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一、記憶喪失と過保護な夫 3

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 物語を聞き始めるとあっというまに夢中になってしまう私だけれど、最初からこの状況をまったく気にしなかった訳ではない。 

 まず、フレデリク様の方が私よりずっと大きいとはいえ、成人女性を膝に乗せ続けるというのはかなり大変だと思うし、幼児相手に絵本を読むように建国史を紐解くというのも面倒なことだろうと思うのに、フレデリク様はこの役を他の誰かに任せようとしない。 

 けれどフレデリク様は公爵という地位にあって、広大な領地を治める領主であるうえ、王城でも役目を担っていると聞いて、私はとても心配になった。 

『あの、フレデリク様。お陰様で体調も大分よくなりましたので、私の事はほどほどに、お仕事の方に専念されてください』 

 だから私は当然のこととしてフレデリク様にそう提案したのだけれど、フレデリク様には不服だったらしく、やんわりと、けれど速攻で却下されてしまった。 

『エミィのことをほどほどに、なんてするつもりは無いかな』 

『ですが』 

『ですがも何も無いよ。それは決定。あと聞きたいのだけれど、エミィは僕が自分の仕事を疎かにするような男だと思っているの?』 

 哀しそうな目でそう問われて、そんな誤解を、と私は焦りまくってしまう。 

『そんなことはありません!ただ私がご迷惑になっているのが心苦しくて、それで』 

『うん。エミィは優しいね。それに、周りを優先しようとする。記憶が無くても同じだ』 

 

 心地いい。 

 フレデリク様の手。 

 それに何だか、とても懐かしい。 

 ・・・っ、そうじゃなくて! 

 

 ぽんぽんと優しく頭を撫でられて、ふにゃりと蕩けそうになった私は、慌てて姿勢を正した。 

『フレデリク様が、お仕事を蔑ろにされているなど思ってもいません。ですが、私という負担が増えたのは確かです。では何を犠牲にされているかといえば、それはフレデリク様の時間なのではありませんか?睡眠や休息、ご自分の時間をきちんと取られていますか?』 

『エミィ。僕をそんなに心配してくれて。嬉しいよ』 

 きゅっと抱き寄せられ、私は勢いで宙に浮いた自分の腕を持て余す。 

 

 どうしよう。 

 このままぶらぶらさせておく? 

 それとも、下におろす? 

 それか、自分の背に回すか。 

 もしくは、フレデリク様の背に・・・は、ちょっと無理かな。 

 

 色々迷って、結局腕をふらふらさせたままでいると、フレデリク様がそっと私を離した。 

『エミィは、僕と居ると息が詰まる?負担だったりするのかな?』 

『いいえ。むしろ心地いいです』 

 本を読んでくれる声も、私を見つめる優しい目も、私がここに居ていいと言ってくれているようで安心する、と伝えればフレデリク様が嬉しそうに笑う。 

『よかった。僕にとってもエミィは癒しなんだ。だから僕は、自由になる時間があるのなら出来るだけエミィと過ごしたい。これは、以前からのこと。それにね、執務の方は今回のことで色々後処理もあるのだけれど、僕は登城しなくても大丈夫な任に就いているから、その点も心配は無用』 

 今回のこと、というのは私が記憶を失う原因になった事件なのだろうと思う。 

 後処理が色々あるのに登城しなくていいというのが疑問だったけれど、それぞれの役割というものがあるのだろうと私は頷いた。 

『本当に無理はされていませんね?領地のこともおありなので、どうしても心配なのです』 

『そちらも大丈夫。僕には、優秀な側近がいるからね』 

 そう笑顔で言われてしまえば、それ以上言葉にすることを躊躇うも、どうしても心配だった私は、こっそりアデラに相談してみた。 

『ねえ、アデラ。フレデリク様は本当に無理をされていないのかしら?ご本人は、大丈夫だと仰るのだけれど』 

『フレデリク様とエミリア様は、ご幼少の頃より相思相愛でございましたから、エミリア様が体調を崩されている今、フレデリク様は出来る限りお傍にいらっしゃりたいのでしょう。存分に甘えてしまいなさいませ』 

 けれど嫁いで来る前から私付きの侍女をしているというアデラは、そう茶化すように言ってお茶目な笑みを浮かべた。 

 疑う訳ではないけれど、アデラは言うなれば私側の人間。
 ならばと家令であるバートに相談すれば、これまたそれはいい笑みを浮かべて心配は無用と請け負われた。 

『フレデリク様を思いやられるそのお心。エミリア様は、ご記憶を失くされてもエミリア様なのですね。大丈夫でございます。フレデリク様は、お仕事を蔑ろにされている訳でも、ご自身の睡眠を削っている訳でもありませんから。その辺り、このバートにお任せください』 

 誰に相談しても私の事を負担になど思っていないと芯から感じられて嬉しかったけれど、心配が消えたわけではない。 

「フレデリク様。本当にお疲れではありませんか?お仕事がお忙しいのに、私のことまで」 

 本を読んでいる途中、喉を潤すためにお茶を飲まれるフレデリク様に問えば、その眦がふにゃりと下がった。 

「全然。この間も言ったけど、エミィとこうして過ごす時間は、僕にとってなくてはならない癒しの時間だよ」 

「ですが、私がしていた分のお仕事もされていると聞きました。それが、申し訳なくて」 

 記憶を失う前、公爵夫人として、領地での役割も貴族としての付き合いも、家のことはきちんと熟していたという私だけれど、今の私にそのようなことの出来る筈も無く。 

 誰もそこには触れないけれど、それらの仕事はすべてフレデリク様の負担になっているのだと思うと、私はとても居たたまれない。 

「エミィ。僕はね、君に改めて感謝したんだ。領地や領民、それに家のなかのことを、君は本当に立派に熟してくれていた。そのことを僕は、本当には知らずにいたんだ。今回のことでそれを知れて、それだけは良かったと思っているよ。それだけ、だけれどね」 

 それなのに、真っ直ぐに私の目を見て紡がれる言葉は何処までも優しくて、涙が出そうになる。 

「フレデリク様」 

 きゅ、と唇を結んで名を呼べば、フレデリク様の手が、ぽんぽん、と優しく私の頭に触れた。 

「だからね、エミィ。今はこれまで頑張った分のご褒美だと思って、ゆっくり休養するといいよ」 

「なんだかもどかしいです。文字も読めなくなってしまって」 

 情けなさに溜息を吐けば、フレデリク様の腕がふんわりと私の身体を包んだ。 

「記憶を失くしても、エミィはエミィだよ。それに、今のエミィは日本語が書けるじゃないか」 

「この国では、まるで暗号のようですよね」 

 そこに意味はあるのか、と遠い目をする私と裏腹に、フレデリク様は瞳を輝かせる。 

「いいじゃないか。僕とエミィだけで通じる言語なんて、素敵以外のなにものでもない。出来るだけ早く、僕も覚えるからね」 

 本当に嬉しそうにそう言って、フレデリク様が私の頬に唇を寄せ、そのまま耳へと唇をずらすのを感じ、私は焦って本の1ページを指さした。 

「わ、私、この騎士様が特に好きです!」 

「ん?・・・・ああ」 

 その挿絵を見たフレデリク様が、目に見えて不機嫌になる。 

「あの・・・?」 

 初めて見るほどに不機嫌な様子に、心底心配になった私が下から覗き込むように見つめると、フレデリク様は面白くなさそうな瞳のまま私の髪を撫でた。 

「記憶を失う前のエミィも、この騎士がお気に入りだった。子どもの頃からずっと」 

 ぶすっとして言うフレデリク様は幼い子どものようで、私は思わず指でその頬にそっと触れてしまう。 

「私は、本当にずっとフレデリク様が好きだったのですね。だってこの騎士様、フレデリク様に似ていますもの」 

 子どもの頃から相思相愛だったというフレデリク様と私。 

 そして今、私は記憶を失う前の私が確かにフレデリク様を慕っていた、という確信を得て嬉しくなる。 

 心の底から湧き上がるそれは、記憶よりもっと深い、本能のようなものだったけれど。 

「俺に似ている?この騎士が?そんな話は聞いたことも無い。今のエミィは、そう思うの?」 

 フレデリク様は、驚いたように私を見ている。 

「ええ、似ていると思います。それに、記憶を失う前の私もそう思っていたという妙な自信もあります。うまく説明できませんけれど」 

「そうか。なんだ、そうなのか」 

 ぐりぐりと私の頭にご自分の頭を擦りつけるフレデリク様は、本当に安堵したようにその言葉を繰り返す。 

「フレデリク様。私、早く思い出したいです」 

 早く記憶を取り戻して、昔からこの騎士様がフレデリク様に似ていると思っていたからお気に入りなのだ、とちゃんと伝えたい。 

 染み入るように心地よいフレデリク様のぬくもりを感じながら、私は強くそう思った。 

 

 
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