名も知らぬ人

原口源太郎

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 海からの風がさらさらと晴菜の髪を揺らしている。
 晴菜は車にもたれて海を眺めていた。
 男がバイクで現れる。
 バイクは晴菜の車の隣で停まり、バイクにまたがったまま男はヘルメットを取る。
「元気にしてた?」
 晴菜が声をかける。
「見た通り」
「よかった。すっぽかされるかもしれないと心配していたんだ」
「そんなことしないよ」
「バイク、ここに置いておく?」
「いや、公園の駐車場に置いていく」
 公園の駐車場まで移動してバイクを停めると、男は晴菜の車に乗り込んだ。
「狭い車だな」
「文句は言わない」
「はいよ」
 晴菜の運転で車は走り出す。

 街の中を走っていく純白のポルシェ。
 男はシートベルトをして腕を組み、前を見ている。
「ねえ、あなた趣味はあるの?」
「趣味? バイクにテニス。読書に海をボーっと眺めること」
 男はそっけなく答える。
「テニス? おまけに読書? 信じられない」
「よせよ。俺に質問するなって言っただろ。プライベートなことは話したくない」
「ケチ」
 晴菜は頬を膨らませて言う。
「じゃ、答えなくないことは答えなくて結構。ブーとでも返事をして」
「ブー」
「私が何か尋ねたらよ。私は色々と知りたい。だから質問をする。答える、答えないはあなたの勝手。それとも私のことを話そうか。生年月日、スリーサイズ、趣味、両親のこと」
「ブー」
「共通の話題を見つけなきゃ、会話ができないじゃない。そうだ、あなた、車は持っていないんだった?」
「持ってない」
「じゃ、バイクで遠くまで行ったりするの?」
「たまにね。街中を走っていても面白くないけれど、整備された田舎の道はいい。通行量の少ない真直ぐな道を走るのも、曲がりくねった山道を走るのも楽しい」
「そうだよね。私も全くその通りだと思う。カーブをぐいん、ぐいんとハンドルを切っていくのが好き。本当に車を操っているんだって実感させてくれる」
「飛ばすの?」
 男は少し驚いたような目で晴菜を見る。
「私はそんなにスピードを出さないよ。そこそこのスピードで十分。無茶な運転する人もいるけれど、私は後ろから速い車が来たらすぐにどいちゃう人だから」
「それでいい。スピードを出してスリルを楽しむんじゃなくて、車を操る、そして道を走ることを楽しむ。それがいい」
「どけどけ、邪魔だって言っているみたいに後ろから追い立てられると腹が立つけれどね」
「そういう奴らは公道を走るべきじゃない。サーキットに行って走ればいい」
 車は高速道路を下りる。
「私ね、学生の頃、友達に車であちこちに連れていってもらったんだ。だから色々なところを知ってる。もちろんドライブの穴場も。友達はそういうのが大好きだったから。あなたはどんなところに行くの?」
「大体いつも同じところだな。あまり知らないところには行かない」
 幹線道を折れていくと交通量は減り、住宅の間に畑が広がり始める。
「バイクってどんな感じ? やっぱり楽しい? それとも怖い? 怖いのが快感になってる?」
「車みたいに快適じゃないけれど、車よりはマシンを操っているって感じはする。加減速やカーブでメリハリがあって楽しい」
 車は信号で停まる。
「怖くはない?」
「怖くはない。車と同じで大人しく走っている分には問題ない」
 突然、右から来た黒い車がつんのめるようにブレーキを掛けながら交差点に突っ込み、タイヤを軋ませて右折した。
「危ない!」
 青菜が思わず悲鳴を上げる。
 横断歩道を親子が渡っていた。
 親子は慌てて逃げようとする。
 黒い車は親子に気が付いて急ブレーキをかけた。
 そのままリアタイヤをロックさせて横滑りしながら親子を跳ね飛ばした。
 晴菜は車を降りて親子のところに駆け寄る。
 若い母親は頭から血を流して倒れていた。幼い少女が近くで泣き叫んでいる。
 近くに停まっていた車からも人々が降りて駆け寄ってくる。
 横断歩道の先に停まっていた黒い車はエンジンを唸らせ、タイヤを軋ませて走り出した。
 晴菜は血を流す母親を見て呆然としていた。
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