獄中日記

みゆち

文字の大きさ
上 下
2 / 3

見つめる眼━自分自身を見つめ直す

しおりを挟む
小学校入学前の幼少期の記憶は若い頃ほど鮮明には覚えていないけれども、楽しかった事は今でもちゃんと心に残っている。やんちゃだった私たち姉妹と近所の友達とで毎日外をかけ回って遊んでいた。アパートのすぐ隣に広い敷地をぐるっと塀で囲った場所があった。その中には黒光りした石が山のように積まれていた。石炭である。子供の頃、それが石炭と分かっていたかどうだったかわからないが、ちびっ子達はこっそりと中に忍び込んで、ただその山の上を走り回って遊んだ。転んだりもする。遊び終わった時にはもう真っ黒だっただろう。けれども、親に叱られたという記憶は無い。
ある時は、軽トラックの荷台に上がってそこから飛び降りるという度胸試しの様な事もした。私が4、5歳で妹は1つ下。今思うと危険な遊びだった。私は度胸が無いため足がすくんで飛び降りる事が出来なかったが、妹は怖がる様子もなくヒョイっと飛び降りた。しかし、上手に着地出来ず頭か顔を地面に打ち付けて流血し大泣きしていた。今の時代小さい子供だけで外遊びをする事はほとんど無いだろう。親が見ているから危険な遊びをすることも無い。私が子供の時には一番年齢の大きい子が小さい子の面倒を見て遊んでいた。危険なことと思えば注意してやらせない。自分に責任がかかってくるからだ。残念ながら私の幼少期には私より年上のお兄さんお姉さんは近所にはいなかった。小さい子達は優しいお姉さんが大好きだった。私が小学生になり引越しをしたが、そこでも私より年上の子供はいなかった。私は近所のちびっ子達とよく遊んだ。特に私が可愛がっていた5歳位のその女の子はとても可愛く大人しく賢い子で「てっち」と、呼ばれていた。時々てっちをプールにも連れていった。今思うと、小学生の子供に幼稚園児を預けてプールに行かせるなんて考えられない事だと思う。たまにその子の家で遊ぶ事もあった。私はこの時間が好きだった。その子のお母さんとも話せるからだ。よそのお母さんとの会話は、ちょっと大人になったような気分だった。
しかし、別れは突然やってきた。
てっちが死んだ………。
風邪の菌が脳に入ってそれが原因で亡くなったという。私はその知らせを聞いて涙が止まらなかった。妹の様に可愛かったてっち。お利口すぎるくらいできた5歳児だった。

そして時が経ち、私はいつしかてっちのことを忘れていた。けれどもこうして何かの折に昔を思い出すと、良き思い出の1つに彼女との時間も思い出す。幼い子供の死はとても悲しい事だったけれども彼女は今でも私の記憶の中で生きている。たった五年間しか生きられなかったけれど、他人の記憶の中に40年たった今でも残っているなんてきっと彼女は何か使命を持って生まれて来たんだろうな…。そんな事を考えたりもするが、私はその使命が何なのか分からずにいる。

私は長女という事もありいつも「お姉ちゃんなんだから」と言われ続けて育った。子供時代は正義感が強くしっかりした子供だったと母は言う。子供らしくない子供でもあった。
正義感が強いと言えば、小さい時火事で火傷を被った妹が皮膚がケロイド状になっていることを、火傷ババアと言って学校帰りに男子に虐められているのを見て、私はとても悲しい気持ちと同時に怒りが湧き上がり男の子達に向かって怒鳴り散らしたことを覚えている。虐めは1度や2度ではない。ことある事に火傷ババアと罵られている妹がとても不憫だった。
妹は私が悪い男子をやっつけてくれたと嬉しそうに母に報告していた。私は虐める男子を怒鳴り散らす事くらいしか出来ない。虐められても負けずに学校に行く妹の明るさが凄いと思った。元々負けず嫌いな所がありやんちゃな性格だったから折れずにいられたのかもしれない…。いや、人の本当の心の内は他人にはわからない。身内であっても話さない限りわかるものではない。外見では明るく振舞っていても心の中で泣いていたのかもしれない。簡単に他人の心の内を判断するのはしてはいけない行為だと思う。
皆さんは運命というものを信じますか?
私は結論から言って信じません。
先に話したてっちの事も、火傷を被った妹の事もそうなる運命だったんだと片付けてしまうのは簡単な事です。
運命という言葉を使えば、私の犯した犯罪もこうなる運命だったと片付けることも出来るでしょう。
私が子供の頃、友達が万引きをする現場を見て怖いと思いました。私には絶対に出来ないと思いました。
大人になり、自分の子供が万引きをした時、とても悲しくて落ち込みました。
子供は万引きは悪い事と分かってやっています。人はなぜ悪い事と分かっていて罪を犯すのか…。私自身、子供の時怖くて万引きも出来なかったのに、万引き以上の犯罪をなぜ犯したのか…。これに関しては何度も自分の胸に手を当てて聞いてみました。私の場合は自暴自棄になっていたからです。自分の人生なんてもうどうでもいいと思っていたからです。そして、犯罪の反対側には被害者がいることを重要視していなかったからです。犯罪は自分勝手な考え方、心から生まれるのです。
私は前科者です。でも、ただの前科者では終わらせたくはありません。こうして手記を残し、自分自身を見つめ直し世のために尽くし、少しでもこの手記が皆さんのお役に立つことを願って獄中日記を書いていきます。
しおりを挟む

処理中です...