の底が煮えた。
この場で父や鴇を糾弾するような無様な真似だけは絶対にしないことを心に誓い、安珠は父を亡くした息子として哀しみに浸り、葬儀の長い時間を耐え抜いた。
やがて百か日の納骨を終えた頃、勅許を経て襲爵の辞令書が交付された。鴇は宮内大臣より正式に、椿小路公爵として認められたことになる。
父に、オメガであるという真実を告げるべきではなかった。
そのような無為な後悔が押し寄せて、安珠は日々を鬱々と過ごした。
ある日、状況は確かに一変したのだと自覚する出来事が起こる。屋敷に響き渡る轟音に、何事かと安珠は二階へ駆けつけた。
「なんだ、これは」
複数の職人たちが壁を壊し、床板を剥がしている。客間は無残な様相に変貌していた。
「心配ありません。改装するだけです」
現れた鴇は三つ揃えの漆黒のスーツに銀色のネクタイを締めて、颯爽とした風情を見せていた。つい先日までは着古したシャツを纏い、地味な印象だったのに、支度が変わるとこうも異なるものかと目を瞠る。
「改装だって? 何のために」
「俺の部屋にするんです。お父さまの部屋はそのままにしておきたいですから」
鴇は今まで他の使用人たちと同じように、敷地内に建てられた長屋に住んでいた。森林に隠されるように佇んでいるそこは覗いたことがあるが、狭くて古いところだと記憶している。
「早速、当主面か。付け焼き刃の公爵がいつまで持つか見物だな」
嫌味のひとつも言いたくなる。
だが鴇は気分を害するふうでもなく、柔らかな笑みを浮かべた。
「これから椿小路公爵の名に恥じないよう、頑張ります。付け焼き刃が剥がれないように、安珠が見ていてくださいね」
せいぜい偉ぶれば良いのに、下男のときと同じ謙虚さだ。それがまた癪に障る。
廊下の向こうから別の喧噪が轟き、ふたりはそちらに目をむけた。
怒鳴り声を上げながら我先にと見知らぬ男たちが押し寄せてくる。それぞれに鞄を持ち、書類を掲げていた。その大群を山崎が必死に抑えようとしている。
「あなたが新しい公爵ですね。もう待てません、お支払いください!」
「どけ、こっちが先だ!」
商人らしき男たちは口々に喚きながら鴇に詰め寄る。
「皆さん、執務室にお越しください。おひとりずつ窺います。山崎さん、ご案内してください」
男たちに揉まれるようにして鴇は執務室へ向かっていった。呆然として事態を眺めていた安珠の背後で、壁が音を立てて崩れ落ちた。
「何の騒ぎなの。このところ騒々しいわね」
毎日実家を訪れて父の位牌に手を合わせている史子は、連日屋敷を賑わせている騒音に眉をひそめた。
父が亡くなったことにより、俄に周囲は騒々しくなる。
山崎は顔に白布をかけた父の隣で、鴇に向き合い慇懃に頭を下げた。
「鴇さまが喪主でございます。旦那さまの葬儀のお手続きをいたしましょう」
安珠は怒りのあまり、用紙を握り潰した。
鴇が、父の後を継いで椿小路公爵家の当主になる。
それは生前の父が認めたことであり、至極当然であると使用人は考えるのだ。
もはや安珠は誰にも顧みられない存在と化した。産まれたときから、公爵家の唯一の嫡男として大切に扱われてきた尊い身分は脆くも崩れ去ったのだ。
鴇は父が亡くなるまで貼り付けていた神妙な顔を脱ぎ捨て、どこか不遜な笑みを口元に刻む。
「喪主をお受けいたします。ただ、俺はまだ勉強不足ですから皆様にご指導いただきたいです。ねえ、安珠」
それまで『安珠さま』と呼んでいたのに突然呼び捨てにされ、怒りを通り越して唖然とする。呆気に取られる安珠に、鴇は正面から向き合った。嬉しそうに微笑みながら。
「安珠は正妻の嫡男ですから、俺の隣に列席してほしいです。その隣は史子さま。それで宜しいでしょう、山崎さん」
「ええ、ええ。もちろんでございますとも」
史子や山崎への敬称は変わらないのに、安珠だけは呼び捨てにする。弟として、また序列が下の者として明確に示そうとでもいうのか。
安珠は歯噛みしながら、白布をかけた父の遺骸を見つめた。
後日、葬儀はしめやかに執り行われた。
下男だった男が喪主なので参列した華族たちは質問攻めにし、そのたびに山崎は丁寧に事情を説明していた。「よろしくご指導ください」などと言って低頭する鴇の隣に座る安珠に、好奇の視線が否応なしに降り注ぐ。
安珠は公爵を継承する直前で、すべてを失った。
人は哀れな者を眺めるとき、なぜか笑いを零すということを知る。
屈辱で腹の底が煮えた。
この場で父や鴇を糾弾するような無様な真似だけは絶対にしないことを心に誓い、安珠は父を亡くした息子として哀しみに浸り、葬儀の長い時間を耐え抜いた。
やがて百か日の納骨を終えた頃、勅許を経て襲爵の辞令書が交付された。鴇は宮内大臣より正式に、椿小路公爵として認められたことになる。
父に、オメガであるという真実を告げるべきではなかった。
そのような無為な後悔が押し寄せて、安珠は日々を鬱々と過ごした。
ある日、状況は確かに一変したのだと自覚する出来事が起こる。屋敷に響き渡る轟音に、何事かと安珠は二階へ駆けつけた。
「なんだ、これは」
複数の職人たちが壁を壊し、床板を剥がしている。客間は無残な様相に変貌していた。
「心配ありません。改装するだけです」
現れた鴇は三つ揃えの漆黒のスーツに銀色のネクタイを締めて、颯爽とした風情を見せていた。つい先日までは着古したシャツを纏い、地味な印象だったのに、支度が変わるとこうも異なるものかと目を瞠る。
「改装だって? 何のために」
「俺の部屋にするんです。お父さまの部屋はそのままにしておきたいですから」
鴇は今まで他の使用人たちと同じように、敷地内に建てられた長屋に住んでいた。森林に隠されるように佇んでいるそこは覗いたことがあるが、狭くて古いところだと記憶している。
「早速、当主面か。付け焼き刃の公爵がいつまで持つか見物だな」
嫌味のひとつも言いたくなる。
だが鴇は気分を害するふうでもなく、柔らかな笑みを浮かべた。
「これから椿小路公爵の名に恥じないよう、頑張ります。付け焼き刃が剥がれないように、安珠が見ていてくださいね」
せいぜい偉ぶれば良いのに、下男のときと同じ謙虚さだ。それがまた癪に障る。
廊下の向こうから別の喧噪が轟き、ふたりはそちらに目をむけた。
怒鳴り声を上げながら我先にと見知らぬ男たちが押し寄せてくる。それぞれに鞄を持ち、書類を掲げていた。その大群を山崎が必死に抑えようとしている。
「あなたが新しい公爵ですね。もう待てません、お支払いください!」
「どけ、こっちが先だ!」
商人らしき男たちは口々に喚きながら鴇に詰め寄る。
「皆さん、執務室にお越しください。おひとりずつ窺います。山崎さん、ご案内してください」
男たちに揉まれるようにして鴇は執務室へ向かっていった。呆然として事態を眺めていた安珠の背後で、壁が音を立てて崩れ落ちた。
「何の騒ぎなの。このところ騒々しいわね」
毎日実家を訪れて父の位牌に手を合わせている史子は、連日屋敷を賑わせている騒音に眉をひそめた。
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