【完結】親友を選んだ貴方へ、さようなら。「愛していた」は過去形ですので。

曽根原ツタ

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 状況を飲み込めないまま、エミリーはアステラに確認する。

「――つまり、ふたりは浮気してたってことですか?」
「浮気ではなく真実の愛を見つけただけです」
(それ、世間では『浮気』って言うんだけど)

 堂々と裏切りを正当化するアステラに対し、エミリーは思わず心の中でツッコミを入れたが、喉元まででかかった言葉を呑み込んだ。初対面の『元婚約者』にいきなり噛み付く訳にもいかない。
 真剣な顔して、『真実の愛』などと語る姿に、呆れを通り越して感心すら覚えてしまう。

 話を聞くと、アステラはエミリーに押しに押されて婚約を結んだものの、エミリーが昏睡状態になっている間に、オリビアと恋に落ちたらしい。

「ごめんね、エミリー。あなたの大切な人を奪うつもりなんてなかったの。でも、アステラさんに惹かれる気持ちをどうしても止められなくて」
「はぁ……」

 オリビアは胸に手を当てて、しおらしげに謝罪の言葉を述べる。しかし、記憶喪失のせいで、婚約者は親友に奪われたという実感がイマイチ沸いてこない。

 オリビア・サージャー。医学院時代からの親友である彼女も医療魔術師で、特異医療院に勤めている。濃い紫のウェーブがかかったロングヘアに、長いまつげが縁取る鋭い瞳が印象的だ。

 素朴なエミリーと違って、華やかな美貌を持つオリビアは、学生時代から男性に大人気で、恋人が途切れたことがなかった。

 オリビアは派手な恋愛遍歴のせいで、女性からは嫌われていた。
 だが、そんな中でもエミリーは、オリビアの唯一の同性の友達だった。周りに流されやすいエミリーは、いつも堂々と生きるオリビアを尊敬していた。

(親友だと思ってたのに、な)

 しかし、エミリーが眠っている間にしれっと裏切られていた。
 何も思い出せないが、親友の裏切りという事実が胸にずしりと重くのしかかった。

 そのとき、アステラが懐から一枚の紙を取り出し、サイドテーブルに無造作に置いた。

「それは?」
「婚約解消の書類です。僕の欄はすでに記入してあるので」

 彼は、「早く書け」と言わんばかりにこちらにペンを差し出してくる。その視線に宿る無言の圧を感じたエミリーは、ペンを受け取って、書類に視線を落とす。アステラの隣に自分の名前を書けば、婚約解消は成立する。全てが終わる。

(本当にこれでいいのかな)

 ほんの一瞬、手が止まる。アステラとの出会いや過ごしてきた日々の思い出、何ひとつ覚えていない。それでも、過去の自分は望んで婚約したはずだ。なんの感慨もなく、この関係に終止符を打ってしまっていいのだろうか。

 けれど、アステラにはすでに別の相手がいるし、このまま無理に婚約関係を続けたところで、うまくいくとはとても思えない。

「どうして書かないんですか?」

 顔を上げると、アステラの紫の瞳が冷たくこちらを見ていて。

「……私と婚約したこと、後悔していますか?」

 エミリーの問いに、アステラはわずかに間を置いたあとで答えた。

「後悔しています。正直、あなたのような地味で冴えない方は好みではありませんでした」
「悪かったですね地味で冴えなくて!」
(じゃあなんでプロポーズしたのよ)

 額にぴくりと怒筋を浮かべつつ、なけなしの理性を掻き集めて笑顔を貼り付けて耐えた。
 彼には未練も情も全くなく、もう完全に次に気持ちが進んでいるらしい。

(記憶はないけど、もういいや。こんな人のどこを好きになったんだろう。冷たいし失礼だし浮気するし。見る目ないな、私)

 もう何もかもどうでもよくなったエミリーはペンを走らせ、書類にサインした。

「これで正式に婚約解消ね。アステラさんのこと、これからは私に任せて」

 使い終わったペンをことん、と置いた瞬間、オリビアが満足気に口角を持ち上げた。
 略奪したくせに、『任せて』などとよく言えるものだと思いつつ、呆れを隠して淡々と返す。

「書きましたので、ご確認を」
「問題ありません。あとの処理は僕がしておくので。――それでは」

 あっさりと書類をしまい、さっさと部屋を出て行こうとするアステラ。

(三ヶ月ぶりに目覚めた怪我人に『お大事に』もないの?)

 怪我人を目の前にして、自分の用事だけ済めばいいという冷たい態度のアステラに、不信感が募る。エミリーの中で何かがカチリと音を立てた。

「待ってください」

 部屋を出て行こうと背を向けたアステラを呼び止める。

「なんですか?」
「これ」

 左手の指輪を外し、アステラに雑に差し出した。

「これ、婚約指輪ですよね。私たちにはもう必要ないものなので、お返しします」
「…………」

 すると、アステラは瞳の奥を揺らした。そして一瞬、本当に一瞬、とても悲しそうな表情が浮かんだ気がしたが、すぐに消えて無表情になる。

「……返されても困るんですけどね。まぁ、受け取っておきます」
「私も持っていたくないので」

 アステラは手に押し付けられた婚約指輪を、黙ってポケットにしまった。エミリーは最後に、静かな声で告げた。

「何も思い出せませんが、これまでお世話になりました。お幸せに」
「……はい」

 そしてアステラとオリビアは、寄り添いながら部屋を出ていった。



 ◇◇◇



 部屋に残されたエミリーは、ルームドレスから日常着に着替えた。
 背の高い鏡台に、やつれた自分の姿が写っている。三ヶ月も寝たきりになっていたせいで、全身の筋力が落ちてしまっている。立っているだけで身体が重い。

(早く仕事に復帰したいし、体力を戻さなきゃ)

 鏡の前で拳を握り締め、「よし」と意気込む。
 医療魔術師としてのエミリーを、多くの患者が待っている。魔病で苦しんでいる人たちの役に立つために、いつまでも休んでいられない。

 すると、窓から爽やかな風が吹き込み、エミリーの長い髪を揺らす。そのとき、ふと脳裏にアステラの顔が浮かぶ。もう一度思い出そうとするが、やっぱり彼との過去は何も出てこなくて。

(私、本当にあんな人にベタ惚れして猛アタックしたの? 信じられない)

 ブラウスのリボンを結びながらため息を零す。直後、良い案を思いついた。

(そうだ、日記を読めば何か思い出せるかも)

 子どものころから、エミリーは日記を書く習慣があった。そこにアステラとの日々が綴られていれば、すっぽり抜け落ちたアステラの記憶を取り戻す手がかりになるかもしれない。
 医学でも、文章や絵などの視覚的な刺激を利用して、記憶喪失の治療をすることがある。

 日記帳をしまっているのは、机の引き出しの、上から二段目だ。
 さっそく引き出しを開ける。

「……ない?」

 そこにあるはずの日記帳が、どこにも見当たらなかった。
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