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「女なのか」というリヒャルドの問いに頑なな沈黙を返し、授業が終わったあと逃げるように修練場を離れた。
 しかし、そんなオリアーナの元にリヒャルドが走ってくる。

(わ……すごい走ってくる。どうしよ……)

 猛スピードで向かってくる彼。反射的にオリアーナは逃げようとしたが、廊下で走る訳にもいかず、大人しく捕まることにした。

「待てよレイモンド! さっきの説明しろ」
「…………」

 オリアーナはため息を吐いて、彼の方を振り返った。セナがかけてくれた認識制御の魔法のおかげで、リヒャルドにはレイモンドにしか見えていない。だからこそ戸惑いも大きいはずだ。
 どうしたものだろう。オリアーナは嘘が苦手だ。下手な言い訳をしたらボロが出るかもしれない。

 しかし、なんとかこの場を凌がなければ。

「えっと……その、女性化の魔法の……実験中で」

 性別を変える魔法が存在しているのかは分からないが、これ以外にいい言い訳が思い浮かばなかった。さすがに無理があるかと思い額に汗を滲ませていれば、リヒャルドはぽんと手を叩いてあっさり納得した。

「なるほどな! それならそうと言ってくれよ。俺、お前相手にちょっとドキッとしちまったじゃねーか。つか俺、女体化して筋力が落ちた状態で負けたのか……」
「はは……」

(分かってくれた……みたい?)

 リヒャルドは無邪気に笑う。

「次は万全の状態で勝負だ。絶対負けねーけどな」
「…………」

 また懲りずに勝負を挑まれてしまった。彼は有無を言わさないまま去っていったリヒャルド。嵐のような人だと、その後ろ姿を見送った。



 ◇◇◇



 魔法学院は、中間テストの期間を迎えていた。座学と実技両方あり、実技の方が評価の比重が大きい。

「あぅ……勉強なさっている横顔も麗しいですわ。わたくし、ただでそのご尊顔を見させていただくのが申し訳ないですわ。いくらですの!? 一体いくらほしいんですの!?」
「落ち着いて。お金なんて取らないから。友達でしょ?」
「どもだぢぃィィ……っ! ああ……なんて甘美な響きなのでしょう。わたくし、世界一の幸せ者ですわ。レイモンド様のお友達になれるなんて、きっと前世で沢山の徳を積んだのでしょう」
「本当によくしゃべるね君は」

 ジュリエットは今日もブレない。絶好調だ。

 図書館で勉強をするから一緒にやろうと誘ってきたくせに、彼女は開始から今まで一文字も書いていない。ひっきりなしにオリアーナへの賛辞を口にしてくるので、こちらも集中できない。

 ジュリエットは周りの迷惑にならないように、二人の座席の周りに防音対策の魔法を施している。もはや全然勉強する気がない。

「ちゃんと勉強しないと赤点になるよ?」
「わたくし、黒より情熱的な赤の方が好きですわ」
「もう手に負えないな」

 すると、厄介な相手がもう一人。図書館の重厚な扉をバンっと開け放ち、リヒャルドが現れた。

「ここにいたのかレイモンド! 探したぞ」
「そこのあなた。図書館では静かに!」
「す、すみません……」

 意気揚々とこちらに言い放った彼だが、司書に注意されるとへこへこと頭を下げた。そして、こちらに走ってくる。

 ゴツン。

「うわあっ!? 結界!? なんでこんなところに――」
「そこのあなた! 図書館では静かに!」
「す、すみませんっ!」

 透明な壁にぶつかり声を上げたリヒャルド。ジュリエットの防音用の結界魔法だ。リヒャルドが魔法でそれを解除すると、ジュリエットはしっしっと邪魔者を追い払うように手を振った。

「わたくしとレイモンド様の逢瀬を邪魔しないでくださいまし」
「はぁ? 俺とレイモンドは親友だ」
「わたくしの方が彼との付き合いが長いですわよ」
「肝心なのは付き合いの長さより、濃さだ。な? レイモンド」

 こっちに確認されても困る。というか、オリアーナにとってはリヒャルドは付き合いは長くもないし薄い。

「えっと……どう、なんでしょう」

 曖昧に笑ってはぐらかすオリアーナ。ジュリエットとリヒャルドはしばらく小競り合いをしていた。

 修練場での一件からも、変わらずくっついてくる彼。向かいの椅子を引いて腰を下ろし、テーブルに教本を広げた。

「レイモンドは化学得意だろ? ここを教えてほしいんだ」

 リヒャルドは教本の印をつけている問題を指差した。彼は意外と真面目で、こつこつ勉強するタイプらしい。教本に書き込みが沢山ある。

「ああ。そこ、難しいですよね。モル質量塩化ナトリウム27.4、ナトリウム10。体積は標準状態を換算して、この方式に当てはめて」
「ええっと……ここを5乗して……NaとClをかけて……。0.32か」
「正解。ここは発展問題なので、テストには出ないと思います。前のページまでの基礎を復習しておくといいかもしれません」
「助かる」

 彼はアドバイスを熱心にメモしていた。オリアーナはリヒャルドの問いに丁寧に応えた。すると、隣でやり取りを聞いていたジュリエットが顔をしかめた。

「何語――ですの……?」
「一応同じ言語だけど。ジュリエットもここの範囲勉強しておかないと、30点以下は追試だよ」
「ツイシ……? なんですのそれ、美味しいのかしら」
「…………」

 彼女はたぶん、どこに行っても逞しく生きていける気がする。

 リヒャルドが来て騒がしくなるかと思いきや、彼は真面目に勉強に取り組んでいて、オリアーナのやる気も上がった。
 一方、ジュリエットは机に突っ伏して眠り始めた。ちらっとノートを覗けば、『レイモンド様大好き♡』と落書きしてある。……本当に彼女は、何をしに来たのだろう。

 二時間ほど勉強したところで、リヒャルドがおもむろに尋ねてきた。

「なぁお前さ、最近も魔力増幅が続いてんのか?」
「……魔力増幅?」
「ほら、随分前に悩んでるって言ってただろ。こう……内側から何かが爆発するような感覚がたまにしてしんどいって。心配してたんだ」

(何それ……)

 レイモンドがリヒャルドに相談していたようだが、オリアーナは一度もそんな話を聞いたことはなかった。もし、今の彼の体調不良が、その魔力増幅と関係しているなら……。なぜ彼は、そんな重要なことを伏せていたのだろうか。

「……もう、平気です」
「そっか。ならいーけど」

 結局その日は、リヒャルドの言葉が引っかかって勉強に集中できなかった。
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