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106.君ありてこそ
しおりを挟む小鳥の囀りが聞こえ、時折梢を栗鼠が走る、緑豊かで清涼な森。
呼吸をするたびに身体が浄化されるような心地よさを覚え、私は大きく息を吐いた。
この感じ。
パトリックさまに風の魔力をいただいたときの、あの空気に似ているのだわ。
憶えのある感覚に、私はパトリックさまに魔力をいただいた時のことを思い出す。
清涼な空気の森のなか、開けたあの場所は、私にとっての聖地。
「あっ・・・!」
思っていると、視線の先に開けた場所が見えた。
それは正に、あの時と同じような。
「ふふっ。驚いた?」
声をあげる私に、パトリックさまが楽しそうな声を掛けるけれど、私は目の前の光景から目を離せない。
あの森と同じように開けたその場所は、けれど更にその向こうが湖になっているのが見える。
そしてそこにあるのは、この地のお城と同じように瀟洒な白いガゼボ。
「素敵です」
まだ遠目ではあるけれど、そのガゼボの屋根には美しい彫刻が施された飾りがあり、薄い布がカーテンのようにかけられていて、風にそよそよと靡いているのが分かる。
まるで物語のなかの場面のよう、とため息を吐く私の手を引いて、パトリックさまはガゼボへと歩いて行く。
その、楽しそうな瞳。
「まだまだ仕掛けはこれから、だよ」
そして囁かれた言葉を聞き返すより早く、私はそのガゼボに食事の支度が成されているのを見た。
美しいテーブルクロスの上に飾られた緑の葉や花々、そして素晴らしい食器に盛られた数々の美味しそうな料理。
「ふぁあ」
その余りの見事さに、思わず間の抜けた声を出してしまった私に、パトリックさまが嬉しそうに笑いかける。
「さあ、こちらへどうぞ。俺のお姫様」
そして恭しくエスコートしてくれるパトリックさまに導かれ、私はガゼボへと足を踏み入れた。
「パトリックさま。これは何ですか?」
椅子を引かれ席に着いた私は、テーブルの上全体が透明のドームで覆われていることに気づき、隣に座ったパトリックさまを見た。
「ああ。このドームのなかは時間が止まっているんだ。ここにある料理、実際に調理してからは時間が経っているけれど、出来立てが味わえるようにしてあるから安心して。あと埃も遮断するようにしてあるから、そちらも大丈夫だよ」
あっさりと言って屈託なく笑うパトリックさまを思わず呆けて見てしまった私の反応は、普通だと思う。
絶対。
パトリックさまは何でもないことのように言うけれど、私は今までこのような魔道具の話を聞いたこともなかった。
あれば、確実に知っていると思われる便利なこの魔道具。
断言してもいい。
絶対に、まだ売られていない。
つまり。
「この魔道具も、パトリックさまが?」
「うん、そうだよ。ここで、ローズマリーとふたりきりで昼食を摂りたかったからね。食事は、温かいものは温かいうち、冷たいものは冷たいうちがいいし、空間倉庫から取り出すにしても、ふたりで来てからだとローズマリーの手を煩わせてしまうから」
なんということでしょう。
もしや、というより確信をもって聞けば、当然以上の答えが返ってきました。
今の言葉から察するに、この魔道具はパトリックさまが創ったのみならず、今回、この昼食のために創ってしまったということらしい。
才能の無駄遣い、とまでは言わないけれど。
「どうかした?ローズマリー」
この才能の使い方はいかがなものか、でも間違いなくこれから世の中の役に立つもの、けれどその発端が、と迷走していると、パトリックさまが心配そうに私の目を覗き込んで来た。
「いえ、あの。焼却炉の時も思ったのですが、私のためにパトリックさまが才能を使われるのは、もったいなく申し訳ないような気もする一方、そこで発明された魔道具は間違いなく人々の役に立つと思えば、もったいないことも無いのかな、と」
私のためにパトリックさまの才能を使わせてしまうのは、嬉しくも申し訳ないけれど、それがやがては人々の役に立つと思えば、それはそれでいいのかも、と呟く私に、パトリックさまが目を丸くする。
そのとても驚いた様子に、私の方が驚いてしまう。
「そうか。ローズマリーはそんな風に考えていたんだね。でもそれは違うよ。そもそも俺が最初に魔道具を創ろうと思ったのは、ローズマリーが居たからだ。その後だって、ローズマリーが居たから、色々な魔道具を創り改良して来たんだよ。だからね、発想が逆。俺の魔道具創りは、ローズマリー有りきの話なんだ。ローズマリーがいなかったら、きっと魔道具を創ろうなんて思ってもいないよ」
そう言って優しく笑ったパトリックさまがテーブル上の透明なドームを指先でつつくと、かちかち、というような硬質な音がした。
「結構、固いのですね」
私有りき、というのはどういう意味かしら?と思いつつ、パトリックさまを真似て、指でつんつんとドームをつついてみた私は、その感触に驚いた。
「目に見える結界、だと思えばいいよ。これ、魔力の結晶体なんだ。じゃあ、外すね」
言いつつパトリックさまが何か操作するとドームが消え、途端、美味しそうな匂いがあたりに漂う。
「すごいです」
時間が流れ出した食卓に食欲をそそられ、私は目を輝かせてしまった。
「さ。冷めないうちに、いただこうか」
「はい!」
パトリックさまに勧められるまま、温かいスープと焼き立てのパンに舌つづみを打ち、鳥のローストの肉汁に感動し、魚のムニエルの香辛料の使い方に衝撃を受ける。
恐らくは、この土地のものなのだろう。
使われている食材には馴染みの無い物も多く、その珍しさにひとつひとつ尋ねてしまう私を面倒がることなく、パトリックさまはその都度丁寧に答えてくれる。
「ウェスト公領には、おいしいものがたくさんあるのですね」
ほう、とため息を吐けばパトリックさまが嬉しそうに笑った。
「ローズマリーが、ここの料理を気に入ってくれて嬉しい。ほら、よく言うだろう。食が合えばその土地に馴染める、って」
令嬢としてはどうなのだろう、と自分で思うほどに、ぱくぱく食べる私を厭うことなく、パトリックさまは楽しそうに私の頬をつつく。
「パトリックさま。私、本当にこの土地が大好きになりました。けれど」
「けれど?」
「私は、パトリックさまがいらっしゃる所なら、どこでも大丈夫です。パトリックさまの隣が、私の居場所なのですから」
『どんな時もパトリックさまの一番近くに在るのは私でありたい』
そんな風に思っていたからか、私はつるりとそんな言葉を口にしてしまい、おまけにそのままパトリックさまに抱き寄せられて、全身が熱くなるのを感じる。
「うん。ずっと一緒に居ようね。いつも、いつまでも誰より傍に。大好きだよ、ローズマリー」
その言葉が嬉しくて、頬にされたパトリックさまのキスが優しくて、鼓動は益々うるさくなっていく。
けれどパトリックさまの腕のなかにいると、それとは別、とても安心も出来て。
「私も大好きです。パトリックさま」
私はパトリックさまの胸に頬を寄せ。
でも、それよりもっと近づきたくて。
その背に、そっと両手を回した。
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