犠牲の代償

はゆ

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【Feather Road】現実主義

氷川静那 / 魔力袋 - 人格ではなく機能として

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 正午を知らせる音が静かに響く。ふと目にした時計が、三時間の経過を示していた。

 普段、時間の流れに意識を向けることはない。夜が深くなるまで、ただ目を開けているだけの日々が続いている。そこに特別な意味はない。

 そのとき、耳をつんざく不快な音が響いた。画面に表示された文字が、視線を引き寄せた。

『速報! 高齢者一万人の合理的排除が実施されました』

 見間違いだと思った。意味を理解するまで、わずかな時間を要した。しかし、その内容は否定できない形で認識に定着した。SNSを開くと、目を背けたくなる画像や映像が並んでいた。

 〝トリアージ〟とは、命を選別する行為を指す。救命の可能性が高い者を優先し、命を救うための手段である。だが、現在用いられているそれは、全く別の意味を持っていた。罪のない人間が、基準に合致したという理由だけで命を奪われている。それが現実だった。速報は、この事態が始まりに過ぎないと伝えていた。

(狂っている……この世界は壊れている)

 思考は乱れ、整理できなかった。希望も未来も、一瞬で消失したように感じられた。

 そのとき、スマートフォンが振動し、妹からのメッセージが届いた。

『おばあちゃん、処分されちゃった』

 その短い文を認識した瞬間、胸の奥に言葉のない空白が広がった。

 今日は私の誕生日。成人したことを祝い、遠方に住む祖母にも画面越しに祝ってもらう予定だった。妹は、その準備のために祖母の家を訪れていた。しかし今、その予定は虚しさへと変わっていた。

 私には誇れるものは何もない。そう認識しながらも、祖母が驚く表情を見るため〝精霊術〟の訓練を続けてきた。精霊術とは、精霊の力を借りて魔法を行使する技術である。私は幼少期から、他者には見えない存在が見えていた。それが精霊である確証はないけれど、現象を手品として見せ、祖母に楽しんでもらうつもりだった。

 しかし、今後その技術を使う機会は、おそらく生涯訪れない。今日の出来事を思い出すたび、胸が締めつけられる。

 ならば、せめて――一度だけ。

「私の全てを捧げるから、世界を変えて」

 そう言いながら、部屋の隅に置かれた魔力増強剤を、一瓶ずつ飲み干していく。少しでも効果があるなら、それでよかった。だが、大量に摂取しても、引き出せる魔力の総量は変わらなかった。だから、補充と放出を繰り返し、魔力を積み上げた。

 このような行為は初めてだった。増強剤は、少量でも強い眩暈を引き起こす。それでも、叶えたい願いがあった。その願いには、相応の代償が必要だと理解していた。

《精霊様、力をお貸しください》

 手足が微かに震え、筋肉が収縮する。その感覚が、繰り返し身体を襲った。

《精霊様、力をお貸しください》

 全身に痺れが広がり、意識が薄れていく。

《精霊様、力をお貸しください》

 身体は浮遊感に包まれた。強く噛みしめる唇の痛みだけが、意識を辛うじて繋ぎ止めていた。

《精霊様、力をお貸しくだ……》

 意識は、静かに途絶えた。

 * * * 

「起きなさい。私のかわいい〝魔力袋〟」

 母の声が、至近距離から落ちてくる。娘を起こす母親という構図だけを見れば、ありふれた光景だ。だが、違和感は呼び名にあった。

 ――魔力袋。

 意味はわからない。ただ、冗談ではないことだけは明確だった。発音にためらいがなく、説明を省いても通じる名称として定着している響きだった。

「今日は旅立ちの日ですよ。この日のために、私は〝魔力袋〟を育てあげたのです」

 今日の予定は記憶にない。その役割を引き受けた覚えもない。それでも母は、私の理解や同意を必要としていなかった。言葉は確認を挟まず、あらかじめ定められた手順を読み上げるように続いていく。

 視線を窓の外へ向ける。朝の光は低く、色が薄い。意識が途絶えたのは昼だったため、少なくとも丸一日は眠り続けていたと判断できた。

 身体が重いのは想定内だ。魔力増強剤を過剰に摂取した後の反応として、既知の知識と矛盾しない。違和感を挙げるとすれば、異変を疑問として扱う余裕がないことだ。

 空腹を口にしても、母は反応しない。食事の話題には触れず、目的のわからない説明を繰り返す。その様子から、母が意思疎通を前提にしていないことを理解した。ひとしきり話し終えた母は、役目を果たしたと言わんばかりに部屋を出ていく。

 扉が閉まった直後、動かそうとしても応じなかった身体が、ひとりでに起き上がった。関節が勝手に動き、視界は安定しない。そこに私の意思は介在していない。動かそうとしていないのに、身体は動いている。誰かに操作されている、という表現が近い感覚。ただし知覚は残っていた。床の冷たさも、空気の乾きも、微かな痛みも感じる。思考も遮断されていない。

 奪われているのは、身体の操作権だけだ。操作に不要な要素だけが、私の側に残されている。そう考えれば、一応の説明はつく。――身体の操作権は、外部にある。仮説としては成立する。

 家の中を歩き回り、対面した妹は母と同様に同じ台詞を繰り返した。私の反応を待たず、最後まで話し切る点も同一だ。二度、まったく同じ言葉を繰り返し時点で理解した。彼女たちは壊れているのではない。指定された動作を、指定された通りに実行している。ゲームに登場するNPC操作不能の人物に近い存在だと判断できる。

 その後、玄関を抜けて外へ出る。最後に見た天気予報では、気温は一桁になると言っていた。冷気が肌を刺す。身に付けているのは薄手の寝巻きだけだ。寒ければ上着を羽織る。それが自然な判断だが、着替えるという選択肢は排除されている。このままでは体調を崩すと理解していても、身体は応答しない。

 思考している間も歩行は止まらない。すれ違う通行人に声をかける私の身体は、快適性や安全性を条件に含めていない。特にできることもなく、視界に入った自分の足先を見る。赤くなった指先は、しもやけの兆候を示していた。

 視線を感じる。この季節にこの格好で歩いていれば、注目を集めるのは自然だ。それでも、その異常を指摘する者はいない。

「〝魔力袋〟さん」

 何度も、そう呼ばれた。仕組みは不明だが、その呼称はすでに共有されている。
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