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24.婚約者と昔馴染みの間には、何か確執があるようです。
しおりを挟む「おはようございます。アイリスさん、ヘレフォードさま」
「おはようございます。ローズマリー様」
「おはようございます。ポーレット嬢」
教室に着いた私は、熱心に机を拭いてくれている美化委員のおふたりと朝の挨拶をかわした。
アイリス・デヴォアさんとジョージ・ヘレフォードさまはおふたりとも子爵家の方で、幼なじみの婚約者だと伺っている。
日頃からとても仲が良くて、一緒に美化委員をされている。
最初、おふたりが机を拭いてくださっているのを見て手伝おうとした私だけれど、『『これは、美化委員の仕事ですので!お気持ちだけ、頂戴いたします!』』とふたり揃って丁寧に、けれどきっぱりと断られてから、おふたりの気持ちに甘えることにしている。
そんな訳で、私は邪魔にならないよう自分の席に着いて本を開く。
「おはようございます。ローズマリー様」
それから少しして声をかけられ、私は本から顔をあげた。
「おはようございます。アイビィさん」
そこには、副級長をされているアイビィ・ダービーさんが笑み浮かべて立っていて、私と挨拶をかわしてから、私の斜め前であるご自分の席に着かれる。
普段、細く鋭い形の眼鏡のせいもあってきつい印象を受けるアイビィさんだけれど、その本質はとても優しい。
真面目さが全面に押し出されていて、これぞ副級長、副級長の鑑、なんてクラスで揶揄われたりもしていて、入学当初それをとても気にされていた。
それで、色々相談に乗ったりしていて仲良くなれて、嬉しくて『様』はやめて欲しいと願ったのだけれど、『わたくしは伯爵家の人間、ローズマリーさまは侯爵家のご令嬢でいらっしゃいます。わたくし、言葉遣いはきちんとしなければ、とこのクラスで改めて学んだように思っていますので、そうさせてください』と言って、やめてくれなかった。
そういうところ、生真面目にすぎると思います。
心のなかでは言えても、それ以上何も言えず、結局そのままになってしまっている。
伯爵家であるアイビィさんがその姿勢を崩さないので、当然他の伯爵家、ひいては子爵男爵家の方たちもそれに倣う形になった。
と、思っていたのだけれど。
『Aクラスは流石ですね。規律がきちんとしています。特にお名前の呼び方。親しければどのように呼び合ってもいいのでしょうが、一般には、男性が女性を呼ぶときは家名に嬢を付け、女性が男性を呼ぶときには家名に様を付けるのが好ましいと言われています。そして、女性同士の場合、家格が上の相手には、さんではなくて様を付ける。呼び捨てなどもってのほかです。ポーレット嬢は、それをよく理解されていますね。侯爵家の貴女がきちんとされてこそ、伯爵家以下の皆さまもそれに倣い、規律は守られるのです。これからも良き見本となってください』
作法の先生にそう言われて、私は我とわが身を振り返ってみた。
私は、もちろん学園では、というのもあるけれど、知り合いの女子生徒は全員名前で呼んでいる。
大抵は、さん、で、公爵家と侯爵家の方のみ、さま、を付けて。
それは、リリーさまとて例外ではない。
確かに、私とリリーさまは親友同士だけれど、だからこそ、リリーさまの立場が軽んじられるようなことがあってはいけないと思う。
というか、王子妃になられるリリーさまを気軽に呼ぶなど絶対に考えられないと言った方が正しい。
そして男子生徒は、ほぼ全員家名にさまを付けている。
家名で呼ばない、つまり名前を呼んでいるのは三人だけ。
パトリックさまは婚約者だからだし、アーサーさまは最初にお会いしたときにそうお願いされたから。
あら?
つまり?
私は、何があってもリリーさまを、『リリーさん』と呼ぼうなどとは考えない。
それは、親しくないからとかそういうことではなく、何というとか、親しき仲にも礼儀あり、というべきものだと思っている。
ということは。
私は、自分がしないことをしてほしい、と言ってしまったということね。
その事実に気づいたときは、どよん、となった。
で、その心理状態がパトリックさまにばれ、包み隠すなど考えもつかない勢いで報告させられた。
『落ち込まなくていいよ、ローズマリー。もう分かったのだから、気に病むことはない。君は、これからに生かせるひとだからね。それよりも僕は、君が名前で呼んでいるもうひとりが気にかかるよ。学園にいるのだよね?しかもこのAクラスに?』
そして、それを聞いたパトリックさまは、引きずることはない、と優しく言ってくれてから、少し目を眇めて、私が名前呼びをする相手について言及された。
思えば、あの頃はまだ入学したばかりで、パトリックさまは私の前でも僕とおっしゃっていて、今ほど親しくは感じられなかったと思う。
なんだか、懐かしいわ。
「おはよう、ローズマリー。いい朝だね」
「おはよう、ウィリアム。ええ、清々しい朝ね」
思っていたら、私が名前で呼ぶ三人目の男子生徒。
同じ侯爵家で、昔馴染みのウィリアムが爽やかな笑みと共に歩いて来た。
「おはよう。ダービー副級長」
「おはよう。ウィルトシャー級長」
ふたりも挨拶をかわし、ウィリアムは私の席の隣に座る。
「ローズマリー。可愛いブローチをしているね」
ウィリアムの言葉に、私は嬉しく頷いた。
「可愛いでしょう?とても気に入っているの」
「そのボールの部分は何でできているのかしら?宝石?」
するとアイビィさんも立ち上がって私の所まで来て、そう尋ねる。
「色硝子なのだそうです」
言いながらアイビィさんによく見えるように、ブローチに手を添えて傾ければ。
「ふうん、なるほど。この色ですか。なるほどなるほど」
何故か、アイビィさんが眼鏡をくい、と指であげて意味深に笑った。
「え?あの、えっと」
も、もしかして気づかれてしまいましたか!?
思い、ひとり焦っていると。
「そう。僕の髪の色。そして、僕のタイピンにはローズマリーの瞳と同じ柘榴色が使われていて、しかもふたつは対になっているんですよ」
いつのまにか傍にいたパトリックさまが、それはそれは嬉しそうに報告した。
私の瞳と同じ柘榴色、って!
パトリックさま!?
もしかして、初めからそう思って!?
混乱してパトリックさまを見れば、パトリックさまは何故か鋭い瞳をどちらかに向けている。
え?
ウィリアム?
その視線を辿れば、ウィリアムが苦い瞳をパトリックさまに向けている。
何でしょう?
どうしてでしょうか?
もしかして、家同士でのもめごとでもあったかと、私が考えていると。
「僕とリリーのものも、対なんだよ」
これまたいつのまにか傍にいらしたアーサーさまが、誇らし気にタイピンをお見せになっていた。
気づけば私の周りには結構な人数が集まり、パトリックさまとアーサーさまが揚々とご自分のタイピンを見せている。
わざわざ言わなければ大丈夫、と思っていたけれど、これは。
アーサーさまもパトリックさまも、嬉しそうに対のアクセサリーだと率先して自己申告している。
もはや、このクラスに知らないひとはいないのでは、と思うほどにそれはもう、大々的に。
うう、はいどうぞです。
好きに見てください。
いるか、可愛いですよね。
結果、私は胸元のブローチの話題から離れられることなく、たくさんのひとに見せ続けることになった。
リリーさまも同様に、たくさんのひとに囲まれてしまっている。
「パトリック!アーサー!お待たせ!」
不意に、そのざわめきを切り裂く勢いの声がして、その勢いそのままの激烈桃色さんが教室に飛び込んで来た。
あら?
なぜ、激烈桃色さんがこのクラスに?
激烈桃色さんはFクラスで、ここはAクラスなのにどうしてここにいるのかしら、と思っていると。
「待ってなどいない。第一、クラスが違うのでは?」
私の隣に立つパトリックさまが、鋭い瞳を激烈桃色さんに向けた。
「あたしね!テストの成績が良かったの!ほら、途中入学だから、ってクラス分けテスト無しでFクラスに入れられちゃったでしょ?でもそんな筈ないからちゃんとテストして、って言ったらしてくれて、で、Aクラスだって!でもね、そもそもあのテストから始まるのにおかしいなって思う。ちゃんと受けられたからよかったけど」
「クラス分けテストでAクラス判定?君が?」
揚々と言う激烈桃色さんに対し、パトリックさまは胡乱な瞳を向ける。
激烈桃色さんって優秀なのね。
でも、手ぶらのようだけれど、鞄は?
教科書の類はどうしたのかしら?
それに、今日からAクラスだというのなら、机や椅子はどうするのかしら?
このクラスには、今までの人数分しかないけれど。
嬉しそうな激烈桃色さんを見ながら、私はそんなことを思った。
この、貴族だけが通う学園に入試は無い。
代わりに、入学前に直接クラス分けテストというものを受けて、AからFまでのクラスに振り分けられる。
つまり、貴族であればこの学園に入学するのは絶対可能、というよりもほぼ義務なのだけれど、その三年間の在籍クラスは後に大きく作用してくる。
学園を卒業して、就労するにしても結婚するにしても、貴族社会で生きて行くことになる私たちは、学園にどのクラスで入学し、どのクラスで卒業したのか、更にはその学習内容や生活態度をも重要視されることになる。
学園では、小テストを頻繁に行う一方で定期テストを半年に一度行い、それらの成績を鑑みて、生徒が能力相当のクラスに在籍しているかを判断する。
つまり、半年に一度、上位クラスに移動できる機会がある一方、下位クラスへ移動する可能性もあるということ。
例えAクラスで入学できたとしても、実力が伴わないと判断されれば、二年次、卒業時にはFクラスという可能性も無いとはいえない。
そのため、上位貴族はここで評判を落とすことのないよう、子どもの頃から専門の教師を付けて教育を施すけれど、激烈桃色さんは平民の育ちだという。
平民の方は、学力や教養というよりも、家業をいかに発展させるか、の一点において教育をされると聞くから、この学園のクラス分けテストは非常に不利だったと思われる。
それでAクラスを勝ち取ったのだから、その実力は相当なものなのだと思う。
「ねえ。アーサー、パトリック。何してたの?」
軽やかにアーサーさまに近づいて、激烈桃色さんはパトリックさまにも視線を投げた。
「その呼び方は不敬だ。それに言葉遣いも態度も、もっときちんとしたまえ」
「ひどい。攻略対象のくせにそんなこというとか、信じらんない。いいもん、あんたなんか攻略してやんないから」
見かねたように言ったウィリアムを睨みつけて、激烈桃色さんが言う。
「攻略?一体、何を言っているのですか?途中入学した、ということはデイジー・マークルさんですよね?今まではそれでよかったのかも知れませんが、このクラスになったのなら、もっときちんとなさっていただかなくては困ります」
不快そうに眉を寄せたアイビィさんも言うけれど、激烈桃色さんは面白くなさそうにつんとして髪をかきあげた。
「アーサーもパトリックもそう思ってないのに?アーサーもパトリックも、あたしが余所余所しくした方が悲しいの。だからこれでいいのよ。ね、アーサー、パトリック」
激烈桃色さんは、パトリックさまにしな垂れかかろう・・・として華麗に避けられつつも甘えたようにそう言ったけれど。
「いいや。是非敬称を付けて欲しいと思っている。むしろ君には、名前を付けずに王子殿下と呼んで欲しいくらいだ」
「僕も、君に呼び捨てにされたくない」
甘い視線を送られたアーサーさまもパトリックさまも、はっきりと迷惑を表情にされる。
「だから、そこまで照れないで、って」
それでも、激烈桃色さんの態度は変わらない。
この安定感、本当に凄いと思う。
「今の表情と言葉のどこをどうすれば、照れている、という前向きな解釈が出来るんだ?」
「アーサー殿下もパトリック様も、ご自分の婚約者を大切にされて、というよりも溺愛していると評判じゃないか」
「それは本当だろう。俺、パトリック様の邪心も拒絶もない笑顔なんて、ポーレット嬢関連でしか見たことないぞ」
激烈桃色さんの言葉に、クラス中がざわめいた。
「君には、おふたりがご自分のご婚約者に夢中なのが見えないのか?今だって、対のアクセサリーを、それは嬉しそうに見せてくださっていたのに」
「そうですわ。リリー様もローズマリー様も、そんなおふたりに自然と寄り添われて、とても素敵ですのに」
「対のアクセサリー!?何それ!?ちょっとローズマリー!そのブローチのこと!?」
ヘレフォードさま、アイリスさんの美会委員コンビの言葉に、激烈桃色さんが大きな叫びをあげ、私のブローチに掴みかかろうとして周りに阻止される。
みなさん、ありがとうございます。
咄嗟にブローチを庇う体勢になっていた私は、庇ってくださった方々に目礼した。
そして、防波堤のように私の傍にいてくれるパトリックさまにも。
「ちょっと何なのよ!そんなの設定に無かったのに!なんでよ!ローズマリー、買ってもらったの!?いつ!?昨日!?あたしに会う前!?」
周囲に抑えられながらも私の前に周り込み、問いかけてくる激烈桃色さん。
「ええ、昨日。マークルさんにお会いする前、です。ですが買っていただいたわけではありません。パトリックさまは買ってくださるとおっしゃったのですが、わたくしも一緒に買いたくて、ふたりで買い求めました」
嬉しくも恥ずかしく、私は胸元のブローチを見つめた。
「ああもう!そういうの駄目なんだ、って!昨日も言ったでしょ!あれからはちゃんとした!?ちゃんとパトリックと別れるようにしたんでしょうね!言ってごらんなさいよ!あたしが帰った後、どうしたの!?」
髪を振り乱して言う勢いに押され、私は昨日のことを思い出した。
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