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1巻
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「あのね、ロザリー。信頼する他者とスキンシップをする時、私たちの体の中にはオキシトシンという魔力成分が生まれるのですって」
「へえ。初めて聞きました」
「オキシトシンは『幸せ魔力』とも呼ばれているの。それが体に満ちると、不安や恐れのかわりに安らぎを得られるらしいわ」
嬉々として、シルヴィアは本から得た知識を披露する。
なぜ、アルファルドに頭を撫でてもらうと心に深い安らぎを覚えたのか。
彼女はそのことがずっと気になっていたのだ。
(まるで魔法みたいと思っていたけれど、本当に魔法のような仕組みだったのね)
あれから彼女は、一日に一度、ティータイムの時間に、アルファルドに頭を撫でてもらっている。さすがに毎日は申し訳ないと思ったのだが、彼が「どうぞ」と言ってくれるので、つい甘えさせてもらっていた。
そのたびに、シルヴィアは心から驚いた。
朝から文官と議論尽くしで疲労していても。迫る父との対面に緊張していても。アルファルドの腕に包まれ、頭を撫でてもらった途端、ふわっと真綿で包み込まれたように、全身が軽くなってしまう。
最初の頃シルヴィアは、アルファルドが未知の回復魔法に目覚めたのかとすら思った。
(色んな知識を身につけてきたけれど、私もまだまだね。こんなにも素敵な魔力の秘密を、今日まで知らずにいたのだもの)
頬に手を当てて、シルヴィアはしみじみと魔力の奥深さを噛みしめる。
そんなシルヴィアをきょとんと眺めていたロザリーは、突然、彼女を後ろからぎゅっと抱きしめた。
「難しいことはわからないですが……失礼して、ぎゅっ!」
「どうしたの、ロザリー?」
「私からお嬢さまに、元気のおすそわけです」
ぎゅむぎゅむと抱きしめるロザリーに、シルヴィアはふふっと笑みを零した。
「ありがとう、ロザリー。あなたのおかげで元気が出たわ」
「ロザリーはいつでもお嬢さまの味方ですからね」
「ええ。覚えておくわ」
そう言って、シルヴィアとロザリーは鏡越しに笑い合った。
さて。水色のサマードレスに着替えたシルヴィアは食堂に向かった。
ロザリーはきっと、これから父と対面するシルヴィアを励ます意味で、抱きしめてくれたのだろう。
その優しさがシルヴィアを勇気づけてくれる。
(だけど、アルファルドに抱き寄せられた時とは、少し違う気がしたかも?)
ほっとしたのも、元気がでたのも同じだ。
だけどなにかが――心がふわふわと浮き立つような感じに、少し違いがある気がする。
この違いはなにから生じるのだろう。
オキシトシンにも色々種類があるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていくと、食堂の入り口でアルファルドが待つのが見えた。
「お待ちしておりました、お嬢さま」
シルヴィアに気付いた彼が、胸に手を当てて頭を下げた。
今日の彼も、使用人用の黒い仕着せを身に纏っている。
実は父もシルヴィアも、アルファルドには自由に服を選んで着ていいと伝えている。だが、彼自身が好んで仕着せを纏っているのだ。
とはいえ学園に戻れば、アルファルドのこの姿ともしばしお別れだ。
「お父さまは?」
「すでに席についておられますよ」
「アルも一緒に席についてくれたらいいのに」
「勘弁してください。私にとって旦那さまは雲の上の存在ですよ」
「私だってそうだわ。ちゃんと味がわかるといいのだけれど」
冗談めかして溜息をつくシルヴィアに、アルファルドが優しく目を細める。
扉を開けようと背を向けた彼に、シルヴィアはふと思いついて、その背中にそっと寄り添ってみた。
「お嬢さま、さすがにここでは……」
「ごめんなさい。だけど、少しだけ勇気をもらいたくて」
扉にかけた手を止めて、アルファルドが珍しく焦った声を出す。それに詫びながら、シルヴィアはそっと目を閉じた。
――やっぱりだ。アルファルドに触れると、幸せが全身に染みわたると同時に、そこはかとなく甘酸っぱい疼きが胸をくすぐる。
アルファルドだけの特別な効果だ。
この感情がどこから生まれるのか、シルヴィアは知らない。
なのに、無性に味わいたくなる。
「……これも、オキシトシンの効果なのかしら?」
「なんです、それは?」
「幸せ魔力物質よ。親しい相手とのスキンシップで生まれるの」
「はあ……」
アルファルドはなにか言いたそうな顔をしたが、ふいと視線を逸らして、シルヴィアの気が済むまで好きにさせてくれた。
その目元にわずかに朱が差していたことに、本人もシルヴィアも気付かない。
やがてシルヴィアが離れたのを見計らって、アルファルドは今度こそ扉を開けた。
「――息災にしていたか、シルヴィア」
食堂の長いテーブルの最奥に、父エイワスはいた。
シルヴィアと同じ純白の髪に、理知的な深い紫色の瞳。王族と並んでも見劣りしないほどに整った容姿をしているが、表情に笑みはなく、冷たい印象を与える。
父と視線が交わった途端、ロザリーにもらった元気も、アルファルドに分けてもらった勇気も一瞬で溶けてなくなりそうになる。そんな自分を内心叱りつけて、シルヴィアは父とは反対側の席に座った。
「お父さまもお元気そうで安心しました」
「不在にしている間、なにか不都合はなかったか」
「問題ありませんわ。詳しくは日誌に残しましたが、文官の皆さんが手を貸してくださったので、諸々つつがなく済ませております」
「……そうか。ならば良い」
「……視察はいかがでしたか? 途中、嵐があったかと思いますが」
「特に。普段とそう変わりなかった」
「そう、でしたか」
途方にくれたようなシルヴィアの声を最後に、会話が途切れた。
前菜の冷たい野菜のテリーヌをなんとか呑み込みながら、彼女は気まずい沈黙に耐えた。
父とはもう何年も親子らしい会話をしていない。今日はこれでも、領地経営という共通の話題があったからマシなほうだ。
(……お父さまはやはり、私に不満がおありなのかしら)
そう思った途端、胃がぐっと重くなるような心地がした。
それならばそうと、面と向かって言ってくれたらどんなに良かっただろう。
養子を取るだとか、後妻を迎えるだとかしてくれたら、まだわかりやすい。シルヴィアだって、父に思いっきり反発できる。
だけど現実として、エイワスはシルヴィアにはなにも語らない。
シルヴィアも怖くて、父の本心を尋ねることができない。
ただ息が詰まるような時間だけが、嫌になるほど流れていく。
カチャカチャと、互いのカトラリーの音が響く。
デザートの柑橘のソルベを食べ終わりそうになった頃、思い出したようにエイワスがスプーンを置いた。
「そういえば、いよいよ予言の日が近づいているようだ」
「は、はい!」
まさか父から新たに話題を振られると思わず、シルヴィアは椅子の上でびくんと背筋を伸ばした。
予言――それは前々代の王国筆頭魔術師エムリスが、百年前に残したものだ。
エムリスの予言によると、百年先、地上に魔界が接近する。それにより、王国に数多の悪魔が現界し、次々と災いが起きる。その一方で、救世の印を持つ、悪魔に対抗する力に目覚めた子供が現れ、ひとびとを救済するだろう――
その子供は、ひとびとから『救世の子』と呼ばれている。
傍らのワインが入ったグラスを揺らして、エイワスは紫の目を細めた。
「森を抜ける時、いつもより魔力の揺らぎが不安定で、木々がざわついていた。魔界が近づいて瘴気が生まれやすくなっているのだろう。学園周りも警戒が必要だ。ゆめゆめ、気を抜くなよ」
「かしこまりました」
そうして、父エイワスとの短くも長い会食が終わった。
席を立ったシルヴィアは、階段の踊り場に飾られた家族三人の肖像画を――その中で、幼き日のシルヴィアを膝に乗せて微笑む母ビビアンを見上げた。
(救世の子が、ついに印に選ばれるのね……)
エムリスの予言は数多くの魔術師により解析された。
その結果、魔界が近づくのが予言からちょうど百年の今年であることや、予言の子供が十五歳から十八歳の少女であること。救世の印がふさわしい少女を選んで浮かび上がり悪魔を退ける力を授ける、ということがわかっている。
ここ数年、王国は救世の子に選ばれうる少女を、王立学園に集めている。
かくいうシルヴィアも、父譲りの高い魔力と王立学園きっての才女と褒め称えられる能力の高さから、印に選ばれる有力候補だとされている。
幼い頃、何度も繰り返し母が読んでくれた、救世の子を題材とした絵本のことが脳裏に蘇る。
物語の中、印に選ばれて悪魔の魔の手から王国を救った少女は、その勇気と功績をひとびとから称賛されていた。
あの絵本はただの作り話だ。
それはわかっている。
でも。だとしても。
「……もし。もしも、私が救世の子に選ばれたら。お父さまは私を自慢の娘と思ってくださるかしら」
シルヴィアの呟きに、当然ながら、絵画の中で微笑む母は答えてはくれなかった。
* * *
長期休暇が終わり、二年目の学園生活が始まった。
王立学園は王都ルカディアの郊外、ノーグの森と呼ばれる森の中に位置する。
王都から結ばれた一本道を辿っていくと、突如として森の中に巨大な白亜の城が現れる。それが王立学園だ。
王立学園に通う生徒の大半は、ローゼン王国の貴族の子供だ。
大商人の息子や著名な魔法研究者の娘といった準貴族に当たる家柄の子もいるが、親戚筋のどこかしらに貴族とつながりがある。
そういう意味で、学園は社交界の縮図だ。
当然、クロウリー辺境伯の娘であるシルヴィアは、自ずと学園内の序列の上位に君臨する。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、シルヴィアさま」
「シルヴィアさま。それにアルファルドさま。お会いできて嬉しゅうございますわ」
純白の髪をなびかせてシルヴィアが正面入り口への大通りを歩くと、あちこちで令嬢たちが膝を折って優雅に礼をする。シルヴィアの後ろに付き従うアルファルドにまで声をかける者がいるのだから、律義なものだ。
「ごきげんよう、皆さま。また後ほど、ゆっくりとお話をさせてください」
シルヴィアが軽く微笑むだけで、令嬢たちは歓声をあげ、令息たちは頬を染めて目を奪われる。
その美貌と血筋に留まらず、常に学年トップの優秀な成績を維持するシルヴィアは、誰もが憧れる高嶺の花だ。
(お嬢さまはやはりすごい方だ。粒ぞろいの学生が集う王立学園でも一際秀でて、ここまで尊敬と憧憬を集められるのだから)
だからこそ、アルファルドでさえも信じられなくなる。
(……皆は想像もつかないだろうな。このお嬢さまがあんなに甘えた姿を俺にだけ見せてくださるなど)
昨日のことを思い出した彼は、顔が緩んでしまわないように眉間に力を入れた。
新年度が始まる二日早く寮に着いたので、昨日は必要なものを王都で買い出しするなどしてゆっくりと過ごした。途中、カフェに入って休憩したのだが、その時のシルヴィアもとんでもなく可愛らしかったのだ。
〝アルのジェラート、チョコレート味だったかしら〟
テラス席の向かいに座るシルヴィアがアルファルドの手元を興味津々に見ながらそんなことを口にした。
甘味好きの彼女が味見をしたがるのは珍しいことではない。
ジェラートを掬う手を止め、アルファルドはガラスの器を差し出して微笑んだ。
〝ミルクチョコ味です。召し上がってみますか?〟
〝いただきたいわ〟
薄水色の瞳をきらきらと輝かせて、シルヴィアが頷く。
アルファルドはいつも通り、器ごと渡すつもりだった。だけど、シルヴィアが普段と異なる行動に出た。
〝……あーん〟
目を伏せて恥じらいながら、薄紅色の唇を控えめに開く。
その光景を正面でもろに浴びた彼は、全身を雷に貫かれたような衝撃を受けた。
(こ、これは……俗に言う、『あーん』というやつか!?)
実物を見るのは初めてだが、知識としては知っている。
元来は、親や乳母が幼子に食事を与えるための補助的な行動だ。
だが、両者が子供でないのなら、気の置けない間柄で行われる親愛の情を示した行為になる。
つまりこれは、シルヴィアがアルファルドを信頼しているという証だ。ならば従者として、彼女の期待に全力で応えなければならない。
〝あ……あーん〟
ぎこちなく復唱しつつ、アルファルドはスプーンでジェラートを掬い、慎重にシルヴィアの口元に運ぶ。
彼女の小さな口にスプーンが到達し、ゆっくりと唇が閉じる。
シルヴィアがこくりと嚥下をして、細い指でそっと口元をなぞった瞬間、アルファルドは無意識に息を呑んでしまった。
固唾をのんで見守る彼の前で、シルヴィアは頬に手を当てて微笑んだ。
〝美味しい……っ〟
〝……っ!〟
幸せそうにはにかむ彼女の、純真無垢な愛らしさたるや!
(あやうく、この街のジェラートというジェラートを買い占め、お嬢さまのお口に運んでさしあげてしまうところだった……)
「どうしたの、アルファルド? あなたのほうから、今、とっても苦しそうな呻き声が聞こえた気がするのだけれど」
「失礼いたしました。太陽の眩しさに、目を灼かれてしまいそうになりました」
「そう……? 太陽を直接見てはダメよ。気を付けてね」
不思議そうに振り返ったシルヴィアに適当に言い訳をしつつ、アルファルドはきゅうと締め付けられている胸を笑顔で押さえた。
以前のシルヴィアは、アルファルドが相手だろうと、決して隙を見せはしなかった。その彼女が、ここ最近になって少しずつアルファルドに甘えるようになった。
きっかけは、どう考えても、初めてシルヴィアの頭を撫でたあの日だ。
(お嬢さまはこれまで、クロウリー家の次期当主としてふさわしくあろうと、常に自分を厳しく律してこられた。その分、本人も気付かないうちに、心の安らぎを求めていたのだろう)
その隠れた欲求を、図らずも自分が暴いた。だから彼女は、アルファルドにだけ素直に甘えるのだ。
まずいことに、彼はこのことに背徳的な喜びを感じてしまっている。
(……俺がお嬢さまを甘やかすのは、お嬢さまのお心から少しでも憂いを取りのぞき、お嬢さまを破滅の未来から遠ざけるためだ。断じて、お嬢さまの無垢な笑顔を独占して喜ぶためではない!)
とはいえ、シルヴィアの素の姿を易々と周囲に広げるわけにいかないのも事実だ。
クロウリー家の親戚は学園にもいて、シルヴィアが次期当主の座から転がり落ちるのを虎視眈々と狙っている。
彼らを牽制するためにも、完璧で非の打ち所がないシルヴィアのイメージをいたずらに崩すのは得策ではない。
(そうだ。合理的な選択として、こんなにも素直で愛らしいお嬢さまの姿を周りに知られるわけにはいかない。もし、誰かに見られてしまった暁には……)
「なにかしら。今度はアルファルドから、とっても怖い殺気を感じたのだけれど」
「失礼いたしました。夏の終わりは虫が多く発生いたしますので。お嬢さまに群がる虫どもを、一匹一匹丁寧に潰すイメージトレーニングをしておりました」
「そう……? がんばってね」
きょとんとしつつ、疑いなくシルヴィアは頷いた。
そうこうしているうちに、二人は大講堂に着いた。
これから始業式が行われるこの場所は、天井が高く窓にはステンドグラスがあしらわれ、学園内でも特に壮麗な造りをしている。
二年生は中段の列に席を割り振られている。
アルファルドとシルヴィアが適当に空いている席に腰掛けたその時、なにやら大講堂の外が騒がしくなった。
「まあ、ウィリアム殿下がいらしたわ!」
「ルイスさまもご一緒ですわね!」
「ひさしぶりだね。みんな元気にしてた? それは良かった!」
きゃあきゃあとはしゃぐ女生徒らと、それに答える爽やかな男子生徒の声。それだけで、誰が現れたのかわざわざ顔を見なくてもわかる。
ほどなくして、十人ほどの女生徒に囲まれた二人の男子学生が大講堂に入ってくる。
思った通りの人物の、思った通りの登場に、アルファルドはいっそ感心した。
一人めの、柔らかな栗色の髪に明るい緑の瞳をした甘い顔立ちの男子生徒は、ローゼン王国第一王子のウィリアムだ。
隣の、艶めく黒髪に涼しげな紫の瞳の男子生徒は、魔術師団長の息子のルイス・バトラーである。
ウィリアムは諸事情により王位継承権を放棄済の王子だが、垂れ目が印象的な甘いルックスと王族とは思えないほどの人当たりの良さで、学園で絶大な人気を誇る。いつも一緒にいるルイスも大層な美形のため、二人はいつも注目の的だ。
目立つ二人の生徒のうち、ウィリアムがシルヴィアに気付いて手を上げた。
「おはよう。シルヴィア、アルファルドも!」
「おはようございます。ウィリアム殿下、ルイス」
シルヴィアも二人の動向を目で追っていたのか、声をかけられてすぐに立ち上がり、淑女の礼で答える。
対してウィリアムは、気さくに手を振りながら近づいてきた。
「隣、座ってもかまわない?」
「ええ。もちろんです」
「ありがとっ」
言うが早いか、ウィリアムがシルヴィアの隣に腰掛け、ルイスもそれに倣う。
それにより、ウィリアムたちを囲んでいた女子生徒たちがさあと散っていった。
皆、クロウリー辺境伯令嬢であるシルヴィアに遠慮して離れたのだ。
ウィリアム王子がシルヴィアを人除けに使うのは、もはや見慣れた光景だ。
とはいえ、シルヴィア第一主義のアルファルドとしては、見ていて気持ちのいいものではない。
そんな不満が滲み出てしまったのか、彼の視線に気付いたウィリアムがぱちりと器用にウィンクした。
「何だい、アルファルド。君、なにか僕に言いたげじゃない?」
「いえ。殿下が相変わらず、素晴らしく人望を集めておいでなので、思わず感じ入って眺めてしまいました」
「うわーい。アルファルドのその、笑顔の裏にたっぷり毒を込めてる感じ、なつかしくて涙が出ちゃうな。これぞ、学園に戻ってきたって感じ!」
けらけらと笑うウィリアムに、一番通路側のルイスが溜息をついた。
「ちょっと、ウィル。新学期早々、騒がしすぎ。今日から二年生になるのに、少しは落ち着きってものを身につけられなかったの?」
「ルイスが冷たい! もしかして、僕の味方はシルヴィアだけ?」
「申し訳ありませんが、私もルイスと同じ意見です」
「つまりは味方ゼロ!? 何てこった!」
騒がしいウィリアムに、講堂の雰囲気が明るくなる。
ここにいる四人は全員が生徒会に所属している。そのため、友人と呼べるほど親密な間柄ではないにせよ、こういったやりとりは慣れたものだ。
(確かに騒がしいが、日常が戻ってきたという安心感はあるな)
ウィリアムにつられて苦笑しつつ、アルファルドは内心で独り言ちる。
思えば、自らを転生者と説明するセイラと出会ってから、彼はどこか現実であって現実でないような落ち着かない心地を抱えてきた。
こうして学園に戻りウィリアムやルイスと再会すると、彼女から転生だとかゲームだとかの話を聞いたのが、まるで夢だったような気がしてくる。
(実際、夢だったのかもしれない。あの女もあれから姿を消したことだし……)
そう納得しかけた時、ウィリアムがぴんと人差し指を立てた。
「けどさ。今年は君たちもはしゃいじゃうくらい、面白いことになるかもよ」
「面白いこと、ですか?」
「それはどういう……」
シルヴィア、そしてルイスが続けて首を傾げる。
それにウィリアムが答える前に、大講堂の入り口で女生徒の悲鳴があがった。
「ま、待って! すみません、誰か捕まえてください!」
(……鳥? いや、本が飛んでいる?)
顔を上げたアルファルドは、青い本が鳥のように羽ばたいているのを見つけた。おおかた、物体を飛ばす魔法を誤ってかけてしまったのだろう。
隣で本を見上げたシルヴィアがすっと立ち上がって手を翳した。
「『氷枷』」
彼女の手元から雪の結晶が舞い、天井高くを羽ばたく本が凍る。羽ばたきが鈍くなったそれは、ふわりふわりとシルヴィアの手に降りてきた。
「これは……魔法理論の教科書ですか」
「そのようね」
彼女の手元を、アルファルドは覗き込む。
その時、席を探す生徒たちの間を縫って、一人の女学生が駆け寄ってきた。
「へえ。初めて聞きました」
「オキシトシンは『幸せ魔力』とも呼ばれているの。それが体に満ちると、不安や恐れのかわりに安らぎを得られるらしいわ」
嬉々として、シルヴィアは本から得た知識を披露する。
なぜ、アルファルドに頭を撫でてもらうと心に深い安らぎを覚えたのか。
彼女はそのことがずっと気になっていたのだ。
(まるで魔法みたいと思っていたけれど、本当に魔法のような仕組みだったのね)
あれから彼女は、一日に一度、ティータイムの時間に、アルファルドに頭を撫でてもらっている。さすがに毎日は申し訳ないと思ったのだが、彼が「どうぞ」と言ってくれるので、つい甘えさせてもらっていた。
そのたびに、シルヴィアは心から驚いた。
朝から文官と議論尽くしで疲労していても。迫る父との対面に緊張していても。アルファルドの腕に包まれ、頭を撫でてもらった途端、ふわっと真綿で包み込まれたように、全身が軽くなってしまう。
最初の頃シルヴィアは、アルファルドが未知の回復魔法に目覚めたのかとすら思った。
(色んな知識を身につけてきたけれど、私もまだまだね。こんなにも素敵な魔力の秘密を、今日まで知らずにいたのだもの)
頬に手を当てて、シルヴィアはしみじみと魔力の奥深さを噛みしめる。
そんなシルヴィアをきょとんと眺めていたロザリーは、突然、彼女を後ろからぎゅっと抱きしめた。
「難しいことはわからないですが……失礼して、ぎゅっ!」
「どうしたの、ロザリー?」
「私からお嬢さまに、元気のおすそわけです」
ぎゅむぎゅむと抱きしめるロザリーに、シルヴィアはふふっと笑みを零した。
「ありがとう、ロザリー。あなたのおかげで元気が出たわ」
「ロザリーはいつでもお嬢さまの味方ですからね」
「ええ。覚えておくわ」
そう言って、シルヴィアとロザリーは鏡越しに笑い合った。
さて。水色のサマードレスに着替えたシルヴィアは食堂に向かった。
ロザリーはきっと、これから父と対面するシルヴィアを励ます意味で、抱きしめてくれたのだろう。
その優しさがシルヴィアを勇気づけてくれる。
(だけど、アルファルドに抱き寄せられた時とは、少し違う気がしたかも?)
ほっとしたのも、元気がでたのも同じだ。
だけどなにかが――心がふわふわと浮き立つような感じに、少し違いがある気がする。
この違いはなにから生じるのだろう。
オキシトシンにも色々種類があるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていくと、食堂の入り口でアルファルドが待つのが見えた。
「お待ちしておりました、お嬢さま」
シルヴィアに気付いた彼が、胸に手を当てて頭を下げた。
今日の彼も、使用人用の黒い仕着せを身に纏っている。
実は父もシルヴィアも、アルファルドには自由に服を選んで着ていいと伝えている。だが、彼自身が好んで仕着せを纏っているのだ。
とはいえ学園に戻れば、アルファルドのこの姿ともしばしお別れだ。
「お父さまは?」
「すでに席についておられますよ」
「アルも一緒に席についてくれたらいいのに」
「勘弁してください。私にとって旦那さまは雲の上の存在ですよ」
「私だってそうだわ。ちゃんと味がわかるといいのだけれど」
冗談めかして溜息をつくシルヴィアに、アルファルドが優しく目を細める。
扉を開けようと背を向けた彼に、シルヴィアはふと思いついて、その背中にそっと寄り添ってみた。
「お嬢さま、さすがにここでは……」
「ごめんなさい。だけど、少しだけ勇気をもらいたくて」
扉にかけた手を止めて、アルファルドが珍しく焦った声を出す。それに詫びながら、シルヴィアはそっと目を閉じた。
――やっぱりだ。アルファルドに触れると、幸せが全身に染みわたると同時に、そこはかとなく甘酸っぱい疼きが胸をくすぐる。
アルファルドだけの特別な効果だ。
この感情がどこから生まれるのか、シルヴィアは知らない。
なのに、無性に味わいたくなる。
「……これも、オキシトシンの効果なのかしら?」
「なんです、それは?」
「幸せ魔力物質よ。親しい相手とのスキンシップで生まれるの」
「はあ……」
アルファルドはなにか言いたそうな顔をしたが、ふいと視線を逸らして、シルヴィアの気が済むまで好きにさせてくれた。
その目元にわずかに朱が差していたことに、本人もシルヴィアも気付かない。
やがてシルヴィアが離れたのを見計らって、アルファルドは今度こそ扉を開けた。
「――息災にしていたか、シルヴィア」
食堂の長いテーブルの最奥に、父エイワスはいた。
シルヴィアと同じ純白の髪に、理知的な深い紫色の瞳。王族と並んでも見劣りしないほどに整った容姿をしているが、表情に笑みはなく、冷たい印象を与える。
父と視線が交わった途端、ロザリーにもらった元気も、アルファルドに分けてもらった勇気も一瞬で溶けてなくなりそうになる。そんな自分を内心叱りつけて、シルヴィアは父とは反対側の席に座った。
「お父さまもお元気そうで安心しました」
「不在にしている間、なにか不都合はなかったか」
「問題ありませんわ。詳しくは日誌に残しましたが、文官の皆さんが手を貸してくださったので、諸々つつがなく済ませております」
「……そうか。ならば良い」
「……視察はいかがでしたか? 途中、嵐があったかと思いますが」
「特に。普段とそう変わりなかった」
「そう、でしたか」
途方にくれたようなシルヴィアの声を最後に、会話が途切れた。
前菜の冷たい野菜のテリーヌをなんとか呑み込みながら、彼女は気まずい沈黙に耐えた。
父とはもう何年も親子らしい会話をしていない。今日はこれでも、領地経営という共通の話題があったからマシなほうだ。
(……お父さまはやはり、私に不満がおありなのかしら)
そう思った途端、胃がぐっと重くなるような心地がした。
それならばそうと、面と向かって言ってくれたらどんなに良かっただろう。
養子を取るだとか、後妻を迎えるだとかしてくれたら、まだわかりやすい。シルヴィアだって、父に思いっきり反発できる。
だけど現実として、エイワスはシルヴィアにはなにも語らない。
シルヴィアも怖くて、父の本心を尋ねることができない。
ただ息が詰まるような時間だけが、嫌になるほど流れていく。
カチャカチャと、互いのカトラリーの音が響く。
デザートの柑橘のソルベを食べ終わりそうになった頃、思い出したようにエイワスがスプーンを置いた。
「そういえば、いよいよ予言の日が近づいているようだ」
「は、はい!」
まさか父から新たに話題を振られると思わず、シルヴィアは椅子の上でびくんと背筋を伸ばした。
予言――それは前々代の王国筆頭魔術師エムリスが、百年前に残したものだ。
エムリスの予言によると、百年先、地上に魔界が接近する。それにより、王国に数多の悪魔が現界し、次々と災いが起きる。その一方で、救世の印を持つ、悪魔に対抗する力に目覚めた子供が現れ、ひとびとを救済するだろう――
その子供は、ひとびとから『救世の子』と呼ばれている。
傍らのワインが入ったグラスを揺らして、エイワスは紫の目を細めた。
「森を抜ける時、いつもより魔力の揺らぎが不安定で、木々がざわついていた。魔界が近づいて瘴気が生まれやすくなっているのだろう。学園周りも警戒が必要だ。ゆめゆめ、気を抜くなよ」
「かしこまりました」
そうして、父エイワスとの短くも長い会食が終わった。
席を立ったシルヴィアは、階段の踊り場に飾られた家族三人の肖像画を――その中で、幼き日のシルヴィアを膝に乗せて微笑む母ビビアンを見上げた。
(救世の子が、ついに印に選ばれるのね……)
エムリスの予言は数多くの魔術師により解析された。
その結果、魔界が近づくのが予言からちょうど百年の今年であることや、予言の子供が十五歳から十八歳の少女であること。救世の印がふさわしい少女を選んで浮かび上がり悪魔を退ける力を授ける、ということがわかっている。
ここ数年、王国は救世の子に選ばれうる少女を、王立学園に集めている。
かくいうシルヴィアも、父譲りの高い魔力と王立学園きっての才女と褒め称えられる能力の高さから、印に選ばれる有力候補だとされている。
幼い頃、何度も繰り返し母が読んでくれた、救世の子を題材とした絵本のことが脳裏に蘇る。
物語の中、印に選ばれて悪魔の魔の手から王国を救った少女は、その勇気と功績をひとびとから称賛されていた。
あの絵本はただの作り話だ。
それはわかっている。
でも。だとしても。
「……もし。もしも、私が救世の子に選ばれたら。お父さまは私を自慢の娘と思ってくださるかしら」
シルヴィアの呟きに、当然ながら、絵画の中で微笑む母は答えてはくれなかった。
* * *
長期休暇が終わり、二年目の学園生活が始まった。
王立学園は王都ルカディアの郊外、ノーグの森と呼ばれる森の中に位置する。
王都から結ばれた一本道を辿っていくと、突如として森の中に巨大な白亜の城が現れる。それが王立学園だ。
王立学園に通う生徒の大半は、ローゼン王国の貴族の子供だ。
大商人の息子や著名な魔法研究者の娘といった準貴族に当たる家柄の子もいるが、親戚筋のどこかしらに貴族とつながりがある。
そういう意味で、学園は社交界の縮図だ。
当然、クロウリー辺境伯の娘であるシルヴィアは、自ずと学園内の序列の上位に君臨する。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、シルヴィアさま」
「シルヴィアさま。それにアルファルドさま。お会いできて嬉しゅうございますわ」
純白の髪をなびかせてシルヴィアが正面入り口への大通りを歩くと、あちこちで令嬢たちが膝を折って優雅に礼をする。シルヴィアの後ろに付き従うアルファルドにまで声をかける者がいるのだから、律義なものだ。
「ごきげんよう、皆さま。また後ほど、ゆっくりとお話をさせてください」
シルヴィアが軽く微笑むだけで、令嬢たちは歓声をあげ、令息たちは頬を染めて目を奪われる。
その美貌と血筋に留まらず、常に学年トップの優秀な成績を維持するシルヴィアは、誰もが憧れる高嶺の花だ。
(お嬢さまはやはりすごい方だ。粒ぞろいの学生が集う王立学園でも一際秀でて、ここまで尊敬と憧憬を集められるのだから)
だからこそ、アルファルドでさえも信じられなくなる。
(……皆は想像もつかないだろうな。このお嬢さまがあんなに甘えた姿を俺にだけ見せてくださるなど)
昨日のことを思い出した彼は、顔が緩んでしまわないように眉間に力を入れた。
新年度が始まる二日早く寮に着いたので、昨日は必要なものを王都で買い出しするなどしてゆっくりと過ごした。途中、カフェに入って休憩したのだが、その時のシルヴィアもとんでもなく可愛らしかったのだ。
〝アルのジェラート、チョコレート味だったかしら〟
テラス席の向かいに座るシルヴィアがアルファルドの手元を興味津々に見ながらそんなことを口にした。
甘味好きの彼女が味見をしたがるのは珍しいことではない。
ジェラートを掬う手を止め、アルファルドはガラスの器を差し出して微笑んだ。
〝ミルクチョコ味です。召し上がってみますか?〟
〝いただきたいわ〟
薄水色の瞳をきらきらと輝かせて、シルヴィアが頷く。
アルファルドはいつも通り、器ごと渡すつもりだった。だけど、シルヴィアが普段と異なる行動に出た。
〝……あーん〟
目を伏せて恥じらいながら、薄紅色の唇を控えめに開く。
その光景を正面でもろに浴びた彼は、全身を雷に貫かれたような衝撃を受けた。
(こ、これは……俗に言う、『あーん』というやつか!?)
実物を見るのは初めてだが、知識としては知っている。
元来は、親や乳母が幼子に食事を与えるための補助的な行動だ。
だが、両者が子供でないのなら、気の置けない間柄で行われる親愛の情を示した行為になる。
つまりこれは、シルヴィアがアルファルドを信頼しているという証だ。ならば従者として、彼女の期待に全力で応えなければならない。
〝あ……あーん〟
ぎこちなく復唱しつつ、アルファルドはスプーンでジェラートを掬い、慎重にシルヴィアの口元に運ぶ。
彼女の小さな口にスプーンが到達し、ゆっくりと唇が閉じる。
シルヴィアがこくりと嚥下をして、細い指でそっと口元をなぞった瞬間、アルファルドは無意識に息を呑んでしまった。
固唾をのんで見守る彼の前で、シルヴィアは頬に手を当てて微笑んだ。
〝美味しい……っ〟
〝……っ!〟
幸せそうにはにかむ彼女の、純真無垢な愛らしさたるや!
(あやうく、この街のジェラートというジェラートを買い占め、お嬢さまのお口に運んでさしあげてしまうところだった……)
「どうしたの、アルファルド? あなたのほうから、今、とっても苦しそうな呻き声が聞こえた気がするのだけれど」
「失礼いたしました。太陽の眩しさに、目を灼かれてしまいそうになりました」
「そう……? 太陽を直接見てはダメよ。気を付けてね」
不思議そうに振り返ったシルヴィアに適当に言い訳をしつつ、アルファルドはきゅうと締め付けられている胸を笑顔で押さえた。
以前のシルヴィアは、アルファルドが相手だろうと、決して隙を見せはしなかった。その彼女が、ここ最近になって少しずつアルファルドに甘えるようになった。
きっかけは、どう考えても、初めてシルヴィアの頭を撫でたあの日だ。
(お嬢さまはこれまで、クロウリー家の次期当主としてふさわしくあろうと、常に自分を厳しく律してこられた。その分、本人も気付かないうちに、心の安らぎを求めていたのだろう)
その隠れた欲求を、図らずも自分が暴いた。だから彼女は、アルファルドにだけ素直に甘えるのだ。
まずいことに、彼はこのことに背徳的な喜びを感じてしまっている。
(……俺がお嬢さまを甘やかすのは、お嬢さまのお心から少しでも憂いを取りのぞき、お嬢さまを破滅の未来から遠ざけるためだ。断じて、お嬢さまの無垢な笑顔を独占して喜ぶためではない!)
とはいえ、シルヴィアの素の姿を易々と周囲に広げるわけにいかないのも事実だ。
クロウリー家の親戚は学園にもいて、シルヴィアが次期当主の座から転がり落ちるのを虎視眈々と狙っている。
彼らを牽制するためにも、完璧で非の打ち所がないシルヴィアのイメージをいたずらに崩すのは得策ではない。
(そうだ。合理的な選択として、こんなにも素直で愛らしいお嬢さまの姿を周りに知られるわけにはいかない。もし、誰かに見られてしまった暁には……)
「なにかしら。今度はアルファルドから、とっても怖い殺気を感じたのだけれど」
「失礼いたしました。夏の終わりは虫が多く発生いたしますので。お嬢さまに群がる虫どもを、一匹一匹丁寧に潰すイメージトレーニングをしておりました」
「そう……? がんばってね」
きょとんとしつつ、疑いなくシルヴィアは頷いた。
そうこうしているうちに、二人は大講堂に着いた。
これから始業式が行われるこの場所は、天井が高く窓にはステンドグラスがあしらわれ、学園内でも特に壮麗な造りをしている。
二年生は中段の列に席を割り振られている。
アルファルドとシルヴィアが適当に空いている席に腰掛けたその時、なにやら大講堂の外が騒がしくなった。
「まあ、ウィリアム殿下がいらしたわ!」
「ルイスさまもご一緒ですわね!」
「ひさしぶりだね。みんな元気にしてた? それは良かった!」
きゃあきゃあとはしゃぐ女生徒らと、それに答える爽やかな男子生徒の声。それだけで、誰が現れたのかわざわざ顔を見なくてもわかる。
ほどなくして、十人ほどの女生徒に囲まれた二人の男子学生が大講堂に入ってくる。
思った通りの人物の、思った通りの登場に、アルファルドはいっそ感心した。
一人めの、柔らかな栗色の髪に明るい緑の瞳をした甘い顔立ちの男子生徒は、ローゼン王国第一王子のウィリアムだ。
隣の、艶めく黒髪に涼しげな紫の瞳の男子生徒は、魔術師団長の息子のルイス・バトラーである。
ウィリアムは諸事情により王位継承権を放棄済の王子だが、垂れ目が印象的な甘いルックスと王族とは思えないほどの人当たりの良さで、学園で絶大な人気を誇る。いつも一緒にいるルイスも大層な美形のため、二人はいつも注目の的だ。
目立つ二人の生徒のうち、ウィリアムがシルヴィアに気付いて手を上げた。
「おはよう。シルヴィア、アルファルドも!」
「おはようございます。ウィリアム殿下、ルイス」
シルヴィアも二人の動向を目で追っていたのか、声をかけられてすぐに立ち上がり、淑女の礼で答える。
対してウィリアムは、気さくに手を振りながら近づいてきた。
「隣、座ってもかまわない?」
「ええ。もちろんです」
「ありがとっ」
言うが早いか、ウィリアムがシルヴィアの隣に腰掛け、ルイスもそれに倣う。
それにより、ウィリアムたちを囲んでいた女子生徒たちがさあと散っていった。
皆、クロウリー辺境伯令嬢であるシルヴィアに遠慮して離れたのだ。
ウィリアム王子がシルヴィアを人除けに使うのは、もはや見慣れた光景だ。
とはいえ、シルヴィア第一主義のアルファルドとしては、見ていて気持ちのいいものではない。
そんな不満が滲み出てしまったのか、彼の視線に気付いたウィリアムがぱちりと器用にウィンクした。
「何だい、アルファルド。君、なにか僕に言いたげじゃない?」
「いえ。殿下が相変わらず、素晴らしく人望を集めておいでなので、思わず感じ入って眺めてしまいました」
「うわーい。アルファルドのその、笑顔の裏にたっぷり毒を込めてる感じ、なつかしくて涙が出ちゃうな。これぞ、学園に戻ってきたって感じ!」
けらけらと笑うウィリアムに、一番通路側のルイスが溜息をついた。
「ちょっと、ウィル。新学期早々、騒がしすぎ。今日から二年生になるのに、少しは落ち着きってものを身につけられなかったの?」
「ルイスが冷たい! もしかして、僕の味方はシルヴィアだけ?」
「申し訳ありませんが、私もルイスと同じ意見です」
「つまりは味方ゼロ!? 何てこった!」
騒がしいウィリアムに、講堂の雰囲気が明るくなる。
ここにいる四人は全員が生徒会に所属している。そのため、友人と呼べるほど親密な間柄ではないにせよ、こういったやりとりは慣れたものだ。
(確かに騒がしいが、日常が戻ってきたという安心感はあるな)
ウィリアムにつられて苦笑しつつ、アルファルドは内心で独り言ちる。
思えば、自らを転生者と説明するセイラと出会ってから、彼はどこか現実であって現実でないような落ち着かない心地を抱えてきた。
こうして学園に戻りウィリアムやルイスと再会すると、彼女から転生だとかゲームだとかの話を聞いたのが、まるで夢だったような気がしてくる。
(実際、夢だったのかもしれない。あの女もあれから姿を消したことだし……)
そう納得しかけた時、ウィリアムがぴんと人差し指を立てた。
「けどさ。今年は君たちもはしゃいじゃうくらい、面白いことになるかもよ」
「面白いこと、ですか?」
「それはどういう……」
シルヴィア、そしてルイスが続けて首を傾げる。
それにウィリアムが答える前に、大講堂の入り口で女生徒の悲鳴があがった。
「ま、待って! すみません、誰か捕まえてください!」
(……鳥? いや、本が飛んでいる?)
顔を上げたアルファルドは、青い本が鳥のように羽ばたいているのを見つけた。おおかた、物体を飛ばす魔法を誤ってかけてしまったのだろう。
隣で本を見上げたシルヴィアがすっと立ち上がって手を翳した。
「『氷枷』」
彼女の手元から雪の結晶が舞い、天井高くを羽ばたく本が凍る。羽ばたきが鈍くなったそれは、ふわりふわりとシルヴィアの手に降りてきた。
「これは……魔法理論の教科書ですか」
「そのようね」
彼女の手元を、アルファルドは覗き込む。
その時、席を探す生徒たちの間を縫って、一人の女学生が駆け寄ってきた。
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