みちのく銀山温泉

沖田弥子

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閑話 影

花野圭史郎との出会い

 俺がいつから『俺』なのかは知らない。
 閻魔大王に仕える側近は選りすぐった上級あやかしで構成されているが、何者かに従うということが俺は嫌いだった。大王の命令をきかないので、すぐに側近を解雇された。採用してくれなんて、こちらは頼んでいない。誰ともつるまず、自由を謳歌できたほうがよい。
 俺のことを、『大王に嫌われた日陰者』と揶揄する声を耳にするが、うまいことを言うものだと鼻で嗤ってやる。俺の能力に絡めての、日陰者というわけだ。
 上級あやかしのなかでも特殊なこの能力は、それを知る者を畏怖させる。
 影として忍び寄り、背中から対象の体内に侵入して操る。体を乗っ取られた者は意識のないまま行動しているというわけだ。しばらく行方不明だったがどうしたのだと、身に覚えのないことを知人に指摘されたときは、背中に傷があるか確認したらいい。俺が出入りした傷跡が残されているだろうからな。
 ちょうど首の下あたりにある傷跡、それが『かげ』に取り憑かれた証だ。
 明るい場所を好まない俺は地獄を出てから、地上の暗い洞窟に潜んでいる。夜になると獲物を探すこともある。だが飲食は必要としないので、そのために人間の体を借りるわけではない。何のためかといえば、人間の暮らしを覗き見たいからだろうか。何度も地上に住む人間の体に入り、村や家に赴いたことがあるが、彼らの社会は非常に興味深く、そして理解に苦しむ。
 だが本音は、のっぺりとした影でしかない俺自身の実体を得たいからかもしれない――
 曇天が広がる薄暗い日、洞窟に踏み込んできた足音に、俺はふと意識を向けた。
 人間の男だ。まだ若いが、上等な羽織を着ている。洞窟の入り口で胡坐を掻いたその男は、笹の包みを開いて握り飯を取り出した。
 この辺りは山奥の貧しい村ばかりなので、裕福な家の息子かもしれない。
 顔を見てやろうと蠢いたとき、ふと男がこちらを振り向いた。ぎくりとして、俺は立ち止まる。
 人間に俺の姿は見えないはずだ。
 だが男は俺に焦点を合わせて、目を見開いている。

「こりゃあ、どうしたことだ。俺の影が動いてる」
「おまえの影じゃない。俺は『影』だ」

 非常に滑稽な主張だが、人間の付属物のような物言いをされるのは矜持が許さない。
 思わず言い返してしまった俺に驚いた顔をした男だったが、すぐに屈託のない笑みを浮かべてこう言った。

「そうか、影という名なんだな。俺は、花野圭史郎だ」

 男は圭史郎という名らしい。
 死期が近い人間があやかしの姿を認識できるが、圭史郎はまだ若く健康そうな顔色をしていた。こいつはなぜ、俺の姿が見えるのか。しかもあやかしを見ても、たいして驚いていない。
 圭史郎の傍に這い寄った俺は訊ねた。

「おまえは、あやかしを見ても驚かないんだな。俺が恐ろしくはないのか?」
「恐ろしいも何も、俺はとても嬉しいよ!」
「なぜ」

 喜んでいる圭史郎は、俺に対して笹ごと握り飯を差し出す。まるで友人のような扱いである。こんな人間に会ったのは初めてだ。

「だって、俺にもあやかしが見えたんだから。妹のおゆうは生まれつきあやかしが見えるから、いつも話を聞いてうらやましいと思っていたんだ」
「ほう……。妹は生まれながらに見えているのか。おまえたちの親は、あやかしか?」

 上級あやかしのなかには人間と交わる者もいる。親があやかしならば、その能力が受け継がれてもおかしくはない。
 だが圭史郎は、ゆるく首を横に振った。

「おゆうは継母の連れ子なんだ。血のつながっていない妹だよ。でも本当の妹のように思って……」

 瞬間、ヒュッと風を切る音が鳴る。
 言葉を継ぐことなく、圭史郎はどさりと倒れ込んだ。
 何が起こったのか一瞬わからず、俺は呆然とする。
 圭史郎の首根には、深々と矢が突き刺さっていた。

「やったぞ! 財布にたんまり金を持ってるはずだ」

 粗野な声が外から響いた。弓を下ろした若い男と、無精髭を生やした壮年の男のふたり組が樹陰から現れる。どうやら山賊らしい。
 洞窟に踏み込んできた壮年の男は、転がった握り飯を汚い草履で踏み潰した。
 つい先程、圭史郎が俺に差し出した握り飯が無残に散らばる。
 突っ伏した圭史郎は、ぴくりとも動かない。短刀を取り出した山賊は、圭史郎の襟首に手をかけた。
 その瞬間、俺の腹の底が灼熱のごとく煮えたぎる。

「うああああああ‼」
「な、なんだ⁉」

 咄嗟に飛び退いた山賊の顔めがけて、拳を食らわす。あとは夢中だった。圭史郎を踏みにじった男たちの歯を折り、血が滴るまで強かに殴った。
 山賊たちは転がるように逃げていった。相手は武器を持っていたが、手練れではなかったのかもしれない。
 血のついた拳を見下ろした俺は、ふと気がつく。
 俺は……誰だ?
 洞窟を振り向くと、そこに圭史郎はいない。
 はっとして首に手をやると、山賊が射貫いた矢が突き刺さっていた。
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