竜の毒

日村透

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16. 竜との出会い

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 レイエス子爵家の長女ロシータは、婚約者ダリオを奪われることを恐れ、被害妄想と嫉妬心から義妹いもうとパトリシアに斬りかかったとされている。
 実際はどうだったのか?

 その瞬間ロシータが手に持っていたのは、実際はナイフではなくハサミだった。

 十七歳のある日のことだ。
 自室の縫製ほうせい箱の中に、いつも針や糸と一緒に仕舞っておいた裁断用のハサミがない。
 部屋の中をいくら探しても見つからず、どうせまた使用人の誰かの悪戯イタズラだろうと当たりをつけ、彼女は部屋の外を探し始めた。
 そして居間の暖炉の上、小鍋やポットを置いてある台にそれはあった。

 こんな嫌がらせはいつものことだ。今さらいちいち落ち込むこともない。彼女は無感動でそれを手に取り……
 顔を上げたら、そこにはパトリシアがいた。
 何やらこちらを見てがたがた震えている。怯えているようだ。

(……どうしたのかしら?)

 なんと声をかければいいのか、咄嗟に思い浮かばなかった。ロシータが何を言っても意地悪と捉えられてしまうから、うかつに話しかけられないのだ。
 迷っていると、いきなりパトリシアが叫んだ。

「ご……ごめんなさい! ごめんなさい、お義姉様!」
「え?」
「お許しください! お願い、やめて……傷付けないで!」

 恐怖に満ちた顔を両手で庇いながら、パトリシアはその場でしゃがみ込んだ。

「ロシータ様!? パトリシアお嬢様になんて恐ろしいことを!」
「え……?」
義姉あねぎみとあろう御方が、義妹いもうとぎみにこのような仕打ち……! あんまりでございます!」

 叫びを耳にして飛び込んできた使用人達が、一斉にロシータを非難し始めた。
 何を言っているのだろう、この人達は?
 いったい何が起こっているのか、さっぱり理解できなかった。
 そうしているうちに、たまたま訪問していたというダリオが登場。婚約者なのに、ロシータは彼が来ていたことを誰からも知らされていなかった。
 ダリオ本人からも。

 彼は憎々しげにロシータを睨み付け、状況をさっと目にしただけで、おぞましい悪女への断罪と婚約破棄を言い渡した。
 ロシータが手にしていたものは『ハサミ』ではなく『鋭い刃物』とされ、のちにそれは『ナイフ』だったことになる。
 わけもわからず立ち尽くしていただけなのに、「パトリシアお嬢様に襲いかかっていた」と複数の使用人が証言。
 ダリオもそれを肯定し、レイエス子爵はロシータ本人に事情を尋ねることすらなく、最初から彼らの言い分を信じた。

「ロシータ、おまえは何ということを……!」
「……お父様」

 彼女の胸に去来したのは、憎しみでも絶望でも悲しみでもない。
 あきらめだった。
 この人には、何を言っても無駄。最初から何ひとつ、期待できたことなどない。

(この人達の誰にとっても、私は邪魔な存在なのだわ……)

 速やかに殺人未遂罪が成立し、十八歳の誕生日、レイエス家の悪女は耳が割れんばかりの歓声の中、断頭台で生涯を終えた。



   ◇  ◇  ◇ 



 どのぐらいの時が流れたのか、誰かに呼びかけられ、ふっとロシータの意識が戻った。
 見渡す限り渦巻く不穏な雲の中を、彼女は何も着ていない姿で浮かんでいる。
 ここはどこだろう。轟く雷鳴の音にすくみ上がり、きょろきょろ辺りを見回しているうちに、自分の手足に違和感を覚えた。
 よく見ると透けている。
 どうやらこれは実体ではない。

(そう。私は、処刑されたはず。だったらここは、死後の世界?)

 天の国に行けると夢想していたわけではないけれど、こんな恐ろしい場所に落とされたのだろうかと落胆する。
 いや、浮かんでいるのに「落とされた」も変か。それに、あの家での毎日と比べたら、ここのほうが遥かにマシだ。

 いつもの諦念ていねんが芽生えかけた頃、目の前の雲が前触れもなく左右に分かれ、途方もなく巨大な竜が出現した。

 巨大な角、三対の翼。爬虫類を彷彿ほうふつとさせる長大な尾に、結晶のごときうろこがきらめく。
 尾や爪の先がほんの少しかすめた程度で、岩山すら音を立てて崩れそうな、とてつもない巨体。

 聖画や物語の挿絵で、幾度となく目にしたその姿……暗い青灰色の雲の中にとけ込み、それでいて圧倒的な存在感を放つそれは、この国の守護神たる聖竜で間違いなかった。

 ロシータは喘いだ。
 肉体がないのだから、実際は声どころか呼吸音すら出なかったはずだが、その時はそれが聞こえたような気がした。

 そんな彼女が落ち着く間もなく、竜が語りかけてくる。
 肉声ではない。頭の中に直接意思を届けるイメージで、ロシータの魂をここに呼んだのは自分であると伝えてきた。


『我が名は〝時渡りの竜〟――おまえに役目を与えるため、呼んだ』


 心の中で他者の声が反響するような、なんとも説明しがたい感覚だった。

(お役目? 私に?)

 いったいどうして自分なのだろう? 目をとめてもらえるほどの特技など、何ひとつ持ち合わせていないのに。
 混乱しながら発した問いに、竜はすぐに答えてくれた。

 言葉ではなく、竜の見てきた記憶がロシータの中に流れ込んでくる。
 悪女と罵られた令嬢が処刑されてから、あの国に何が起こったのか。


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