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 ロアンの屋敷を出たあと、空中を浮遊するシャロの体が透けていることに気づいた。そういえば彼は、被験者の攻略が終わったら妖精の世界に帰るのだった。

「もう……いなくなってしまうの?」
「うん。本部に戻って報告とか色々やらなきゃいけないからネ。これでキミとはお別レ。検証させてもらった『元異世界人が乙女ゲームの世界でいかに適応するか』についてのデータは、大切に預からせてもらうヨ」
「そ、そう」

 死んだ魂をより良い形で転生させるためにこんな研究をしていると言っていたが、今ひとつ、乙女ゲーム転生プログラムに関して理解が及ばないルサレテ。

「なら、この空中ディスプレイやアイテムはどうなるの?」
「ボクと一緒に消失するヨ。キミにはもう必要のないものだかラ」

 そう説明する間にも、みるみる薄くなっていくシャロ。
 半年以上一緒に過ごし、ここが乙女ゲームの世界であることを知っている仲間がいなくなってしまうのは正直なところ寂しい。
 光の粒になって消え始めたシャロの毛並みを、最後にそっと撫でて告げる。

「今までありがとう。私が頑張ったこと、ちゃんと報告してね。……それから元気で。シャロ」 
「ルサレテもネ! バイバーイ!」

 にっこりと笑って尻尾を振り、妖精シャロはいなくなってしまった。乙女ゲームの被験者になったと告げられたときも唐突だったが、あっさりとした別れ際も、彼らしい。


 ◇◇◇


 その後。ロアンの病気はすっかり完治した。今まではどこか憂いた雰囲気があり、いつか突然消えてしまうのではないかと心配するような儚さなあったが、みるみる顔色が良くなり、同時に表情も明るくなっていった。
 近寄りがたさが軽減されたのか、最近は令嬢たちがロアンに話しかけているところを頻繁に見る。

(ロアン様……また令嬢たちに囲まれているわね)

 学園の外の道で、ロアンを見かける。彼は複数の令嬢たちと話していた。
 他の令嬢たちと仲良くするのは妬けてしまうが、以前よりずっと元気な様子で、内心ほっとする。

「ロアン様っ! 今からわたくしと一緒に昼食を食べませんか?」
「ロアン様のためにお菓子を焼いて来ました。私と芝生広場でゆっくりしましょう?」
「いえ、私とお散歩に行ってくださいっ!」

 令嬢たちは自分こそロアンと過ごすのだと、表面上は愛想笑いを浮かべながら、バチバチと争っていた。
 彼はそれらの誘いを「先約があるからごめんね」とあっさり跳ね除けて、まっすぐとこちらに走って来た。

「お待たせ、ルサレテ。さ、行こうか」
「…………」

 食堂にひとりで向かって歩いていたルサレテは半眼を向ける。

「ロアン様と約束した覚えはありませんが……」
「まぁそう固いこと言わないで。なんでも好きなものを奢るからさ」

 太陽よりも眩しい笑顔を湛えた彼は、ルサレテの手を取って歩き出した。令嬢たちの誘いをかわすためにいいように使われたような気もするが、彼の笑顔に絆されてしまう自分がいる。
 けれど実際、ロアンの目には、他のどの令嬢でもなく、ルサレテのことしか映っていないようで。
 今のルサレテは好感度メーターは見えないのに、数値100まで満たされたメーターの幻が一瞬見えたような気がした。

 学園内にある食堂で、ロアンは2人前の料理を注文する。以前まではダイエット中の女子より少食だったのに、よく食べるようになったことで、健康的な体型を取り戻しつつある。

「ルサレテ、食べる量が少ないんじゃないかな? 君はもっと食べた方がいい」
「ふ。ロアン様にそんなことを言われる日が来るとは思いませんでしたよ。すみません、追加の注文をお願いします」

 ルサレテは店員を呼び、ロアンを上回る量のメニューを注文した。テーブルの上にずらりと並ぶ食事。ステーキにパスタ、サラダ、スープやパンなど、ひとりで食べるには明らかに多い。ルサレテはしたり顔で微笑む。

「ロアン様こそ、まだまだ食が細いのでは?」
「……君って案外、負けず嫌いなんだね。俺はまだ病み上がりなんだけど」

 変に対抗意識を燃やすルサレテに、彼は苦笑した。ルサレテはパスタをひと口分フォークに巻き付けて、彼の口元に差し出す。

「美味しいですよ。トマトパスタ」
「ありがとう。いただくよ」

 2人が食べさせ合いながら仲睦まじく食事を楽しむ様子を見た周りの生徒たちが、「2人の関係は何?」とひそひそ噂話している。

「体調、随分良さそうですね」
「うん。絶好調だよ。つい最近まで……正直に言うと体調がいい日は全くなかったんだ。でも今は咳もぴたりと止まってね。担当医も俺の回復は――奇跡みたいなものだっておっしゃっていたよ」
「奇跡……」

 ルサレテだけはその奇跡の理由を知っている。それは、ルサレテが被験者として乙女ゲームをクリアをしたことで得た、妖精シャロの不思議な治癒の力だ。けれど、彼にはこう伝える。

「きっと、ロアン様がずっと頑張ってきたからですよ」

 すると、ロアンはフォークを置き、物言いたげな表情でこちらを見つめたが、何も言わなかった。

 ルサレテは前世、病気で若くして死んだ。だから、こうして健康でいて、美味しいものが食べられて、好きな人と話せることがどんなに特別なことか身に染みて分かる。
 前世の記憶は、ゲームの開始時に特典としてシャロから与えられたものだったが、ささやかな日常の尊さも思い出させてくれたのだった。
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