10 / 35
10
しおりを挟む(エミリーの浄化魔術でも消せなかった。呪いをかけた本体を倒すしか、解呪の方法はない)
王国魔物騎士団や王国魔術師団は、平民であるアステラひとりのためには動かなかった。もしアステラが王族や上位貴族であれば、あるいは国のトップの恩人なら、動いてくれるかもしれない。
けれど、合理主義的な組織では、常にリスクとコストが考慮され、アステラは見捨てられた。
エミリーが、両団に何度も訴えたが、にべもなく跳ね除けられた。
『アステラさんは、沢山の患者を救ってきたのに……。でも私、諦めませんから。きっと、元気になるって信じてます』
心配していたと思うが、エミリーはアステラの前で一度も涙を見せなかった。
エミリーは伯爵令嬢で、王家にも比較的近い地位だが、王直属の魔物騎士団と魔術師団を動かす権限はなかった。また、伯爵家の騎士団も、魔物と戦うことを専門としていない。
だからエミリーは、自らの意思で魔物がいる森に入った――たったひとりで。
彼女は幼いころから、浄化魔術の天才として有名で、王国魔術師団から何度もスカウトされてきた。かつて、上級魔物をたった九歳で倒したという逸話もある。
それほどの実力がありながら、魔力の消費量自体が少ない医療魔術師の道を選んだのだった。それは、アステラの存在が理由だった。
森での戦いで、エミリーは複数の魔物に襲われ、重体となった。地域の人々の話では、エミリーが森に足を踏み入れたのは、その日が初めてではなく、何度もひとりで入っては、魔物を倒していたという。
山積みになった死骸が、それを物語っていた。
回想に思いを巡らせていると、オリビアが再び口を開いた。
「やっぱり、禁忌魔術を使って記憶を奪ったのは正しかったわね。何も知らなければあの子は幸せでいられるもの。私ってなんて友達思いで優しいのかしら」
「それはあなたが勝手にやったことです。エミリーのためなんて、綺麗事でしょう。あなたはそんな人間ではありません」
オリビアは、自分のことしか考えていない。
「ふっ、ははっ……あははっ」
「何がおかしいんですか」
「いえ、正解。――あなたの言う通りよ」
笑っていたオリビアの顔から表情が消え、底冷えしそうな眼差しをこちらに見据えながら、冷徹に言う。
「私はただ――論文を手に入れたかっただけ。石吐き症の治療法なんて、歴史的な発見だもの」
記憶に干渉する魔術は、非常に高度な技術である上、倫理的な問題があるため禁止されている。だが、オリビアはそれを使った。
特異医療院にエミリーが搬送され、怪我の理由を知ったオリビアは、アステラにこんな交渉を持ちかけてきた。
『エミリーからアステラさんに関する記憶を抜き取ったわ。記憶の結晶を返してほしければ、私の言うことを聞きなさい』
平民であるオリビアは、功績を上げて爵位を得るという野望があった。そこで、アステラの論文をオリビアのものにしようと企んだのだ。一年に一度、最も功績を挙げた医療魔術師が選ばれ、国王から叙爵される医療功労賞を得るために……。
『あなたにとっても悪い話じゃないわ。エミリーはあなたのことを忘れてしまえば、苦しまなくて済む。そうだわ、エミリーが新しい人生を生きられるように、恋人のフリもしてあげるから』
アステラは名誉や地位、金銭にも興味がなかった。だが、オリビアの提案を受け入れたのは、それがエミリーを守る方法だと判断したからだ。
オリビアはアステラの胸に手を添え、甘えた声でうっとりと囁く。
「私と本物の恋人になるつもりはない?」
「ありません。ずっと、王国魔術師団長の後妻の座を狙ってたんじゃないんですか? 貴族である彼と結婚すれば、わざわざエミリーから記憶を奪う手間をかけ、僕を脅さなくても簡単に貴族になれますよ」
オリビアは以前から、王国魔術師団長と関係を持っていた。エミリーが怪我をする少し前に彼の妻が亡くなっている。
「後妻? 冗談。あの男とは、絶対結婚なんてできないわ。とにかく……私は自分の力で貴族になりたいの。あの男も、あなたもエミリーも、そのために利用してるだけ」
「焦らなくても、あなたの実力があればそう遠くないうちにできそうですけどね」
「遅くちゃだめなのよ! 一刻も早く、貴族にならなきゃいけないの! 余計な詮索はやめて」
「……分かりました」
なぜ、オリビアが切羽詰まった様子なのか疑問に思ったが、興味はなかった。
彼女の手をそっと払いのける。
「記憶の結晶を僕に渡してください」
「論文を完成させてから言って。……言うことを聞かないと、勝手にあの子に戻すか、そうね――壊すかもしれないわ」
「…………」
「論文をくれたらちゃーんとあげるから。エミリーの記憶を蘇らせるなり、煮るなり焼くなり、あなたの好きにするといいわ」
エミリーから取り上げた記憶は、物理的な結晶となり、オリビアが隠し持っている。
アステラは彼女をあしらい、ひとりで先に建物を出た。
外は真っ暗で、冷たい夜の風が、アステラの頬を撫でていく。夜空に静かに浮かぶ月を眺めながら思った。
(どうせ僕は、もうすぐ消える。だったら、このまま忘れてしまうのがエミリーのためなんだろうか)
記憶の結晶を、信用ならないオリビアに持たせておくのは問題外として。仮にアステラが手に入れたとして、エミリー自身に返すことに迷いがあった。
結晶が壊れたら、エミリーはアステラを思う辛さから解放される。
ひとりよがりな考えだが、寂しいのも、苦しいのも、自分だけで十分だ。エミリーにはずっと笑っていてほしいと、アステラは切実に願っている。
そうしてひとり、拳を握り締めた。
787
あなたにおすすめの小説
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
(完結)婚約者の勇者に忘れられた王女様――行方不明になった勇者は妻と子供を伴い戻って来た
青空一夏
恋愛
私はジョージア王国の王女でレイラ・ジョージア。護衛騎士のアルフィーは私の憧れの男性だった。彼はローガンナ男爵家の三男で到底私とは結婚できる身分ではない。
それでも私は彼にお嫁さんにしてほしいと告白し勇者になってくれるようにお願いした。勇者は望めば王女とも婚姻できるからだ。
彼は私の為に勇者になり私と婚約。その後、魔物討伐に向かった。
ところが彼は行方不明となりおよそ2年後やっと戻って来た。しかし、彼の横には子供を抱いた見知らぬ女性が立っており・・・・・・
ハッピーエンドではない悲恋になるかもしれません。もやもやエンドの追記あり。ちょっとしたざまぁになっています。
(完)貴女は私の全てを奪う妹のふりをする他人ですよね?
青空一夏
恋愛
公爵令嬢の私は婚約者の王太子殿下と優しい家族に、気の合う親友に囲まれ充実した生活を送っていた。それは完璧なバランスがとれた幸せな世界。
けれど、それは一人の女のせいで歪んだ世界になっていくのだった。なぜ私がこんな思いをしなければならないの?
中世ヨーロッパ風異世界。魔道具使用により現代文明のような便利さが普通仕様になっている異世界です。
壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~
志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。
政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。
社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。
ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。
ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。
一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。
リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。
ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。
そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。
王家までも巻き込んだその作戦とは……。
他サイトでも掲載中です。
コメントありがとうございます。
タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。
必ず完結させますので、よろしくお願いします。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
(完)大好きなお姉様、なぜ?ー夫も子供も奪われた私
青空一夏
恋愛
妹が大嫌いな姉が仕組んだ身勝手な計画にまんまと引っかかった妹の不幸な結婚生活からの恋物語。ハッピーエンド保証。
中世ヨーロッパ風異世界。ゆるふわ設定ご都合主義。魔法のある世界。
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる