みちのく銀山温泉

沖田弥子

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閑話 影

影の苦悩

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「……なるほど」

 おそらく、孤独なおゆう自身が居場所を求めているのではないかと俺は思った。
 彼女の考えには共感できなくもないが、閻魔大王の側近が務まらなかった俺が、人間のふりをして客に頭を下げるなんてできるわけない。

「いいんじゃないか。勝手にやれよ」

 突き放した言い方をして、彼女の手から匙を奪い取る。
 啜った粥は冷えていたので、喉をするりと通った。ほんのりと香る生姜が、やけに辛く染みる気がする。

「……そうですね。兄さんは怪我のこともありますから、体を治すことだけを一番に考えてください。私はひとりでも、花湯屋を開業させます」

 おゆうは強い決意を秘めた瞳を向けてきた。
 ひたむきな彼女の態度に、俺は粥を啜っていた手を止める。

「そうか。まあ、がんばれよ」
「はい! 兄さん、粥は温め直さなくていいんですか? もう冷めてますよね」
「ああ。熱いほうが飲めない。これくらいでいい」
「よかった。少しでも食べてくれて。おいしいですか?」

 おいしいとは、どういうことだ?
 考えつつ、匙を往復させて喉に粥を流し込む。味の良し悪しなどはわからない。
 この哀れな娘があまりにも懸命なので、せめて粥くらいは食べてやろうという気になっただけだ。
 地上のあやかしは大抵が雑種だが、なかには凶悪な者も紛れ込んでいる。そんな奴らを客として宿に迎え入れようなどと、無謀だ。おゆうは危険な目に遭うかもしれない。彼女はあやかしが見えるだけで、特殊能力は持っていない。
 あやかしお宿とやらは、早々に頓挫するだろう。
 ややあって、土鍋に入っていた粥はすべてなくなった。完食した俺は匙を置く。

「……うまかった」

 よくわかっていないのだが、上辺だけの世辞を言う。
 おゆうは嬉しそうに笑った。

「兄さんにそう言ってもらえるのが、何より嬉しいです」

 圭史郎も以前はおゆうに食事を作ってもらったことがあるのだろう。
 だが、その兄は俺ではない。
 何だか面白くない気分になり、俺は湯呑みで水を飲むふりをして歪ませた唇を隠した。
 俺はあやかしの影のつもりでいたが、花野圭史郎でもあるのだ。
 だが、その事実を知る者は誰もいない。
 この先どうなるのか、俺自身ですらわからなかった。



 ひと月ほどが経過して、首の矢傷は治った。おゆうが毎度の食事を作って提供してくれたので、それを食べたせいもあり、体調もよくなった。
 俺は宿などやらないと言っているのに、彼女は献身的に尽くしてくれた。誰かにそのように大切に扱われたことなどなかったので、むず痒いような感じもするが、好意は受けるのは心地好いものだった。
 その一方、器の内側が抜けることはなく、さらに密着していく感触がした。無論、圭史郎本人が語りかけることはおろか、動き出すことなどない。奴の意識は完全に消滅したのだと思えた。やはり、圭史郎は死んだのだ。
 そうすると影の能力によって生かされているこの体だけが、取り残されたことになる。そして周囲の人間たちは、花野圭史郎が変わらずに生きていると思い込んでいるのだ。
 つまり、俺は花野圭史郎として生きていかなければならない。
 俺が、人間になる……?
 ありえない思考にかぶりを振る。上級あやかしである俺が、人間になどなれるはずがない。せいぜい、かりそめの人間といったところか。だが待っていたところで圭史郎本人が帰ってくるわけではないのだ。いったい、いつまで、俺は花野圭史郎でいなければならない?
 考えるほど困惑は深まり、羽織った半纏を懐手にする。部屋の窓から眺める庭木は寒々しいものに変化していた。そろそろ冬が訪れるらしい。
 ふと、あやかしの気配を察知して、後ろを振り返る。

「なんだ、おまえか」

 ころんとした体で壁の穴をすり抜けた小豆が、こちらへやってきた。いつもおゆうから離れないのに珍しい。この雑種は俺を警戒しているのか、俺にすり寄ってくるということは決してない。

「おゆうはくりやだろう。もうここにはいないぞ」

 言葉は通じているはずだが、小豆は俺の手の届かない距離で、ぼんやりと佇んでいた。
 ふいに開かれた小さな口から、低い声音が紡がれる。

「おゆうから離れろ。地獄に戻ってこい」

 瞠目した俺は、息を呑む。
 誰だ、こいつは。

「おまえ……‼」

 小豆を捕まえようと手を伸ばすと、寸前で身を翻した。丸い体は慌てて穴をくぐり、廊下へ逃げていった。
 俺は空を切った掌を見つめて、呆然とする。
 あの低い声は、小豆のものではない。小動物の体を通して、何者かの言霊を伝えたのだ。しかも声の主は、俺の正体を知っている。

「あの声は……アカザだな」
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