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イロハ_03
3.洗脳の拒絶
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イロハが目覚めて最初の食事を終え、少し下頃、静月が訪れた。
ノックの音に。イロハは顔を上げる。
「失礼します。168番、気分はどうですか?」
静月が穏やかに微笑みながら入ってくる。
イロハの表情がわずかに強張った。
静月はそれに気づいたのだろう。ふだんよりは少し距離を空けてベッドサイドの椅子に座った。
「警戒していますね」
静月の言葉に、イロハは答えない。
「……君はもう気づいているんですね」
イロハは少し迷ったが、やがて静かに頷いた。
「やはり君は賢い」
静月は穏やかな表情のまま続ける。
「君の推察は当たっています。こういう環境ですから、ホムンクルスたちの境遇は、どうしても辛いことも多い。ですから私が、精神的負担を少しだけ軽くする手伝いをしています」
「……」
沈黙を返すイロハに静月はにこやかな笑みを浮かべる。
「安心してください、168番。夜凍先生のような外科的処置と違って、君が本気で拒絶すれば、私は君の心に干渉することはできません」
その言葉に、イロハは少し驚いた表情を見せた。
静月が少しだけ笑う。
「みなさん、私が相手を好き勝手にコントロールできるように思うようですが、実はそうでもないんですよ。……先日も幻智先生になかなかの無茶を言われて、困ったところです」
イロハもこれまで、幻智が夜凍などに無茶な要求をし、夜凍が苦り切った顔をするのを何度か見てきている。
静月がいう場面が自然と想像できて、イロハの頬が知らずにゆるんだ。
椅子の背に身体をあずけ、のんびりとした調子で静月がたずねる。
「興味がありますか? 私たちがなぜこのような方法を取るようになったのか」
イロハは相変わらず答えなかったが、学習意欲が高いイロハの目には関心の色が浮かんでいた。
静月は何かを思い出すように天井を見上げながら、静かに語り始めた。
「初期のホムンクルスたちは、精神的ケアを受けていませんでした。全ての記憶、全ての痛み、全ての恐怖を抱えたまま、能力測定を繰り返していたんです」
はじめて知る情報。イロハは静月の言葉に耳を傾ける。
「結果は……惨憺たるものでした。暴走の頻発、自己破壊行動、精神的崩壊」
静月は外の光を模す、窓型のパネルを見つめる。まるで窓の外を見るように。
「そこで、貴重なホムンクルスたちを守るために導入されたのが、私の専門である精神的介入です」
「……洗脳、ですか」
イロハがようやく口を開いた。
おだやかに微笑んで静月はうなずく。
「そう呼ぶこともできますが、基本はあくまでも、ただのカウンセリングです」
それから静月はイロハに視線を戻す。
「夜凍先生、ましてや幻智先生には言えないような本音を言う。いやならいやだと、辛いなら辛いと。その言葉を受け止める存在がいるだけでも、精神的な安定は大きく変わります」
うなずくイロハ。その心の仕組みは「学習」した。
「もちろん、状況に応じて、君が『洗脳』と表現するようなコントロールを行うこともあります。でも、私にできるのは、せいぜい認識をほんの少し調整する程度です」
わずかに首をかしげるイロハ。
にこやかにうなずき、静月は続ける。
「たとえばこうして話している間でも、君は部屋の外の音に注意を向けることも、私の声に注意を向けることもできますね」
イロハは実際に、ほんの一瞬、部屋の外の音に注意を向け、それから静月の声に意識を戻してみた。
「そう、ちょうどそんな具合です。過ぎ去った苦痛や、まだ起こっていない不安ではなく、今ここの、安心できる病室に意識を向ける。それだけでも少しだけ心は落ち着くものです」
確かにそうなのかもしれない。イロハは静月の言葉にうなずいた。
「168番、君は賢い。そして今いるホムンクルスたちの中では、とても多くのものを見てきました。だからこそ、さまざまな可能をそこに見出し、不安になるのです。それは悪いことではありません」
静月の声は優しかった。
「私は君に、無理強いはしません。……実際にできませんしね。ただこうして、ときおりお互いの本音を話してみる。それができるだけでも十分に価値があるんですよ」
「……そうですね」
静月の言う通りだ。イロハは素直にうなずいた。
静月が立ち上がる。
「不必要に増大する不安は、暴走のトリガーになりかねません。もしも君が不安になるなら、いつでもよんでください。またゆっくりと話をしましょう」
「はい」
そう言い残して、静月は病室を出て行った。
洗脳はしなくても、本音で話すだけでも楽になる。
静月が言った言葉が、イロハの心にほんのりと温かく残っていた。
◆
イロハの病室を出た静月は、しばらく廊下を歩くと、足を止めて病室の方を振り返った。
その口元にはイロハに見せていたものとは全く異なる笑みが浮かんでいる。
「まだまだ……脇が甘いですね、168番」
むりに距離を詰めず、あくまでもただの雑談をするフリで、イロハの注意を己の声に向けさせた。そうして不安はまだ起こらないこと、ここは安心できる場所だと印象づけさせた。
『ただ話すだけ』
そう思えるのは、イロハだけ。それでもイロハは、静月と話すのをもう嫌がりはしないだろう。
「頭はよくても、結局のところ、おぼこいんですよね……」
静月のつぶやきを拾う者はいなかった。
ノックの音に。イロハは顔を上げる。
「失礼します。168番、気分はどうですか?」
静月が穏やかに微笑みながら入ってくる。
イロハの表情がわずかに強張った。
静月はそれに気づいたのだろう。ふだんよりは少し距離を空けてベッドサイドの椅子に座った。
「警戒していますね」
静月の言葉に、イロハは答えない。
「……君はもう気づいているんですね」
イロハは少し迷ったが、やがて静かに頷いた。
「やはり君は賢い」
静月は穏やかな表情のまま続ける。
「君の推察は当たっています。こういう環境ですから、ホムンクルスたちの境遇は、どうしても辛いことも多い。ですから私が、精神的負担を少しだけ軽くする手伝いをしています」
「……」
沈黙を返すイロハに静月はにこやかな笑みを浮かべる。
「安心してください、168番。夜凍先生のような外科的処置と違って、君が本気で拒絶すれば、私は君の心に干渉することはできません」
その言葉に、イロハは少し驚いた表情を見せた。
静月が少しだけ笑う。
「みなさん、私が相手を好き勝手にコントロールできるように思うようですが、実はそうでもないんですよ。……先日も幻智先生になかなかの無茶を言われて、困ったところです」
イロハもこれまで、幻智が夜凍などに無茶な要求をし、夜凍が苦り切った顔をするのを何度か見てきている。
静月がいう場面が自然と想像できて、イロハの頬が知らずにゆるんだ。
椅子の背に身体をあずけ、のんびりとした調子で静月がたずねる。
「興味がありますか? 私たちがなぜこのような方法を取るようになったのか」
イロハは相変わらず答えなかったが、学習意欲が高いイロハの目には関心の色が浮かんでいた。
静月は何かを思い出すように天井を見上げながら、静かに語り始めた。
「初期のホムンクルスたちは、精神的ケアを受けていませんでした。全ての記憶、全ての痛み、全ての恐怖を抱えたまま、能力測定を繰り返していたんです」
はじめて知る情報。イロハは静月の言葉に耳を傾ける。
「結果は……惨憺たるものでした。暴走の頻発、自己破壊行動、精神的崩壊」
静月は外の光を模す、窓型のパネルを見つめる。まるで窓の外を見るように。
「そこで、貴重なホムンクルスたちを守るために導入されたのが、私の専門である精神的介入です」
「……洗脳、ですか」
イロハがようやく口を開いた。
おだやかに微笑んで静月はうなずく。
「そう呼ぶこともできますが、基本はあくまでも、ただのカウンセリングです」
それから静月はイロハに視線を戻す。
「夜凍先生、ましてや幻智先生には言えないような本音を言う。いやならいやだと、辛いなら辛いと。その言葉を受け止める存在がいるだけでも、精神的な安定は大きく変わります」
うなずくイロハ。その心の仕組みは「学習」した。
「もちろん、状況に応じて、君が『洗脳』と表現するようなコントロールを行うこともあります。でも、私にできるのは、せいぜい認識をほんの少し調整する程度です」
わずかに首をかしげるイロハ。
にこやかにうなずき、静月は続ける。
「たとえばこうして話している間でも、君は部屋の外の音に注意を向けることも、私の声に注意を向けることもできますね」
イロハは実際に、ほんの一瞬、部屋の外の音に注意を向け、それから静月の声に意識を戻してみた。
「そう、ちょうどそんな具合です。過ぎ去った苦痛や、まだ起こっていない不安ではなく、今ここの、安心できる病室に意識を向ける。それだけでも少しだけ心は落ち着くものです」
確かにそうなのかもしれない。イロハは静月の言葉にうなずいた。
「168番、君は賢い。そして今いるホムンクルスたちの中では、とても多くのものを見てきました。だからこそ、さまざまな可能をそこに見出し、不安になるのです。それは悪いことではありません」
静月の声は優しかった。
「私は君に、無理強いはしません。……実際にできませんしね。ただこうして、ときおりお互いの本音を話してみる。それができるだけでも十分に価値があるんですよ」
「……そうですね」
静月の言う通りだ。イロハは素直にうなずいた。
静月が立ち上がる。
「不必要に増大する不安は、暴走のトリガーになりかねません。もしも君が不安になるなら、いつでもよんでください。またゆっくりと話をしましょう」
「はい」
そう言い残して、静月は病室を出て行った。
洗脳はしなくても、本音で話すだけでも楽になる。
静月が言った言葉が、イロハの心にほんのりと温かく残っていた。
◆
イロハの病室を出た静月は、しばらく廊下を歩くと、足を止めて病室の方を振り返った。
その口元にはイロハに見せていたものとは全く異なる笑みが浮かんでいる。
「まだまだ……脇が甘いですね、168番」
むりに距離を詰めず、あくまでもただの雑談をするフリで、イロハの注意を己の声に向けさせた。そうして不安はまだ起こらないこと、ここは安心できる場所だと印象づけさせた。
『ただ話すだけ』
そう思えるのは、イロハだけ。それでもイロハは、静月と話すのをもう嫌がりはしないだろう。
「頭はよくても、結局のところ、おぼこいんですよね……」
静月のつぶやきを拾う者はいなかった。
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