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五章 フェスティバル

60 Help!

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 CDを作るという作業には、何段階かの過程が必要になる。
 まず第一にはレコーディングがあり、これが昔だと全員が一発で録音して、それが満足するまで続く、というものであったらしい。
 やがて何度かの演奏から、切り貼りするというものに変わっていく。
 多重録音が当たり前になってくると、音に音を重ねていくのが可能になった。
 このレコーディングまでが、普通のアーティストのこだわるところである。
 あとはエンジニア任せ、というのは珍しくない。

 ノイズの場合は俊がいるので、ミックス作業の先もこだわりがある。
 もっともこれは複数の人間がいると、余計にまとまらなくなる場合がある。
 なのでさすがにマスタリング作業にまでは、手を出さずに見守ることにする。
 そもそも俊はボカロPとしてのミックスやマスタリングは出来るのだ。
 月子のレコーディングから、そのレベルのミックスやマスタリングも出来るようになっていた。
 だがさすがにフルアルバムのミックスダウンからマスタリングは、作業量がとんでもない。

 マスタリング作業というのはミックスの先の話で、一枚のCDの中の音量調整や、最終的な統一感を合わせていくものだ。
 俊の場合はこの作業を見ることが、本当に勉強になる。
 とは言ってもこれは技術的でありながら、実際にはクリエイティブな職人作業になる。
 なので数時間は曲の統一感などのために意見を求められはしたが、最終的には全て任せるしかない。
 シェヘラザードの抱えるエンジニアは、インディーズでしっかりと売れるアルバムを作っているスタッフだ。
 そこは信用しているのだ。

 またそれとは別に、俊は新曲の作成にかかっている。
 このレコーディングで、フロント三人のケミストリーが明らかになった。
 そこからトライアングルという仮タイトルで、一曲出来てしまったのだ。
 何かを伝えるために曲を作るのではなく、三人のパワーを見せ付けるためだけの曲。
 シンプルにいいものが出来たとは思う。
(けどこれ、俺がいらないな)
 エフェクト係でもやっておこうか、と思ったぐらいである。

 現代の音楽は凝ったことをするために、シンセサイザーを使うことは普通である。 
 それこそもう、俊の父の時代には、既に当たり前になっていた。
 だがそれを使いこなすということとは、また別の話である。
(ブログも更新しないとな。……フェス、今からでも交代とか、間に合うのか?)
 ライブが途切れず入っているのは、ありがたいことである。
 それにやるハコの格も、上がっているのだ。
 もっとも音楽性の問題は、確かに暁の言っている通りである。

 ビートルズだってピアノだけの曲を発表している。
 ロックというのは形式ではなく、魂のものではあるのだろう。
(カバー曲の割合を、もっと少なくしたいんだけどな)
 これまでにやった中では、やはりタフボーイと打上花火の評判がいいのだ。
 あとはメロスのようにも、思ったよりかなり評判が良かった。

 ノイズというバンドの、分かりやすい長所。
 それはやはり、ツインボーカルと暁のギター。
 そして俊の便利屋的な動きだろう。
 バンドリーダーとして、出来ることをやっている。
(ギターを活かした上で、ツインボーカルを活かす曲……)
 とりあえず今の新曲は、そういったものである。
 だがカバー曲も、何かをやりたいのだ。

 基本的に暁のやりたい曲をやっていると、洋楽が多くなってしまう。
 ただ日本のバンドやユニットでも、強烈なギターのあるバンドはあるのだ。
(あれのカバーやるか?)
 強烈なギターのユニットという点では、あれがある。
 問題はツインボーカルをどう活かすかだ。
 そこは月子をメインにして、千歳にコーラスをやらせてもいい。
(だけどなあ。デュオのあれも、ちょっとカバーしてみたいし)
 色々と考えている俊のスマートフォンが、着信に震える。
 誰からかと見てみれば、先日出会った新城佳奈からであった。
(何の用だ?)
 疑問には思いつつ、俊は通話を開始した。



 佳奈からの話というのは、ヘルプの要請であった。
 新曲をやるにあたって、ギターパートがもう一人ほしい。
 つまり暁を紹介してほしい、というものであったのだ。
「引き抜きでも考えてるんですか?」
『それは本当にないから』
 まあクリムゾンローズの3ピースの安定感を見ていると、確かにそれを崩すのは難しい。
 そもそもデビューにあたって、新しいメンバーを入れようという提案を断っているらしいのだ。

 だが、暁のレベルであれば。
 変身を二回残している暁を見て、彼女たちは上手いと言っていた。
 年下の女の子なら、受け入れられると考えるかもしれない。
(いや、これは邪推か)
 メジャーデビューするならクリムゾンローズはどんどん忙しくなっていく。
 高校生の暁が一緒なら、その自由度を失うわけだ。

 ならば何かと言うと、ちゃんと理由はあった。
『あの子ぐらいの腕があるギターなら受け入れる、という言い訳がほしいんです』
「ぶっちゃけすぎ! だけどまあ、そういうことですか」
 既にプロの女性ギタリストなら、暁に近いレベルも思いつく。
 思いついたが、同時に気づいてしまう。
(女性ギタリストで暁を上回るのって、確認できる範囲じゃいないんじゃないか?)
 基本的に女性ギタリストが少ない、というのもあるだろうが。

 ともかく俊としては、暁の経験が蓄積されるのは悪いことではない。
 ノイズのメンバーは基本的に、レベルの高い演奏者がそろっている。
 下手くそなのは千歳のギターと、俊があちこちに手を伸ばしたものだけだ。
 ピアノとベースにはかなり自信がある。
「ちょっと本人に聞いてみます」
『お願いします』
 暁より上手いとまでは言わないが、ある程度互角に近い勝負が出来るアマチュアギタリスト。
(あいつ、どんどん上手くなってるな)
 俊はPCから、彼女の映像を持ってくる。

 Kanon。
 初めての投下あたりから、既にピアノとヴァイオリンは嘘のように上手かった。
 だが最近は他の楽器にも手を出して、ギターやベースにドラムと、マルチプレイヤーっぷりを発揮している。
 上達っぷりがどの楽器も異常だ。
 録音環境が悪いのか、公開している音楽の、総合的な出来は良くはない。
 しかし一人で、ここまでをやってしまっているのだ。
(映像の背景は防音室っぽいけど、本当に何者なんだ?)
 おそらくは俊と同じく、親もミュージシャンなのであろうが。

 前に進んで、先にいるものを意識している。
 だが後ろから、追い越してくるやつもいるかもしれないのだ。
(それにこいつの声、少しあれに似てるような……)
 まず自分の疑問は後回しにし、暁に連絡をする俊であった。



 俊を伴って、暁はクリムゾンローズのレッスンしているスタジオを訪れた。
 暁としてもかっこいいガールズバンドには、少し興味があったし、上手いなとは思っていたのだ。
 保護者代わりというわけではないが、見学を申し出たら許可された。
「スタジオ代とか、まだ出てないんですね」
「契約が決まったら、そういうのも出してくれると思うんだけどね」
 ノイズのようにレッスンスタジオがほぼ無制限に使えるというのは、やはり特殊なのだ。

 ロックにはガレージロックというジャンルがあるが、これは復古的なロックで、その語源的にはガレージに集まって演奏するというような、商業ロックなどを否定する、単純なロックという意味合いも持っていった。
 アメリカという文化においては、音楽の演奏がもっと身近にある。
 日本と違って練習する場所が多いのだ。
 日本でもむしろ田舎であれば、演奏の練習には事欠かない。
 しかし東京などであれば、まずスタジオの代金がかかってしまう。
 バンドをやるのに金がかかる、という理由の一つがこれである。

 暁に渡されたのは、新曲のリードギター部分である。
「けっこうシンプルに難しいんですね」
「音に厚みを出すのはいいんだけど、それでバンド内がギスギスしたら本末転倒だし」
 やりたい音楽をやる。
 単純にプロになりたい、というわけではないのだ。
「じゃ、さっそく合わせてみますか」
「もういいの?」
「誰かさんのおかげで、無茶振りには慣れてますから」
「え、俺ってそんな無茶振りしてたっけ?」
「千歳のフォローなんかそうでしょ」
「それは本当にすまんけど、ちゃんと上手くはなってるだろ」

 将来性への投資。
 それに実際、千歳はどんどんと上手くなっている。
 この夏休みの間も、全体練習以外に暁の家の防音室で、かなり弾いているのだ。
 おかげで左手の指の皮がえらいことになっているらしい。 
(日本のトップまでなら、千歳は必要ない。けれど世界レベルで勝負するなら)
 それが俊の見立てであるのだ。



 暁がクリムゾンローズの新曲と合わせている間に、俊は彼女たちの他の演奏曲の楽譜も見せてもらっていた。
(なるほど、作曲はこういう感じなのか)
 POPS-ROCKと言うべきだろうか。オルタナティブの成分も多いが、メタル系も含まれている。
 彼女たちはステージ衣装も、同色のカジュアルとドレスの中間的な服装で合わせていた。
 普段はそれなりにガーリーなファッションもする暁とは、やはり違うだろう。
 暁は演奏の好みはハードロックからメタルといった感じだが、ステージのファッションはオルタナティブにしている。
 Tシャツにダメージジーンズというのは、彼女のステージでの正装だ。
 
 新曲を合わせるのに、一時間はかからなかった。
 そしてその間に、俊は自分も一仕事していた。
「今度もやるレパートリーのオリジナル、ギター一本増やしてみましたけど」
 この短時間に、他の四曲分を。
 本人としては単なる技術と慣れなのだが、一般的な基準で見れば、これも充分におかしいことである。
「え、今の間に? 楽譜まで?」
「慣らしてみましょうか」
 さすがにボカロを使って歌わせ、調声するというところまでは出来なかった。

 面白いのでやってみたが、これはお節介であったかもしれない。
 なぜならこれで演奏がよくなってしまうと、メンバーを増やさなければいけないという、その話を後押しするものになってしまうからだ。
 だがどうせ暁を含んで演奏するなら、つまらないものになってほしくない。
「ボカロPって……すごい」
「あ~、でも俺より凄いのが、何人もいるのがボカロPの世界だし」
 実際には俊は、他のボカロPと比べても、かなり特殊な部分がある。
 それは作業のスピードである。

 元々独学ではなく、ある程度の音楽の素養があった。
 特に母親の影響で、クラシックのコンサートなどを鑑賞していたのが大きい。
 そしてボカロのソフトで、音を遊ばせることが出来るようになった。
 さらに大学での勉強で、どんどんと技術を高めていった。
 なので俊は、作曲や作詞に比べても、アレンジの能力は高いのだ。

 歌のない演奏だけを聞いても、明らかに曲に厚みがある。
 もっとも厚みがあれば、それでいいというわけでもないのだが。
 声をダイレクトに聞かせるためなら、ギターやピアノの弾き語りというものもある。
 極端な話をすれば、ピアノの演奏曲に、他の楽器で厚みをつけることは、蛇足というものになってしまう。
 シンプル・イズ・ベストというものもあるのだ。

 クリムゾンローズは3ピースバンドだからこそ、限界があったというのはある。
 そしてそこに気づいて、レーベルはメンバーを加えようとしているのだろう。
 それを確認させるということでは、確かに俊はいらないことをしてしまったのかもしれない。
 だがかつて月子に、メイプルカラーのアレンジを渡したように、音楽に関しては伸び代を伸ばすのが俊なのである。
「あたしがリード弾いていいんですか?」
「慣れない複雑なところを弾いてたら、ちょっと歌にまで回らないからね」
 そう佳奈は言ったが、すぐに耳コピしてしまった暁の能力にも驚いた。
「楽譜がほしいなあ」
「データなら後で送っておきますから、そこから印刷してください」
「うあ~、俊君ありがとう」
 どうやらこれは、悪いことではなかったらしい。



 その後も一度、暁はクリムゾンローズと合わせた。
 そして彼女たちのバンドのライブに参加することとなる。
「練習じゃ順調なのか?」
「この間は千歳を連れて行ったんだけど、けっこう刺激を受けたみたい」
 千歳の今の担当は、リズムギターである。
 なので今回はリズムギターでボーカルの佳奈には、かなり学ぶところがあったらしい。

 俊は今のところ、佳奈が弾くのは難しい曲、というのは作っていない。
 シンセサイザーの演奏で、おおよそはカバー出来るからだ。
 ただライブでのギターの合わせは、やはり二人にある程度の技術がないと困る。
 またそこまで千歳が成長したら、俊の作曲の幅はさらに広がる。
 ……打ち込みで弾いたフリをするなら、そんなことも必要ないのだが。

 実際のところライブでは、正確に演奏する以上の熱量が、生の音から飛び出してくる。
 必要なのは正確さよりも、フィーリングである。
 正確に弾いた上で、さらにフィーリングもある暁の域に、千歳が達するのはまだまだ先であろう。
「そんなわけでクリムロさんからチケットをもらったんだが」
 一応五枚もらったのだが、予定が空いている者は少ない。
 俊に信吾と千歳、そしてその叔母である文乃が来ることになった。
「あと一枚」
 適当に誘ってみると、朝倉から行きたいとの連絡があった。
 ガールズバンドに朝倉を近づけるのは、ちょっと危険かもと思ったが、さすがにそこは大丈夫だと思いたい俊である。
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