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第三話 ゴールデンバディと金継ぎ縁

3.

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 このままだと、国見大学が消し飛んでしまう。

 衝撃的な一言を受けて、私とコン吉先輩は急ぎトオノさんのあとを追いかけた。よほど慌てているのだろう。ぺたぺた走るトオノさんの頭のお皿は、ぴきぴきとヒビが入っている。

 連れて行かれたのは大学の学食だった。屋上には前にキヨさんに連れてきてもらった、化けたぬきの蕎麦屋・たぬ蕎麦がある。

 そう思って見上げたとき、私は異様な光景に目を剥いた。

「な、なによ、アレ!?」

「だから大変なのでありますって~~!」

 いまいち緊迫感の欠ける語尾のまま、トオノさんは細い緑色の腕をちまちまと振る。

 ――ちなみに私たちの視線の先、学食の真上だけ、もくもくと紫色の雲が渦巻いている。それに呼応するように、小さな雷がいくつも屋上から空に向かって駆けていた。

「なんか空、変だよね?」

「雨が降るとかじゃない?」

「でもあそこだけー?」

(まずい!)

 学食の頭上にスマホのカメラを向ける学生たちに、私たちは焦った。稲光は見えていないようだが、少しずつ学生たちが空の異常に気づき始めている。

 このままだと、学生たちがここに集まってきてしまう。トオノさんとコン吉先輩に引っ張ってもらって、私とキュウ助も一緒に屋上へとただちに飛んだ。

「何があったんですか!?」

 屋上にぴょんと飛び降り、私は周囲を見渡した。すると、一番手前にいた妖怪――一反木綿に見えるけど、本当は違うらしい妖怪・ヌエさんがふにゃりと振り返った。

(そういえばヌエさん、結局なんの妖怪なのかな)

 相変わらずタイミングを逸して聞きそびれている私だが、いまはそれどころではない。ヌエさんも私たちを見ると、どことなくホッとした様子を見せた。

「なんや、大将んとこのスズはんやないか! コン吉はんも……。ええところに来てくれはった。いま、ニャン吾郎とたぬき親父の奴らが大変なんですわ」

「ニャン吾郎さんと親父さんが?」

「はあ!? あんの阿呆ども!」

 コン吉先輩が尻尾を逆立てて怒る。

 言われてみれば、見覚えのある妖怪たちが屋上の端から見守る中、猫又のニャン吾郎さんとたぬ蕎麦の店主・たぬき親父が、お互いにビカビカ光りながら対峙していた。

「おどれ、ネコ風情が!」

「だまるにゃ、このたぬき親父め!!」

「これ、どういう状況なんです!?」

 ニャン吾郎さんは縁結びカフェの常連であると同時に、たぬ蕎麦の上顧客だ。ふたりの仲はよかったはずだ。

 それなのに、二人揃ってスーパー宇宙人みたいに発光しながら毛を逆立てて、一体どうしたのだろう。

 するとヌエさんが、ゆらゆらと反物の体を揺らしながら低い声で答えた。

「これは古来より約束されし闘い……。漢と漢の信念をかけた闘いが、ここに火蓋を切られたのです」

「ごめんなさい、なんて?」

「きゅう!」

 私が首を傾げている隙に、キュウ助が「大変だ!」とアピールして肩の上で跳ねた。

 突如、ニャン吾郎さんがぐるりとまわり、小さな竜巻になる。次の瞬間、ニャン吾郎さんがいたところに、巨大な招き猫があらわれた。

「こんの頑固おやじめ! 今日こそは、おいらがにしんそばの素晴らしさを教えてやるにゃ!!」

 すると今度は、たぬき親父さんがぐるりと回った。続いてあらわれたのは、巨大な信楽焼のたぬきだった。

「てやんでい! そばと言ったら、たぬき蕎麦だ! ネコ野郎に、たぬき蕎麦の無限の可能性を思い知らせてやるぜ!」

「まずい!」

 焦った声で、ヌエさんが叫ぶ。

「あやつら、慶長4年・寺川の変の続きをおっぱじめるつもりや……」

「――えーっと? その、慶長4年?のなんとかの変のときは、具体的に何がどうなったの?」

「村が吹き飛び、川が枯れましたな」

「ニャンごろーう! たぬきのだんなぁー! ここはこらえてくれでありますぅー!」

「そうだぞ! いい加減にしろ、お前ら!」

 あまりな大惨事に絶句する私にかわり、トオノさんが悲壮感丸出しに叫び、コン吉先輩が狐月さんみたいに青白く光って飛び出した。

 けれども、ばちばちと向き合う巨大たぬきと巨大招き猫は聞く耳を持たない。

 それどころかふたりの妖力がぶわりと膨らみ、割って入ろうとしたコン吉先輩は「きゃう!」と哀れな声をあげて吹き飛んだ。

「コン吉パイセン!」

 とっさに私は、ゴム毬みたいに飛んできたコン吉先輩の体をキャッチする。けれども腕の中で、コン吉先輩は完全に目を回してしまっていた。

「あかん。こうなったら誰も、ふたりをとめられへんで……!」

 ごくりと息を呑むヌエさんに答えるように、ニャン吾郎さんが化けた招き猫の目が光った。

「わるいにゃ、相棒! 漢には、ゆずれない瞬間があるんだにゃ!」

「いいぜ、ネコ野郎! 400年前の決着をつけようじゃねえか!」

「ダメであります~~~~!」

 両手を広げて、トオノさんが絶叫した。

 こうして巨大招き猫と巨大たぬきは、空をり大地を裂く、めくるめく妖怪大戦争をここ寺川の地で繰り広げる――

 かと思われたのだが。

「――――妖達律戒ようだつりっかい急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」

 凛と鋭い声が響き渡り、いままさにぶつかろうとしていた二つの妖力を裂くように、巨大な雷が空から降ってきた。

変化へんげが解けて丸々とした猫とたぬきに戻った二人が、「あーれー」「ううぉい!」とそれぞれ悲鳴をあげて屋上の両端に吹き飛ぶ。

 かわりに屋上の中央には、青紫色の狩衣を着た男の人が、すたりと着地した。

 誰だろう。もくもくと煙がたちこめる先のそのひとに、私は目を細めた。

 すっと立ち上がった背は高い。こちらに背中を向けているけれども、おそらく年齢は狐月さんと同じくらいだ。

 それより、平安時代にタイムスリップしたかのような、不思議な格好は……?

 そこまで考えたところで、私はひとつの可能性に思い当たった。

(まさか、このひとって……)

「いっててて……」

「だれだぁ! 漢と漢の戦いに水差すバカはぁ!」

「……馬鹿はどっちだ?」

 頭をふりふり起き上がる、猫又とたぬきの二匹の毛玉。そんなふたりに、血の底から響くような低い声が答える。途端、ニャン吾郎さんたちは「ひぃ!」と震え上がった。

「にゃ! その声は……!」

「そうだ、急急如律令といやぁ……!」

「ひとが少しの間、離れていただけでこの様とは。俺の目の黒いうちに寺川で暴れるなぞ、どうやら俺は、お前たちに少々甘すぎたらしいな」

 尚も続く厳しい声に、ニャン吾郎さんとたぬき親父さんが再び「ひぃ!」と悲鳴を上げる。

 私がコン吉先輩を抱えたまま目を丸くしていると、聞き慣れた第三者の声が屋上に響いた。

響紀ひびき!?」

 振り返ると、肩で息をする狐月さんがいた。このあたりの妖力の異変に気づき、縁結びカフェから駆けつけたようだ。

 それより、狐月さんが親しげに呼ぶということはやはり……? そんなことを思っていると、響紀と呼ばれたそのひとがこちらに顔を向けた。

 ――黒い髪に、青みがかった理知的な眼差し。狐月さんに負けず劣らず綺麗な顔をした男の人の目が、私の姿を凛と射抜いた。

「ご挨拶が遅れ、かたじけない。想太が世話になっている、水無瀬鈴さんで間違いないだろうか」

「え!? あ、はい!」

 驚く私に、少し古風な話し方をするそのひとは、胸に手を当てて美しく礼をした。

「俺は狐月響紀。狐月家の当主で、想太とは従兄弟の関係にある。以後、よろしく頼む」

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