倶利伽羅峠に咲いた花 〜戦乙女、巴御前の転生奇譚〜

Maya Estiva

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第9話 決断の秋

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 ※本話には一部、近親相姦を想起させる表現がございます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。

 秋の風が木曾谷を吹き抜けていく。
 山々は紅葉に染まり、空は高く澄み渡る。
 美しい季節の中で、義仲の居館には緊張感が漂っていた。

 横田河原での大勝利から数ヶ月。
 義仲の名は全国に轟き、源氏の有力武将としてその武勇を広く知られるようになった。
 各地から参陣を願う武士たちが後を絶たず、義仲軍の勢力は日に日に拡大していた。

「義仲様の御威光、まこと天下に響き渡っております」

 義仲軍の古参武将、根井行親ねのいゆきちかが、誇らしげに報告した。

「甲斐、駿河からも、多くの武士が馳せ参じております」

 居館の広間には、新たに加わった武将たちの姿があった。
 皆、義仲の武勇と知略に心酔し、源氏再興の旗の下に集った者たちだった。

 義仲は満足そうに頷いた。
 金色の瞳が、野心的な光を放っている。

「よい。だが、平家も黙ってはいまい」

 義仲の予想は的中した。
 その日の夕刻、急を告げる早馬が到着した。

「義仲様! 大変な知らせにございます!」

 伝令の武士が、息を切らして報告した。

「平家が本格的な討伐軍を編成しております。平維盛たいらのこれもりを総大将とし、十万の大軍で信濃に向かっているとのこと!」

 広間に、重苦しい沈黙が流れた。
 十万の大軍――
 これまでとは桁違いの規模だ。

 しかし、義仲軍の武将たちに恐れはなかった。
 横田河原の戦いでの勝利が、彼らに大きな自信を与えていた。

「ついに来ましたな」

 兼平が、静かに言った。

「これまでの戦いは、いわば前哨戦。これからは真の戦いが始まります」

 ともえも、軍議の席に座っていた。
 美しい薄紅の小袖に身を包み、知的な瞳が輝いて、戦略を思案している。

「十万の大軍……確かに脅威ですが、もちろんそれゆえの弱点もございます」

 ともえの発言に、武将たちの視線が集まる。
 横田河原での勝利以来、ともえの戦略的洞察力は、なみいる武将たちにも高く評価されていた。

「大軍であればあるほど、指揮系統は複雑になります。また、補給の問題も深刻になるでしょう」

 ともえの分析は的確だった。
 現代の考え方が、平安時代の戦略にも活かされている。

「なるほど」

 義仲が、興味深そうに頷いた。

「では、どのような策を用いるべきだ?」

 義仲がともえの意見を求める。
 誰もが信頼できる軍師として、ともえを見ている。
 この時代では到底考えられないことだった。
 
「まずは、敵の進路を予測することが肝要。大軍が通れる道は限られます」

 ともえは地図を指差した。

「おそらく、越中を通って信濃に入ってくるでしょう。となれば……」

 ともえの指が、地図上の一点を示した。

「ここ、倶利伽羅峠くりからとうげが要衝となりまする」

---

 軍議が終わった後、義仲はともえを呼び止めた。

「ともえ、少し歩こう」

 二人は人気のない廊下を歩いた。
 月明かりが、二人の影を長く伸ばしている。

「軍議でのお前の見立て、実に見事だった」

 義仲の声には、素直な賞賛が込められていた。

「ありがとうございます」

 ともえは静かに答えた。
 しかし、その心は激しく動く。

 義仲からの評価。
 そこに、契約を超えた信頼を感じる。
 いまや、彼は単なる契約の相手ではない。
 信じ合える、真の主従としての関係が芽生えていた。

「これからの戦いにも、お前の知恵は役に立つだろう」

 義仲の言葉は、ともえの心を温かくした。
 必要とされている。
 その実感と誇りが、ともえの胸を満たした。

「私も、義仲様のお役に立てるよう、精一杯努めてまいります」

 義仲はごく微かに笑みを浮かべた。
 それは、彼が他の誰にも見せることのない、人間的な表情。

 しかしふたりとも、まだ素直な感情を表に出すことはできなかった。
 心の奥の最後の想いはいまだ捕えられ、封じ込められている――

---

 その頃、別の場所では、兼平が一人で夜空を見上げていた。
 秋の星が、美しく瞬いている。

 兼平の心は、複雑だった。
 妹の待遇が改善されたことは、兄として喜ばしい。
 義仲がともえを信頼し、重用していることも分かる。

 しかし、同時に嫉妬も感じていた。
 妹の夫としての義仲への、言いようのない嫉妬。

 兼平は、嫁入り前のともえの笑顔を思い出していた。
 愛する兄だけに向けられていた、無邪気で闊達な笑顔。
 屈託のない、美しい笑い声。

 あの笑顔を、永遠に、自分の手の中に閉じ込められたなら――

 兼平は、自分の想いに愕然とした。
 実の妹に対して、そのような感情を抱くなど、どう考えても間違っている。

 しかし、心はどうしようもなかった。
 禁断の想いは、日毎に強くなっていく。

「俺は……何を考えているのだ」

 兼平は自分を責める。
 しかし、ともえへの想いを消すことはできなかった。

---

 一方、楯親忠も、同じように夜空を見上げていた。
 若い武将の心は、恋の炎に燃えていた。

 ともえへの想い――
 何度諦めようとしても、どうしてもできない。

 軍議でのともえの聡明さ、戦場での強さと勇ましさ、そして何より、その美しさ。
 すべてが親忠の心を捉えて離さない。
 しかし、最初からともえは義仲の妻だった。
 手の届かない存在だった。

 親忠は、夜毎にともえのことを想った。
 若さゆえの、激しく切ない想い。
 それは、親忠を苦しめ続けていた。

 艶やかな黒髪、桜色の唇、透き通る肌。
 そして、小袖の下の、細く柔らかな肢体。
 夢の中で、妄想の中で、ともえに対する数えきれないほどの過ちを、親忠は犯し続けてきた。

「ともえ様……」

 声にならない親忠の悲痛な叫びが、夜風に消えていく。

---

 数日後、義仲軍は越中への進軍を開始した。
 三万の軍勢が、整然と行進していく。
 ともえの姿も、鎧に身を包み、薙刀を背負って馬上にあった。

 進軍の途中、義仲とともえは並んで馬を進めることが多くなった。
 二人の会話も、以前より増えていた。

「この辺りの地形、お前はどう思う?」

 義仲が、ともえに意見を求める。

「山がちで、大軍の展開には不向きですね。ですが、それは敵も同じこと」

 ともえの分析は的確だった。

「地の利を活かせば、数の不利を覆すことも大いに可能でしょう」

「なるほど。よく見ている」

 義仲の賞賛に、ともえの心はささやかに跳ねる。

 夜営では、ふたりは焚き火を囲んで話すことが多くなった。
 戦略の話から始まって、やがて他愛のない会話になる。

「お前は、どこでそのような知識を身につけたのだ? 九百年先の世でか?」

「いえ、そのようなことはないはずなのですが……」

 実際、ともえ自身にもよく分からなかった。
 前世で歴史や軍事に詳しかった記憶などない。

---

 そんなふたりの様子を、兼平と親忠はそれぞれ、複雑な思いで見つめていた。
 妹、想い人が幸せそうなのは嬉しい。
 しかし、同時に激しい嫉妬も感じる。

 兼平と親忠は互いを察知し、言葉にならない何かを感じる。
 同じく叶わぬ相手に想いを抱く者同士の、微妙な距離と奇妙な連帯。
 ともえを想う気持ちにおいて、二人は盟友であり、競争相手でもあった。

---

 進軍は順調に進んだ。
 やがて、越中の国境が見えてきた。

「いよいよですな」

 兼平が、緊張した面持ちで言った。

「ああ。これからが本当の戦いだ」

 義仲の新たな決意。
 ともえもまた、心を引き締めた。
 これまでとは桁違いの規模の大戦が待っている。
 自分の知識と技量の、真の試練が始まるのだ。

 夕日が山々を染める。
 美しい光景は、嵐の前の静けさでもあった。

 間もなく、源平合戦史上最大の合戦が始まる。
 倶利伽羅峠での戦いが、四人の運命を大きく変えることになる。

 秋の風が、戦旗をはためかせている。
 新しい戦いの始まりを告げるように、力強く、そして美しく。
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