文月さんと私

今日子

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「まったくもう。そんなに急いで食べなくても…。お体に触りますよ。」
「…」
文月さんの言葉とは裏腹に私は目の前のそれをかき込んだ。やっぱり、弱っている時はこうゆうものを流し込まないと、やってられない。少なくとも私は、そういう人間だ。
「ごほっ…っ、げほっ。」
「あぁもう。ほら、言ったでしょう?」
咳き込む私を文月さんは呆れながらも優しくさする。呼吸がだんだん落ち着いていくのを感じる。空気が体の奥まで沈みこんでいく、そういう感覚。
「…気に入ってくださったようで、何よりです。」
文月さんは微笑む。相変わらず、綺麗で儚い、宝石みたいな笑顔だ。
「でも、どうして…これ、作ってくれたんですか?私…そんな話しましたっけ?」
「ふふ…」
文月さんはベット脇のソファに腰掛けた。所作のひとつひとつが丁寧で、相変わらず隙がない。
「だってあなた、夕食後によく作ってたじゃないですか。ポットでお湯を沸かして、まぁ、インスタントでしたけどね。」
「ゔっ…。」
バレて、いた。それも、文月さんに。だから今、文月さんは笑っていない。いや、笑ってはいるけど、やっぱり笑っていない。
「別に、過ぎたことを今更咎めるなんて、そんなことはしませんよ。ただ、」
「ただ?」
「…やっぱり、貴族の食事はお口に合いませんか?」
「…え?」
「別に、変な事ではありませんよ。私も、来たばかりの頃は、なかなか慣れなくて…」
「別に、美味しくないという訳ではありませんが…まぁ、なんというか。高貴な味、という感じで…難しいですよね。」
「…はい。」
七条家は由緒正しき名家だ。だからこそ、衣食住すべてが洗練されていて、庶民の私には、少しばかりか居心地が悪い。とはいっても、毎日の衣食住に困らない、そういう空間だ。だから、前のような不安や焦りを感じることはないけど。ただ、少しだけ。
「…たまに、実家が恋しくなる時があります。」
「…そうですか。」
ベットに横たわる私を見守る文月さんと目が合う。文月さんは一流の使用人だ。だからきっと、こんなこと、伝わらない。私に合わせて、共感してくれているだけ。子供の戯言に付き合ってくれている、ただ、それだけだ。
「それにしても、坊ちゃんには感謝申し上げたいですね。丁度、昨日のビーフシチューに使った、豚肩ロースが残って居たものですから…うまく使えて、よかったです。」
「あっ…それで?」
「まぁ…色々、理由はありますけどね。ただ、やっぱり。」
「一番は、春美さんの好きなものを作りたかったから、ですかね。」
私は傍にあったレンゲでそのスープをすくって口に運ぶ。程よい塩味と少し甘い醤油の香りがする。独特の和風だしが良いアクセントになって、なんだか新しくも懐かしいような、そういう、文月さんの味がする。
「…聞いてます?食べるのに夢中になるのは構いませんけど…火傷には、気をつけてくださいね。」
「…」
「まったくもう…食いしん坊ですね。」
文月さんは微笑む。幼い子供を見るような、そんな顔をしている。
「…おかわり、ほしいです。」
「え?」
思わず、そう言ってしまった。故郷を離れてから、インスタント以外のこれを食べたのは、初めてだった。ほろほろで溶けちゃいそうなお肉も、出汁の効いたスープも久しぶりだった。多分あの日、お母さんが作ってくれたのが、最後だった。
「えっと…本気、ですか?」
「はい。本気です。」
私は珍しく、文月さんの鋭い瞳と目をパッチリ合わせた。だってそのくらい、食べたいから。
「…ダメです。寝てください。」
「食べたら寝ます。」
「…ダメです。」
「…」
文月さんと攻防が続く。これも、いつも通り。いつも自分から仕掛けて負ける、そういう日常。ありきたりな、普通の日常。
「ただでさえ、お肉は消化が悪いんですから。ダメです。」
「出したのは文月さんじゃないですか。」
「…あぁもう、こういうところは本当に。子供らしく、頑固ですね。」
「なっ、違います!」
文月さんは微笑む。口元のほくろもすぐ近くに置いた綺麗な指先も全部全部、見とれてしまう。白くて細長くて、綺麗だ。

「あの、文月さん。」
「…何でしょう。」
「ありがとう、ございます…。すごく、美味しかったです。あったかくて、優しくて…私。」
「また、お作り致しますね。」
「え…?」
文月さんは、私が言い終わる前に、咄嗟にそう告げた。また作ってあげると、そう言った。
「あっ…えと、いや、それはその…」
「だって、食べたくて仕方ないんでしょう?」
文月さんの意地悪な、小悪魔みたいな笑顔が私を貫く。悔しいけど、文月さんのご飯は美味しいから…また食べたい。なんなら、毎日…いや、毎食?とにかく、私は彼の作る料理が好きだ。どこか懐かしいような、心があったまるような、そういう、文月さんの味。
「また、食べたいです。文月さんの、沖縄そば。」
「ふふ。…承知致しました。」
文月さんは、にこりと微笑んで私の手元の食器を持って、医務室の出口へ向かった。
「ですから」

「また、深夜に一人で缶ジュースを開けるだの、カップ麺を流し込むだのは、控えてくださいね。」
文月さんは、不意に扉の目の前で立ち止まり、私にそう告げた。バレてた。でも、驚きはしなかった。だって、文月さんだから。私は、文月さんのことを何も知らないけど、文月さんは私のことを、きっと私以上に知っている。だって、そういう人だ。そういう、よく分からない人。
「それでは、また後ほど。」
文月さんは軽く会釈をして医務室を後にした。私の口には、まだ優しいスープの味が残っていた。あったかくて優しい、そういう、文月さんの味。

「はるちゃ~ん!!」
「わっ!ちょ、ちょっと…!」
不意に抱きつかれた私は驚きを隠せずに間抜けな声が出る。ついさっきまでベットに横たわっていたせいか、いつもより少しだけ、彼女の抱擁にうまく反応出来なかった。
「こら、そんなに抱きついてはいけませんよ。春美さんも、そんなにふらふら歩き回らないでください。」
「いや、でも…。」
文月さんの鋭い視線が私を貫く。相変わらず怖いし、さっきの優しい視線がまるで嘘みたいに別人だ。
「大丈夫だよ文月さん。だってはるちゃん、ばかだもん!こんなのへっちゃらだよね!ね~、はるちゃん!」
「…まぁ。」
「…はぁ。」
幼い彼女に翻弄されながら、私たちはため息をつく。私もまだ未成年だけど、この屋敷にいる彼女たちを見ると、なんだか少しだけ大人になったような、そんな気分になる。というか、屋敷では大人として振る舞わなければならないから、当たり前であるのだけど。
「本当に…大丈夫ですか?あまり無理は…」
「大丈夫です!」
私は文月さんに負けないよう、大きな声を出す。大きくて、ハキハキした、そういう従者らしい声。確かに、メイドっぽくは無いけれど。
「もしかして、給料が引かれるとか…お思いですか?」
「はい!」
私は元気よく返事をする。挨拶は使用人の鉄則。おもてなしの基本だと、文月さんに叩き込まれた。
「大丈夫ですよ…その辺は私が、どうにか致しますので。」
「ですから」

「はるちゃん遊ぼ!遊ぼ!」
「…え?」
ふと目線を下にやると、彼女の可愛らしい純情な瞳と目が合う。どうやら、今回ばかりはあの可愛さやらあざとさが、文月さんに勝つかもしれない。
「えっと…ほら、桜子ちゃんもこう言ってますし…。」
「お嬢様、です。」
「…すみません。」
「え~やだ!桜子は桜子って呼んで欲しい!!堅苦しいのなんてイヤ!」
桜子ちゃんは、地団駄を踏みながらわーわーと、ひとりで騒いでいる。相変わらず、その美しい外見とは裏腹に子供っぽくて、なんだか憎めない。
「…わかりました。ですが、」
「あまり無理はしないこと。約束、できますか?」
文月さんはそう告げると、手袋を外して美しい純白の小指を私の目の前に差し出した。
「えと…」
「指切りです。ほら、手を出して。」
私は小指をさしだして文月さんとそれを結ぶ。文月さんの手はやっぱり大きい。でも、綺麗であったかい。そういう手だ。
「破ったら…どうしましょうかねぇ。」
「ボーナス無し!」
「あらまぁ、それは良いですね。さすがはお嬢様です。」
「は!?いや…ちょ、それは。」
「…」
二人の無言の笑みと圧が私を貫き通す。こんなの、逆らったら殺される。
「…わかりました。だからその、それだけは…勘弁してください。」
私はなんとか言い返すも、どうやら気弱なようで文月さんの表情は変わらなかった。
「あぁもう、わかりました!!無理はしません!!だからそれだけは!まくとぅ勘弁しみそーれ!!」
「…あ」
「でた!はるちゃんの激カワ方言!相変わらず、やり~!」
まずい。やらかした。あれだけ標準語を叩き込まれたというのに、またやってしまった。よりによって、このタイミングで。
「あっ、えと…文月さん?」
「わかやびたん。でしたっけ?」
「え…。あ、はい。合ってます。」
「はるちゃん?これ、文月さんなんて言ってるの?わかやびたん?なにそれ?」
「あっ、えっとわかやびたんって言うのはね…。」
まさか、だった。あれだけ礼儀作法やら言葉遣いに厳しい文月さんにそう返されるとは。相変わらず、よく分からない人だ。優しいと思ったら怖くなるし、厳しくなるし、また優しくなるし。月みたいに形がころころ変わるような、そういう、不思議な人だ。だけど私は。文月さんのそういうところに、すごく惹かれてしまう。

「で、はるちゃん。これやっぱ、脈アリ~?」
「う~ん、これは多分、いや、確実にキープだね。だってほら、wじゃなくて笑使ってるもん。これは、クロだね…。」
「まじかぁ~。もう最悪。せっかく桜子の気にぴにしてあげたのに、見る目ない男ばっかり!」
「そんなことないよ。桜子ちゃんには、ほら、あのスパダリ婚約者様が居るでしょ?」
「え、アイツ!?あれのどこがかっこいいの~?あんなの今更、男として見れないよ。だってずーっと一緒なんだよ?ただのガキだよ、ガキ。」
「そうかなぁ…。優しくて紳士的で、良い人だと思うよ。」
「なっ、何言ってるのはるちゃん!そ、そんな訳ないじゃない!?ほら、文月さんもそう思うでしょ?」
「…わ、私ですか?」
不意に、文月さんから目線を感じた。たぶん、こういう質問には慣れていないのだと思う。だってこれ、いわゆる女子トークってやつだし。
でも。
「私も聞きたいです~!文月さん、教えてくれませんか?」
必殺、営業スマイルだ!だって、文月さんをからかえるチャンスなんてそう来ない。どうせ何をしたって、後で絞められるのだから、今日くらいはふざけたって、良い気がした。
「…春美さん?少々こちらへ…。」
「…え?」
私は文月さんに右手を無理やり鷲掴みにされ、強く腰を抱き寄せられた。
「あ、あの…ふ、文月さん?」
「給料…減らしますよ?」
文月さんは私の耳元でそう囁くと、意地悪そうな、小悪魔っぽい笑みを浮かべた。
「い、嫌です…。」
もちろん私は、そんな強引な彼に抵抗するなんて出来ずに、彼の言いなりになる。文月さんの吐息が私の耳に重なる。私は、自分の高まる鼓動を隠すのに精一杯で、たぶん、へんな顔をしていたと思う。
「でしたら…わかりますよね?」
「…はい。」
「…良い子です。」
文月さんは最後にそう囁くと、私の腕を解放して、先程までのいつもの表情に戻った。使用人の、執事の、文月さんの、朗らかな笑顔に。
「もう、ふたりしてイチャイチャしないでよ~!今は女子トークなんだから、文月さんはあっち行ってて!」
いや、あんたが呼んだんじゃ…?
「はるちゃんも、そんな嬉しそうな顔しない!!」
「いやしてないから!」
「…ふふ。相変わらず賑やかですね。」
「ちょっ、文月さんまで…!」
私は、収まらない自分の鼓動と高まる熱をなんとか隠そうと、そばにあったアイスカフェラテをグイグイ流し込んだ。グラスを丸ごと口に添えて、ぐびぐび飲み干す。
「ちょっと…春美さん。お行儀が悪いですよ。」
「だ、だって、文月さんが…!」
「まったくもう…。」
「お嬢様…少々目をつぶって頂けますか?」
「おっ!もしかして、キスでもする気~?文月さん、強引だね!」
「…まぁ、そんな感じですかね。」

ペシッ
「い、痛っ!ちょ、文月さん何するんですか!?」
「…お仕置、ですかね。」
「はぁ!?」
文月さんは私の額を軽く弾いて、いつものように、意地悪な笑みを浮かべた。私を絶対に下に見ている。部下として見ている、そういう目で。
「おっ、もしかして、ちょっと痛いやつ~?はるちゃん、ドMだね~?」
「ち、違うよ!違うから!」
「ふふ…相変わらず、まだまだお子様ですね。」
「…文月さんのバカ。」
「…それはこちらのセリフですね、春美さん。」
文月さんは笑っている。今日もいつもと同じ。意地悪で、ちょっぴり優しい、そういう笑みを浮かべている。だけどこれは、私が子供だから。子供をからかうときの、そういう目をしているから。

一体どうしたら、文月さんの目は変わるのだろう。私が大人になったら、それとも…。

やっぱり、いつも通り、彼のことはよくわからない。考えても考えても、何も分からない。でも私は。

文月さんのそういうところが、何よりも好きだ。
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