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(46)貴方だけが私を生かす

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 新年を迎えた賢人の月、二節と二日。

 アチューダリアに一時帰国し、これまでの経緯の報告のために王との謁見が予定された十六時。

 王城にやって来たリルカは、純白に金の細工が施され、剣聖の名をいただく者のみが身に纏うことを許された、特別な甲冑に身を包むマーベルの背中を全力で殴る。

「ねえ父さん、父さんってば! ちょっとオイこら、このクソオヤジ、人の話聞けよ!」

「リルカ、場所と俺の立場を考えてくれ」

「分かってるけど人の話を聞かないからでしょ」

 淡いラベンダーにヴィオレ鮮やかな紫で贅沢な刺繍があしらわれたドレスに身を包み、母の形見である耳飾りを耳元を飾った姿で、リルカは眼光鋭く立ちはだかる。

「ナファニスが〈ユティシアル聖教会〉の宣教師だったことで、リンドルナ全域にその影響は出ている。もちろんアチューダリアも例外じゃない」

「それは分かるけど、なんで私が正装して連れてこられるのよ」

「お前も当事者だからに決まってるだろ。王にお目通りしようと言うのに平服では済まされん」

「だからってなんでこんなビラビラしたドレス」

「いいから。ほら、腕を組みなさいリルカ」

 マーベルに言われて嘆息すると、リルカは諦めた様子でその腕を取り、慣れないハイヒールの踵を鳴らすと隣に立つ。

「粗相のないようにな」

「そう思うなら連れて来なければいいでしょ」

「そうもいかないんだよ」

 含み笑いを浮かべるマーベルの真意が分からずに、案内されるまま謁見の間に足を踏み入れると、アチューダリアの王、ランスロットが玉座からこちらを見据えていた。

 両脇に控え、スピアを掲げる兵士たちの眼前を通り抜け、一歩、また一歩と足を進めると、玉座に向かう数段のきざはしの手前でマーベルが挨拶の口上を述べる。

「国王陛下におかれましては」
「よい。堅苦しいのは顔だけにしろマーベル」
「陛下」

 屈託のない無防備で悪戯っぽい笑顔は、リルカの緊張をほぐすにはちょうどいいものだった。

「剣聖マーベルの娘リルカ」
「はい」
「そなたに客人が来ているので紹介しよう」

 突然の話にリルカは驚きつつも、膝を折って頭を下げ、御心のままにと挨拶をする。

 静まり返った謁見の間に、こつこつと響く踵を鳴らす音。そして鼻先をくすぐるように漂う、覚えのある華やかな香り。

 顔を上げるように、国王ランスロットから声を掛けられて見上げたその先には、アッシュグレイの髪を丁寧に編み込み、その髪を肩口で纏める見覚えのある組紐が見える。

「エイダーガルナ帝国、皇帝イジュナル・ブランフィッシュ陛下より、リルカ・レインホルンに、是非とも直接のご挨拶があるそうだ」

 ランスロットの声がその場に轟くと、マーベルに倣ってリルカは再び頭を下げる。

 ルーシャは事件の後始末で身動きが取れないと言っていたはずだ。それなのに今リルカの目の前、僅か数歩先に堂々とした姿で立っている。

「まずはマーベル・レインホルン。此度の活躍を以て剣聖の称号を受けられたこと、お喜び申し上げる」

「もったいないお言葉です」

「そしてリルカ・レインホルン」

「はい」

「貴殿には、エイダーガルナとアチューダリアの恒久的な和平の証として、我が妃として帝国に迎えたく、ランスロット王にこの場を設けていただいた」

「なんですって」

 リルカは思わず大声を出した。

「こらリルカ」
「だって父さん」

 縋るようにマーベルを見つめるリルカに、マーベルは悲しげに、しかし嬉しそうな顔をして送り出すように背中を押した。

「なにも迷うことはないだろ」
「……父さん」

 マーベルを見つめて僅かに目元を潤ませるリルカに、堪えきれなくなったマーベルが堪らず娘を抱き寄せる。

「飛翔艇さえあれば、会えない距離じゃない」

「ありがとう、父さん」

 リルカが浮かべた涙を拭うと、この役目も今日で終わりだなと、マーベルは静かに呟いた。

「さあ、陛下に返事を」

 リルカはマーベルの腕を離れて玉座に向かい直すと、ランスロット王とイジュナルを見つめて居住いを正す。

「身に余る光栄です」

「おお、ではリルカ・レインホルンよ。アチューダリアとエイダーガルナ帝国のために、その身を捧げてくれると申すか」

 ランスロット王が歓喜の声を上げるが、リルカはいいえと声を張る。

「国のために身をやつすのは父の務め。私はそんなことに身を捧げるつもりはありません」

 リルカの言葉に、歓喜に包まれていたはずの謁見の間には、しんと静まり返ってヒリついた空気が流れる。

「……ではアナタはなにに身を捧ぐと」

 重たい空気の中、イジュナルが口を開いてリルカに鋭い目を向ける。

「私は、私の愛する人にこの身も心も捧げると誓ったのです」

 リルカがそう答えると、ようやく意図を理解したイジュナルが破顔して、それを隠すように手で顔を覆う。

「国のためでなく、自分のために貴方の元へ参ります」

 リルカはそう言って駆け出すと、迷うことなく壇上のイジュナルの胸に飛び込んだ。

「このおてんば娘」
「勇ましい姿も愛してるわ、イジュナル」

 愛しげにリルカの頬を撫でるイジュナルの手を取ると、場も弁えずにリルカはその唇を奪った。

 あまりに急な話にランスロット王も王妃も、そこに集う兵士たちも皆が呆気に取られる中、マーベルだけは苦笑しながらそれを見守っている。

「マーベル、これは一体」
「ランスロット陛下、それを聞くのは野暮です」
「ふむ。そうか、それもそうだろうな」

 ランスロット王は笑みを浮かべると、咳払いをしてからもう良いだろうかとイジュナルとリルカを見つめる。

「剣聖マーベル・レインホルン、そしてクレア・レインホルンの娘、リルカ。そなたには此度の活躍に対して栄誉兵士の称号と勲二等を与えるものとする」

「私が二等の栄誉兵士、ですか」

「本国アチューダリアにて、マーベルの右腕となって母君のような活躍を願いたいところだが、イジュナル陛下はそれをお望みではないからね」

 リルカをその腕に閉じ込めて離さないイジュナルに苦笑しながら、ランスロット王は幸せになるんだよと付け加えた。

「もったいないお言葉です。ありがとうございます」

「うむ。ではこれにて勲功受勲の式を終えるものとする」

 ランスロット王と王妃、そして兵士たちがその場を去ると、残されたマーベルとリルカは改めてイジュナルと向かい合う。

「こんな跳ねっ返りの娘だが、君は本当にこの子で良いんだね」

 マーベルは答えは分かってるけどと笑みを浮かべてイジュナルに手を伸ばす。

「リルカでなければ意味がない」

 マーベルの手を掴んだイジュナルはその手を取り、二人は固い握手を交わす。

 アッシュグレイの髪と黒い軍服に長いマント。そしてなにより女言葉を使わないイジュナルに違和感を覚えて、その奇妙さにリルカは堪らず声を殺して肩を揺らす。

「なにがそんなに可笑しい」

「だってルーシャ、ちゃんと偉い人に見えるんだもん」

「こらリルカ。不敬だぞ」

「構わんよ、これがこの子だ」

 面目なさそうに困惑気味の顔をするマーベルにイジュナルはそう言うと、リルカを抱き寄せて耳元に囁く。

「アナタはアタシの方が好きみたいね、仔犬ちゃん」

 ついでとばかり耳朶を甘噛みすると、リルカの耳飾りが小さく揺れる。

「いちゃつくなら俺の目が届かないところにしてくれ」

 マーベルが苦笑いすると、リルカは顔を真っ赤にしてイジュナルの胸元を力なく叩いた。

 そしてその三節後、エイダーガルナの帝都アエスにて、事件の終息を迎えた場所となったティンデシア大聖堂には、イジュナルと花嫁衣装に身を包んだリルカが居る。

 事件の責任をとって辞職したダニエキリルに代わり、新たに教皇となったグリニッチが宣誓の祝詞をあげると、永遠の愛を誓い合うイジュナルとリルカが口付けを交わす。

 それを見守る〈レヴィアタン〉の面々と、セルゲイとベイルの兄弟、マーベルにイドリース、そしてウェイロンの姿もそこにある。

 祝福の拍手や騒々しい声が上がる中、イジュナルはリルカの頬に顔を寄せる。

「なんて美しいのかしら、アタシの可愛い仔犬ちゃん」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、いつまでそう呼ぶ気なの」

「あら可愛い、拗ねちゃって。でもダメよ、こんなセクシーなドレスは目に毒だわ」

 大胆に開かれた胸元に指を這わせると、顔を真っ赤にしたリルカの手がそれを払い除ける。

「こんなところでやめてよ、なに考えてんの」

「なら早くこんなところじゃないところに行きましょうよ」

 艶かしい笑みを浮かべたイジュナルはパチンと指を鳴らすと、呆れた様子のグリードが〈レヴィアタン〉の面々に声を掛け、ティンデシア大聖堂の扉が開かれる。

 イジュナルに手を引かれて、転ばないようにドレスの裾を持ち上げながら外に出ると、あの日見たスプルース暗い緑の〈クエレヴレ〉が広場に停泊していた。

「さあアタシの可愛い花嫁さん、これからナイトクルーズと参りましょうか」

「行き先は」

「アナタが行きたいところなら、どこへでも連れてってあげるわ」

「大好き!」

 リルカがイジュナルに抱き付くと、周りから冷やかすような歓声が上がり、大きな祝福の中、二人は改めて深い口付けを交わす。

 そして二人を乗せた〈クエレヴレ〉は天高く舞い上がると、一気に空を翔けて蒸気が軌跡を描き青空の雲間に紛れて消える。


 皇帝殺しと呼ばれた男は、母を殺された孤独な皇帝であったが、剣聖の娘と巡り合い、真実の愛を手にしたことで、幾久しく幸せに過ごしたと後世に伝えられている。

 ただし彼は女言葉やド派手な見た目を変えることなく、そして妻もまた勇ましい男装を続け、二人で大空を飛び回って冒険していたとかいないとか。


【完】
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