会いたいが情、見たいが病

雪華

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◆第一幕 一ヵ月だけのクラスメイト◆

ごちゃ混ぜの感情②

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 次の日もその次の日も、それから暫くの間、清虎の早退は続いた。応援団の練習は三日に一度だが、練習が無い日は欠席することもあり、朝のバス停に清虎の姿がないと酷くガッカリした。

「今日も清虎来なかったね」

 帰りのホームルームを終えた後、寂し気な表情を浮かべながら陸は教室を出る。

「清虎の出演する日は表にまで行列が出来るからなぁ。売り上げに直結するし、どうしても学校より舞台優先になるんだろ。特殊な世界だよ、仕方ないんじゃない。俺たちとは住む世界が違うんだから」

 まるで切り捨てるような哲治の言いざまに、陸は渋い顔をした。舞台優先は重々承知しているが、それでもやはり納得いかない。

「あ、佐伯に三井。良かった、まだ残ってて」

 廊下の向こうから担任に呼び止められ、哲治に反論しようとしていた陸はタイミングを逃して口をつぐんだ。

「悪いんだけど、佐久間に運動会のプリントを持って行ってくれないか。今日金曜だから、次に来るのは週明けになっちゃうだろ。なるべく早く渡しておきたいからさ」
「大丈夫です! 俺、渡しに行きます」
「ありがとう。じゃ、頼むな。気を付けて帰れよ」

 両手を差し出してプリントを受け取った陸は、哲治への抗議も忘れて足取り軽く歩き出す。

「陸。今日塾あるけど、いつ渡すの? 今から劇場に寄って渡すなら、俺も一緒に行きたい」
「うん、このまま帰りに寄ってくつもり。じゃ、一緒に行こうか」

 浅草で生まれ育っているにも関わらず、劇場に足を踏み入れるのは初めてだった。少しだけ緊張しながら、チケット売り場に立つ関係者らしき年配の男性に声を掛ける。

「あの、俺たち清虎くんの同級生なんですけど、プリントを預かって来まして……」

 陸が言い終わらないうちに、その男性は「ああ!」と嬉しそうに手を叩いた。

「もしかして陸君と哲治君かな」

 自分たちの名前を言い当てられ、驚きながらも陸は頷く。

「清虎は今、舞台の真っ最中でね。君たち時間あるなら、せっかくだし芝居を見ていきな。後ろの席ならまだ空いてるから」
「あ、でも俺たちこれから塾があって」
「そうか、そりゃ残念だ。けどこのまま帰しちまったら清虎にどやされるし、塾が終わった後、ちょっと寄ってけないかい? 八時には清虎の出番は終わってるから、顔だけでも見せてやってくれないかな」

 男性にせがまれて、陸は「はい」と勢いよく返事をした。隣で哲治が陸を小さく睨んだが、気付かないまま言葉を続ける。

「塾も八時に終わるんで、帰りにまた寄ります」
「本当かい、ありがとうね。清虎も喜ぶよ」

 ホッとしたように男性が胸に手を当てた。「また後で」と挨拶して劇場を離れると、哲治がこめかみを押さえながら大袈裟にため息を吐く。

「塾帰りに寄るなんて、勝手に返事すんなよ」
「ごめん、用事あった? だったら俺一人で行くよ。どうせ帰り道だし」
「用なんてないし、一緒に行くけど……そういう事じゃなくてさぁ」

 苛ついたような声色に、陸は何がいけなかったんだろうと考えながら首をすくめた。

「勝手に返事して悪かったってば」
「もういい、俺帰るわ。また塾で」
「え。あ……うん」

 気まずさを残し、大衆劇場の前で哲治と別れた。塾の帰りに清虎に会えるのは嬉しかったが、哲治を怒らせてしまった重い気分も同時に湧いて、ごちゃ混ぜの感情のやり場に困る。

 喧嘩と呼ぶには程遠い些細なやり取りだったが、それでも哲治が陸に対してあんなにハッキリ不快感を示したのは初めてだった。
 帰宅後に自室で着替えながら、改めて哲治の機嫌が悪くなった原因を探してみたが、決定的な理由が陸には見つけられない。

 不安な気持ちを抱えたまま塾に着くと、哲治は既に教室にいた。陸に気付いた哲治は、視線だけ向けて軽く手を上げる。どことなくよそよそしい感じがして近寄りがたく、声を掛けられないまま授業が始まってしまった。
 講義の内容は少しも頭に入らず、チラチラと何度も時計を見てしまう。恐ろしく長く感じた九十分を終え、出口に向かって歩き始めた所で哲治に肩を叩かれた。

「何か今日の授業難しかったな。あー腹減った。清虎んとこ行くんだろ? 早く行こ」
「あ、うん」

 まるで何もなかったかのような哲治の態度に戸惑いながらも、陸はひとまず頷いた。彼なりの「もう怒ってない」と言う意思表示なのかもしれない。

「清虎のとこ行った後、うちの店で飯食ってく?」
「あーいいね。久々に唐揚げ食べたいな。じゃあ……」

 清虎も誘おうか。そう言いかけて言葉を飲み込む。なんとなく今は、自分から何かを提案するのが躊躇われた。

「清虎も呼びたい?」

 まるで見透かされたように問われ、「うん」と答えていいものかどうか迷いながら哲治を見上げる。

「陸は一緒に行きたいんだろ? いいよ、声かけてみよう。来週の運動会でもうお別れだしな」
「うん、ありがとう」

 ホッとしながら礼を述べると、哲治は目を伏せた。停めてあった自転車にまたがり、「なんで……」と小さくこぼす。語尾は声が小さくて聞き取れなかった。

「え? 何て言ったの?」
「何でもないよ」

 走り出した哲治の後を、陸は慌てて追った。
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