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 バー・ラグールの店主メリアから、「ネラが王衛隊の屯所に向かってから帰ってこなくなった」と一報を受けた。それを聞かされたとき、全身の血の気が引くような気がした。自分に会いに来ようとしたせいで、彼女が何かの事件に巻き込まれてしまうなんて。

(また、俺のせいであの方が危険な目に……)

 目の前でアストレアを亡くしたトラウマが蘇り、額に汗が滲む。

 悔しさを押し殺して拳を固く握る。闇オークションが行われている場所は、アリリオ男爵を尋問してすでに特定しているので、部下たちを連れて乗り込みに行くことにした。

 馬車の中。

「――長、隊長」
「……なんだ」

 カイセルの声で意識が現実に引き戻される。

「隊長、あれ、なんかヤバくね?」

 彼に言われて馬車の窓の外を見ると、若い女と複数人の男が揉めているのが見えた。どうも様子がおかしいので、止めに入ることにしたら……。

 それは、人攫いの現場だった。しかも、襲われていたのはネラの義妹だった。

 ゼンという男は、人身売買の売り手をしていると自白した。けれど、ネラの居場所を教えた代わりに、逮捕まで猶予がほしいと要求してきた。フレイダはそれの要求を飲み、監視を付けることを条件に見逃してやった。今一番大事なのは、ネラの救出。それ以外のことはどうだってよかった。


『中央歌劇場の地下』


 ゼンは確かにそう言った。そこはまさに、闇オークションが夜な夜な催される場所。そして、ネラとオペラを見に行った場所だ。

「カイセル。お前は被害者たちの救出に当たれ」
「り~」
「…………」

 いつもなら「略すな」と咎めていたところが、怒るような気にもならなかった。

「ネラさんの保護を最優先にしてくれ」
「分かってるっすよ。隊長」


 ◇◇◇


 地下の檻に閉じ込められてから二日。まともに食事を与えてもらえず、あまり眠れていないため体調が悪い。今が昼なのか夜なのかも分からない。

 つかつかと靴音が近づいてきて、業者の男に声をかけられた。

「お前の番だ。立て、ネラ・ボワサル」

 手錠を外され、強引に立ち上がらされる。すると、隣で座っていたキャサリンが訴えた。

「待ちなさいよあなた!」
「なんだ?」
「連れていくなら私にして。その子は解放して差し上げて」
「余計な口出しをするな」
「その人は目が不自由なのよ!? お願い!」

 キャサリンだって、お腹に子どもがいる身だ。このまま男の不興を買い、折檻されでもしたら大変だ。

「キャサリン様。私なら大丈夫です」
「あなた……」
「ありがとう。そのお気持ちだけで」

 ネラは毅然と立ち上がり、男に引きずられるようにして檻を出た。男は、あまりにもネラが落ち着いた様子なので気味悪がっていた。

 控え室に連れて行かれて、今度は女の業者に身なりを整えられた。

 冷たい水でがしがしと身体の汚れを落とされ、ドレスに着替えさせられる。随分品のいいドレスだった。胸元が開いていて、やけに布面積が少ないが。

(これから私……売られるのね)

 身支度を整え、いよいよ舞台の上に連れて行かれる。

 スーツ姿に仮面を着けた司会者が、ネラが入っている檻のかけ布をばっと外し、軽快に声を上げた。

『お待たせいたしました! 本日の目玉商品、凄腕美人占い師のネラ・ボワサルです。どんな悩みもたちどころに解決するその異能を利用するも良し、愛玩対象にするも良し。スタートは50万から!』

 ネラの姿を見て、騒ぎ出す客たち。

「おお、美しい……」
「なんて神々しい瞳だ」
「あれはまさに、教皇国時代の聖女の印では」

 沢山の人の気配がする。目が見えずとも、まとわりつくような視線を四方から感じる。他人から発せられるエネルギーに敏感なネラは、彼らの負の感情を嫌という程感じ取った。

 買われたらその先はどうなるのだろう。前世で神と民衆に仕えるために与えられた透視能力を、悪いことに使われてしまうのだろうか。もしかしたら愛人として辛い辱めを受けることもあるかもしれない。

「100万」
「200万」
「300万」
「360万」
「500万」

 次々と入札されて、金額が跳ね上がっていく。ゼンが予想していたより遥かに高額だ。

「1000万」

『おーっと! 出ました四桁! 1000万です! それ以上の入札者はいらっしゃいますかー!』

 そこからまだ入札は続いた。

「1200万」
「1500万」
  
 恐ろしい金額が聞こえてきてびっくりする。どこまで金額が上がっていくというのか。しかし、五千万の入札者が出たところで、ホールは静かになった。

 このまま落札されるのだろうか。恐怖や不安で、無意識に舌に歯を立てていた。

 脳裏にフレイダのことが思い浮かぶ。あの人に会いたい。あの人の声が聞きたい。今になって、もっと素直になっておけばよかったと後悔の気持ちがじわじわ込み上げてくる。

(やっと気づいた。……私はフレイダ様のことが――好き)

 今更認めたところで、もう二度と会うことはないかもしれない。それが未練がましくて、俯いた目からぽろっと雫が落ちた。

 ネラの泣き姿の可憐さに、「おお……」「美しい」とあちこちから感嘆の声が漏れる。すると。

「そこまでだ。この会場は王衛隊及び自警団に完全に包囲されている。この場にいる者全員、投降してもらおう」

 ホールの乾いた空気に響く低い声。舞台に上がってくるいくつもの足音。

 ネラははっと顔を上げた。
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